第三章 戦宴 8 ―オルタナティヴVS雪羅③―
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8
オルタナティヴは心の痛みに、顔を苦しげに歪ませた。
拳の手応え。雪羅の姿。心が軋む。
(どうして、どうして、アタシは……ッ!!)
今更になって、こんな思いを味わうのだったら。
どゴォン! 右のショートアッパーで雪羅の顎を引っこ抜いた。
死に体になった雪羅に、左ストレートをフォローした。拳の衝撃で、雪羅の頭が捻れる。
力なく、真後ろによろけていく雪羅。
観戦者の誰もが、終わった、と所感した凄絶なシーンだ。
そして詠月も言った。
「終わったわね」
けれど、観客達の終わりと、詠月の終わりとでは、意味が真逆であった。
仰け反って夜空を仰ぐ雪羅の唇が、微かに呟く。
その呟きは、彼女が【ベース・ウィンドウ】に待機させていた【アプリケーション・ウィンドウ】の実行【コマンド】と同一であった。すなわち――【ワード】だ。
きぃィィィィィ。
砕かれたまま宙を舞って輝いていた《フリージング・ニードル》が一気に収束する。
局所的な猛吹雪めいた氷の粒子群は、オルタナティヴの《ローブ・オブ・クリアランス》を突破した。否、風では対象者に影響する冷気を遮断できない。風ごと相手を冷やしてしまえばいいのだ。
停止する《ローブ・オブ・クリアランス》。
まさに瞬間冷凍だ。
雪羅のダイヤモンドダスト群は、氷膜としてオルタナティヴを覆い尽くし――
氷像として封じ込めた。
悲痛な面持ちのまま、オルタナティヴは氷漬けにされている。
雪羅は電脳世界で最上位アクティヴ中となっている【アプリケーション・ウィンドウ】からのフィードバック・データをチェックした。
問題なくオルタナティヴは魔術的な仮死状態になっている。
魔術プログラムはオールグリーンだ。
勝った、と雪羅が吐息を零す。
「これが私の奥の手。その名も……《ダイヤモンド・メイデン》です」
鋼鉄の処女(アイアン・メイデン)ならぬ、氷雪の処女――これこそが、氷室雪羅という戦闘系魔術師の最大魔術であった。
全てがシナリオ通りだ。
ロングレンジからの《フリージング・ニードル》を砕かせて、ダイヤモンドダスト状で待機させていたのも、近接戦闘で一方的に殴打され続けて、魔術オペレーションへのリソースを割かせなかった事も、全てである。
詠月が感嘆した。
「近接戦でKOされるリスクを背負ってでも、《ダイヤモンド・メイデン》の布石を作った。見事としか形容できないわ。成長したわね、雪羅ちゃん」
「ありがとうございます」
雪羅の両膝は笑っている。KO寸前まで打たれて、立っているので精一杯だ。
肉を切らせて骨を断つ。まさに一か八かの捨て身だった。
――[ WINNER 氷室雪羅 ]という立体文字がモニタに。
表示されたと同時であった。
雪羅の『氷雪の処女』に亀裂が生じて、ヒビとして表層を走り回り始める。
愕然となる雪羅。
バキィぃぃぃんン! 氷像が破壊された。それも呆気なく。
オルタナティヴは健在だ。魔術的な仮死状態ではない。
纏っているエレメントのオーラは【水】だ。その名も《ローブ・オブ・ブルー》。
画面に訂正が入り、勝利確定の文字が消えた。
ジャミング+ハッキングされていた――と雪羅は理解する。
今までの攻防で集積した雪羅の魔術理論から、オルタナティヴは同系統である【水】のエレメントを介して、《ダイヤモンド・メイデン》の魔術プログラムの雪羅へのフィードバック・データにウィルスを仕込んだのだ。
詠月が肩を竦めた。
「なるほど。《ダイヤモンド・メイデン》の起動を土壇場までフェイクする為に、《フリージング・ニードル》を下地にしていた事が、完全に裏目に出るとは、ね」
つまりオルタナティヴは微塵も意表など突かれなかったのだ。
完璧な魔術オペレーションによって、起動直後から《ダイヤモンド・メイデン》の魔術効果を予測して、解析してみせた。そしてギリギリのタイミングで使用エレメントを切り替えた。
雪羅のダメージは限界だ。
オルタナティヴが決着にいく。後はKOするだけだ。
雪羅は即座に決断する。ウィルスを仕込まれている可能性があるので、全ての【アプリケーション・ウィンドウ】を強制遮断。そして【ベース・ウィンドウ】からの【基本形態】の操作に、魔術オペレーションのリソースを全振りした。最後の一瞬に逆転を賭ける――覚悟だ。
オルタナティヴがステップインした箇所の摩擦係数をゼロにした。
しかし『水のオーラ』から足の裏に『氷のスパイク』を発生させたオルタナティヴは、何も問題にせず、左足での踏み込みを成功させる。
共に右構えで正対した。
オルタナティヴは悲痛な顔のまま。
決死の表情の雪羅は、最後の力で、渾身の右パンチを狙う。
その右拳に、オルタナティヴは右をクロスのタイミングで合わせにいった。
今の今までライトクロスだけは避けていた雪羅であったが、ついに、ここで勝負に出る。
「これが本当の奥の手ですッ!!」
軸足の左の摩擦係数を引き上げて、後ろにある蹴り足――右の摩擦係数を消した。
結果、相手を呼び込むようにパンチのタイミングがズレながら、雪羅は左構えにスイッチしていく。
すなわち、右構えの右ストレートから、左構えの右ショートフックに変化する。
オルタナティヴのライクロスを逆に狙った――逆転のライトクロスだ。
決まれば一撃、一瞬で、オルタナティヴの意識を絶てるタイミングと角度の右拳。
「もらいましたっ! 私の勝ちですッ!」
沈着冷静――だった。
微かにも動じず、オルタナティヴは足の裏に生やしていた『氷のスパイク』を解除する。
軸足で止めていた慣性に任せて、身体ごと左サイドへ移動。同時にウィービングもしていた。
雪羅のライトクロスを空砲にした直後に、再び『氷のスパイク』で軸足を固定。
ポジショニングは完璧だ。サウスポー・スタイルの雪羅の右サイドを掌握している。
オルタナティヴの満を持しての左フック。
追いパンチになろうとも、雪羅も左の返しを伸ばすしかない。そう……
左フックの初動がフェイントだと分かっていてもだ。
雪羅の左スウィングの上を、オルタナティヴの本命――右ストレートが滑り込んだ。
オルタナティヴの表情が悲痛さを増す。
(御免ね、淡雪。アタシは貴女の為になっていなかった)
詠月がオルタナティヴの『悲痛な気持ち』の正体に気が付く。
妹に瓜二つの少女を殴る事を悲痛に思っていたのではなく――むしろ真逆。
雪羅の成長と戦いぶりに、手加減していた淡雪との模擬戦を後悔しているのだ、と。
最初、オルタナティヴは雪羅との魔術戦闘を嬉しく感じていた。
まるで最愛の妹の成長を目の当たりにした様で。
そして、そのまま淡雪との模擬戦を重ねてしまっていた。
けれど違ったのだ。
雪羅は敢然と自分に近接戦闘を仕掛けてきた。淡雪は一度もなかった。
殴られても、打たれても、泥臭くても、決然と勝利を目指す雪羅に、オルタナティヴは悲痛な気持ちを抑えられなかったのである。相手にではなく、自分に対しての。
(本当に、本当にアタシはダメな兄だった……ッ!)
こうやって、模擬戦で貴女をKOしてあげられなかったのだから!!
右拳が加速して、ライトクロスが火を噴いた。
どギャゥううッ!! 雪羅の左腕とオルタナティヴの右腕が十字を描き、直後、雪羅の顎が跳ね上がる。首を引っこ抜かれるような勢いで。右拳を顎先に直撃されたのだ。
両膝が大きく折れ、真下に崩れ落ちていく雪羅。
すでに――失神している。
【結界】の氷雪で彩られていた空間が、最後の輝きを放つ。
術者の失神で【魔導機術】が強制停止して、白銀の雪世界が――儚く散った。
(この子は……きっと強くなる)
今宵のKO負けを糧に、更に成長できる子だ。
心底から沈鬱に思う。淡雪にはコレ(KO)をしてあげられなかった。
成長の切っ掛けを、兄であった自分が奪ってしまっていたのだ。
あるいは淡雪を信じていなかったといえる。
そんな手心を加えた模擬戦でも、淡雪は堂桜の姫君という立場もあり、若手最強の戦闘系魔術師と持て囃された。確かに、淡雪の魔術出力は圧倒的かつ怪物的で、ロングレンジ限定ならば決して評判倒れではない。
反面、近接戦闘に課題を残したまま、淡雪は《隠れ姫君》事件を皮切りに、なし崩し的とはいえ、統護と共に実戦に突入してしまった。
(アタシの所為だ。アタシが模擬戦であの子をKOできていたら、ひょっとしたら)
淡雪の現状は、今とは違っていたのかもしれない。
オルタナティヴは雪羅を抱き留めた。
このまま前のめりにダウンさせたくなかった。やはり淡雪を重ねているのか。
悲痛な顔を引っ込め、クールな表情を演出する。
敗者を辱めない毅然とした態度を取るのが、勝者の義務なのだ。
――[ WINNER オルタナティヴ ]
決着を宣する立体文字が中継画面に浮かび、二人の試合が終幕する。
格の違いを見せつける鮮やかなKO劇。
画面越しの熱狂とは裏腹に、試合が終わった今、とても、とても静かな月夜だ――
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