第三章 それぞれの選択 10 ―統護VS黎八―
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10
黎八が迫ってくる。
威嚇するように、ゆっくりと大きな歩幅で近寄ってくる。
統護の心は大きく揺らいでいた。このまま闘いに応じるべきか、否か。
ぴりりりり。
デフォルト設定のままの味気ない着信音。統護は縋り付くようにポケットのスマートフォンを取り出した。
メールの送信主は、淡雪とアリーシアだ。
黎八が足を止めた。
「どうした? メールか。確認くらいは待ってやる。気もそぞろではボクも不本意だ」
「お言葉に甘えるよ」
統護はスマートフォンの四インチ画面を確認した。【DVIS】内蔵型ならば、内容を網膜投影したり、脳内に展開した電脳空間に表示させる事さえ可能だ。しかし統護の機種は魔術的な機能を備えていなく、元の世界にあったケスマートフォンと同じように扱える。
統護の目に入ってきた明朝体でのテキストは――
[ 何があったのかは分かりませんが、お兄様はお兄様です ]
[ 自分を信じて。そして自分の為に必要ならば戦って。私も戦うから ]
自然に、統護の頬が緩んだ。
そして――迷いは吹っ切れた。
特にアリーシアからのコメントが利いた。彼女の早朝特訓を眺めていた時、自分も強くなる必要があると感じていた。その気持ちを思い出した。
アリーシアは自分の運命と闘う。
それを自分と淡雪は護ると心に決めた。堂桜の人間だからではなく、友達として。
「だったら……俺もこんな場所で逃げている場合じゃないよな、堂桜統護」
前哨戦ですらない闘いで、負けるわけにもいかない。
最後まで戦うしか、責任を果たす手段はないのだから。
黎八は微かに笑んだ。
「いい顔、いい目になったじゃないか。まるで――本物の統護のように」
本物、という言葉が途端に陳腐に聞こえた。
偽物、という自虐も馬鹿馬鹿しい。
両拳を肩口に構えた統護は、迷わずに先手をとる。
その場に突風を発生させる急加速で、黎八の眼前まで低い姿勢で飛び込んだ。
ボクシングのステップインである。
狭い廊下がステージだ。左右の動きは制限されるので、前後の動きのみでの勝負になる。
左肩のモーションでフェイント。
黎八は反応できていない。ならば、このまま牽制なしで強打――右フックをたたき込める。
ゴォン! という震動が黎八を襲う。
統護の右拳が――黎八の鼻先でストップしていた。
「危なかった。想定はしていたが、ここまで迅いとは」
黎八の右掌が統護を照準していた。
この変哲のない右手の平が黎八の【基本形態】だという。見た目は普通の右手に過ぎない。
余裕なのか黎八は左目をウィンクしている。これは彼の癖らしい。
「なるほど、な」
張り付いたまま動かない右拳。
【結界】ならばありえない。魔力が込められていない物理衝撃ならば、自律的にストップできる反面、魔力が込められているモノ――特に高い魔力を秘めている魔術師の肉体攻撃は、自動でストップできないからだ。また人間大の物体を自動で止めてしまうパラメータ設定だと、逆に動けるモノが制限されすぎて戦闘に不向きになる。
ゆえに、この不可解な魔術現象は【結界】だとしても、かなり局所的かつ、特殊な代物だ。
曰く――
東雲黎八の【魔導機術】の前には、全ての攻撃(ベクトル)が停止してしまう。
打撃技だけではなく、魔術攻撃すら。つまり『魔術ベクトル』と『物理ベクトル』、双方の異なるベクトルを一つの【基本形態】で対応している。
それも【結界】とは異なる右手に宿した不可視の【基本形態】で。
不可解なのは、不可視にも関わらずに、魔術攻撃と物理攻撃の両方に対応可能という点であった。両方止めたければ、防御魔術として使用エレメントが可視できるのが通常だ。
単一魔術や派生魔術のみならず【基本形態】も含めて、魔術効果としての魔術幻像はその為に『物理を超えたパワーヴィジョン』として顕現させられているのだから。
「お前を試そうか」
黎八は己の左拳を統護の腹に添えて微かに押すと、素早く腰だめに引く。
ぼっ、という鈍い音をたてて、統護の腹が拳大にへこんだ。
「がは」と、統護は苦しげに息を吐いた。
予想外の攻撃だ。効いた。
これでは防御技術もなにもない。鍛え上げている腹筋も通用しなかった。
「今まで隠していて済まなかったが、ボクが使用する近接格闘用の技術は、中国拳法の八極拳でね。今の一撃はいわゆる発勁という秘儀だ」
嘘だな――と、統護は断定した。
根拠は至極単純に、統護は過去の経験から『本物の』発勁を知っているからだ。
つまり――この一撃は、魔術による攻撃。
それも【ワード】を唱えなかった点からすると、【基本形態】の基本性能に違いない。
そして基本機能は魔術特性の発露であり、使用エレメントを指し示すケースが大半である。
加えて発勁だと嘘をついた。
(しかも左手だもんな。使用エレメントが分かったぜ。ま、想像通りってところか)
確かに、このやり方ならば、仮に超次元の電脳世界を展開していても、拳を密着してからのパンチによる発現なので、魔術オペレーション反応も誤魔化せるかもしれない。数度しか通用しないだろうが。
統護は不敵に笑んだ。ニィ、と頬が釣り上がり気味になる。
憎み合っての戦闘ではない。だからなのか、少しばかりの楽しささえ覚える――
密着したまま統護は左拳をフックで放つ。
読んでいたのか、スリッピングで黎八は躱し、カウンターの左ショートを統護に当てた。
ゴォキ! 効かされた。思いの外、いいパンチだった。
不可視の壁に張り付いたかのような右拳を支点に、統護の身体がよろける。
「不自然な体勢での手打ち、とは。苦し紛れだな。やはりお前は本物の統護では――」
「いやいや。だいたい手品のタネは理解した」
予想外の左フックには、普通にディフェンスするしかなかった――と、確認できた。カウンターで誤魔化したつもりだろうが、せめてアクセル6のキックの様には弾き返す余裕があれば。
「なに。手品のタネ、だと」
黎八の戦闘データはほとんど存在していない。彼は専守防衛で必要最低限の防衛戦しか行わない為だ。しかし締里とアクセル6戦は、彼の魔術特性のかなりを記録していた。
ここから先は、真っ当な戦闘である必要はない。
インチキにはインチキで対抗する。
「――会長、アンタは嘘つきにも程があるぜ」
統護の右拳が停止している今も、黎八は左目をウィンクしたままだ。
試しに、右目に唾を吐く。
その唾は停止せずに、黎八の右目を直撃した。
その途端に、統護の右手に自由が、いや、正確には力感が戻る。
黎八は右目を――左手で拭う。咄嗟の動作だった。
致命的な失態を悟り、黎八はバックステップして統護から離れようとする。
「その右手が【基本形態】だというのもフェイクだろ」
今の動作で。もう看破した。
仮に右手に宿っている不可視の【基本形態】だとすれば、統護の右拳が自由になるはずがないのだから。
見破られた黎八のポーカーフェイスにヒビが入る。
統護は追い足を利かせると、一気に距離を詰めて、右拳をテイクバックした。
バレバレのテレフォン・パンチなのは意図しての事だ。
「アンタの【基本形態】は――両目だ」
統護のパンチが唸りをあげる。
拳撃に極大の魔力を込めた――《デヴァイスクラッシャー》と異名される一撃だ。
戦闘系魔術師による攻撃用の派生魔術ではないが、超高密度の魔力塊にも等しい統護の拳に対して、黎八は右目を瞑って左目で視た。
予想通りのリアクションだ。ウィンクが癖というのも大嘘なのだから。
黎八がベクトルを操作して支配下に置けるなど、ブラフ(ハッタリ)に過ぎない。
ベクトルという概念ではなく、単純にスカラー(量)を減少させていたのだ。
すなわち……
右目のコンタクトレンズ型【AMP】で『物理現象のスカラー』を。
左目のコンタクトレンズ型【AMP】で『魔術現象のスカラー』を。
そして、専用【DVIS】であるメガネを仮想ハブとして、二つを並列で仮接続しているのだ。本接続の切り替えスイッチがウィンクというわけである。
視認したモノのスカラーを限りなくゼロまで減少させて、無力化に抵抗しようとする相手の無意識の反発力を利用して、黎八の使用エレメントによる魔術特性で『一箇所に停止している』と錯覚させる――のが、彼のオリジナル魔術のカラクリだ。
黎八の魔力総量と意識容量では視認した極一部分しか『スカラー減衰』ができないが故の、ベクトル操作しているという方便だった。
締里の弾丸がスカラー減衰後に、空中に停止せずにそのまま地面に落下したのは、そういう理屈だったのである。
そして、それを可能とする黎八の使用エレメントは――【重力】。
単なる【重力】ではなくメガネ型【DVIS】と【基本形態】により、その魔術特性を反【重力】――すなわち【斥力】=反発力に反転させて魔術特性としているのだ。それを二つの専用【AMP】および仮想ハブ機能を持った専用【DVIS】で切り替える。
ゆえに、黎八は視界内の反発力を巧妙に操作できた。
まさに世界第一位の【AMP】メーカーの御曹司ゆえに可能なチートだ。
統護を穿った発勁モドキも、自身の拳から生じた反発力を利用した魔術攻撃であった。
右目が間に合わずにキックを弾いたのも、【斥力】を使用してのカウンターだ。最初にベクトル操作とギミックしていたので、ただのカウンターだと気が付かせなかった。
要するに限定範囲内での【斥力】の単純なコントロールと、視界内でのみ有効な二種類のコンタクトレンズ型【AMP】の機能を併用して『ベクトルを支配・制御できる』と相手に錯覚させて、精神的に優位に立つ戦術だ。肝要なのは、両目の使い分けとハッタリだ。
(カラクリがバレちまったら、単なるつまらない手品に等しいけどなぁ!!)
これで終わりだ。
ピシィ――
統護の《デヴァイスクラッシャー》が、『魔術現象のスカラー』減少効果を破壊――と、同時に黎八の左目コンタクトレンズに、亀裂が走った。
実のところ単に【DVIS】を破壊してしまうのではなく、この異世界の魔術現象そのものを破壊できてしまう。特に【基本形態】に用いられる魔術幻像や【結界】といった固定現象に有効だ。逆に、攻撃魔術による魔術的物理現象には効果が間に合わないケースが多い。
「なんだと!?」
不可視の『スカラー減少効果』を破壊すると、統護は反対に魔力を引っ込めて『純粋な物理攻撃』となった右フックを見舞った。このストロークを稼ぐためのテレフォン・パンチだった。
物理現象のスカラー用の右目は間に合わない。
黎八の【斥力】によるカウンターも同様である。
ゴシャァッ!!
その一発で黎八は真横にあったドアを突き破り、無人の教室へと豪快に転がり込む。
バウンドと回転が終わって起き上がれない――ダウンだ。
「インチキに頼り過ぎたな」
通常の戦闘系魔術師であれば、【基本形態】を立ち上げている魔術戦闘時に自身の魔力を全カットするという真似は不可能だが、魔術を使えない統護にはそれができる、という何の捻りもないオチであった。
「いくら大手【AMP】メーカーの御曹司だからってチート(ずる)が過ぎるぜ」
チート(反則)を使ったのはこちらも同じだけど、と心の中で舌を出す。
手加減は上手くいった。制止されそうになった時に、力加減をする余裕が生まれた。
殺してはいない――はずだ。
統護は教室に入り様子を確認した。
黎八は、整然となっていたはずの机と椅子を派手にまき散らし、その中央で倒れている。
大の字だ。
「ボクの負けか」
意識を失っていなかった黎八は、首から上だけを動かし、統護の方を向く。
「まあ、ボクの戦い方は勝つのではなく、相手を諦めさせる、だしな」
「これで納得してくれ、とはいわないよ」
「本当にお前は何者なんだ。以前の堂桜統護ならば、絶対にそんな台詞はいわない」
息を吸ってから、統護は堂々と答えた。
「俺は――堂桜統護だよ。偽物っていうんだったら、俺にとっては以前の俺が偽物だ」
言ってから、統護は首を横に振った。
「いや。過去を否定しない。どっちも俺だ。だから本物も偽物もないよ」
黎八は満足げに瞼をおろし、天井を向いた。
その口元には――笑みが浮かぶ。
「そうか。ならば彼女もきっと同じ事を言うのだろうな」
その言葉の意味を統護は理解できなかったが、きっとこの言葉の為に自分に闘いを挑んだのだと直感した。
黎八はやはり自分を見ていない。だから――
「唐突で悪いんだけど、黎八。改めて頼む。俺と……友達になってくれないか」
自分を見てもらおう、と手を差し伸べる。
無視されるかも、と思うと統護の心臓がバクバク暴れる。あの日の彼も、こんな風に緊張したのだろうか。そしてあの日の堂桜統護は……
「――ふ。無理して以前のように喋らなくいい。ボクの事も会長でいい」
差し出された手に引かれながら、黎八は起き上がった。
そして鉄面皮のまま答える。
「それから友人云々というのならば、とっくにボク達は友人だ」
「会長……」
統護は涙が浮かびそうになった。
「何も言えない事情があるのだろう。こんな形で試して、本当に済まなかった」
「いえ。俺の方こそ。話せる時がきたら、ちゃんと打ち明けます」
和解は成立し、改めての友情が始まった。
統護は元の世界の黎八に呼び掛ける。
ありがとうございました。
それから元の世界の会長も勝手に友達認定しちゃってます。……いいですよね?
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