第三章 賢者か、愚者か 8 ―統護VSオーフレイム⑤―
スポンサーリンク
8
オーフレイムは統護の一挙手一投足に神経を集中させる。
KO宣言に、コンセントレーションが高まっていく。
少しの隙すら見逃すな。
挑発は、ブラフだとは思えない。統護はそのような男ではない。かといって、自分と統護の技術レヴェルからして、互いにビッグショットを狙って当てられるとは思えなかった。
(なにか……策があるのか?)
怒りどころか、警戒心が強くなる一方である。
しかも統護は「次で決められなければ、オーフレイムの勝ちでいい」とまで言ったのだ。
狙いはカウンターであろう。
相手の出方を待つか、あるいは、自分から仕掛けにいくか。
(慢心したな、堂桜統護よ)
統護に理詰めの作戦があるのは間違いない。けれども……
とっておきの切り札――奥の手を隠しているのは、オーフレイムとて同じである。
緊張感が高まる中、統護の左足が微かに動いた。
察知したオーフレイムは動く。
牽制の左ジャブを二発、見切られているのは承知で放つ。それを呼び水にタックルへ――
統護は自分のタックルを全て学習した、と勘違いしているはずだ。
まだ一種類、オーフレイムは隠している。
ショルダータックルは通用しない。
よって統護の膝の高さを狙う。
統護にパンチを打たせない。この高さのタックルに合わせられるパンチはない。
しかし、このタックルでの攻防は、一度、統護に軍配が上がっている。最後には秘策であるカポエイラを避けられて、統護の左膝をキャッチできても、放して退くしかなかった。
(その攻防こそが、俺が撒いた餌だけどな)
どんな不利に追い込まれても、一発で逆転可能な策を残しておく為の、だ。
カウンターの左膝を、統護は再び選択した。
だが、オーフレイムはその左膝を無視すると、大胆に左側へと身体を振って、弧を描きながら統護の右サイドへのタックルへと変化していく。
前に出されている左足ではなく、蹴り足として後ろにある右足を狙う。
これがオーフレイムの最後の引き出し。
直進ではなく大回りの為に速度が落ちる、非効率的で無駄の多いタックルでもある。
その反面、相手の裏をかける。何よりも右構えでクラウチングしている統護の右足の捕捉に成功すると、今度こそ一瞬で右膝関節を変形の膝十字で破壊可能となる。
キャッチした左膝の関節破壊に失敗したのは、前傾姿勢の為に体重を乗せやすい左足だったからだ。統護は地面に左足を踏み下ろして、超人的な筋力を発揮できた。
右足では、そうはいかない。いかに超人的な筋力があろうと、踏ん張れない姿勢だ。
(もらったぞ!! 俺の勝ちだ、堂桜統護!)
元より、KO宣言を失敗させて譲られる勝ちを拾うつもりなど、微塵もない。
膝関節での完璧な一本勝ちを、実力で勝ち取ってみせる――
浮かぶのは改心の笑み。
電脳世界内の魔術オペレーションとは違う超時間感覚。極限の集中力によって、視野が広がり、自分以外がスローモーションに知覚できる『ゾーン』と呼ばれる精神状態にあって、オーフレイムは笑みの種類を変えていた。
タックルで絡め取りにいっている統護の右足が、後ろへ旋回して、遠ざかっていく。
左膝のカウンターは囮、いや、フェイクだ。
統護は左膝蹴りを放つと見せかけて、そのまま摺り足でスタンス幅を調節していた。
左の軸足の位置に合わせて、右の蹴り足の位置もシフトしている。オーフレイムの後ろ足を狙った変則タックルから逃れていくように。
(何だ!? 何を狙っている?)
奥足への変則タックルを見切り、スタンスを変化させているのは理解できる。
このまま統護がタックルを上からガブるのも容易であろう。
けれども、それでは一撃でのKOは実現できなくなってしまう。ここから策が――ある?
統護の右拳は射程外だ。この位置関係からでは、腕が伸びない限り、振り抜けない。
蹴りもない。左膝と右膝の角度からして、間違いなく拳。それもボクシングのパンチだ。
つまり――左がくる。
オーフレイムの視野が、統護の左拳にフォーカスされた。
(何を打ってくる? タックルの高さは完璧だ。フックもアッパーも当てるのは――)
しかし――左がきた。
横からの左フックでは、当たってもタックルを巻き込んで威力が死んでしまう。
下からの左アッパーは、すでにスウィング軌道にオーフレイムの頭部がない。
繰り出される軌道は、下でも横でもない斜め下――スリークォーターだ。
引き延ばされた知覚の中、オーフレイムは唖然となる。
(これは、この独特の打ち始めのパンチは……ッ!)
単に斜め下からフック系を振り回す『だけ』のパンチではない。
始動はフックとアッパーの中間。
軸足の左膝に対して、引き戻した蹴り足側の膝の使い方は、フックとストレートの中間。
フックとアッパーのミックスだが、拳の返しはストレートの向き。
弧を描く初動に対して、インパクトからフォロースルーの軌道は、斜め上へのストレート。
両膝から腰そして肩への回転の連動は、フックでもアッパーでもストレートでもない。
マスターしていない者が真似ると、不格好な『腕だけの振り回し』になるが、マスターしている者が繰り出すと、それは稀少な変則ブローとして体現される。
そのブローのスペシャルネームは――スマッシュ。
それも顔面へではなくタックルに合わせた低空ヴァージョンだ。
信じられない。堂桜統護という男は、一体どこまで引き出しを隠し持っているのか。
オーフレイムもミット打ちとサンドバッグ打ちならば『真似』できるが、実戦で自在に使用できるかと問われると、答えは否となる特殊なパンチだ。
統護はそのスマッシュをここで打ってきた。
オーフレイムは本当の意味で、今までの攻防の意味を理解する。統護はオーフレイムが最後の引き出しを隠していても、さらに上回る引き出しを開ける為の――布石を終えたのだと。
このスマッシュは偶然という要素を排除した、必然としての一撃。
特別な能力、特別な条件といった不平等が全て排除されている状況での、互いに同じ土俵に立った上での文句のつけようのない優劣は、すなわち『強い』という証明である。
ドォごぉぉおォン!!
完璧なジャストミート。美しいフォロースルーを彩るように、鈍い轟音が鳴り響く。
オーフレイムの頭蓋が大きく軋んだ。
統護のスマッシュでタックルが真横に逸れた。オーフレイムはタックルを敢行したままの体勢で、地面を虚しく滑っていく。そして――止まった。
高々と左拳を振り切った統護は、その拳を収めて、オーフレイムを振り返る。
オーフレイムは意識を繋いでいた。気を抜けば、今にも失神してしまうが、その前に、どうしても伝えたいコトがある。
それは『審判の問いかけ』に対する答えだ。彼にとっての戦闘の流儀で礼儀である。
最後の力を振り絞り、オーフレイムは両腕を突っ張り、顔を持ち上げる。
焦点が飛んだその目には、もう何も映っていない。
けれど告げるのだ。
「ど、堂桜統護……ッ。お前は、俺に示した。お、お前……が、俺、の――
――俺、にとって、は、お前が、世界最強の男、……だ」
伝え終わり、オーフレイムの意識が途切れた。
どさ。顔面が力なく地面に落下して、四つん這いに近い姿勢で、そのまま失神する。逞しい背中の筋肉が、ビクン、ビクン、と痙攣していた。
終わった。
統護の失神KO勝ちである。
予告通りの一撃KOを目の当たりにしたラナティアが、思わず唸った。
「凄い。一発で意識を根こそぎ刈り取るなんて。狙ってこんな芸当が本当に」
ぱちぱちぱち……と、乾いた拍手が鳴った。
ポアンが統護のKO劇を絶賛する。
「最後の最後にスマッシュとは。確かに強い。そして深い。これが――堂桜統護か」
ラナティアが統護の指示でオーフレイムを介抱する。
オーフレイムの生命に大事がない事を確認し終わり、統護は改めてポアンに告げた。
「今度こそ――待たせて悪かったな、ロ・ポアン・ゼウレトス」
「気にしていないよ。では改めて、ようこそ、堂桜統護くん」
スポンサーリンク
…
堂桜淡雪――を務めている氷室雪羅は、校門の外に待機しているリムジンに乗り込んだ。
淡雪の為だけの車両で、もちろん堂桜本家の専属運転手も付いている。
登校から下校までの時間を、とても長く感じる。
周囲に淡雪の替え玉だと露見してしまうのでは、と常に極度の緊張感に包まれているのだ。
革張りの高級座席の感触は嫌いではない。けれども馴染めもしない。
リムジンが発進した。魔導制御により慣性を感じない。向かう先は堂桜本家の屋敷だ。
流れる景色を亡羊と眺める。吐息と共に、雪羅は本音を溢した。
「早く、元の生活に戻りたい」
防音は完璧で運転手には聞こえないとはいえ、やはり運転手にも気を遣う。
こんな生活は嫌だ。元の暮らしが愛おしい。
元の生活とはいっても、厳密には、家族が健在だった頃には帰れない。
義兄の臣人を除く家族は、堂桜一族内のパワーゲームに巻き込まれて、殺された。
その復讐を片時だって忘れていない――が、今はただ『堂桜淡雪』から解放されたいと願う。
氷室雪羅に戻りたい。
残された家族である臣人も、対統護戦での負傷で、当分は入院生活を余儀なくされている。
兄が傍にいない生活は寂しく、辛く、心細かった。
「……最悪で、貴女がこれから先、ずっと淡雪になるかもしれないわよ」
雪羅の座席よりも後ろの列から声が掛けられた。
声色から振り返る必要もなく判る。後ろに座っているのは――詠月だ。
堂桜詠月。堂桜一族の事実上のナンバー3。
二十八歳という異例の若さで、与えられた地位ではなく、最下層から実力でナンバー3までのし上がった――《怪物》と一族内で畏怖される女である。
血統という利権と後ろ盾を持たない反面、しがらみなしに容赦なく実力行使を行える詠月は、一族内だけではなく一族外にも多くの敵がいるが、全て実力で排除し続けていた。
コウモリを想起させる妖しげな美女が嗤う。
「なかなか上出来に淡雪をやれているじゃないの、雪羅ちゃん。安心したわ」
この詠月は、堂桜にコネを持たない氷室兄妹にとっての命綱であり、パトロンでもある。
現状、雪羅は詠月に従うしか道がない。対抗戦を経て、優季、アリーシアといった財力を持つ者との交友関係を築けたが、それでも家族の復讐の為には、詠月に頼るしかないのだ。
固い声で、雪羅が応える。
「ありがとうございます。それで、統護さんはどうなりました?」
統護と締里のミッションが成功しなければ、淡雪の復活は先送りになってしまう。
現在、ミッションは難航している。頓挫の危機といっていい。
「未だにロスト中よ。けど心配は要らないでしょう。ルシアが色々と独自に動き始めたから。そして私に協力要請をしない――という事は算段がついたのでしょう」
「そうですか」
安堵の息を吐く。そして、詠月に訊く。
「これから先、ずっと淡雪と言いましたが、淡雪さんが復活したのなら、私は替え玉から解放されるんですよね?」
是非の回答ではなく、詠月は楽しげに話し始めた。
「こんなカタチで貴女が淡雪をやれるかどうかのテストをするなんて予定外だったけど、本来からして、私は貴女に淡雪をやってもらう計画だったのよね」
「え!?」
「ダメだったらダメで、貴女達兄妹の復讐劇を利用させて貰うつもりだったけれど……、貴女は堂桜淡雪として合格と判断したから、これを機会に、ご褒美にいいコトを教えてあげる」
嫌な予感がする。
雪羅の全身に大量の汗が噴き出してきた。空調は完璧なのに、息苦しい。
「大前提として、堂桜淡雪と氷室雪羅が二卵性双生児というのが――真っ赤なウソなのよ」
その台詞に、雪羅は唾を飲み込んだ。
二卵性双生児ではないのならば、自分と淡雪の関係は一体!?
「雪羅ちゃんだって薄々勘付いているでしょう? 堂桜淡雪が『真っ当な人間じゃない』と」
「そ、それは」
薄々どころか不安だった。自分と淡雪が双子ならば、自分もああなってしまうのかと。
あんな状態になっている淡雪とは何者なのだ?
「安心なさいな。貴女は正真正銘の『人間』だから。これから知る限りを教えてあげるわ」
――氷室雪羅という『人間』が、堂桜内で極秘に生まれた経緯と秘密を。
注記)なお、このページ内に記載されているテキストや画像を、複製および無断転載する事を禁止させて頂きます。紹介記事やレビュー等における引用のみ許可です。
本作品は、暴力・虐め・性犯罪・殺人・不正行為・不義不貞・未成年の喫煙と飲酒といった反社会的行為、および非人道的、非倫理思想を推奨するものではありません。また、本作品に登場する人物・団体などは現実とは無関係のフィクションです。