第一章 何でも屋の少女、再び 3 ―ゴング―
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3
胸を撫で下ろすオルタナティヴ。杞憂だった。
この場に呼んだのは、五百万円の言質の為ではなく、やはりスパーリングの為である。
みみ架は深々と嘆息した。オルタナティヴが読唇すると「ああ、面倒。時間の無駄」と小声で愚痴を溢している。いかにも委員長らしい、とオルタナティヴは苦笑した。
みみ架は弦斎を不満たっぷりの半白眼で睨んだ。
「お祖父ちゃんの所為で、スパーリング料が五百万円からタダに格下げじゃないの」
「つべこべ言うでない。オルタさんはあの《神声のセイレーン》とも渡り合った方じゃろうが。みみ架にとってもいい経験となるじゃろうて」
「はいはい。やればいいんでしょ、やれば。ったく」
オルタナティヴは弦斎にウィンクを添えて礼を言った。
「ありがとう、お爺さん。せめても恩返しに、アタシの練習だけじゃなくて、お孫さんの経験にもなってみせるわ」
みみ架は二房のおさげを解くと、うなじの後ろで一本のおさげに編み直していく。
学園制服姿も相成って、図書室の窓際が似合う文学少女といった容貌。流行やお洒落に興味がなく、意図して飾り立てていないが、純粋に造形美だけを評価するとまさに絶世だ。オルタナティヴが知る限りでは、比肩する美貌は《アイスドール》と異名されているルシア・A・吹雪野と名乗る偽装メイドくらいか。自分は勿論、最愛の妹――淡雪でさえも、みみ架とルシアの絶美を前にすると、世間から抜群の美と褒められている容姿が、凡庸まで霞んでしまう。
しかし、その地味目の大人しい姿は、オルタナティヴが望んでいるモノではない。
素朴な文学少女が、みみ架の仮初めだと知っているから。
(起こしてみせるわ、眠っている本性を、ね)
決意を胸に、オルタナティヴがリングに上がろうとすると、弦斎が止めた。
「待つのじゃ! その格好じゃとスパーリングには相応しくない。みみ架から連絡を受けて、スパーリング用の衣装を用意しておいた。これに着替えるがよい」
弦斎は差し出した。
――布地面積が極めて少ない、黒のビキニを。
そのビキニを目にして、みみ架の顔面が引き攣っていく。額には血管が浮かんだ。
一拍だけ間を置き、オルタナティヴはクールな笑顔を演出する。
「ありがとう。お気持ちだけは受け取っておくわ。でも、冗談としてはアタシの好みには合致しなかったのが残念ね。笑ってあげられなくてご免なさい」
弦斎は無念そうにビキニを引っ込めた。
可愛く舌を出して愛嬌たっぷりに小首を傾げる。
「そ、そ、そうじゃったか。受けなかったかぁ。ギャグの波長が合わずに、爺ちゃん、ちょっとガッカリ! 渾身のギャグじゃったが、これも世代の違いかのぅ、てへ♪」
がしぃ。めきめきめきめきぃ。
みみ架が弦斎の頭部を鷲掴みにして、アイアンクローで締め上げ始めた。
「なにギャグって事にして誤魔化そうとしてるのよ、こンのクソジジイ……ッ!!」
「い、痛い! 痛い!! 頭蓋が割れるぞい!」
「大体、用意するにしても時間がないでしょうが。しかも新品じゃないし。そのマイクロビキニ、いったい何に使っているのかしら? 返答次第によっては――」
「ま、待って! ちょっとだけ待っておくれ、みみ架!! そ、そうじゃあぁぁああ!! 思い付いた! みみ架へのプレゼントじゃったのじゃよ! 本当じゃ!」
「思い付いたとか叫ぶ時点で、嘘丸出しでしょうが!!」
めきめきめき、ぎしぃッ!!
「割れる、割れる、頭割れるぅぅううう!」
「どう考えても、若い門下生に着せているしかないでしょうに。まさかセクハラとかパワハラとかやってないでしょうね!?」
「し、失敬な! ちゃんと合意の上で、モデルとしてのバイト代だって弾んでおる!! 撮影した写真や動画だって個人的にしか楽しんでおらんぞ!! 信じるのじゃ、てか、信じて!」
「本当に?」
「いや、その、婿殿にも、ちょっとだけ横流ししたが……」
ぎしぎしぎシ、めギぃィ!!
「やめてワシに八つ当たりしないでェ!! 悪いのは婿殿なのじゃぁぁあああああっ!!」
あまりのアホらしさに、オルタナティヴは帰りたくなった。
凄く仲がいいよね、と笑顔で言う里央の感性にも、悪いが同意できない。
弦斎の全身が痙攣し始めたところで、ロイドが渋々と仲裁に入った。
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…
そして――リング上には、スパーリング用衣装に身を包んだ二人がいる。
プロレス用のリングコスチュームというよりは、レスリングの試合で使う全身スパッツに近い、身体にフィットした代物である。これは道場特注品のトレーニングスーツだ。
下着が不必要で、アンダーウェアが胸と下腹部を適度に締め付けている。その上に各関節を保護するサポーター付きのメインスーツを着込む――という二重構造だ。
みみ架とオルタナティヴ、双方のスタイルの良さが殊更に強調されている。
デザインの違いは、肌が露出している部分のカッティングくらいなものだろう。基調は、オルタナティヴが黒と赤。みみ架が紫と金色だ。
リングシューズに、グローブはMMA用のオープンフィンガー型を着用していた。
ロイドは対峙した二人の少女を見て、ふと思う。
オルタナティヴ対みみ架。
これは近接格闘戦に限定するのならば、世界最強の女を決める黄金カードなのでは、と。
事実、過日の対抗戦での対戦カードと比べても、全く見劣りしない組み合わせだ。
セコンドは、みみ架には(全く役に立たないが)里央が付いている。
そしてオルタナティヴが弦斎とロイドとなっていた。
弦斎が声を掛ける。
「そのトレーニングスーツとは別の新品を入門記念としてプレゼントするぞい。そのスーツは終わったらそのまま返してくれればよいからの」
「ちゃんとクリーニングして返すわ」
「洗濯など不要じゃ。若者が変に気を遣うでない」
「委員長、悪けれどファ●リーズ持っていたら、後で貸して貰えるかしら。衣類の消臭・殺菌剤だったら別にファブ●ーズじゃなくても構わないけれど」
「どうしてそんな意地悪いうのじゃ!? ワシ、超悲しいっ!」
煩悩を隠そうともしない祖父に、みみ架は深々と嘆息した。
「あまり孫のわたしに恥をかかせないで、お祖父ちゃん。じゃあ、時間が勿体ないから、始めさせてもらうけれど、三分八ラウンドくらいでいいかしら?」
オルタナティヴは表情を改めた。
「ええ。で、ルールは打撃オンリー?」
「別に標準的なMMAルールで構わないわ。ただしわたしは両拳しか使わない。それも裏拳なしのボクシングルールでいく。わたしまでMMAルールでやると練習にならないでしょうしね。貴女の技量はセイレーン戦の映像で把握しているつもり。適切に手加減してあげる」
これは試合や実戦ではなく、あくまでスパーリング。
勝敗ではなく、互いにテーマを決めて行う実践形式のトレーニングなのだ。
みみ架の言葉に、オルタナティヴが言い返す。
「別に委員長が拳しか使わない――のは構わないわ。ならばアタシも拳のみでいく、単にそれだけだから。課題ならばルールを限定した方が分かり易いし」
「あ、そ。好きにしなさい。別にどうでもいいわ」
(どうでもいい……か)
余裕を通り越して全くやる気のみえないみみ架に、オルタナティヴは微かに苛立つ。
自分は拳しか使わないが、相手が蹴りを使うのは構わない。
自分は格闘技しか使わないが、相手が武器を使うのは構わない。
自分は戦闘用魔術を使わないが、相手が戦闘用魔術を使うのは構わない。
けれど――その逆は酷く癪に障る。
ハッキリと不愉快だ。
相手があえて拳しか使わないのに、自分が拳以外を使うのは、本当に心底からの屈辱だ。
条件(ルール)によって勝敗が変わるのは真理だろう。
けれど拳と拳の戦闘で敗ける事を、他条件での勝利で濯ぐ事に意味はない。
それはむしろ恥ずべき行為とオルタナティヴは考える。
相手が格上だと理解はしていた。だからこそ舐められるのは――許せないのだ。許せないのは、自分を舐めたみみ架ではなく、現時点で格下扱いに甘んじるしかない自分自身。
相手は【不破鳳凰流】継承者――不足はない。いや、現時点でのみみ架は、まだ累丘みみ架のままで黒鳳凰みみ架とは違う。自分が手合わせしたいのは、黒鳳凰みみ架である。
(だから、まずは……)
ゴングを鳴らしてと、里央に目配せした。
カァン!
デジタル時計の表示が『00:03:00』を割る。
第一ラウンド開始のゴングと同時に、オルタナティヴは飛び出した。
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