第三章 戦宴 5 ―対戦者―
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少女は日常生活を奪われていた。
名前と共に。
けれどもこの二日間、学園生活を終えた後に、彼女は『元の自分』に戻る事を特別に許されてた。いわば、夕刻から深夜にかけてのシンデレラだ。
いや、正確には逆シンデレラである。
その特別な時間が終わると、彼女はお姫様に戻らなければならないのだから。
少女が演じている姫君の名は――堂桜淡雪。
淡雪は公式に王女の身にある者ではない。堂桜一族は王家でも皇家でもないのだ。けれど、世界に多大なる影響力と財力、発言力などを誇る堂桜財閥という超巨大コンツェルンは小国の王家とは比較にならない程の権威である。事実として、このニホンの皇族ですら『堂桜には逆らわない』のが常識だ。むろん堂桜側も皇族に国民随一の敬意・忠義を示して、多大なる寄付を続けてバックアップに勤しんでいる。一種の院政だと一部の者に非難されているが。
そんな堂桜一族の本家令嬢、そして次期当主候補筆頭なのだから、淡雪が『堂桜の姫君』と一般に認知されている事は、なんら誇張ではないのだ。
しかし、淡雪は不在が続いている。
その不在と不在の理由が明らかになると、堂桜内での次期当主を巡っての権力争いが激化するのは必至であった。混乱を未然に防ぐという名目で、彼女は淡雪の代理を務めているのだ。
「ふふ。生き生きとしているわね、雪羅ちゃん」
一時とはいえ堂桜淡雪から解放されて、本来の自分――氷室雪羅に戻った彼女に、詠月が話し掛ける。
詠月も堂桜の人間だ。血統的には傍系の末席に引っかかる程度であったが、自力でのし上がって、二十代後半という異例の若さで堂桜ナンバー3の位置にいる女だ。
異名はシンプルに《怪物》。一族の当主、宗護。宗護の双子の兄でナンバー2である栄護に次ぐ三番手なのだ。当主(宗護)派、栄護派、詠月派が一族の内外で周知されている巨大派閥である。他の派閥も数多く存在しているが、この三大派閥より規模と影響力は格落ちする。
雪羅は嬉しそうに頷く。
「はい。元の自分として振る舞えるだけではなく、貴重な実戦経験を積めますから」
「貴重な休息と睡眠時間が削られても?」
「もちろんです。私と義兄は強くならなければいけないのです。強く、ならなければ」
氷室雪羅は堂桜淡雪のスペアとして造られた存在だ。
双子の姉妹という設定でクローンニングされた、人造の二卵性双生児である。
堂桜財閥の技術の粋を集めたクローン体であるのに、何故か一卵性双生児と定義できない程の微妙な差異が発生していた。研究者たちは首を傾げつつ、その差異こそが『淡雪の異常性』であると推論した。つまり『真っ当なヒト』としては氷室雪羅の方が正しいのである。
淡雪のスペアである雪羅は堂桜一族から距離を置き、氷室家にその身を預けられていた。
氷室家で淡雪としての教育と訓練を受けていたが、本人には『淡雪は他人のそら似』として素性を明かしていなかった。
だが――運命が動く。より過酷な方向へと。
堂桜一族のパワーゲームと陰謀に巻き込まれて氷室家が殺された。事故を装った殺害だ。
家族を喪った事故によるショックで、雪羅は戦闘系魔術師としての素質を開花させた。そして、影の堂桜――淡雪のスペアという自身の役割と事故の真相を知ったのである。
残された義兄の臣人と共に、雪羅は復讐を誓っているのだ。その為に、詠月の保護を受けて、あえて利用されている。皮肉にも、現在は本来の役割だった淡雪の代理をしていた。
雪羅は噛み締める様に言った。
「私と義兄がいかに弱いのか、対抗戦で統護さんに身を以て教えて頂きました。今の私達では家族の仇が判ったとしても、返り討ちにされてしまうのは確実でしょう」
「ええ、その通りだわ」
そんな状況にあって、つい二日前に『ある誘い』が詠月に届けられた。
MKランキングからの招待である。
詠月とて、先日にエレナが巻き起こした騒動とMKランキングについては把握していた。
堂桜の諜報部門がMKランキングと主催者の光葉一比古なる人物を洗い出せないという事も。
実害がないのでエレナに任せて傍観していたのだが、詠月にも声が掛かったのだ。
正確には詠月本人ではなく、車の後部座席の隣にいる雪羅へ――である。
光葉一比古についてはエレナに任せるとして、丁度いい機会だと参戦を決めたのだ。
二日前にデビュー戦。そして昨晩に二戦目、三戦目と消化していた。
戦績は三戦全勝である。
デビュー戦はランク外、二戦目は37位が相手だった。二試合とも圧巻のKO勝ちだ。
三戦目のランキング15位との試合はKOで仕留められなかった。双方決め手を欠いて時間切れとなり、判定にもつれ込む大接戦となる。判定は一比古、視聴者投票、コンピュータ解析の三者全てが僅差での雪羅勝利を支持――3対0のユナニマス・デシジョンだ。
互いにノーダウンのまま試合が終わったが、その実力伯仲の試合内容から、ボーナス査定で二千六百万円が加算された。今期の最高試合と喝采されている。
現在、デビューから無傷の三連勝を飾っている雪羅のランキングは14位である。
「もうすぐだけど、連戦の疲れはない? 特に精神面」
思いの外、層が厚くて全体のレヴェルが高い――と、詠月はMKランキングを評している。
今の雪羅の実力と経験では、一桁ランカーを相手にするのは厳しいかもしれない。
力強く雪羅が頷く。
「はい、大丈夫です。昨晩と同じ失敗は繰り返しません」
試合形式で行われるとはいえど、MKランキングは魔術戦闘だ。格闘技の試合と比べると、短期決戦かつKO決着の割合が高い。判定決着は稀少といってもいい。ゆえにKOが華となる格闘技の試合とは逆で、判定に視聴者投票が含まれるMKランキングでは判定が喜ばれるという現象が起こる。なにしろ拮抗した好勝負――が判定決着の前提となるのだから。
詠月が冷静に断じた。
「ミスだと自覚があるのならば、これ以上は何も言わないわ」
三戦目は明らかに集中力が欠けていた。
確かに相手が強かったのも事実だ。しかし、決着を焦る余り、特に試合開始直後からKO狙いが露骨だった為に、最後まで相手を掴まえられなかったのである。普段通りの精神状態で戦えていれば、流れの中で自然に後半でKOできていたはずだった。
雪羅が落ち着いた声で呟く。
「……それに、今夜の相手は邪念を交えて戦える相手ではありませんし」
まるで自分に言い聞かせる様な調子だった。
「勝敗はともかく、思い切っていきなさい」
指定された場所に到着した。
車が路肩につけると、詠月は運転手に待機を命じた。
二人は夜の空気に身をさらす。
此処は神奈川の外れにある広々とした十字路である。人気はもちろん、車が通行する気配も皆無だ。十字路の上には歩道橋が横切っている。
その大通りのド真ん中。
雪羅の四戦目の対戦相手が待ち構えていた。
ノーランクだが、これまでで最強の相手といって間違いない。対抗戦を含めてもだ。
何しろ、残された映像記録からスペック的に『最強の戦闘系魔術師』と推定されている【エレメントマスター】――今は亡き《神声のセイレーン》を撃破した相手なのだから。
紅い双眸と黒いポニーテールの少女に、雪羅が語りかける。
「初めまして、オルタナティヴさん。私が貴女の対戦相手です。よろしくお願いしますね」
一礼して自己紹介した。
「――氷室雪羅と申します」
「知っているわ。けれどアタシは貴女に特別な関心はない」
「そうですか。それは私も同じです」
雪羅とオルタナティヴ。どこか似通っている二人の少女が対峙する。
少女達の横顔を見比べて、詠月が薄く笑んだ。
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…
堂桜栄護が個人所有しているキャンプ地で、乱条業司郎はパーティを開催していた。
キャンプファイヤーにバーベキュー。そして酒。
なによりもメインのドラッグ(麻薬)だ。合法品、違法品、脱法品と多種多少である。
パーティへの出資額は軽く一千万円を超えているが、交友目的で営利目的ではなかった。
参加者は男女合計で五十名ほどか。
全員が業司郎の友人や手下、女といった面子である。参加費はゼロだ。
酔っている者、ハイになっている者、泥酔・酩酊している者、ラリッっている者と、誰もが平常とはかけ離れた心理状態だ。
唯一の例外が、主催者である業司郎である。
彼はドラッグはもちろん酒や煙草も口にしていない。ミネラルウォーターのみだ。
愉しげな目で乱交現場を眺めていた。
理性が飛んだ男女でセックスが行われていたり、殴り合いが行われている。その大半が半裸か全裸という異様な光景であった。
異様で異常であるが、誰もが心底から楽しそうで盛り上がっている。
賄賂を払って根回ししているので、通報があっても警察は来ない。そして逆に救急搬送はスタンバイしていた。死人が出なければ問題ない、というスタンスのパーティなのである。
(そろそろ……だぜ)
待ちわびている。今か今かとウズウズしていた。
業司郎はMKランキングに参戦していた。しかし、光葉一比古の指示に従うのが面倒になって、ここ一年ほどは放置していた。試合放棄が重なってランク外に落ちていた。
しかし堂桜エレナが起こした騒動を知り、業司郎はMKランキングでの活動を再開したのだ。
復帰後は五戦五勝で、通算は三十二戦二十八勝四敗となっている。
四敗は全て試合放棄による棄権負けだ。
よって事実上は二十八戦全勝となっている。最新のランキング更新で8位になった。
最高位が4位だったので、久々の一桁ランクへの復帰だ。
とはいっても、業司郎にとってランキングなど興味がないのであるが。
強い相手と戦えれば、それでいい。
試合の度に指示に従ったり守秘気味が面倒だった割りに、対戦相手が物足りなかったから、MKランキングから疎遠になっていたが、最近は違っている様子だ。
特に堂桜エレナと黒壊闇好の二名は、是非ともイベントで対戦したいと思っていた。
歓声と嬌声、そして怒声が飛び交う中。
――対戦相手となる巨躯の少年が、静かに歩み寄ってくる。
少年の到着と登場に、パーティの熱気が加速した。
事前に報せてあるので、この闖入者は邪魔者ではなく賓客だと皆が分かっている。
(ようやく来たか)
業司郎はニヤリと笑んで、ゆっくりと椅子から腰を浮かせた。
そして大声で煽った。
「待たせたな、お前等ぁ!! これから楽しいメインイベントの時間だぜェ!」
ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおッッ~~~~!! 怒号のような声の津波が発生する。
このパーティは試合を盛り上げる為の演出を兼ねていた。
今宵の対戦相手は、ランキング13位だ。
つい先日、MKランキングに参戦して戦績は四戦四勝――無敗。
業司郎が対戦相手に向き合う。
巨漢の業司郎に見劣りしない、見事なヘヴィ級の肉体を誇っている相手である。
「酒は飲めないお子様だが、俺様と同じでクスリはやっているんだろう?」
クスリはクスリでも、麻薬ではなく肉体強化を目的とした違法ドーピングの類だ。
業司郎の挑発に、相手の少年は無反応である。
「へっ! 噂通りってわけか。まあ、いい。試合で俺様を楽しませられたら、特別に高い酒を奢ってやるから死ぬ気で掛かってこいや、ガキ――いや、氷室臣人クンよぉ」
乱条業司郎と氷室臣人。
燃えるような獰猛な貌と氷のような無表情な顔。
常人離れした巨体を誇る『人外の男』二人が、対照的な表情を突きつけ合わせる――
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