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引っ越し業者が運び込んでいた段ボールの山に、淡雪は小さく嘆息した。
ほとんどが梱包されたままである。
もう夜の八時。予定よりも到着が遅れたので、全ての荷解きは明日になりそうだ。
自分の荷物――『臥姫淡雪』とラベルが貼られている段ボールよりも、後見人でもある同居人の名前の方が多い。
(どう考えても納得がいきません)
淡雪の頬が微かに引き攣る。
外交官である父親と、父の秘書をしている母親は、此度の引っ越しには不在だ。
つまり両親が購入したこの4LDKの分譲マンションの家主は淡雪であり、同居人は淡雪の世話をする為に一部屋だけ間借りする店子といっていい関係だ。それなのに同居人の方が荷物が多いとは。
自室からリビングに入ってきた同居人が言った。
「とりあえず、TVとPCのセッティングだけでも済ませましょうか」
「情報ならスマートフォンで事足りるので、衣服の整理を先にした方がいいのでは?」
「ん? 衣服なら下着と、この外出着で問題ないじゃない?」
「見解の相違ですね。というか、私よりも多くの衣服を持ち込んだ貴女が言っていい台詞ではないと思うのですけれど、ミランダさん?」
同居人はニホン人ではない。ミランダ・エンフィールドというアメリア人だ。
血統は北欧系らしく、東洋人としては白い肌の淡雪よりも、さらに白磁の肌をしている。
金髪に碧眼という組み合わせは、黒髪黒瞳という淡雪とは対照的だ。
慎ましくも、どこか雅という『和』を体現したかのような淡雪は、中学三年生。
二十才のミランダは、飛び級で修士課程を終えて博士課程らしい。実年齢よりも年下に見られがちな東洋人とは違って、実年齢以上に大人びてみえる。
淡雪の嫌味に、ミランダは平然と訂正を入れた。
「衣服じゃないわ。荷物はほとんどが本とPCソフトとオモチャと研究資料よ。衣服は後で買い足せばいいだけじゃない。今夜にでもネットで注文するしね」
「研究資料はともかく、本は電子書籍で我慢してください。それにオモチャって……」
絶句する淡雪に構わずに、ミランダは自分でTVをセットした。セットといっても新品なので電波受信地域の指定とインターネットプロパイダへの登録のみであるが。
ミランダの自室用とは違い、六十インチを超えた大画面だ。
テストとしてニュース番組を流してみる。問題なくデータを受信した。
『……では、次のニュースに移ります。【堂桜エンジニアリング・グループ】が請け負っている横浜市近未来化再開発計画、通称《プロジェクト・バベル》の続報ですが』
原稿を読み上げる女性アナウンサーのバストアップから、横浜某所へと映像が切り替わる。
みなとみらい地区――広範囲にわたる工事現場だ。主に高層建築物の改装である。
TV画面を見つめる淡雪の目に、ミランダが問いかけた。
「ひょっとして、引っ越し先は中部ではなく横浜の方が良かったかしら?」
「いいえ。ニュースでやっている《プロジェクト・バベル》の施工区画が多く、色々と煩雑になっている横浜より、こちらの方が落ち着きます」
難点は尋常ではない暑さだ。
この中部地方は、沖縄を除けば、ニホンで最も夏が暑い地域といわれている。
「それに再出発するのならば、関東から離れた方がいいでしょう」
淡雪は記憶喪失である。
言語と生活に必要な知識、そして『臥姫淡雪』という名前以外の全記憶を無くしていた。
つい先日に遭った交通事故による頭部打撲が原因と聞かされている。
自分の経歴についても、映像データ付きで説明されたので、納得はしていた。
けれど現実感が今ひとつのままだ。両親と担当医と話し合った結果、退院した後、そのまま転校する運びとなったのである。
ミランダが言った。
「そう難しく考え込まないの。確かにご両親の仕事の都合もあって、記憶喪失の娘をほったらかしにしているように感じるかもしれないけれど、代わりにワタシがいるでしょう?」
「そうですね。父と母が多忙な中、これ以上の我が儘をいっている場合でもありませんし。これからもよろしくお願いします、ミランダさん」
新しい土地、新しい人間関係、そして新しい生活。
医師の説明によると、記憶が戻る可能性は充分にあるとの事だ。記憶が回復した暁に、関東に帰るか、このまま中部で暮らすかの選択をすればいい。今は新生活が第一である。
いつの間にか、TV画面はCMに移っていた。
ほとんどがメインスポンサーである堂桜関連のコマーシャルである。
淡雪はスマートフォンのタッチパネル画面を操作して、リビングの照度を調節した。
電子機器として使用したのではない。
通称・魔術――正式名称【魔導機術】による機能である。
地球や太陽系という認識とは別途で、この世界は【イグニアス】という名で包括されている。
そして現在の【イグニアス】世界は、社会システムおよび生活習慣の根幹として魔術が根付いている、いわば魔導世界なのだ。
その魔術を開発・発展・普及させているのが、ニュースで報じていた【堂桜エンジニアリング・グループ】であり、その技術的ノウハウと利権を一手にしているのが、創始者で経営一族である堂桜財閥なのである。
このニホンでは財閥制度が廃止されて久しいが、堂桜一族は事実上の財閥に等しい事から、一般的に堂桜財閥と呼称されていた。今では世界屈指の一大財閥だ。世界に対する発言力と影響力は企業や財閥といった枠組みを遙かに超えて、ニホンという国家やニホン政府よりも上位なのだ。国連や超大国であるアメリア合衆国でさえ容易に干渉できない程である。
この世界は、もはや堂桜財閥が提供する魔術なくして運営できないのだ。
その魔術――【魔導機術】は、堂桜一族以外には扱えない。他国や他企業がコピーしようと躍起になっているが、何一つ形になっていないのだ。国際レヴェルで圧力を掛けて、アメリアをはじめとした他の先進国が技術提携までこぎ着けても、単独で魔術の再現に成功した例はなく、結果、アメリアでさえ手が出せなくなり――堂桜一族のみが突出して台頭した。
ガードが堅いというよりも、規格外の大金を投じて研究者や技術者の引き抜きに成功しても、堂桜に在籍していた頃のような結果が出せないというのだから、お手上げ状態なのだ。そして彼等は引き抜き金額の倍額を提示した堂桜に出戻り、出戻りを許してくれた堂桜に更なる忠誠を誓うという有様だった。こと技術面に関しては、堂桜の完璧な一枚岩となっている。
ミランダが淡雪に訊いた。
「魔術の調子はどう? ちゃんと正常に使えるかしら」
淡雪は苦笑と共に答える。
「心配し過ぎですよ。事故の後遺症で【DVIS】とのアクセスが不安定だったのは事実ですけれど、もう大丈夫ですから。今だって問題なかったでしょう?」
「医者からは可能な限り魔術の使用は控えろ、と釘を刺されたままでしょう」
「それではリハビリになりません。第一、私は一般人で魔術師ではありません。魔術云々でそこまで心配する必要だってないと思います」
淡雪は魔術師ではない。
この世界では魔術師ではなくとも魔術が使える。それこそが堂桜財閥の最大の功績だ。
全てのヒトには生命エネルギーとは別に魔力が流れている。
しかし、魔力と〔精霊〕や〔神〕との法規による奇蹟――伝説上の存在とされる〔魔法〕はなかった。〔魔法使い〕――すなわち【ウィザード】は、あくまで空想の存在である。人類は長らく魔力を物理事象に変換する術を持たないままだった。人間に魔力が宿っている事自体は前時代から判明していたのにだ。
しかし堂桜一族により開発された【魔導機術】システムが歴史に登場して、人々は身に宿す魔力を活用する術を得たのである。法規ではなく技術によって。
「今だって【DVIS】に正常アクセスして魔力を流せましたし。大丈夫です」
淡雪は新品のスマートフォンを翳して見せた。
これは規格化されて一般販売されている代物である。単なるスマートフォンではなく、内部には【DVIS】という魔術に必須となる機能が組み込まれている。
いわゆる汎用【DVIS】だ。
一般人は、この汎用【DVIS】を起動用キーとして、施設に埋め込まれている施設用【DVIS】にアクセスする。アクセス後に魔力を流し込む事により、【DVIS】内のROMに保存されている魔術プログラムが自働で実行される仕組みなのだ。
実行される魔術は、規格化されている汎用魔術で、一般人にも制御可能だ。セーフティ機能も完璧に施されている。
こういった形式で起動させる魔術は【間接魔導】と定義されていて、一般人が使用可能なのは、この【間接魔導】に限定されているのだ。
対して、魔術師とカテゴリされる者達が使用する魔術は【直接魔導】と定義される。
彼等は一般人とは異なり、専用【DVIS】の所持・携帯を法的に許可されている者達だ。
専用【DVIS】のRAMには、各々の魔術師が開発したオリジナル魔術が書き込まれている。魔術師はそのオリジナル魔術を【魔導機術】システムとの高次元リンケージによって実行可能なのである。施設用【DVIS】を介さずに、自らを魔術の基点とするので【直接魔導】と呼ばれているというワケだ。
魔術師は一般人に比べると、圧倒的な魔力総量を誇る。
魔術プログラムを直接オペレーティングする為に必要となる意識容量もだ。
一般人が【間接魔導】を使用する場合、オペレーティングは【魔導機術】システム側による全自動となる。そして仮に使用者の魔力が不足している時は、畜魔力器(コンデンサ)から不足分を補充できるのだ。もちろん魔力の蓄積や送魔力の技術システムおよび事業についても、堂桜一族が独占しているのは言うまでもない。
淡雪がミランダに訊く。
「そういえば、ミランダさんは魔術師なのですか?」
知り合ってから確認していなかった。
大っぴらに魔術師だと喧伝する者もいるが、魔術師である事を秘匿する者もいる。
ミランダは意味ありげに、こう答えた。
「ワタシ? そうね、ワタシは『淡雪と同じ』と言っておきましょうか」
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…
此処は――アメリア合衆国でも最も有名な都市。
ネオ・ニューヨーク・シティだ。
この街に暮らす者はニューヨーカーと呼ばれ、世界中の多くの者から羨望を浴びている。
――倒されている男はニューヨーカーではなかった。
時刻は深夜。
場所は定番ともいえるビルとビルの隙間にある裏路地。
華々しいイメージがある街であるが、治安はニホン程には良くないのが現実である。
いや、治安や警察の働きに限定すれば、ニホンは世界最高の優秀さと形容して誇張ではない。
そして、倒されている男はニホン人男性だ。
一見して三十才前後だ。体格に恵まれており、世界基準でも屈強といえる。
「へえ。ニホンからの観光客だったのね」
彼を倒したのは、ニューヨーカーの女性である。
倒した男の懐からパスポートを確認し、そのまま戻した。次に財布を抜き出す。
チケットを発見した。入手困難なプラチナ・チケットだ。
「あら、ヤンクスのファンか。同じニホン人のピッチャーが目当てかしらね」
ニホンの広島という田舎に帰ってしまった侍ピッチャーの方が私は好きだったけれど、と小さく付け加える。彼のフロント・ドアとバック・ドアの切れ味はメジャー屈指だった。
男気とかいう理由で、十数億の契約延長オファーを蹴って、たった数億円しか出せなかった古巣の市民球団に復帰する――と聞いた時に、思わず爆笑したのも今では思い出だ。
彼女は財布も戻した。金銭目的ではなく身元確認をしたかっただけだ。
案件としては強盗にはカテゴリされない。
犯罪といえば犯罪であるが、この場合はNY市警が現着しても、酔っ払い同士の喧嘩以上に関わろうとしないのは明白だ。まして倒されたのはニホン人――ジャップときている。
この国では、白人による人種差別思想は未だに根強い。差別されるのは黒人だけではない。東洋人も『黄色い猿(イエローモンキー)』と影で呼ばれているのだ。
ちなみに世界で最も多種多様な人種・人材が集うこの国では、いくらメジャーリーグでニホン人が活躍しようが、ニホン人そのものが評価されるという事はない。単に、その個人が実力相応に評価されるだけであり、出身地や国籍など一切関係ないのだ。
徹底した実力主義で、徹底した個人主義。それがこのアメリア合衆国である。
そして実力が最重要視されるのは、魔術師の世界でも同様だ。
つまり倒された男と倒した女は、共に魔術師だった。
昔ながらの旧態依然とした【メイジ】――古代魔術師ではなく、【魔導機術】の台頭と浸透によって生まれた近代魔術師。現代では魔術師=近代魔術師で通じるのだ。
違法行為に魔術を悪用する魔術犯罪も世界で頻発しているが、このケースは単なる個人と個人の私闘――魔術戦闘である。どの国でも可能な限り警察機関は魔術師同士の私闘には関わらない。死者が出ない限りは、警察も口を出さないのが慣例化していた。
魔術師(近代魔術師)は二種類に大別される。
一つは【ウィッチクラフター】――魔術系技能職だ。
この魔術系技能職は、様々な分野において魔術を有効活用する職人としてのエキスパートが活躍している。社会貢献度も高い。収入や社会的ステータスはその職で振り幅があるが、一般人に感謝・尊敬される魔術師だ。
もう一つは【ソーサラー】――戦闘系魔術師である。
社会的ステータスとしては魔術系技能職よりも格上とされている。魔術師業界においては、魔術系技能職は戦闘系魔術師になれなかった者の落ちこぼれ職扱いでもある。
その反面、一般人には【ソーサラー】は疎まれている。能力・資質という面では人類最高峰の超エリートといえる戦闘系魔術師であるが、一般社会においては戦闘特化の荒くれ者だ。
基本的に戦闘マニアや戦闘好きが【ソーサラー】になるからだ。
この【ソーサラー】には二つの意味合いがある。
国家資格あるいは国際資格として認可された【ソーサラー】という意味が一つ。具体的には【国際魔術師協会】か【ニホン魔術連盟】にライセンスを発行されている者だ。いわば職業としての戦闘系魔術師という事となる。当然ながら、軍隊・警察・特殊機関・警備会社・民間警察などに所属して、魔術犯罪や荒事を中心に扱う仕事に就く。
その一方で、職業としての【ソーサラー】とは別に、戦闘系魔術師と呼ばれる事もある。
専用【DVIS】を所持しており、かつオリジナル魔術の開発に成功して、その上で、魔術戦闘を行える実力を有した魔術師についても、世間では戦闘系魔術師に括っていた。
主に裏社会の非合法【ソーサラー】や、実力は充分でも高校を卒業しておらず、まだライセンスを正式発行されていない学生などが当て嵌まっている。
倒されたニホン人は、職業としての【ソーサラー】ではなかった。
「……さて、マンションに帰りましょうか」
時間も時間だ。マネージャーに勘づかれると色々と面倒になる。まだ一般人でいたい。
女は踵を返す。これ以上、敗者に興味がなかった。
アメリア旅行に来たついでに、この国の戦闘系魔術師を味わいたかったのだろうから、倒された彼も本望だろう。このまま乞食に身ぐるみ剥がされた場合は、まあ、ご愁傷様だ。
ぶぅ~~ん、ぶぅ~~ん。
ヴァイブレーションだ。女のスマートフォンが震えて着信を報せている。
怪訝そうに首を傾げる女。このスマートフォンは仕事用とは別のプライベート用でナンバーとアドレスを知っている者は、彼女の両親だけなのだ。
そして両親は基本、連絡を寄越さない。
(いったい誰? 何者にこのスマホを知られたの?)
事と次第によっては、財力と人脈を総動員して、送信相手を抹消しなければ。
女は慎重に通話に応じた。
すると――
『おめでとう。一部始終を視ていた。君が今から――MKランキングの9位だ』
ニホン語だ。爽やかな青年の声音。加えて理知的な口調である。
ランキング9位?
女の頬が釣り上がる。知らずに震えている声で、ニホン語を用いて確認した。
「へえ。都市伝説だと思っていたMKランキングが実在していたなんてね。じゃあ、このニホン人がランキング9位だったのね。なるほど合点がいった」
道理で強かったわけである。裏社会で秘密裏に行われていると噂される非公式の【ソーサラー】ランキング戦――MKランキングの上位ランカーだったとは。
『その通り。私が主催者の光葉一比古だ。君に敗けた彼は9位から17位に下がるかな』
「此処ってNYよ。他にもランカーがいるのかしら?」
『残念ながらニホンの関東圏内が主戦場になる。ランカーと戦い、頂点に君臨するランキング1位を倒したいと思うのならば、是非とも東京に来て欲しい。招待状は送ろう』
東京――ニホン首都であるネオ東京シティか。
仕事のスケジュールを変更すれば、なんとかなるかもしれない。しかし……
女が返事を迷っていると、光葉が言った。
近日中にランキング上位同士が戦う特別イベントを開催する予定だ――と。
その言葉で、女は来日を決意した。
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