第四章 託す希望 1 ―双生児―
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堂桜ナンバー3である詠月とて、実は現時点で全てを把握しているのではない。
知り得ているのは、まだほんの一部だと思っている。
一通り――詠月が知り得る限りの『淡雪と雪羅の関係』および『雪羅の誕生について』に関する情報は、雪羅に話して聞かせた。話自体は淡々と終わった。
しばしの沈黙が車内に満ちる。
信じる、信じない、は雪羅に委ねる。
淡雪のコールドスリープに近い『停止』状態を、実際に雪羅が目の当たりにしていなければ、おそらくは信じないだろう。だが、雪羅の表情から『信じた』のは明白であった。
雪のような白磁の肌である雪羅だが、今は血の気が失せて幽霊めいて青白くなっている。
「場合によっては、私は――」
額にビッシリと汗を浮かべている雪羅に、詠月は冷淡に告げた。
「いいえ。貴女の生体データについては心配いらないわ。原因不明の突然死が起こる可能性は、極めて低いと今までのモニタリングから結論されているから。仮に突然死が襲うとしても、それは通常の誰にでも起こり得る突然死よ。いえ、貴女はヒトとして通常といっていい」
「そう……です、か」
「私だけじゃなく、貴女が『堂桜淡雪』に相応しいと考えている者も、何名かいるでしょう」
「……考えたくありません。こんな現実、知りたくもなかったです」
「けど、この情報を知らなければ、貴女達兄妹は家族の復讐なんて為し得ないわね」
「それについては、感謝、しています」
台詞とは裏腹に感謝ではなく恨みが籠もっていた。
(今日はここまででいいでしょう)
詠月はシートの背もたれに、体重を乗せて上半身を委ねた。
今回のミッションの成否とは別に、堂桜淡雪の復活は詠月にとって必須事項である。
けれど……復活した淡雪が以前の淡雪と完全に同一である可能性は低いだろう。
性格・人格は無事――すなわち例の〈光と闇の堕天使〉から独立を維持したままであっても、記憶を継承していれば、話の流れの必然として『自身に起こった停止現象』を認識する事になる。そうなると淡雪自身が己を『真っ当な人間ではない』と理解するのは避けられない。
それは、始まりへの一歩なのか。
それとも、終焉の始まりなのか。
現時点では詠月にも判断がついていない。
まだ推理に足るだけの情報が揃っていない。
淡雪の自己認識について、ルシアは『策がある』と云っていたが、果たしてどうなる事やら。
詠月は仕切りガラス越しに、前列シートに座している雪羅を見つめた。
(可哀相に。もう貴女に自由はないわ)
駒になってもらう。利用するだけ利用する。この雪羅も、統護も、淡雪も――
別に堂桜一族および【堂桜グループ】に執着などしていない。たまたま自分の中に、堂桜の血が流れているから、それを利用しただけに過ぎなかった。いや、違う。たまたまではないだろう。自分が〈資格者〉の一人であるのだから。これは運命、サダメに違いない。
堂桜統護でもなく、堂桜淡雪でもなく、氷室雪羅が堂桜財閥の次期当主になる可能性が、いよいよもって現実味を増してきている状況だ。
統護とオルタナティヴはすでに論外としても、淡雪も堂桜一族当主に据えるのにリスキーになっている。今回の件が一族内で明るみに出れば、他の派閥に属している次期当主候補たちは黙っていないだろう。雪羅という存在は、それを押さえ込む為にも創られた。
(最大の問題は、雪羅の恋心ね)
恋や愛といった感情とは無縁だった詠月であるが、雪羅の秘めた想いくらいは分かる。
淡雪が次期当主になるのならば、恋や愛など関係ない。
恋愛感情を含めた一切の私情を殺して、淡雪は一族が指名した男を配偶者とする。
他の選択肢は存在しない。子供のおままごとではないのだ。堂桜財閥の権利を行使し、堂桜財閥の責務を背負う淡雪は、次期当主候補の筆頭としてそれを承知していた。
淡雪は賢い少女だ。
一族を継ぐという意味を正しく理解できるだけの頭脳と教養がある。
組織というカタチの無いモノを、権利を入れるハコとして受け取るのではなく、組織に属する者達それぞれの人生と生活に対しての責務を背負うという現実を理解できている。
当主として手にする財力・権力・人脈は、その責務の付属と付随に過ぎないのだと。
そして賢いが故に、淡雪は相手の男性も同じだと配慮できてしまうのだ。
淡雪が私情を殺して結婚するのと同じく、相手の男性も愛する女性を振り切って、淡雪という望まぬ相手との婚姻を受諾するという事を。二人は愛とは別の感情で結ばれるだろう。
頭がいい、というのは時に悲劇だ。
一族の権利を継承し、なおかつ望んだ相手と婚姻したい――と願うような無教養な頭の悪さと愚かさとは無縁の、賢く理性のある少女の気高い生き様は、しかし少女の二人の兄と比較して、なんとも切なく哀しいではないか。
オルタナティヴは堂桜一族の責務どころか、堂桜統護そのものを棄てた。
異世界から転生した堂桜統護は、皮肉な事にアリーシア姫と正式に婚約、将来的に婚姻する事により、結果論に近いが一族への責務を果たしたカタチになった。その結果によって『堂桜ハーレム』などと揶揄されている彼の女達との自由恋愛が許される身の上だ。むろん劣等生な成績と同様に、世間の評判は最悪だ。しかし実害なしで、複数の美女を独占できるのだから、悪評くらい何てことないだろう。
しかし――淡雪は違う。
二人の兄が次期当主から降りた事によって、彼女は次期当主候補の筆頭になった。
立場を受け入れる決意を固めた瞬間、淡雪は自由恋愛を棄てたのである。
淡雪は己の立場に対して自己陶酔していない。
頭が悪ければ、自身を『悲劇のヒロイン』として悩んで、己を慰められたものを。
時折、淡雪が統護に示す、恋愛感情に近い重度のブラコンぶりは、自由恋愛を棄てた代償に近い疑似感情だと、詠月は解釈していた。
(まあ、それすら間違いだったかもしれないけどね)
淡雪と〈光と闇の堕天使〉は、それぞれどう向き合って、どういう決着をつけるのか。
どちらが光で、どちらが闇なのか。
詠月は思考を雪羅に戻す。
次期当主として比較するのならば、雪羅は淡雪とは対極の存在だ。
堂桜財閥の権利を享受していた淡雪とは違い、雪羅はなんら恩恵を享受していない。
恩恵どころか家族を喪った原因であり、復讐対象だ。
望まぬ相手と堂桜一族の責務の為に婚姻する責務など、雪羅にはないのである。
(本当の意味で雪羅を抱き込むには、やはり臣人からになるわね)
臣人への愛を成就させる。
そして臣人を当主の配偶者として一族に認めさせる。
仮に雪羅が堂桜一族を継承するにしても、雪羅自身が当主としての覚悟を持てるか否か、の前に、詠月はこの二つのハードルをクリアしなければならない。
兄妹に復讐を果たさせるよりも難易度が高い――と、苦笑が漏れた。
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…
締里は慎重に敵【エレメントマスター】を追尾した。
相手に誘い込まれているのは承知の上だ。
常に相手側にたって思考するのは、物事において基本中の基本だ。逆にいえば理解の及ばない相手は、相手側にたっての思考シミュレートが難しいので脅威なのだ。
敵は互いの姿を工員と監視システムから巧妙に隠しながら移動している。
(メッセージは受け取った)
統護が目指す最終地点が決まっている限り、自分は脅威となりうる要素を排除して、統護を信じて目的地点――検査室で合流するのだ。
別れた統護側にも何らかの妨害が入るだろうが、統護ならば大丈夫だ。
相手は、二階の女子トイレへ入る。
時計など確認しなくとも、体内時計で現時刻は分かっている。そして、工場内のタイムスケジュールも覚えている。この時間帯ならば、作業ラインに従事している女性工員がこのトイレに来る可能性は極めて低い。デスクワークをしている女性従業員は、工場の二階まで用を足しには来ないだろう。工場に用があって足を伸ばしたついで――という不運までは、不確定要素として考慮しきれないが。
相手の男は女子トイレの奥で締里を待ち構えていた。
「誘いに乗ってくれて嬉しいぜ」
男はご丁寧に、ブリステリ邸で着ていた黒いジャケットを羽織っている。
つまり最初から此処に呼び込んで戦う計画だったのだ。
「ええ。メッセージは受け取った。この私と戦いたいっていうね」
「ちょっと違うな。お前を倒して好き勝手にさせてくれっていうのが、俺のメッセージだ」
「そのメッセージなら拒否するわ」
締里は戦闘態勢に入る。
この場で魔術戦闘は不可能だ。
理由はシンプルである。工場内では特定の場所を除いて、【魔導機術】を使用すると、警備システムに感知されてしまうからだ。
むろん超一流のエージェント魔術師である締里ならば、警備システムの監視網を欺いて魔術を使用できる。けれども魔術戦闘となると、流石に無理といわざるを得ない。
それは敵【エレメントマスター】とて同じはずだ。
特にブリステリ邸で使用した魔術的液状化現象を利用した【地】の魔術は、隠密戦闘には極めて不向きな魔術特性だ。あの魔術は閉鎖空間で有効な反面、外部に対して派手に過ぎる。
締里は思う。別に何という事はない、と。
(私にとって戦闘用魔術は、任務の為に使用するスキルの選択肢の一つに過ぎない)
そして状況からすると、相手にとっても同様だという事だ。
【エレメントマスター】だからといって魔術戦闘に固執するのは、非常に視野狭窄である。
中央通路の左右に個室が五つずつ配置されている。
締里はドアのない出入り口を通過した。
右側が鏡台と洗面台。
左側が清掃用具入れ用のスペースと清掃用洗い場となっている。
商業用施設ではないので、乳児・幼児用の設備はない。
歩を進める締里は相手との間合いを計る。
相手は右奥の個室のドアを開き、用意してあったバケツの中身を床にぶちまけた。
撒かれた液体は、清掃用の業務用ワックスである。
締里は相手の靴を見た。クリーンスタッフ用の滑りにくい靴を履いている。
対して、締里の靴は作業員に貸与されている物で、スパイク等の処理など施されていない。
靴底のグリップを確認した。滑るのみならず、踏ん張りが利かない。
相手は両手にナイフを握った。コンバットナイフだ。
戦闘用魔術と銃火器が使えない以上――刃物を選択するのは当然といえよう。
「ンじゃあ、少しばかり痛い目に遭って貰うぜ」
手つきからして、ナイフを扱い慣れている。締里は一目でそう判断した。
「その言葉、そのまま返してあげるわ」
締里は斜に構えて、微かに重心を落とした。
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