【海外での認識】織田信長のキャラデザを振り返る【日本人のイメージ】
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※)引用したキャプチャ画像に関しては、著作権権利者様より異議申し立て・削除要請があれば、速やかに対処いたしますのでご承知置き願います。
また、権利者様および各関係者様への敬意を忘れず、不利益にならない用法を心掛ける事を明記します。
――オンエア、START!
前振りトーク
リスナーの皆さま、ナビゲーターの淡雪が天下統一を目指しますよ。
本日の企画は普段とは趣向を変えて、とある日本史上の偉人にスポットを当ててみました。その名はズバリ、かの織田信長公です。
※)ナビゲーター。14歳(中等部三年生)
お馴染み、アシスタントの締里だ。私は信長より将門派だな。
今回の記事は、プロデューサーの閃きというか思い付きで実現したのだが、企画としてはそんなに斬新でも珍しくもない気がする。
※)アシスタント。15歳(高等部一年生)
そうですね。織田信長といえば、日本人にとって歴史上の武将で最も有名かつ人気な部類でしょうし。
三国志でいえば曹操的なイメージかもな。
ゲームやアニメ、漫画でも題材にされています。
その中でも最も一般的に有名なのは『信長の野望シリーズ(コーエーテクモゲームス)』だろう。これには誰も異論はないと思う。
『コーエーテクモChannel(YouTube公式)』からPVを紹介しますね。流石にこれだけは避けては通れませんので、ネタ企画とはいえ。
ネタ企画というなネタ企画と。
では、次に史実上の織田信長公を紹介します。
織田信長とは
織田信長 (天文3年5月12日〈1534年6月23日〉 - 天正10年6月2日〈1582年6月21日〉)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名、天下人。
織田弾正忠家の当主・織田信秀の子に生まれ、尾張(愛知県西部)の一地方領主としてその生涯を歩み始めた。永禄3年(1560年)、信長は桶狭間の戦いにおいて駿河の戦国大名・今川義元を撃破した。そして、三河の領主・徳川家康(松平元康)と同盟を結ぶ。永禄8年(1565年)、犬山城の織田信清を破ることで尾張の統一を達成した。永禄10年(1567年)には斎藤氏の駆逐に成功し(稲葉山城の戦い)、尾張・美濃の二カ国を領する戦国大名となった。そして、改めて幕府再興を志す意を込めて、「天下布武」の印を使用した。天正10年(1582年)、甲州征伐を行い、武田勝頼を自害に追いやって武田氏を滅亡させ、東国の大名の多くを自身に従属させた。同年には信長を太政大臣・関白・征夷大将軍のいずれかに任ずるという構想が持ち上がっている(三職推任)。その後、信長は長宗我部元親討伐のために四国攻めを決定し、三男・信孝に出兵の準備をさせている。そして、信長自身も毛利輝元ら毛利氏討伐のため、中国地方攻略に赴く準備を進めていた。しかし、6月2日、重臣の明智光秀の謀反によって、京の本能寺で自害に追い込まれた(本能寺の変)。
一般に、信長の性格は、極めて残虐で、また、常人とは異なる感性を持ち、家臣に対して酷薄であったと言われている。一方、信長は世間の評判を非常に重視し、家臣たちの意見にも耳を傾けていたという異論も存在する。なお、信長は武芸の鍛錬に励み、趣味として鷹狩り・茶の湯・相撲などを愛好した。
引用:Wikipedia
戦国時代の人物なので、当然ながら不明な点も多い。
残された資料から研究されている、ですからね。
下の画像が実物に近いらしい。
影武者とかフェイクである可能性だってゼロではありませんけれど。
肖像画との大きな乖離がないので、まあ、こんな感じだったのだろうとは、私は思う。
とはいっても、このデザインそのままでメディアミックスするわけにはいきません。
色々と問題があるのは瞭然だ。
ええ。NPB所属のプロ野球選手の肖像権と同じですね。某『ドカベン』シリーズもその煽りを食らってしまったとか。
歴史上の偉人に肖像権はないぞ。大衆が抱いている魔王・信長的なイメージだ、イメージ。失礼だが、実物の絵だと織田信長という感じがしないだろ? 世間一般でのイメージは実物よりも創作物に対しての信長像の方がメジャーなんだ。
もちろん分かっていましたよ、締里さん。アメリカン・ジョークですから。
どの辺りにアメリカ的な要素があったのか不明だが、丁度いい、そのアメリカにおける信長像の一例を見てみよう。
海外ゲームにおけるキャラデザ
アメリカ版
実物の絵よりも貧相ですね。
武将というか足軽っぽいな。
『信長の野望シリーズ』的な美化は過剰だとしても、これは残念です。特にお侍さんヘアーな髪型。
うむ、次は欧州でのゲームを確認といこう。
ヨーロッパ版
衣装がなんというか、コレジャナイ気が。
でも、赤が基調だから魔王っぽくはある。
信長さんというよりも、どちらかといえば秀吉さんという感じです。
日本のサラリーマンにしか見えませんよ。それも社畜でうだつが上がらない中間管理職。
武芸の鍛錬に励んでいる様には見えない。
結論すると、やはり海外の方には「織田信長像を正確にイメージするのは極めて困難」という答えになりました。信長公をイメージ通りにキャラクターデザインできるのは、日本のメディアでなければ困難だと。
別に上に挙げたゲームのキャラデザをディスっているわけではないので、くれぐれも誤解するなよ。そういう趣旨ではないからな。
日本人にとっての信長公
いよいよ日本のメディアで再現(キャラデザ)された織田信長を追っていきましょうね。
実は下に挙げた本が出版されている。その名も『信長名鑑』だ。
現時点で、少なくとも703名もの織田信長が存在している。
ここから更に増殖していくコト、間違いなしです。
頭を抱えたくなる数だ。
それぞれが工夫を凝らされた織田信長公ですが、700名どころか10名ですら、読者さんに飽きられてブラウザバックされそうなので、厳選しましょう。
選出ポイントは「世界に対して誇れるデザイン」「国内における知名度」「どれだけ信長っぽく特徴を捉えているか」の3点だ。
THE信長オブ信長というキャラを紹介です。
世界のFGOより
現在、世界で最も織田信長として認知されている『Fate/Grand Order』の織田信長さんです。なにしろ神ゲーにして覇権ソシャゲであるFGOの信長さんですから。
のっぶ、の名で親しまれている。
誰が見ても、予備知識なしでも「これはまさしく織田信長だと一発で分る」という優れたデザインですね。
魔王バージョンで黒髪と赤髪を使い分けているのも心憎いな。
PVをYouTube公式から貼っておきましょう。
戦国†恋姫シリーズより
彼女も「これぞ織田信長!」という確固たるイメージを誇っております。FGOの織田信長に劣らないほど、実に織田信長っぽいデザインです。
正式には「織田 久遠 信長」だけどな。
BaseSonさんのゲームの特徴として、ミドルネームや真名を設定する事があります。その、ええと、発売されるバージョンというかレーディングの関係で。
よせ。あまり踏み込んだ発言をするとGoogleのAIに勘ぐられるぞ。
関羽雲長さんも真名で愛紗という設定がありました。とある重要なシーンにて、どうしても愛紗という名前が必要になりまして。
だから踏み込むなっつーの。
公式からフルアニメのOPを貼りますね。
逸品だぞ。
予備知識なしで全キャラの名前を言い当てられれば、貴方は立派な日本史通、武将通といえるでしょうね。日本史知識に自信がある方はチャレンジしてみて下さい。
無茶を言うなよ。
戦極姫シリーズより
こちらも有名ですね。
恋姫とは違い赤い髪だな。
魔王というイメージからか、織田信長といえば「黒髪の美少女」か「赤髪の美少女」と世界的に認知されている気がします。
織田信奈の野望より
最も有名な戦国時代的なラノベから「織田信奈」さんです。
作品タイトル自体『信長の野望』のパロディーだったりするぞ。
金髪なんですよね、彼女
正確には「信奈」であって「信長」とは違うし、上でピックアップした織田信長と比較すると織田信長らしさが少々足りないか。
戦国乙女より
こちらの彼女も「織田信長」ではなく「織田ノブナガ」さんとなっています。
魔王っぽさは上手く表現されている。
CVが田村ゆかりさんというのが意外です。
他にも様々な織田信長が存在している。なにしろ700名超えだ。
興味がある方は下のリンクから購入して、独自に研究するのも面白いでしょう。たぶん書店にはあまり置かれていないと思われますので。
露骨に宣伝で申し訳ないが、他にオチのつけ様がなかったりするんだ。
かの『一騎当千』に織田信長さんが登場したら、どの様な織田信長さんなのでしょうね。
卑弥呼とか義経の時代がメインで登場しているから、信長が登場するのは難しそうだ。
今回の記事はこの辺にて。
ネタ企画ですので、真に受けないようお願いします。
【引用元――戦国†恋姫シリーズ(BaseSon)より抜粋】
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――次回もお楽しみに!
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