第四章 光と影の歌声 17 ―オルタナティヴVSセイレーン④―
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17
セイレーンが喉を振るわせる。
オルタナティヴは歌を止める機会を逸した。
【風】のエレメントによる遠距離攻撃魔術という選択肢は、すぐに脳内から消去した。攻撃に意識を割く余裕はない。集中しろ。魔術効果に抵抗しなければ――飲み込まれる。
すでに体内に循環している魔術ワクチンでは歯が立たない。
透明感と伸びのある高らかな声が、究極の歌唱技術によって芸術と化す。
魅惑的で魔的、そして神聖に溢れているセイレーンの超然とした歌声が、オルタナティヴの聴覚を攻撃した。
すでに『歌』に備えて、特注の耳栓を付けていた。最低限の音のみを拾う優れものだ。
魔術抵抗ではダメだ。耳周辺の【風】の渦を強化する。
完全な無音の一歩手前まで、自身の鼓膜を振るわせる空気振動を抑制――
――した筈なのに、魔的で神聖な歌が大音響で聞こえてくる。
セイレーンの狙いは、音量による聴覚の破壊ではない。
魅了・幻影や催眠でもない。
ぐわん。ぐわん。ぐわん。ぐぅわんン。
感覚が溶けるようだ。
足下が波打つ。平衡感覚どころか、視聴感覚そのものが酩酊し始めた。
「ぐぅ……ッ。ぐぅぁ、っ!」
歯を食いしばって、目を見開いてセイレーンを睨む。
再度の魔術抵抗(レジスト)を試みたが、失敗した。魔術的なパワーで圧倒されてしまう。魔術プログラムのアルゴリズムがランダムに切り替えられていた。
セカイが揺れる。大海原に翻弄されている様だ。立っているだけで精一杯になる。
距離感も狂い始めた。
複雑な効果は何もない。ただ単純にそれだけだ。
耐えろ、耐えろ、耐えろ、耐えろ、耐えろ、耐えろ、耐えろ。
(そうきた……わけね)
もっとも単純な歌による魔術効果をセイレーンは選択した。単純ゆえに、抵抗するのも単純な力勝負――精神力比べになってしまう。耐性を高める訓練を受けているトランス系ならば、耐え切る自信はあったのだ。しかしこれは――
次の展開は必然だ。
予想するまでもなく、セイレーンが歌いながら躍りかかってきた。
仕留めに来た。最も確実かつ効率的で明白な勝利方法は、相手をKOしてしまう事だ。
KOで倒せるのならば、わざわざ迂遠な手段――魔術での攻撃など不必要である。
セイレーンは右手にマイク、左手は拳を握っている。
後ろに下がって遠距離戦――は間に合わない。明らかに相手の追い足が速い。
迎撃を強いられたオルタナティヴは、目線と肩で申し訳程度のフェイントを織り交ぜて、タックルを試みる。
組み付いてしまえば、投げにしろ極めにしろ寝技にしろ、距離感と平衡感覚の拡散はあまり関係なくなる。加えて膂力と体力では確実に分がある。打撃に付き合う必要性などない。
だが、下半身の違和感から、タックルへの姿勢が腰高だった。
充分な低さでタックルに入れない。
セイレーンの腰より下に視線がいかず、そして――目の前には膝頭が迫ってくる。
カウンターの膝蹴りだ。
頭で考えたのでなく、危機回避本能によってオルタナティヴは眼前で両腕を×字にして、クロスアームブロックしていた。
ごぉきぃィ!!
骨と骨の激突音――に『魔術音』による増撃効果が乗せられた。
受けた前腕が砕けそうな傷みと、骨が軋む感覚。
クロスガードは壊されなかったが、オルタナティヴの上体が引っこ抜かれて、背中が反る。
目を眇めたセイレーンが「ニィ」と口角を上げる。
(歌いながら『魔術音』を使用できるのか)
意外ではない。相手の戦術からすれば道理だ。だが、やはり脅威である。
右膝蹴りのカウンターでタックルを弾き返したセイレーンは、膝を突き上げた挙動から止まらない。そのまま上体を捻る。右肩を引き左肩を前に出す捻転力を、下半身に伝達させる。
突き上げられた右膝から先が、鋭く旋回した。
斜め上から薙ぎ斬られるような変則軌道で、臑から先が翻ってくる。
ガードを解いたオルタナティヴは無理矢理に上体を振って、不格好であるが、セイレーンのブラジリアン・キックをどうにか躱す。
ジャォゥッ! 空気が裂ける音にも『魔術音』が上乗せされ、鋭利な剃刀と化す。
オルタナティヴが纏っている【風】のオーラを切り裂さいて、その衝撃刃は制服を裂いた。
崩れた体勢を立て直せない。
ブラジリアン・キックは捨て攻撃であり、次への繋ぎだ。
セイレーンはそのまま左肩から身を寄せて、オルタナティヴに密着する。
(この状態から何を?)
左手の甲を腹部に添えられた。咄嗟に【風】のオーラの密度を腹部に集中する。
次の攻撃が予測できない。この不自然な密着状態からセイレーンは――何をしてくる?
ぱぁァん、という甲高い音が響く。
オルタナティヴの腹部に添えた左の手の平に、セイレーンはマイクを握ったままの右拳を打ち込んだのだ。
同時に、自身の手の平と拳から発生させた音に、『魔術音』を上乗せる。
発勁のごとく、音撃波が左手甲を透過した。
――ずグぅン――
【風】のオーラの魔術防御と腹筋を突き抜け――オルタナティヴの内臓へ衝撃が浸透する。
「かはっ!」
オルタナティヴは息だけではなく、血も吐いた。
超人化している肉体を誇る彼女でなければ、内臓が連鎖的に破裂する一撃である。
がくン。一気に四肢から力が抜け、オルタナティヴは沈みかけた。辛うじて踏み留まり、セイレーンを見据える。痛感する。実感する。体感する。掛け値なしに――強い。
強い。これが、これがセイレーン!!
(アタシの想定、いえ、想像を上回っている)
間違いなく最強の敵だ。こんな反則的なスペックの戦闘系魔術師が現存していようとは。怯む。恐怖さえ感じる。その恐怖をねじ伏せて、闘志へ昇華させた。
絶好の好機であるが、セイレーンは離れる。
歌いながらの挙動であるので、無酸素運動の様なラッシュが不可能だからだ。
その隙に、オルタナティヴは思考と心理状態を立て直す。
(情報追加。セイレーンが『歌』と『魔術音』を同時に扱えるのまでは把握できたわ)
再度タックルを試みるか――否。
投げやフェイント、ナイフ等は――否。
バックステップして遠距離戦を試みるか――否。
追い足をかけて打撃戦を仕掛ける――否。
よって残された選択肢は。
オルタナティヴは右半身になると、くの字に曲げた左腕を下げた。
いわゆるオーソドックスでの『L字ガード』スタイル――デトロイド・スタイルの進化形だ。
右手は軽く顎へと添える。ステップワークは使わない。
いや、使いたくとも平衡感覚が狂わされているので、使えない。
下半身を固定して、上半身の動きと避け勘のみで防御するつもりである。
構えの意図を悟ったのか、歌いながらセイレーンは不敵に笑んだ。
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