第四章 光と影の歌声 19 ―オルタナティヴVSセイレーン⑥―
スポンサーリンク
19
双方、ほぼ同時に相手へと踏み込んだ。
コンマ数秒先だったのがセイレーン。遅れたのがオルタナティヴ。
ドン、という踏み込み音が綺麗に重なる。
互いに左足を深くステップイン。
テイクバックもほぼ同時。フォームが大きいのはセイレーンで、コンパクトに右脇を引き絞ったのがオルタナティヴ。
セイレーンの右ストレートが放たれる。オルタナティヴも右ストレートを放ちにいく。
オルタナティヴは右拳を右肩越しに真っ直ぐ伸ばしながら、頭を右にヘッドスリップして、右頬横にセイレーンの右拳を通過させる。
オルタナティヴの右肩とセイレーンの顎が、一直線かつ理想的な距離で結ばれる。
後は、そのままオルタナティヴが右脇インサイドから右ストレートを伸ばし切れば――ライトクロスが完成する。
ゴォッ。
炸裂音ではなく、風切り音。オルタナティヴの右も空を切った。
ギリギリでセイレーンが頭を下げて躱した。ダッキングというより不格好に首だけでお辞儀するような姿勢だったが、それでも避けた。
右拳を引いたオルタナティヴは、左サイドへステップして仕切り直す。
ゆっくりと頭を上げて、目線をオルタナティヴに向けたセイレーンは、悠然と言った。
「お得意のライトクロスはさっきのでタイミングは掴んでいるわ。もう通用しない」
オルタナティヴの頬に、汗が一筋伝う。
先程のライトクロスは苦し紛れの上に、相手の左ストレートのアウトサイドから、やや弧を描いたスゥイング系で被せにいったものだ。今のライトクロスは相手の右ストレートを肩口に通過させて、インサイドから合わせにいったもの。同じ『クロス』のタイミングで放たれたカウンターとはいっても別バリエーションなのに――見切られた。
ドゴォゥオ!!
一気に飛び込んできたセイレーンの右ハイキックが、オルタナティヴのガードの上を強襲。
『魔術音』における増撃効果が、オルタナティヴの両腕を軋ませる。
引いた右足を、そのままローキックとして叩き込んでくるセイレーン。
カットが間に合わず、左腿の付け根に、オルタナティヴはローキックを直撃された。
ぎぢィ! 強烈な一発にオルタナティヴの左足が揺らいだ。
セイレーンが高らかに嗤う。
「あらあら。遅いわ。反応が悪いわよ? 鼓膜を破ったのは失敗だったわねぇ」
その一言を皮切りに、セイレーンの猛攻が始まった。
怒濤のような拳と蹴りが、オルタナティヴを襲う。
オルタナティヴは防戦一方に追い込まれる。
どうにか頭部へのクリーンヒットだけは逃れているが、その分、ボディや下半身への打撃をもらっていた。特に両足がローキックで動かなくなってきている。
対して、オルタナティヴの打撃は一発もクリーンヒットしていない。
かといって掴みにいく余裕さえなかった。
「弱い、弱い、弱い、弱い、弱い、弱い、弱い、弱い、弱い、弱い、弱い、弱い、弱い、弱い、弱い、弱い、弱い、弱い、弱い、弱い、弱い、弱い、弱い、弱い、弱い、弱いわッ!!」
オルタナティブは打撃の嵐と共に嘲笑を浴びる。
セイレーンは執拗にオルタナティヴの右頬を狙っていた。
左ストレートでのKO宣言を現実のものにしようと、ひたすら左拳を中心としたコンビネーションに拘っている。逆にいえば、左ストレートでのフィニッシュに拘らなければ、とっくに決着がついているだろう。
オルタナティヴがセイレーンに決定打を許さないのは、相手の狙いが左ストレートだと分かっているからに過ぎない。
「じゃあ、そろそろ変化を付けましょうか」
左ストレート――と見せかけて、セイレーンはオルタナティヴの右襟首を掴む。
ここまで打撃一辺倒だったので、オルタナティヴは反応できない。
「本当に遅いわね」
セイレーンは左手でオルタナティヴの顔を引き寄せて、くの字に固めた右肘を一閃させた。
ざシゅ!
エルボーによるカット。オルタナティヴの左目蓋がパックリと口を開ける。
いかに《ローブ・オブ・クリアランス》で空振り音を増幅させた『音撃刃』から顔を守っていても、直接的な打撃までは遮断できない。そもそも直接的な打撃は防御設定外である。
(し、しまった――)
最も恐れていた事態に、オルタナティヴの顔が歪む。目蓋からの出血が、《ローブ・オブ・クリアランス》の空気層に巻き込まれて、頭部一帯が真っ赤になった。即座に、左目蓋周辺だけ空気層から除外して、気流と気圧の調節によって空気層から血を排除した。
左目に、目蓋からの出血が流れ込んでくる。
視野の半分が赤く染まり遮断されていく。
オルタナティヴの左目が目蓋からの血で覆われている様子を、追撃を止めてまでセイレーンは楽しげに観察していた。
「これで音感に続いて左側の視界と距離感も失った――と。これだったら『歌』に耐えながら戦っていた方がマシだったんじゃないかしら?」
歌いながら戦っていた先程とは異なり、今のセイレーンは無酸素運動での連打が可能だ。
一般的に、射程が長いロングレンジでの攻撃手段をもつ者の方が強い。
いや、それは強い弱いではなく――優位・有利というだけだ。
徒手空拳の相手に、遠くから拳銃で撃つのを強いという者もいるだろうが、本当に強い者ならばたとえ拳銃を失おうと、徒手空拳の射程に入られても相手を倒せるはずだ。拳銃を失って強さを失ってしまう程度の者は――所詮は弱者であろう。
このセイレーンは圧倒的なロングレンジ砲を所持し、ミドルレンジにおいても数多の戦闘手段を有し、そして近接戦闘においても無類の強さを誇る。
(本当に強い。強いわ)
しかしオルタナティヴはこの最強の戦闘系魔術師を相手にしても、諦めていない。
――セイレーンを倒し、榊乃原ユリを救う。
「掛かってこないの? もう貴女から攻撃に出る余力もないかしら? だったら、そろそろフィナーレといきましょうか。予言通りに、貴女は床にキスして沈むのよ」
セイレーンの攻撃が再開された。
オルタナティヴは頭部のガードを固めるのが精一杯である。これが格闘技の試合ならば、とっくにレフェリーがテクニカル・ノックアウトを宣している状況だ。
ばがんッ!! 回し打ちによる右掌底によって、オルタナティヴの左ガードが崩れた。
『魔術音』が作用した増撃で、目蓋の傷が広がる。
血飛沫が派手に撒き散る。
オルタナティヴはバックステップした。微かな音で左足を着地した――その音が。
ドンッ!!
着地音が魔術的に反響・反発し、オルタナティヴは体勢を崩す。
ギクリと顔を強ばらせるオルタナティヴ。
今までセイレーンが使用した『魔術音』は三種類。打撃音の増撃。防御音の反発。そして空振り音の衝撃刃。全てセイレーン自身が介入した音であった。しかし己だけではなく、他者が発した音にまで作用可能であったとは――
(最後の最後に『切り札(ラストカード)』を隠し持っていたなんて……ッ!!)
体勢を崩し、致命的な隙となる。
すぅっ――……。赤いカーテンで覆われた左サイドに、セイレーンの姿が消えた。
完全に死角に回り込まれた。
見えない位置にいるのは確実である。だが――その範囲が広すぎる。
ダメージで胡乱になっている今の自分では、気配も気流も読み切れない。
瞬時に位置を特定する為には、音が、音が必要なのだ――ッ!!
左斜め後ろ。
真後ろ。
右斜め後ろ。
三択である。セイレーンの気配は感じ取れない。完璧に気配と殺気を消している。
前方に走って逃げても、そのまま後ろから魔術弾――音撃を撃たれる。
かといって後ろを振り返れば、その挙動と当時に、必殺の決定打を許してしまう。
生き残る為には――振り返らずに、背後から来る相手の攻撃を躱さなければならない。
「サヨナラ、オルタナティヴ!!」
「ッ!!」
正解は――真後ろから放たれた右フックであった。
後ろから右頬めがけて弧を描いて飛んでくるセイレーンの右拳を、オルタナティヴは大胆なウィービングで躱す。そのままの勢いで上半身を倒れ込ませて、さらに地面と水平な横回転を加えて捻り上げる。
躱されるはずのない無防備な背中側から、渾身の右フックを空振りしたセイレーンは愕然と目を見開く。
セイレーンの視線の下には、横になった姿勢でスピンしているオルタナティヴの上半身。
思い出したかのように、セイレーンは左拳を打ち下ろしにいく。
だが、狙い所がわからないその拳は、空しく彷徨う。
機は熟した。ライトクロスで確認できたのは『魔術音』による増撃と反発を同時には行えない事。あるいは行えるかもしれないが、意識外からの攻撃には『魔術音』を重ねられない事。
右目のみでオルタナティヴは狙いを定めた。
(確かに貴女はアタシより強い。けれど貴女の欠点は……
――必要以上に強過ぎる事よ)
ぎゅるんっ。
ミニスカートの裾が踊り、オルタナティヴの両足が大きく開いた。上半身のスピンによって跳ね上げられた、オルタナティヴの左足がセイレーンの頭部へ弧を描いて飛んでいく。
下からくる変則軌道の蹴り技に、セイレーンは全く対応できなかった。
グサァァンッ!!
突き刺さったかのような鋭利な炸裂音が響く。
ライトクロスと並ぶオルタナティヴの十八番――超低空からのフライング・ニールキックだ。
完璧なタイミングと角度の蹴りであった。
ぐるん、とセイレーンの両目が裏返り白目となる。
両膝を地面へ落とし、がくんと頭を垂れて、そのまま前のめりに顔面ダイブする。
床に顔を接地したまま、両足が真っ直ぐに伸びて、上に突き出す格好になっていた尻が沈む。
大の字のまま動かない。
観る者に決着を強く印象付ける、痛烈なダウンシーンだ。
オルタナティヴは俯せになっているセイレーンを見下ろして、クールに言った。
「的中したのはアタシの予告だったようね。もっとも前に倒れるか後ろに倒れるのかは、実は半々だったけれど」
暗にハッタリだったと云い、彼女は涼しげにウィンクする。瞑ったのは血塗れの左目だ。
注記)なお、このページ内に記載されているテキストや画像を、複製および無断転載する事を禁止させて頂きます。紹介記事やレビュー等における引用のみ許可です。
本作品は、暴力・虐め・性犯罪・殺人・不正行為・不義不貞・未成年の喫煙と飲酒といった反社会的行為、および非人道的、非倫理思想を推奨するものではありません。また、本作品に登場する人物・団体などは現実とは無関係のフィクションです。