プロローグ(前) 隠れ姫
スポンサーリンク
――学校の屋上は戦禍に飲み込まれていた。
「そ、そんな……」
絶望の呻き。声は酷く掠れていた。
学園といえば平和の象徴。
平和な日常から戦乱の渦中に放り込まれた赤髪の少女は、倒れ伏したまま動かない中等部の制服を着ている少女――堂桜淡雪の無残な姿に、愕然となっている。
裏切り、なんて信じたくない。
しかし現実として淡雪は背後から撃たれた。悲鳴をあげたが、残酷な現実は変わらない。
淡雪の死という最悪の結末が、彼女の脳裏にこびりつく。
絶体絶命――状況は他人の心配を許さない程に逼迫している。
複数の敵が、少女を囲い込む。
彼女を殺せ、という命令を下されている裏社会のプロフェッショナル達だ。
護衛者(ガーディアン)である淡雪は、自分の為に戦ってくれた。
淡雪はまだ中学生であるが超一流の魔術師だ。それも戦闘に特化したオリジナル魔術を開発して行使可能な戦闘系魔術師――【ソーサラー】である。そんな淡雪でも、この厳しい局面に対しては、抗いきれなかった。
淡雪だけではなく少女自身も共に戦った。
彼女とて、魔術の名門【聖イビリアル学園】高等部の魔導科二年に在籍している、戦闘系魔術師の卵なのである。
だが、少女が戦う為の魔術も、右手首にあるリング状の機器――【DVIS】が機能停止した事により失われている。
【DVIS】に供給する魔力のみならず、体力も枯渇していた。残るは微かな気力、そして意地とプライドだけ……
最悪の状況に、勝ち気で強気、それがアクセントとなる気品ある美しい容姿が、絶望により苦しげに歪んでいた。
刺客達はクローン体と見紛う程に酷似している。似たような屈強な体格に似たような短髪のヘアスタイル、ゴーグル型サングラスに、特徴のない目鼻立ちに、統一された黒色のビジネススーツ。整形して揃えているといわれても信じる程だ。
服装は一見してビジネススーツに擬態しているが、その裏生地には様々なプロテクターと強化外層骨格(ムーバルフレーム)や電磁式補助人工筋肉(ハイパワーマッスル)等が組み込まれている魔導用戦闘装束――通称・【黒服】だ。
軍事用ではなく、主に裏社会で流通している【黒服】の正式商品名は《リバーシブル・マジック・スーツ》であるが、ほとんどの者はシンプルに【黒服】としか呼ばない。
【黒服】を纏う彼等は、裏社会で【ブラック・メンズ】と総称される戦闘系魔術師である。
赤髪の少女に正対した【ブラック・メンズ】達の一人が、ビジネスライクに告げる。
「我らの情報網を甘く見過ぎです。《インビジブル・プリンセス》」
「くっ」と、プリンセスと呼ばれた少女は歯噛みした。
屋上は、敵方の魔術――【結界】で覆われていた。
魔導用語としての【結界】とは、仏教用語としてのソレとは異なり、限定世界を区切る檻だ。この場の【ブラック・メンズ】全員によって施術されている共同魔術――【雷】系エレメントによる巨大なドーム状の檻が顕現しているのだ。
黄金に輝く隔壁によって、屋上は何人たりとも踏み込めない異界になっている。
魔術による現象は、物理攻撃では破れない。より強度の高い魔術でしか対抗できないのだ。
すなわち魔術現象は全ての物理現象よりも上位といえる。
障壁系は尚のこと通常兵器では歯が立たない。それが魔術戦闘の優位性なのだ。
「さあ、潔く覚悟を決めて下さい。――《隠れ姫》よ」
刺客の【ブラック・メンズ】は五人。いや、五体と呼ぶべきか。
魔力が枯渇し、【DVIS】が停止している少女には、万に一つの勝ち目すらない。
絶望
少女は泣き叫びたい衝動を辛うじて抑え込む。泣くのは負けだ。ファン王国の第一王女としての誇りではなく、純粋に一個人としての大切な誇りであった。
キィィィイイイイイイン!
そこに救いの手――攻撃魔術の光が三条。
ダイヤモンドと見紛うばかりの美しい輝きだ。
倒れ伏していた黒髪の少女――淡雪による攻撃魔術が煌めいた。
だが、淡雪の魔術は【ブラック・メンズ】の一人に直撃しても、ダメージを与える事は叶わなかった。疑似ビジネススーツの耐魔性能は、現状で世界一という強固さである。
その魔術で力尽きた淡雪は、今度こそ完全に意識を閉じた。
淡雪が生きていた事に、少女は安堵する。
そこへ冷たい声。
「他愛ないな。堂桜財閥の次期当主候補筆頭といえど、やはり中学生の子供か」
「堂桜一族で若手最強と聞いていたが、所詮は実戦ではなく訓練での評価だったな」
「俺達の前には、この程度だったという事だ」
少女の前に立つ【ブラック・メンズ】が、右手を差し出した姿勢のまま突っ伏し、微動だにしない淡雪を一瞥し、つまらなげに吐き捨てた。
侮蔑が悔しい――という感情よりも、他の感情が少女の先に立つ。
(もう、いいわ)
赤髪の少女は覚悟を決めた。
諦めともいえる。己が身と引き替えにして、淡雪を助けてもらおうと。
ファン王国を継ぐ、という決意を翻意して大人しく投降すれば、命だけは助けてもらえるかもしれない。やはり姫などではなく、身寄りのない高校二年生の孤児が本来の自分なのだ。
できれば帰りたい。平和だった元の日常へ。
少女は優しい声で淡雪に囁く。
聞こえていなくても、構わない。感謝の気持ちだけは……
「ありがとう淡雪。もう充分に助けてもらったから。貴女達に救われたから」
だから、もういい。
もう、自分はどうなってもいい。悔いはない。これで――幕を引こう。
その時であった。
キュゴォゴゥ!!
破壊音だ。何者かが強引に【結界】の障壁を突き破って、屋上の中に入り込んできた。
しかも拳で破壊という規格外。
対【結界】用の攻撃魔術を纏ったパンチでもない。魔力を込めた単なる拳撃だ。
常識ではありえない、パンチによる【結界】の突破。
いかなる物理現象よりも上位に作用する魔術的な防御効果を、たった一人の少年が、単純に魔力を込めた拳のみで打ち破る――など異常に過ぎる。
それも破壊したのは一流のプロ五名による『魔術強度・魔術密度』共に最高レヴェルの、いわば絶対的ともいえる障壁なのだ。
しかも本来ならば魔力そのものは、物理現象的に何の影響を及ぼさない生命エネルギーに過ぎない。【DVIS】に魔力を注ぎ、【魔導機術】システムを介してコンパイルした魔術プログラムを実行して、はじめて魔力は魔術(=物理現象のエミュレート)の源たり得るのだ。
彼は少女と淡雪の前に着地を決める。
刺客達が闖入者に色めき立ち、改めて戦闘態勢の陣形を整えた。
しなやかな彼の挙措が、彼等に警鐘を鳴らしていた。只者ではない、と。
「誰だ?」
「あ、貴方は……ッ!」
姿を現した、見慣れたグレーを基調とした詰め襟姿の少年に、少女は両目を見開く。
彼は同じ学校のクラスメートである。
赤く日に焼けた部分から生来の黒へとグラデーションが掛かっている髪。中肉中背の平均的なシルエット。攻撃的とはいえ目鼻立ちは美形なのに、顔の印象は不思議と凡庸だ。
少年の名は――堂桜統護。
淡雪の兄であり堂桜財閥の御曹司であり、そして少女の密かな想い人だ。
こんな状況であるというのに、少女の頬が朱に染まった。
統護は微かに目尻を下げて言った。
「待たせたな。助けにきたぜ、お姫様」
「どうして、どうやって此処に?」
少女は驚愕に目を見張る。
その問いには答えずに、表情を引き締めた統護は刺客達を冷徹な瞳で観察していた。
視線が倒れたまま沈黙している妹を通り過ぎた時、僅かに不快げに揺らぐ。
ちっ、という彼らしくない舌打ちを、少女は耳にする。
【黒服】達が一斉に統護へ殺到した。
注記)なお、このページ内に記載されているテキストや画像を、複製および無断転載する事を禁止させて頂きます。紹介記事やレビュー等における引用のみ許可です。
本作品は、暴力・虐め・性犯罪・殺人・不正行為・不義不貞・未成年の喫煙と飲酒といった反社会的行為、および非人道的、非倫理思想を推奨するものではありません。また、本作品に登場する人物・団体などは現実とは無関係のフィクションです。