第四章 破壊と再生 8 ―見舞い―
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8
部屋に通された統護は、締里の寝顔を見つめていた。
みみ架のベッドで寝ている締里は、一向に目を覚ます気配がなかった。隙だらけだ。
寝顔は安らかとはいえず――苦悶しているように見える。
部屋全体の空気がとてもいい香りだ。芳香剤の類がないので、要するに……
香りについては、あえて考えない事にした。
「はるる……、ゴメン」
弱々しい寝言が、統護の耳に届く。
彼女には彼女の事情があるのは、とうに承知している。見舞いとして部屋に通された統護は何ともいえない気分になり、気まずさを誤魔化すように部屋の中を見回した。
クラス委員長の渾名は――《リーディング・ジャンキー》だ。
その異名に相応しい私室である。
学習机にベッドに衣装ケース。それ以外は、全て本棚と積み上げられている書籍と雑誌だ。
デスクトップ型のPC群で囲まれていた那々呼の六畳間も異様に感じたが、この本で構成されている部屋も負けず劣らず、といったところか。
とても女子高生の部屋とは信じられない。
「本が好きといっても限度があるだろ、これ」
コレクションするのならば、とっくの前から電子書籍でも事足りる時代だ。
電子書籍の利点は、この部屋の様にスペースをとらない事でもある。いくら紙の書籍を蔵書しようとも、一般人の書斎では物理的に限界がある。
この景色は、それでもみみ架は、紙の出版物に拘っているという証左でもあった。
「――あら、堂桜くんじゃない」
聞き覚えのある声音に、統護は背後を振り返る。
足音や気配を全く感じなかったが、ドアに寄りかかるように立って、豊満な胸を押し上げるように腕を組んでいる少女が統護を見据えていた。
「やっと見舞いに来たのね」
統護は彼女――累丘みみ架の姿に噴き出してしまう。
「お、お前、なんて格好してんだよ!」
「大きな声を上げないで。楯四万さんの休息の邪魔でしょう」
「いや、だって、お前……」
至極冷静なみみ架に、統護は視線を彷徨わせる。
何故ならば、風呂上がりであろう彼女は――タオルを羽織っているだけの下着姿だ。
ブラジャーとショーツは清楚な白であった。そして布地面積はギリギリを攻めている。
スタイルは抜群だ。百七十センチ程の身長に、バランス良い手足の肉付き。そして胸と臀部は張りが良く、その存在を誇らしげに主張している。皺やたるみ、無駄な肉が一切ない。女性としての魅力を損ねずに無駄なく鍛え上げられているのが、一見してわかる肢体だ。
そして貌。よくよく観察すると……
(これ……、贔屓目なしに超絶美少女ってヴィジュアルだろ――)
ここまでの美貌といえば、ルシアしか思い当たらない。
ルシアはルシアで、色々と残念な美女であるが。
しかし、こんなレヴェルの美女が身近に二人もいたなんて。それもこちらの方は、元の世界にも存在していたのだ。
みみ架の艶めかしい下着姿から視線を外せずに、統護は顔を真っ赤にした。
「頼むから、隠すべき場所は隠してくれよ」
弱々しい懇願に、みみ架は怪訝な顔になる。
「隠しているじゃない。ちゃんと下着をつけているでしょう」
「だから下着姿を恥じらってくれよ!!」
「ビキニの水着と露出度は大差ないわよ」
「ここは海水浴場やプールじゃねえんだよぉ」
股間が反応してしまって、このままでは立ち上がれないという状態だ。
みみ架は露骨に不愉快そうな表情になる。
「公共の場ならば、確かにこの格好は猥褻物に相当するでしょうけれど、自分の部屋でどうしてそんな事を、来訪者である貴方に言われなきゃならないのかしら」
「そ、そりゃそうだが……。お前、俺に見られて恥ずかしくないのかよ」
「だから恥ずかしい部分は隠しているでしょう。その為の下着なのに貴方こそ変ね。むしろ、どうして貴方の都合で肌が乾いていないのに、わたしの部屋で服を着なければならないのかしら。服に匂いがつくじゃない」
「……悪かったよ」
これが初めての、みみ架との私的な会話であったが、なるほど変人で性格に難があるなと、統護は実感した。
見た目は知的で鋭利なスーパー美女なのに、色々と勿体ないなと思う。
「下着程度に、随分と興奮しているのね」
タオルで身体を拭きながら、みみ架は衣装ケースをまさぐり始めた。
「いや、下着程度って、お前のその格好で興奮しない男はぶっちゃけ不能かホモだと思う」
「え? ひょっとして、女として魅力あるって褒めてくれているのかしら?」
みみ架は意外そうな顔で、統護を振り返った。謙遜なしなのが恐ろしい。
(この女、自覚ないのかよ)
統護は声のトーンを抑えながら喚く。
「そうだっつの! お前、自分を客観的にみられないのかよ」
みみ架は自分の身体を見下ろして――青色のスポーツウェアの上だけを着た。みみ架にとっての部屋着であり寝間着でもある。
「う~~ん。造形はともかく、お洒落とか面倒だし、男にとってはダサい女だと自己分析していたけれど、どうも違うみたいね」
「いやいや。男にとっての女の評価と、女にとっての女の評価って全然違うから」
「それは知っていたけど、ふむ、なるほど……。考えて見れば、わたしって同年代の男性との私的な会話って初めてだったわ。ダサくても美人は美人に変わりはない……と。ふむふむ」
しばしの熟考の後、みみ架は唐突に提案してきた。
「だったら、わたしの子供の父親になってみる?」
「へ?」
みみ架が何を言っているのか理解できず、統護はリアクションに困った。
「子供? 父親って?」
「おそらくというか、間違いなく状況的に、屋上で比良栄くんと揉めたわたしを貴方は知っているのでしょう?」
「ああ。映像データも観ているよ」
「なら話は早いわね。わたしはあの祖父と母に押しつけられた黒鳳凰の名と【不破鳳凰流】を、早いところ次代――つまりはわたしが産む子供に、母がわたしにしたように、押しつけたいのよ。読書の時間を確保する為にね」
統護は呆れる。そして納得というか理解もした。
みみ架の祖父の不可思議な言動は、なるほど、こういった事情があったのだ。
「だったら普通に恋人作って結婚すればいいんじゃないか。できれば婿養子になってもらえ」
「至極真っ当かつ常識的な意見だけれど、わたしは恋愛や結婚に時間を割きたくないのよ。認知もいらないし、シングルマザーでいいから子供だけ欲しいのよ」
統護は顔を顰める。
「おいおい。それって子供の立場を微塵も考えていないだろ」
みみ架は悪びれずに肯定する。
「その通りよ。我が子に愛情は注ぐでしょうけれど、根本的に黒鳳凰の名と【不破鳳凰流】の継承の為だもの。だからこそ父親は、誰でもいいというわけではなく、それなりの資質を持つ男でなければならないのよ」
ダメだ……この女。色々な意味で。
本当に美点が美貌しかない。
「自分勝手過ぎだ」
反吐が出る重いだった。血脈によって子に業を継がせる。自分がどんな気持ちを味わってきたか。みみ架はそれを、自分との子に強制しようとしているのだ。
「ええ。自覚しているわ。だから別に無理に抱いてくれ――なんて言っていないし」
「おい。何人の男にそんな莫迦言ってきたんだよ」
流石に不愉快に過ぎた。
子供の私物化のみならず、貞操観念まで軽いとくれば、この場には居たくない。
しかし、みみ架はしれっと言う。
「堂桜くんが初めてよ」
「へ?」
「そりゃ、わたしだって相手は選ぶわよ。女としての自分を安売りしたり、粗末にする気なんて毛頭ないわ。貴方ならば種馬として申し分なさそう。それにわたしなりに子供の事も考えていて、子供の父親以外に身体を許すつもりもないわ。相手の男が他に誰を愛しても関知・関与はしないけれど、わたしが色々な男と寝ていたなんて、子供が惨めすぎるでしょう?」
「そういうもんか?」
「子供ってね、親の浮気に対して、父親の浮気よりも母親の浮気の方が嫌悪感が大きいというデータがあるのよ。子供が小さい内って限定だけれども」
みみ架は本棚から児童心理学の専門書を取り出して、統護へと差し出した。
統護はやんわりと本を押し返す。
「なるほど。委員長なりに将来産む予定の子供について考えているんだな」
「買いかぶらないで。単なる蘊蓄の一ジャンルに過ぎないわ」
本当に変人だな、と統護は改めて実感した。正直いって、彼女の子供と未来の夫に同情を禁じ得ない。淡雪の盗聴だの焼き餅が可愛く感じるレヴェルの超絶地雷女だ。
(見た目は、掛け値なしに最高級なのになぁ)
みみ架は本棚に児童心理学の本を戻し、統護に向き合う。
「……で、わざわざわたしを訪ねたって事は比良栄さんの件が悪化したのかしら? それとも、もう一人の堂桜統護について訊きたいのかしら?」
「――っ!?」
思わず固まった統護に、みみ架は意外そうな顔になった。
「なによその反応は。違うの?」
「いや、単純に締里の見舞いと、委員長にお礼が言いたかっただけなんだけれど」
「義理堅いわね。ちゃんとメールでお礼を返してくれてたじゃない」
「逆だよ逆。委員長がドライ過ぎだって」
自覚があるのか、みみ架は大げさに肩を竦めて見せた。
統護はみみ架を真剣な目で見据える。
「なあ、もう一人の堂桜統護ってどういう意味なんだ?」
脳裏に蘇るのは、自分の前に立ちはだかって拳を交換した、黒いマントの女子高生だ。
特に、あの紅い双眸。
みみ架は不本意そうに眉根を顰めた。
「そんな恐い目で睨まないでよ。【DVIS】を扱えなくなる前の堂桜統護が、わたしを訪ねた事があるってだけの話よ。彼――というか彼女、わたしに色々と悩みを打ち明けてくれてね。面識自体ほとんど皆無だったから、いきなり相談されて驚いたわよ」
「それで?」
「最後には、彼女と一緒に店内で古本探し。お望みの品だったのかは確認しなかったけれど、一冊購入して帰ったわね。あの子とはそれっきりね」
「どんな本だった?」
「魔導書の類だったわね。顧客への守秘義務があるから――と、言いたいのだけれど、とっくに絶版になっていたレアな自費出版物で、出版コードすら不明って曰く付きの品よ」
「なんでそんな物が……」
「お祖父ちゃんがホイホイ持ち込まれた品を買っちゃうからでしょうね。お陰で棚卸しの時に苦労するなんてものじゃないわ。反面、わたしの《ワイズワード》――あの本型【AMP】のようなお宝が眠っているけれども。彼女もお宝を発掘できたのでしょう」
「断言できるのか」
みみ架は統護の頬に手を添えた。
「だって、【DVIS】を扱えなくなった目の前の堂桜くんは、確かに男性だから」
「そうか。委員長はどこまで知っているんだ?」
統護は警戒を強めた。
みみ架は静かに首を横に振る。
「いま話している事が全てよ。堂桜くんは間違いなく堂桜統護なのでしょうけれど、彼女とは別の堂桜統護。どちらが本物、偽物といった区分ではなく、間違いなく両方ともに堂桜統護。状況からそう判断できるというだけ。そして、貴方という堂桜統護が顕れたといいう事実は、イコールとして彼女は『なんらかの手段で』本懐を遂げたと、わたしは推察するわ」
「委員長、お願いだ」
みみ架は統護の唇に、人差し指を当てた。
「他言する類の話じゃないのは重々承知しているわ。それが分かっているからこそ、元の堂桜統護は、わたしを相談相手に選んだのでしょうし」
統護は胸を撫で下ろした。
全てを知る淡雪。おそらくルシアも。断片的に知られてしまったアリーシア。そして、元の堂桜統護について知るみみ架――と、随分と秘密が広がっている気がする。
「あ、しまったわ」
「どうした?」
「どうせならば、あの時の堂桜くんに子作りを協力してもらえば良かったかも。相手が女でも身体は男なワケだし」
「莫迦いうなよ」
確信に至った今なら分かる。
そもそもこの世界における元の堂桜統護のメンタリティは女性のそれだ。
つまり、やはり、あのオルタナティヴこそが――
「確かに莫迦な失言だったわ」
「だろ」
「一回のセックスで妊娠する確率を考えていなかったわ」
「そっちかよ……」
げんなりした。
カチンときたのか、みみ架はウェアのジッパーを下げると、統護に胸元を誇示する。
恐ろしいまでの魅力を秘めた胸の谷間だ。大きさと形状が男的にアルティメットといえよう。
統護は慌てて視線を逸らした。
「そんな反応しているけど、どうせ貴方だって経験はないし、興味はあるのでしょう? 当然、わたしにだって性欲と興味はあるわよ」
状況が状況でなければ、みみ架の魅力に流されていたかもしれない。けれど、今はそれどころではないのだ。
「そうだけどな。つい最近まで『ぼっち』だった俺には、彼女とかはハードルが高すぎなんだ。あ。『ぼっち』で思い出した。お前の祖父さん、お前に友達がいないって心配してたぞ」
「お祖父ちゃんには悪いけれど、わたしは『ぼっち』の方が理想なのよね……」
胸元を戻し、みみ架はため息をつく。
「そういや委員長って、他人を遠ざけようとするけど、逆に色んなヤツが寄ってくるよな」
「読書の邪魔だから放っておいて欲しいのだけれど……で、話はこれで終わり?」
確認されて、少し迷ったが、統護は思い切って打ち明けようと思った。
「いいや。優樹について問題が生じている」
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