第四章 光と影の歌声 18 ―オルタナティヴVSセイレーン⑤―
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18
セイレーンは『L字ガード』を目にして、笑んだ。
ニィぃ――。オルタナティヴも頬を上げて笑みを返す。
(徹底して凌ぐ。それが現状の最適解)
セイレーンは『歌』を使っている以上、『魔術音』の上乗せによるベクトル操作しか併用できない。他の派生魔術までもを併用可能ならば、とうに使用している状況だ。
そして最初のタックルを嫌った。つまり組み技や投げ技といったグラップリングを、相手から仕掛けてくる可能性も消えた。
最後に、歌いながらの攻防であるので、手数にものをいわせたラッシュもできない。
セイレーンは中間距離から、呼吸を確保できるだけのリズムで、二発から最大で五発までのコンビネーションで攻めてくる。したがって『L字ガード』で防御に専念する。
荘厳な唄声が響く中、歌姫の打撃が黒髪の少女を襲った。
マイクを握っている右拳は牽制がメインだ。組み立ての中心は左拳による強打。
右を二発、そして左強打。あるいは左から入って右を織り交ぜて、最後に左強打をリターンするというパターンだ。むろん正面に棒立ちではない。足を止めている標的の左右に、細かくサイドステップしながらである。
オルタナティヴはヘッドスリップと細かいウィービング、そしてスウェーバックを駆使して、セイレーンのコンビネーション・ブローを避け続ける。
ブロックは使用しない。当てさせると『魔術音』による増撃効果を許してしまう。
L字に下げた左腕は視界をよくする為と、パーリングによってボディへ打たせない為である。ヘッドスリップとスウェーだけで躱せない時には、ダック&ロールで凌ぐ。最悪で、スリッピング・アウェイによる緊急避難だ。
また《ローブ・オブ・クリアランス》の機能により、顔に張った空気の防御層に最新の注意を払う。女だから顔を守りたいという気持ちよりも、目蓋をカットされて血が目に入るのを防ぐ為である。ミスブローさせても拳と顔の相対射角によっては、空振り音を増幅されて斬られる危険性が高いので、目蓋の空気層は特に強化していた。
セイレーンの狙いは――ズバリ、オルタナティヴの右頬。
一方的に攻め込める事ができる状況にあるので、最初に右ストレートを痛打された屈辱を返そうと、必要以上に躍起になっている。パンチが頭部に集中していた。
オルタナティヴは全く手を出せない。
だがその反面、セイレーンにパンチを当てさせない。躱す、躱す、躱す、躱す――
とはいえ、いつまでも完璧に躱し切れるものでもない。集中力の消耗が激しい。
(いい加減に下を打ってきなさい)
ボディへのパンチは、左腕でパーリングできる。
従って、セイレーンが上下の打ち分けを行うとすると……
我慢しきれなくなったセイレーンは、ついに左ローキックを放とうとモーションに入る。
オルタナティヴの眼光が鋭くなった。
ようやく誘いに乗ってきた。待っていた下への攻撃。
相手の左ローキックに対して、自分も相打ち狙いで左ローキックをもっていく。
相打ちでいい。それで――最後のピースが埋まる。
セイレーンの左足がモーションの途中で止まり、素早く引き戻された。
そしてセイレーンは右臑を上げて、オルタナティヴの左ローキックをカットする。
カット音に『魔術音』が上乗せされて、反響効果が加わる。オルタナティヴの左足が弾き返された。
左足を着地させるが、スタンスが大きく崩れる。『L字ガード』スタイルも維持できない。
(しまった!!)
痛恨のミス。誘われていたのは――オルタナティヴの方であった。
間髪入れずに、セイレーンが狙い打ってくる。
ガラ空きになってしまったオルタナティヴの右頬めがけて、渾身の左ストレートだ。
オルタナティヴの視界に、セイレーンの拳は入っていない。
完全に見失った。
理屈ではない。狙いもしない。オルタナティヴは本能任せで、斜め下へ上体を傾げる――と同時に、上から被せるようにスウィング系の右パンチを振るった。
当て勘頼りどころか、運任せに近い一発。
肩口にセイレーンの左拳が通過して、その左腕とオルタナティヴの右腕が交錯する。
刹那、描かれた十字架。
ライトクロスだ。
振り抜いた左をミスブローしたと理解した瞬間、セイレーンは左肩を上げた。
クリーンヒットではない。
しかし、クロスのタイミングでカウンターになったオルタナティヴの右パンチが、セイレーンの左ショルダーブロックを弾き、そのまま左ほお骨付近に当たった。
「ッ!!」
右拳の手応えは不十分。だが、その意義は充分に過ぎた。
浅くではあるが、カウンターを許したセイレーンは、たたらを踏んでの後退を強いられる。
それだけではなく『歌』も止まってしまった。
距離を開けた二人は視線をぶつけ合う。
内容的には互角。いや、分があったのはセイレーンか。
驚いたといった顔で、セイレーンが感心した口調で言う。
「あの体勢からライトクロスを合わせてくるなんて、やはりとんでもない女ね」
「とはいっても、半分ラッキーパンチだけどね」
オルタナティヴは正直に言った。
二度目のラッキーはないだろう。だから――次は狙って当てる。それだけの情報は揃った。
マイクを口元にもっていき、セイレーンが歌い始めるタイミングを窺おうとした時。
不意にセイレーンの上体が「すとん」と落ちた。
腰砕けになり左膝を着いてる。
片膝立ちの格好で、セイレーンはダウンしていた。
打撃ヒットからの時間差があるディレイド・ノックダウン。その光景に、オルタナティヴは先程の右拳の手応えを再確認できた。
愕然と床面を凝視しながら、セイレーンは震える声を漏らす。
「う、嘘でしょう? この私が、このセイレーン様が、こんな、こんな……ッ!!」
屈辱を煽る為に、オルタナティブが言葉を重ねる。
「衛星生中継で世界中が注目している中、素敵で華麗なダウンシーンを披露したわね。ほら、貴女のファン達も大喜びで熱狂しているわ」
「許さないっ!! 絶対に許さないわよ、オルタナティヴぅ!」
怒気で顔を赤く染めたセイレーンが立ち上がる。
微かに両膝が笑っているのを、オルタナティヴは見逃さない。
この絶好のチャンスに攻撃――はしない。
それではたとえ倒しても、間違いなく『ユリを救う』という目的を果たせないだろう。
(さあ……。いよいよ勝負にいきましょうか)
意を決したオルタナティヴは、両手の人差し指に【風】を集中させた。
耳栓を外し、スカートのポケットに仕舞う。
そして左右の人差し指を――
――自分の両耳へと突き込んだ。
怒りを忘れ、セイレーンが唖然となる。
ずぼ。
ゆっくりと指が引き抜かれた耳の穴からは、微かな血が流れ落ちてきた。
鼓膜を【風】の針で破った際の出血が、微量でも耳管や内耳に溜まらない様に、気流と気圧を調節して外へと出したのだ。
「これで貴女の『歌』は効果しないでしょうね」
「ハッタリじゃないでしょうね」
「疑うのならば試してみるといいわ」
セイレーンが歌う。鼓膜を破ったのがフェイクだと疑ってだ。
しかしオルタナティヴに『歌』の効果は及ばない。一切の魔術効果が感じられない。
オルタナティヴの表情を観察して、セイレーンは歌を止めた。マイクを仕舞う。
ふぅぅ、と一息吐いて、セイレーンは薄笑みを浮かべた。人差し指で自分の唇をつつく。
頷くオルタナティヴ。読心術ならば訓練していた。
「ええ。確かに、私の『歌』は聴覚を介さないと魔術効果を発揮できないわ」
素直に認めるセイレーン。
鼓膜を破壊した状態で、なおかつ魔術効果を発揮できる『歌』であるのならば、それはもう【音】の魔術特性ではなくて【歌】の概念魔術――【空】の領域である。
「……貴女は自分で耳を破壊して私の『歌』を封じ込めたといえる。あくまで『歌』に限ってだけれどね」
セイレーンは再び床面を踏み鳴らす。
その音が『魔術音』によって上書き・増幅されて、亀裂を伴ってオルタナティヴへ伸びる。
「――《デッド・エンド・オクタゴン》」
【ワード】と共に、亀裂は迂回。八角形を描いて、オルタナティブを中心に一周した。
八角形の亀裂から『音の障壁』がせり上がり、総合格闘技で用いられる金網で囲まれた試合場――オクタゴンを模す。
閉じ込められたオルタナティヴは表情・顔色を変えない。
セイレーンは饒舌に話を続ける。
「貴女ほどの【ソーサラー】ならば、当然、鼓膜が破れた時を想定しての訓練は受けているでしょうね。特に今は【風】のエレメントを使用している。音は聞こえなくとも、空気の流れは把握できている。聴覚を封じてもさほど影響はないでしょう。
……ただしロングレンジでの砲撃戦ならば、ね」
その指摘に、オルタナティヴは表情を険しくする。
「それに私も相手が聴覚を封じる程度の想定はしているわ。だから遠距離攻撃魔術に偏らずに近接戦闘のスキルも有している。貴女にご教授するまでもないけれど、魔術戦闘における強者とは、オールレンジ及び全ての局面に対応可能な適応性と選択肢を有しているというのが最低条件よ。そして私と貴女の近接戦闘スキルは、ほぼ同等。その拮抗状態で五感の一つを失うという意味が、まさか理解できないわけじゃないでしょう?」
間合いが遠ければ、音の有無は戦闘にほぼ影響しない。
特に純粋な魔術攻撃ならば、対応は超視界と超時間での魔術オペレーションのみになる。
しかしクロスレンジでの近接戦となると、五感を総動員しなければならない。特に音の影響は少なくない。ステップ音。スリップ音。炸裂音。ブロック音。風切り音。呼吸音。そういった細かい情報まで瞬時に脳内にインプットして、リアルタイムに攻防に反映させていく。相手の気配やタイミングを察知するセンサーとしては、視覚よりも聴覚が優れている場合すらある。視覚より聴覚が発達している生物が少なくないという事実も、それを物語っている。
「無音戦闘の訓練を受けていようと、無音状態でまったく戦闘能力に影響がないなど不可能。つまり貴女は『歌』を無効化した代償として、クロスレンジでの不利を受け入れた」
遠距離戦に逃さない為の『音壁のオクタゴン』だ。
セイレーンは悠然と《デッド・エンド・オクタゴン》内に踏み入る。
パチンと指を鳴らすと、八角形の面積が縮まった。直径にして五メートル四方より狭い。
左拳を右手で包んで、ゴキゴキと鳴らす。
「貴女の選択が決定的なミスであると、このセイレーン様が教えてあげましょう」
セイレーンは戦闘開始時よりも落ち着いていた。
たった数度の攻防が、彼女の経験となって長足に実戦力を成長させている。
これでまだ初戦――赤ん坊に近いのだ。
(魔術師として怪物。そして戦闘者としても、あるいは天才かもね)
ここでセイレーンを止めないと、近い将来、誰にも手が付けられない脅威的な存在になるかもしれない。いや。現時点でも、すでにスペック的には『最高かつ最強』の戦闘系魔術師だろう。あくまで戦闘系魔術師として、ではあるが。
オルタナティヴは静かに言った。
「認めましょう。戦闘系魔術師としてのスペック――性能値と万能性において、このオルタナティヴはセイレーン、貴女に劣っていると。けれどスペック任せ火力任せという戦い方は、このアタシの身上と美学に反するわ。勝敗を決するのが性能と火力だけではないという事を――今から実力をもって証明する」
封印解除して手段を選ばなければ、勝てる。しかし『スーパーACT』は二度と使わない。
堂桜一族のみに許された力など、本当の意味での実力などではないからだ。
選ばれた者のみの力など――美しくない。
限られた手段と技術。そして得られた相手の情報を最大限に駆使して、勝利をもぎ取る。
信念は曲げない。絶対に。
(それが、かつての名と存在を棄て、オルタナティヴとして生きる、譲れない矜持よ)
たとえ敗北して命を落としてもだ。
そうやって生きていくと決めている。
その覚悟をもってオルタナティヴは一番大切なモノ――淡雪をも切り捨てたのだから。
セイレーンが両拳を構えた。
自信と迫力がプレッシャーとなってオルタナティヴの肌に伝わってくる。
「最初の右ストレート。そして今のダウン。世界中に放映されてしまったこの屈辱と汚名を晴らさせて貰うわ。小細工なしの真っ向勝負よ。そして予言しましょう。オルタナティヴ、貴女は私の左ストレートで失神して、顔面から床にダイブして、最後に床にキスするのよ」
「ならばアタシも予告しましょう。顔面から倒れ込んで床にキスするのは、貴女の方だと」
条件と情報は出揃った。さあ、仕上げの時間だ。
オルタナティヴも両拳を構える。決然と表情を引き締めて。
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