第三章 戦宴 9 ―アーネスティア―
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9
詠月がオルタナティヴへと歩み寄っていく。
顔が象っているのはビジネスライクな笑みである。微塵もフレンドリーではなく、イニシアチブを握ろうとする威嚇的な笑顔だ。そして、値踏みそのものの視線を向けていた。
その表情と纏っている威圧的な空気に、オルタナティヴは紅い双眸を細める。
久しぶりに直で見る《怪物》は、やはり尋常ではない。
怪しげなプレッシャーは比類なきものだ。
(相変わらず……か)
「見事な勝利だったわ。かつての天才魔術師の異名は伊達じゃないわね」
「知らない。アタシは過去に天才魔術師と呼ばれた記憶などないわ。それはきっと別人よ」
「そうだったわね。失言だったわ」
両手を差し出され、オルタナティヴは意識を回復しない雪羅を詠月に渡した。
詠月が雪羅を背負う。無理に起こそうとはしない。
意外と優しげな声音で詠月が礼を言った。
「ありがとう、とこの子に代わって礼を言うわね。今日のKO負けはいい経験になった。この子は強くなる。あるいは……堂桜淡雪よりも。今は淡雪と比べても、弱くて未熟だけれど」
「ええ。同感ね。認めたくはないけれど、この子はきっと、あの子よりも」
確かに、オルタナティヴも未完成ゆえの伸び代を感じた。同時に、確固たる決意も。
去ろうとする詠月に、オルタナティヴは声をかける。
「貴女は今回の案件、これで引き下がるつもり?」
「ええ。私が直接的に介入する事はないと断言できるわ。このMKランキングについては堂桜エレナに一任する――という形で貸しを一つ作っているのよ」
「なるほど」
根回し済み、というワケだ。
「それに政治的な駆け引きだけじゃなく、私にとっての魔術戦闘は外敵を排除する為だけの、要するに殺害手段なの。よって試合どころかノン・リーサルが可能な条件下で、私の【基本形態】――《ダークムーン・サキュバス》は決して披露しない。それが私の――最強」
意味合いが違う、と詠月が頬を釣り上げる。
オルタナティヴも理解している。詠月にとっての最強とは、統護が目指す『真の最強』とは真逆の方向性なのだと。統護が目指す最強は『護れるものを全て護る為の』最強だ。ゆえに、彼は己が最強である事を他者に知らしめて、認めさせる必要があるのだ。統護の最強が知れ渡れば、抑止力として作用する可能性もある。
反対に、詠月の最強とは『敵を排除(殺害)する為の』最強である。ゆえに、彼女は他者に最強である事を知らしめる必要などないのだ。詠月自身が『自分が最強』と自身の認識内でのみ把握していれば、それで十全だ。むしろ他者に最強と思われる事はマイナスである。何故ならば、最強だと広く知られてしまうと、彼女を狙う刺客が油断しなくなる。あるいは刺客を向ける事そのものを、政敵が躊躇する様になってしまう。最強が刺客への抑止力になっては駄目なのである。政敵にダメージを与える為の手段として、情報を得る為の手段として、差し向けられた刺客を拷問後に殺すのは、実に好都合な手段なのだ。
詠月が言った。
「私は、私が戦う事を自分で決断した時のみの最強。生も死も、全てを自分で背負う。逆に言えば、それしか責任を負わない。そして私が最強であると知った相手は、そのまま死ぬ。死人に口なしよ。私以外の全人類が、私を最弱と思うのならば余計に好都合だわ。大々的に『生涯不敗』だの『真の最強』だのを口にする誰かサン達とは、根本的に最強の意味が異なるの」
そこで詠月のスマートフォンに着信がきた。
送信者は――光葉一比古だ。
着信に応じていないのに、スマートフォン内蔵の汎用【魔導機術】が勝手に起動して、周囲に彼の理知的な声音が浸透していく。
『残念だよ、堂桜詠月。是非とも君にもイベントに参加して欲しかったのだが』
対して、詠月の返事は無言だった。
詠月は次の言葉を許す前に、スマートフォンを躊躇なく握り潰したのだ。
しかし今度は、オルタナティヴのスマートフォンから、一比古の台詞が響く。
『嫌われたものだね、私も。堂桜一族とはいっても、貴女はエレナ嬢とは違うようだ。一族でナンバー3に君臨している実力、非常に興味があるのだがね。君の《ダークムーン・サキュバス》を見られるのならば、主催者権限で強引にランキングにねじ込むのだが』
「アタシのスマホで勝手に別の女を口説かないでくれない?」
『おや、嫉妬かい? 美女に嫉妬されるのは悪くないな』
「ツマラナイ返しね。単に通話料の心配をしているだけよ。アタシはケチだから」
『お詫びとして、今月分の通話料は特別に私が受け持とう。そして私が口説いているのは君だよ、オルタナティヴ。先程の査定試合で氷室雪羅を破った事により、次の更新でMKランキングの6位に君を認定する』
むろんイベントの招待状も届くだろう、と告げて通話は切れた。
詠月が言った。
「今夜の敗北で雪羅ちゃんはMKランキングから手を引かせるわ。エレナにせよ、貴女にせよ、あの男の始末は任せましょうか。仮に貴女たちが失敗して、その上であの男が私の障害となるのならば、その時は私が彼を――消すわ」
(消す、ね)
オルタナティヴは師との会話を思い出す。そして、すぐに振り払った。
なんにせよ、自分は芝祓ムサシを再起不能にして依頼を果たし、黒壊闇好から里央を取り戻して、連れ帰るだけだ。MKランキングとイベントは舞台装置に過ぎない。
だたし、MKランキングの裏が悪ならば――潰す。
「そうそう」と、やや芝居がかったイントネーションで、詠月が付け加える。
「実はね、査定試合に臨んでいるのは、雪羅ちゃんだけじゃないのよね」
「まさか……、氷室臣人も?」
軽く驚くオルタナティヴ。雪羅のガーディアンにして義理の兄である臣人は、対抗戦の予選Dブロック決勝で統護に敗れて重傷を負った。彼はまだ入院しているはずだ。
まだ全快には時間を要すると聞いている。
「つい先日、臣人くんは復活したのよ。しかもパワーアップしてね」
彼のセコンドをみれば理由が分かるわ――と、言い置いて詠月は去った。
オルタナティヴはスマートフォンからMKランキングのホームページにアクセスした。
試合が始まろうとしている。
どうやら自分と雪羅の試合が終わるまで、ブッキングを避けて開始を待っていた模様だ。
対峙する二人の内、より巨体を誇る方が明らかに焦れている。
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| ランキング戦 |
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| ランキング8位 乱条 業司郎 |
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| VS |
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| ランキング13位 氷室 臣人 |
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試合場となっているのは、何処かの山の中だ。
周囲ではキャンプという名目の乱痴気騒ぎが行われている。業司郎のホームと窺えるので、このキャンプ場は、彼の飼い主である栄護の個人所有地に違いないだろう。
オルタナティヴはカメラを切り替えて、臣人サイドの映像に画面を切り替えた。
すると、目に入ってきた人物とは――
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…
齢八歳の小学生が鼻歌をしながら、テクテクと歩いている。
女の子だ。
「ふん♪ ふん♪ ふぅ~~ん♪」
小学生でも、発育がよければそれなりの身長とスタイルに成長している者もいるが、生憎と彼女は『少女ではなく幼女』といった形容そのものの発育具合である。
黒髪に近い金髪。右目が黒で左目が碧というオッドアイだ。
可愛く整っている目鼻立ちであるが、ニホン人の標準よりも鼻が高い。
外見的には幼女であるが、顔立ちそのものの造形は、モンゴロイドよりも大人びている。
ドイツ人の血が入っているクォーターなのだ。
目を引く容姿的な特徴としては、ドリルの様に渦巻いているツインテール(ツーテール)か。
「ふん♪ ふん♪ ふっふぅぅ~~ん♪」
ご機嫌である。
彼女は手足を大げさに振りながら歩き、白衣の裾をだらしなく引きずっていた。
サイズが合う子供用白衣がないので、裾だけではなく、全てがダボダボに余っている。
そして幼女の周囲を、五名の白衣が固めていた。
彼女を護る戦闘集団である。
三十代から四十代の男性が四名。全員が大柄で、鍛え抜かれた体躯をしている。
そして彼等のリーダーである専属ガーディアン筆頭のみが若い女性だ。
男性陣とは対照的に、いかにも不健康そうな濃い隈が特徴か。十九歳とは思えない不健康さだ。細身の身体は女性らしい凹凸に欠けている。血色も良くない。
彼等が所属しているのは、ルシア・A・吹雪野が率いる【ブラッディ・キャット】に評価を比肩する、堂桜財閥の特殊部隊――その名称は【ホワイト・ファンクション】だ。
白衣を纏い、研究者然とした出で立ちで揃えているが、実際に彼等は研究者でもある。
そして戦闘系魔術師としても機能するのだ。
特殊部隊とはいっても、他の部隊とは異なり、彼等は特殊工作員としての技能は有していない。彼等【ホワイト・ファンクション】は要人警護に特化している戦闘部隊なのである。
「アーネ様、そろそろ交代して頂けませんか?」
ガーディアン筆頭の担密符或が、幼女――アーネスティアに声を掛けた。
アーネは愛称で、フルネームはアーネスティア・D・エーヴェルバッハだ。
Dはミドルネームの頭文字ではなく、エーヴェルバッハと同じ家名を示すDである。
すなわち――堂桜のDだ。
堂桜アーネという通名も便宜上、よく使っている。
一族で序列三位に名を連ねている堂桜の四女としても、アーネは広く知られていた。
加えて、堂桜一族の最上位に近い序列だけではなく、ドイツの名門エーヴェルバッハ一族の本家という、二つの家名を誇っている堂桜でも異彩を放つ家柄である。
序列三位としての対外的な実権は一族ナンバー3の詠月に追いやられてしまったが、家名としての世界的ステータスは、現当主である宗護の堂桜本家にすら匹敵しているのだ。
アーネが足を止めた。
視線の先には――氷室臣人の背中がある。
自分達の手により、新生した臣人の。
「そうだねニナ。我のままじゃ、咄嗟の事態になったら不便だもんね」
直後に「――ACT」と囁いた。
アーネの【魔導機術】が立ち上がった。専用【DVIS】は脳内に埋め込まれている。
外見的な変化は一切なかった。
しかし内面は劇的に変化、否、切り替わっていた。
「ふむ。今宵は珍しく素直に交代してくれたな」
口調がガラリと変わっている。表情と姿勢までもだ。
老獪かつ老成した雰囲気。アーネではなくなった幼女が白衣の襟元を正す。
符或が言った。
「所長。もうじき氷室臣人と乱条業司郎の試合が始まります。データ採取の指示を」
「分かっておるわい。そう年寄りを急かすでない。孫娘の目を通して認識していると何度いえば理解できる。たわけ共が」
口調とは裏腹の若々し声音での愚痴に、符或だけではなく他の隊員も苦笑した。
「まだ一年ですからね。未だに実感がないというか、信じ切れていませんよ」
「貴様等、このクラウス・エーヴェルバッハの助手でもあろうが。魔導物理学の学徒として、あまり嘆かわしい事をほざくでないぞ」
二重人格ではない。
霊的に憑依したというオカルトでもない。
このエーヴェルバッハ博士の人格の正体は――【魔術人格】である。
戸籍上のクラウス・エーヴェルバッハは、白血病により鬼籍に入っている。故人だ。
だが、エーヴェルバッハは発癌を知ったのと同時に、治療よりも研究を選んだ。もう癌に対する免疫・抵抗力が落ちていると治療を拒否したのである。そして、かねてから研究していた魔術理論を、自身と孫のアーネを試験体として、実行に移した。
自身の人格と記憶を【魔術人格】化して、孫にコピーするという、狂気にして悪魔の実験を。
アーネに施す【魔術人格】用の脳内【DVIS】を移植する外科手術は問題なかった。
人格の魔術プログラム化も、すでに何通りもの前例がある。
しかし人格を模倣するだけでは、移植する意味がない。
かの《神声のセイレーン》の様に『無垢な生まれたて』では駄目なのである。
問題は七十年以上に渡る記憶と経験の継承と更新であった。それを【魔術人格】とリンクする様に調整する必要もあるのだ。エーヴェルバッハはこの難題を、データベース化した魔術プログラムのクラウド化(クラウド・コンピューティング)で解決した。
摘出した自身の脳を培養液の中に保存すると、常に電脳世界を展開した状態で固定する。そして超次元内に確保したクラウド領域に、【ベース・ウィンドウ】と機能一体化させた自己進化型の魔術データベースを形成して、リアルタイムで情報を更新し続けるのである。
最後に、そのクラウド化した魔術データベースと【魔術人格】を超次元リンケージした。
失敗に終われば、アーネから脳内の【DVIS】を除去する様に指示していた。
結果は――成功。
末期癌に侵されたエーヴェルバッハは【魔術人格】というカタチであるが、孫のアーネの中で存命してみせたのである。
脳を摘出された身体の方は、そのまま癌で死去した――と法的に処理された。
それもまたエーヴェルバッハの目的の一つだった。
今のアーネは、エーヴェルバッハの人格を有する、堂桜の研究部門の総責任者なのである。
むろん研究部門の総責任者として仕事をするのは、アーネではなくエーヴェルバッハだ。
エーヴェルバッハが自身の人格の移植先にアーネを選んだ理由は二つあった。
一つは、アーネの魔術師としての素養が素晴らしく、祖父の存命に協力的だったから。
だが、もう一つの理由の方が本命である。
その本命の理由とは……
――アーネスティア・D・エーヴェルバッハが〈資格者〉であるからだった。
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