第一章 異能の右手 7 ―Dr.ケイネス―
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7
中部地方にある広大な工業地帯。
その一角を大きく占めているのが【HEH】こと【比良栄エレクトロ重工】の工場区域だ。
国内の電子機器のシェア争いを一人勝ち状態であり、また海外への輸出も順調という、株式市場において超優良企業と格付けされている。
その【HEH】の、国内生産品を主としている第一工場に鎮座している本社ビル。
実用一点張りといった角張ったデザインの四階建てだ。
最上階である四階の社長室で、【HEH】の社長――比良栄忠哉がせわしなく室内を壁沿いに歩き回っていた。
時折、自分の机に戻るが、五分と座っていられない。
社長机の脇にある秘書机で、秘書の女性が報告書に目を通しているが、すでに忠哉が仕事に復帰するのを諦めていた。定時である午後五時半に元に戻ってくれれば御の字だ。
秘書机のPCに来訪者の報せが届いた。
「社長。来客です」
「本当か!」
忠哉が秘書の傍に駆け寄った。
秘書は眉をひそめた。本日予定のアポイントメントは全て午前中で終わっていた。
「すぐに通してくれ」
「相手を確かめなくてよろしいのですか?」
「構わん。それから新村君は悪いけれど少し席を外して――いや、せっかくだから今日はこれであがってくれていい。たまには早く帰りたいだろう。もちろん残業はつけておくから」
「は、はあ?」
新村は首を傾げる。正直いって嬉しいというよりも、薄気味悪かった。
比良栄忠哉はケチで、なおかつ人をこき使う事で有名だ。そんな社長が、聞き飽きている「本当の定時は夜の十時だ」ではなく「早く帰りたいだろう」などと、ねぎらいの言葉を知っていたとは。
「……それでは、お言葉に甘えて失礼します」
忠哉の気が変わっては大変だ、と新村は僅か二分で帰り支度を整えて退散した。
それに――一般業務にしか関わっていない自分が露払いされるという事は、すなわち非合法な取引をするのに決まっている。だから、とにかく逃げたかった。
秘書の新村が去った後、入れ替わりで女性二人が入室してきた。
白と黒の二人組だ。
白衣を羽織った科学者然とした女性が、黒い燕尾服を着ている女性を従えている。
欧米一流ブランドのオーダーメイド品であるスーツがあまりにも可哀相な、だらしない中年太りの忠哉とは対照的な、ナイフのように鋭利な体型かつ雰囲気の女性達だ。
忠哉は緊張を隠せない作り笑顔で、二人を出迎えた。
「これはこれは、Dr.ケイネス!」
口角を上げた口元が、ややひくついていた。自分のテリトリーなのに、まるで獣の檻にでも放り込まれたかのような感覚だ。
ケイネス、と呼ばれたのは執事ではなく、白衣の女性の方である。
「久しぶりね、比良栄さん」
白衣の彼女は忠哉に歩み寄って、右手を差し出してきた。忠哉は慌てて握手に応じる。
魔的ともいえる妖艶さの女性であった。
パーマにはみえない癖の強いロングヘアは、炎の鶏冠のようだ。そして蛇のような狡猾さと虎のような雄々しさが同居しているかのような、威圧感のある顔立ちである。年齢は不明だ。外見的には、三十代前半と推定できる。いやもう少し若いか。というよりも、約二年前にケイネスを研究者として非公式に迎え入れたのだが、忠哉の情報網を駆使しても、彼女の全てが謎であった。
ケイネスのボディガードである執事の女性も同様に経歴不明だ。
ミランダ・エンフィールドと名乗っている二十代前半にみえる女性だが、北米系の美女である、という外見以外はやはり一切が不明のままだ。
しかし正規ルートでは開発できない、闇ルートでの研究開発に、今やケイネスは欠かせない存在となっている。
「相変わらずお美しい。いやぁ、お元気そうで何よりです」
「芸のない世辞は要らないわ。今日はちょっとお願いがあってお邪魔させてもらったの」
「え、ええ。そりゃもう何なりと……」
忠哉は意識せずに揉み手をしていた。
最初は高をくくっていた。美人だし、うまく事を運べば執事の女もろとも愛人にできるのでは、などと。しかしそんな思惑や下心は見当外れで、気が付いた時には【HEH】の裏情報を全て握られていた。
通常ならばどんな手を使ってでも消すのだが、それもできなかった。
ケイネスは気軽な口調で平然と言う。
「ほんの二百億円ほど指定する暗号通貨で都合してもらえるかしら。期限は明日中」
「……へ?」
「心配しないで。マイナーな匿名通貨だから。二百億円ちょうだいって言っているのよ」
「に、二百億円ですか!?」
忠哉は思わず目を剥いてしまった。
「大げさね。その程度の裏金、即日で調達できる程度の利益はあげさせているはずよ。個人的に裏ルートで海外口座にプールしているんでしょう?」
「そ、そ、それは……」
「マネーロンダリングしてある裏口座に手出ししてあげない、って言っているのよ」
「分かりました。明日の午前中までには」
ガックリと肩を落として忠哉はケイネスの要求を飲んだ。
しかし疑問だけは口にせざるを得ない。
「研究資金や報酬はケチったつもりはありませんでしたが。社員にケチって陰口を叩かれている、この私がですよ? いったい何に使うつもりなんです?」
ミランダが厳しい眼差しを向けたが、忠哉は引き下がらなかった。
特に気分を害した様子を見せず、ケイネスは答える。
「――お前はこの【魔導機術】が幅を利かせている文明をどう思う?」
ダイレクトな言葉に、忠哉は顔をしかめた。
技術革新だと理解はしている。人に宿る魔力をエネルギーとして四大エレメントや特殊属性に伴う物理現象を引き出せるのだ。技術的な変換理論やその実行に、堂桜一族の軌道衛星【ウルティマ】を介す必要があるが、その【ウルティマ】の運用動力も太陽光発電によってまかなわれている。まさに完璧なエコ・エネルギーサイクルといっていい。
「もちろん面白くありませんよ」
忠哉は本音を洩らす。
いや、この相手には隠す必要なのないのだ。【HEH】という組織の裏の顔を把握されてしまっているのだから。
ケイネスはしたり顔で頷いてみせた。
「そうよねぇ。確かに【HEH】の業績は優良だけれども、すでに電子機器部門は成長産業でなくなって久しいわ。成熟産業としても、そう遠くない先に斜陽産業の仲間入りね」
「誰よりも社長の私が実感していますよ」
金利や貿易為替のやりくりで、成長率は維持しているものの、実質的な売り上げ物量という観点では、すでにマイナス成長に突入していた。
「このままでは、この【イグニアス】世界から電気産業が追いやられてしまうのでは、と危惧さえしています」
恐怖だった。
紙芝居がテレビジョンに追いやられたように、ブラウン管TVが薄型TVに駆逐されたように、このままでは純粋な電子機器は絶滅に追いやられてしまうのではと。
そして、その時がきたら【HEH】はどうなってしまうのか――
「まあでも、堂桜関連の下請け仕事なら潤沢にあるじゃない?」
ギリ、と忠哉は奥歯を噛み締めた。
同業ではないが、ライバル企業で敵視している【堂桜エンジニアリング・グループ】からの下請けも、今や重要な命綱となっていた。堂桜が事実上独占している【魔導機術】だが、完全に電気機器を必要としていないわけではない。基本的には、魔力と電力のハイブリッドな技術といっていいのだ。
「けれども、その下請けにしても、いずれは……」
「そうね。安価で受けている内はともかく、堂桜は堂桜でグループ企業内でもっと安くできないか、加工開発くらいはしているものね。コスト競争で負けた時が、取引終了の合図ね」
「我が【HEH】も常日頃からコストカットの努力はしている」
「憎っくき堂桜財閥の為に?」
「くっ」
「それに頑張っているのは企業努力としてのコストカットだけじゃくて、裏金を使っての規制法案の成立――。結局は不発に終わったけれど」
魔術犯罪を防ぐ、という大義を掲げて専用【DVIS】の所持と、そのライセンスについて厳しい規制を掛ける法案の成立を後押しした。
間違っているはずだ。明らかに犯罪に使用されているという状況で、犯罪者が【DVIS】を使用できてしまうのは。【ウルティマ】の方でアクセス拒否をかける事は可能のはずだ。
そして魔術犯罪者が二度と専用【DVIS】を手にできなくする事は。
「……結局。取り締まったり、警備したり、逮捕したり、対抗策を開発して発売する連中にとっては魔術犯罪があった方がいいんですよ」
忠哉は怨嗟を込めて吐き捨てた。本当に無念だったのだ。法案が不成立に終わって。
「魔術の規制反対派いわく――車両事故が起きるから自動車を規制しろ、殺傷事件が起こるから包丁を規制しろ、というのと同じらしい。そして現にこの魔導社会の常識はその様に出来あがりつつあるわ」
ケイネスは親しげな笑みを浮かべ、忠哉に顔を近付けた。
妖艶な顔がアップで迫り、忠哉は息を飲む。
ぅふふふふふ、と妖しげな笑みが忠哉の顔にかけられた。
「二百億円。魔術の規制法案に使ったドブ金とは同じにしないって事だけは約束するわ」
「あ、貴女はいったい……」
人差し指を忠哉の唇に当て、ケイネスは続きを防ぐ。
「それはそうと。……堂桜統護に接近させているあの子はどう?」
「まだ具体的な成果は」
「それはそうでしょうね。接近させたばかりなんだから」
「私は息子を信じています。きっとDr.ケイネスが望むデータを持ち帰ってくれると」
「息子……ねえ?」
その皮肉げなニュアンスに、忠哉は顔を赤くする。
ヒステリックな怒鳴り声。
「優樹は私の息子です!! 戸籍上も登録されている生体データも! 何が言いたい!」
「はいはい。そう過剰に反応しないで。……で、何が言いたいのかっていえば、魔術の規制でいくら綺麗事を主張しても、結局は独善で、お前もエゴに塗れた犯罪者って事よ」
最後のセンテンスに込められた凄みに、忠哉は青ざめて下を向く。
そんな忠哉の耳元でケイネスが囁いた。
「――まあ、なんにしても『彼』を《デヴァイスクラッシャー》にしてあげた分の特別報酬としてだけでも、二百億円は安いものでしょう?」
…
魔導科の二年B組。
学級担任の琴宮美弥子が転入生を紹介した。
「今日から一緒に皆さんとお勉強する、新しいお友達を紹介します」
時期外れというよりも、他校から魔導科に編入するという事自体が、非常に希であるので、クラス中が軽い驚きに包まれている。
真新しい制服を着た、小柄で細身の男子生徒が入室してきた。
統護が見守る前で――
「比良栄優樹です! どうかよろしくお願いします」
教壇に上がった優樹は、はにかみ気味の笑顔で一礼する。
新しいクラスメート達からの拍手に、優樹の頬が紅色に染まった。
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