第一章 何でも屋の少女、再び 4 ―オルタナティヴVSみみ架①―
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4
ゴングが鳴った。
通常ならば、礼儀として、まず最初にリング中央まで歩み寄ってから、グローブタッチを交わす。試合ではなくスパーリングなのだから、尚更だ。
だが、オルタナティヴはそれを無視した。
ゴングと同時に、自コーナーから対角線上にある相手コーナーへと猛ダッシュする。
一瞬で間を詰めて、みみ架に肉薄した。
その瞬間移動めいたスピードに、ゴングを鳴らしてみみ架サイドのコーナーに戻ろうとした里央が目を丸くする。ゴングの為に視線を切った刹那に、何が起こったのか理解できない――という驚愕の表情だ。
そして、みみ架もコーナーポストに向き合ったままである。
オルタナティヴに背中を向けている。リング中央に移動するどころか、振り返る時間さえも与えなかった。スクラブルによる奇襲、いや強襲だ。
(油断したわね)
背中越しに、みみ架はオルタナティヴを視認した。その目は冷静さを保っている。
その視線を確認し、オルタナティヴは左足のステップインの位置と肩の動きで、左ボディフックを打つ――というフェイントを入れた。みみ架の左腕が下がり、ボディをカバーする。
下への意識付けに成功。だが、本命は――
後頭部および背面への攻撃は、互いにボクシング・ルールを課した現状では反則になる。よって両者の位置関係から、みみ架はオルタナティヴに正対する為に、身体ごとのターンを強いられる。
オルタナティヴの本命は、ボディではなく、振り返り際を狙った顔面。
みみ架が振り返る。そこへ顎先を狙った右ショートフックを引っかけにいく。
しかし、みみ架のターンが半分で停止して、そこから頭部が沈んだ。
ダッキングしたのならば、半身になっている相手のボディに、左フックをねじ込むのみ。
けれども、みみ架はダックで屈むのではなく、スウェーバックで反り返っていた。
フォウっ! 天井を向いたみみ架の鼻先を、オルタナティヴの右が虚しく滑る。
みみ架はスウェーした勢いを殺さずに起き上がる反動を利用する。そのままバックステップを駆使し、するりとオルタナティヴの右側を鮮やかに旋回。あっさりと自コーナーから脱出してしまう。
今度はオルタナティヴが背中を向けている格好だ。
慌てて振り返り、みみ架を追うが、カウンター気味に左ジャブを二発、綺麗にもらった。
(油断したわ。いえ、浅はかだった)
みみ架はボクサーではないのだ。背面からの攻撃を想定していないはずがない。
――改めて、リング中央で二人の少女が相対する。
構えは両者共に、右利き用のオーソドックス・スタイルだ。
礼儀破りの奇襲に対し、みみ架は文句を言わない。
それどころか「つまらない小細工」と、その表情が云っている。
もう奇を衒うのは止めだ。スクランブルは、最初から挨拶代わりのつもりだった。
みみ架は「セイレーン戦の映像で技量を見切っている」と言った。しかし、映像を観ているのは相手だけではない。オルタナティヴも対抗戦で配信されている映像から、みみ架の研究くらいはしている。こちらも分析済みのつもりだ。
真っ向勝負にいく。オルタナティヴは最速の拳――左ジャブを放った。
最も無駄がなく、かつ最もコンパクトなパンチ。
物理的なハンドスピードならば、オルタナティヴが上回る。彼女の肉体は、かつての存在を棄ててこの身を手に入れた時に、異世界転生した統護と同様に超人化しているのだ。
ヒュ、ゴォ。オルタナティヴのジャブが空を斬る。
みみ架がヘッドスリップで躱した。
予備動作を極限まで削ったフォームにより、オルタナティヴは左拳を即座に元の位置に再セットした。左ジャブをダブルでもっていく。
そこへ――みみ架も相打ちのタイミングで左ジャブを被せてきた。
二人は同時にヘッドスリップ。
双方のジャブは相手を捉えない――が、みみ架のジャブがオルタナティヴの頬を掠めた。
(ちっ。こちらの方が手は迅いはずなのに)
右半身の姿勢から、二人の左ジャブが連打される。
交錯する二つの拳。
鋭く斬り裂かれる空気音。
共に最小限のヘッドスリップで躱しながらの、左ジャブの応酬となった。
左リードブローによる差し合いが、激しく火花を散らす。
初見だった統護とは違い、オルタナティヴはみみ架のボクシングをすでに見ている。統護よりも対応できる――と踏んでいたのに、思ったように左ジャブを打てない。
リズムを狂わされていた。
手数ならばオルタナティヴが倍近いというのに、純粋な拳速(ハンドスピード)では凌駕しているのに、みみ架のジャブが差し合いを制している。オルタナティヴは、いつしか左を返すので精一杯になっていた。
クリーンヒットが奪えない。
対して、正確に頭部を弾かれ始めている。
以前に手を合わせた龍鈴麗ともリードブローを競ったが、間違いなく鈴麗の左より、みみ架の左の方が上回っている。
(巧い……ッ! 実際に左を突き合うと、こうも差が出るなんて)
オルタナティヴは全てのパターンの左ジャブを惜しげなく駆使していた。
大別して八パターンのリードブローを持っている。
野球のピッチャーが同じスライダーやツーシームでも複数バリエーションで投げ分けるのと同様に、一つの打撃技でもバリエーションをもって使い分けるのだ。
だが――やはり差し合いで遅れをとる。
そして、拳一個分のリーチ差が途方もなく遠かった。
体格はほぼ同等とはいえ、身長・リーチ共に、みみ架に分がある。とはいえ、オルタナティヴは自身よりも高身長でリーチの長い相手を幾度となく相手にしてきた。
踏み込みのスピードとハンドスピードで射程距離の不足分を補い、更には相手の懐に潜り込んで相手のリーチを殺す事を当然として戦えていた。
しかし、この相手には、それが通じない。
左ジャブの巧みさのみならず、勝っているリーチを存分に生かされてしまっている。少しのリーチ差がここまでのハンデになる程、みみ架の技巧が優れている――という結果だ。
乾いた炸裂音が連なる。
みみ架の鋭く強烈なジャブをしこたま浴びて、オルタナティヴは思わず後退した。
突き放した相手を深追いせず、みみ架がオルタナティヴを評した。
「いい左ジャブね。持っているのは八パターンかしら?」
看破されていたか。
「そっちは十五パターンのジャブを持っている?」
「残念、ハズレ。正解は十九パターンよ。ちなみに堂桜くんは十二パターンね」
ギリ……ッ、とオルタナティヴは歯軋りした。
見切れていないパターンが四種類もあったとは。この結果も道理だ。そして堂桜統護と比較しても四パターンも少なかった。しかも三人の中で自分のリーチが一番短いときている。
カン、カン、カン、カン、カン!
短い間隔で鐘(ゴング)が五連した。ラウンド終了の合図だ。
ニホン国内でのルールだと、ラウンド開始がゴング一回。KO、TKO、負傷判定等での試合終了の合図が、やや長めの間隔でゴング三回となっている。むろん国によって違っている。開始となるゴング以外は、タイマー設定で鳴るようになっていた。
(もう三分? 結局、何もできなかった)
第一ラウンドはほぼ一方的な展開で終わってしまった。
インターバルは一分だ。
ぱぁん! やや強めに左同士でグローブタッチをした後、二人は自陣へと踵を返した。
コーナーに戻ったオルタナティヴは、ロイドが差し置いた丸椅子に腰掛ける。
セコンドの弦斎に言った。
「このラウンド、採点するなら10対9で委員長ね」
「ものの見事にレッスンをされたのう。オルタさんもセイレーンと戦った時よりも進歩しているが、みみ架もあの敗戦から一段と腕を上げておるな」
「いいレッスンだったわ。まだまだアタシのジャブは向上の余地がある」
「うむ。で、指示は必要かのぅ?」
オルタナティヴは首を横に振った。
ロイドが用意した瓶を手にして水を口に含む。うがいを終わらせて、バケツへと吐き出す。
後は洗ってもらったマウスピースを噛み直して、次のゴングを待つだけだ。
対角線上にいるみみ架を見る。
みみ架と里央の会話が聞こえてきた。
「ねえミミ。指示とかアドバイスは要るかな?」
「要らないわ。というか、黙っていて」
「ええぇ~~!? せっかく格闘技の勉強だってしているのにぃ。言いたい言いたい」
「ったく、五月蠅いわね。じゃあ言ってみなさいよ」
「えへへ♪ この場合だと『次のラウンドもその調子でいけ』かな」
「それアドバイスじゃないわ。単なる励ましよ」
うがいした水を里央が差し出したバケツに吐き、みみ架が丸椅子から腰を上げた。
同時に、第二ラウンド開始のゴングが鳴る。
「残りの七ラウンド。適当にあしらって終わらせる」
「頑張って、ミミ」
オルタナティヴも立ち上がると、自コーナーから出発した。
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