第四章 破壊と再生 1 ―誘拐―
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作戦の決行は、昼過ぎであった。
テロ(テロル)と定義するには、あまりに小規模であったが、確かに巨大体制への攻撃だ。
最初、優樹は成功するはずがないと思っていた。
失敗して、それで自らの身と引き替えに、作戦立案者であり指示者であるケイネスの許しを請うつもりであった。
弟――智志を返してくれと。
父に確認した時にはすでに手遅れで、智志はケイネスの手に堕ちていた。
ケイネスの要求は父にも届いていた。不法と裏社会との関わりから警察は頼れない。父よりケイネスに従えと命じられたが、命令されるまでもなかった。智志を取り戻す為ならば、なんだってする覚悟である。
ただし、それが成功するとは限らないが。
それでも可能な限り命令に従ったのならば、智志だけは解放してくれるかもしれない。
(……と、思っていたんだけどね)
拍子抜けだ、と優樹は肩を竦めた。
後ろには、執事のロイドが付き従っている。
そしてロイドは最大サイズの旅行用キャリーバッグを引いていた。
中には、睡眠薬で眠らせてある那々呼が入っている。
此処は堂桜那々呼が所持している木造アパートが存在する区画であった。
空からではなく陸からこの区画へ入るには、外壁のような濃密な森林部を抜ける以外では、統護が優樹を連れて使用した特別発車のリニアライナーを利用するしかない。
統護は右手の静脈認証で改札を通過していた。
ケイネスは優樹の右手でも同様にパスできると云っていたが、優樹は懐疑的であった。
謎の女科学者は「国営中央駅のシステムにまで、堂桜は厳重なセキュリティはかけていないと断言できるわ。知られていない事が前提の経路なのだから」と云っていた。
そして――第一段階として、優樹の右手で改札をクリアできた。
ケイネスが指示した時間帯において一回限りとの制限付きであったが、自分の右手に対し、優樹は恐怖感を深めた。それに堂桜財閥のセキュリティと比較すれば脆弱というだけで、国営中央駅のシステム防御だって充分に強固である。そのセキュリティを易々と突破したケイネスという女科学者は、やはりただ者ではないと再認した。
それだけではない。
堂桜財閥の中枢頭脳と位置づけされている堂桜那々呼には、世話係も兼ねているルシア・A・吹雪野を隊長とした精鋭部隊【ブラッディ・キャット】が、アパートの同居人として護衛についている。
あらかじめルシアのタイムスケジュールを把握していたケイネスは、ルシアの不在時を突いて、他の隊員を無力化する方法と作戦を優樹に与えた。
二度目の来訪――客人としてアパートを訪れた優樹は、那々呼の部屋には直接入らずに、ルシアの部屋で待つと意志表示した。
ルシアへ確認をとる、と返答した隊員を、ロイドが不意打ちで倒した。
そこから先の奇襲はまさに電撃作戦であった。
ケイネスが指摘した通りに、ルシア抜きの【ブラッディ・キャット】は想像以上に脆かった。
無力化の際に殺しはしなかったが、抵抗が激しかった者は軽傷に抑えられなかった。それだけが計算外であった。本当ならば全員軽傷で無力化したかった。
もうじき駅へ到着する。
このままではケイネスの思惑通りに、誘拐が成功してしまう。
「ねえ、ロイド。よくこんなんで今まで那々呼ちゃん、無事だったよね」
罪悪感を誤魔化すように、優樹はロイドに話し掛けた。
帰りのリニアライナーが来るのは、約十分後。そして優樹の右手で偽証パス可能な時間帯はその十分後からの三十分内で一回のみ。
ロイドがすまし顔で応えた。
「元々堂桜那々呼の存在自体が知られていませんでしたし、Dr.ケイネスの指摘が的を射ていたという事でしょう」
彼等【ブラッディ・キャット】は、自覚しない内にルシアに依存していた。
想定内の敵襲パターンについては、ルシア無しでもいかなる局面だろうと、プロとして対応できるように様々な訓練を重ねていた反面、ルシアの友人として一度顔を見せていた優樹に対しては無警戒に近かった。
想定外かつ未体験のパターンに対応が鈍かった。加えて、この地の護衛任務では、間違いなく初めての実戦であった。訓練と実戦の溝は、精鋭部隊にとっても決して小さくなかった。
全ての要因が優樹とロイドに味方した――その結果である。
「――見事な奇襲でした。そしてお礼を云わせて頂きます」
凛とした声音が、優樹の思考を断ち切った。
駅に着くまでの一本道。
すぐ其処に駅が見えている中で、道の中央にメイド姿の少女が立っている。
否、悠然と待ち構えていた。
一目見たら誰でも忘れられないだろう、人間離れした圧倒的な造形美を誇る少女だ。
優樹は笑顔を作ったつもりだったが、頬はひくついていた。
頬に一筋の汗が伝う。
「やっぱり、そう上手くはいかないよね」
「どうやら優秀なブレーンが作戦立案した模様ですね。大胆かつ美しい手際に感心しました。未熟な部下達の油断と隙を突いてくださいましたね。お陰で本当に貴重な実戦経験を得られました。今日の敗北と失策は、部下達にとって百の訓練よりも有益となるでしょう」
メイド少女は深々と一礼した。
顔をあげる。端正な人形めいた美貌は、緊急時にあっても普段とまるで変わっていない。
ルシア・A・吹雪野――堂桜那々呼の守護者にして、飼い主。
そしてケイネスからのデータによると、最強候補の一角に名を連ねる戦闘系魔術師だ。
「では……、ネコを返してもらいましょう」
冷徹な口調で言い終わると同時に、ルシアの両手にはそれぞれバターナイフとペーパーナイフが手品のように出現していた。
パキパキパキぃィ……、――ン。
彼女の周囲の温度が一気に下がり、急激に水分を失った空気が軋む。
小振りなナイフを核として、氷の刃を纏った透明なコンバットナイフが創造された。
歩幅が広がり、スカートの裾が舞った。
二対の氷刃を肩口で交差させ、半身に構えたルシアへ、優樹は揺れる声で告げる。
「悪いけど、ボクにも引けないワケがあるんだよ……ッ!!」
優樹は己の【魔導機術】を立ち上げた。
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…
学校の昼休みを過ぎても、統護は胡乱としたままであった。
授業内容どころか、食べた弁当の内容も覚えていない。
何度か史基が話し掛けてきたが、上の空で「ああ」と返事するだけであった。
美弥子の資料運びを手伝っている時でも、頭の中はたった一人の事で占められていた。
(……優樹)
優樹はどうしているのだろうか。
予想どおりに優樹は欠席していた。そして明日も、明後日も欠席するだろう。
彼女の事情は、淡雪から説明を受けた。
想像を超えていて、ただ絶句するしかない。そのショックから立ち直ると、憤った。
比良栄に乗り込んで優樹を救う、と主張した統護を、淡雪は悲しげに否定した。
『お気持ちは分かります。しかし比良栄家の事情に堂桜である私達が首を突っ込んでも、ますます優樹さんが追い込まれます。優樹さんもそれを望んでいないからこそ、お兄様から去ったのでしょう』
今の統護では、例の【パワードスーツ】についての調査には足手まといだと、淡雪は登校を勧めて、一人で横須賀の在住米軍基地へ向かった。
米軍【暗部】と呼ばれる組織と昨日アポイントがとれたので、本日、非公式に面会するのだ。
上手く事が運べば、顔写真すら記録されていないDr.ケイネスなる女科学者の素性を探り入れ、かつ今回のテロ事件から【HEH】を切り離せるかもしれないとの見通しだ。
妹に重荷を背負わせ、不抜けている自分が情けない。
これからどうするべきか。
やはり後を追って止めるべきだった。
ルシアに頼んで、無理にでも優樹の居場所を追跡してもらうべきか。
「……だけど」
逢って、その先、いったい彼女に何を言えばいい?
そもそも彼女は自分の元から離れて、何をしようとしているのだ? ケイネスと敵対するにしても、どういったカタチで? まさか直接闘うつもりなのか。無茶だけはしないで欲しい。
どうか無事でいて欲しい。
なによりも――どうすれば彼女を救えるのだ。
頭の中は、その事で一杯であった。
優樹の笑顔と優季の笑顔が重なり、一つになった。
(なぁ。教えてくれよ、優季)
この異世界でのお前がピンチなんだよ。
俺、もうお前を喪いたくないんだ。
守りたいんだよ。
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