エピローグ 新たなる歩み
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少女に名前はない。
ファン王国政府が直営している総合病院のエントランス・ホールに彼女はいた。
所在地が一般公開されていない、この場所に彼女が見舞えるようになった原因である二人の少女のうち、その一人が彼女と一緒にいる。
名無しの少女は、付き添いの少女に問いかけた。
「今頃、統護はニホンに着いているはずだけど……、本当に良かったの?」
問われた少女――楯四万締里は「なにが?」と、クールな視線のみを返事とした。
微かに苦笑しつつ、名無しの少女は言葉を追加する。
「だからさ。統護と一緒にニホンにいかなくても良かったのかって」
「ふぅ。正直いって付いて行きたくない、といえば嘘になる。けれど統護は私が常に傍にいなくても大丈夫」
「信じているってやつね。ごちそうさま」
「統護だけじゃない。私が信じているのは、他のみんなもだ」
「なるほど」
思い返しても、実にあっさりとした別離であった。あのまま統護が【ブラッディ・キャット】三名と共に、ニホンに出立したと聞いた時には、耳を疑ったものだ。
再会時期が未定なのに、少しも大仰さがなかったのは、きっと心が繋がっているから。
自分達とは正反対だ――と、羨ましくさえある。
「それよりも、回答期限は今日のはず。貴女が選ぶ道によっては、当面の間、私は姫様の傍にもいられなくなるわ。で、貴女はどちらを選択するの?」
名無しの少女は選択を迫られた。
ひとつ、反魔術国際テロリスト組織――多層宗教連合体【エルメ・サイア】の幹部、《邪王のメドゥーサ》として投獄される事。懲役は執行猶予なしで二百年以上と予想されている。恩赦の芽もないだろう。
もうひとつの道は、楯四万締里の監督・監視下において、王家直属である特殊部隊のエージェント魔術師として再出発する、である。
数日前まで、ラグナス・フェリエールという名だった少女は、ニヒルに頬を釣り上げた。
「今さらメドゥーサのコードネームに価値なんてないでしょうに」
二日前、【エルメ・サイア】の首領《ファーザー》が全世界に向けて、メドゥーサが統護に敗北した事と、その責任でメドゥーサを【エルメ・サイア】から除名する件を発表した。統護との戦闘データの公開を添えて。対して堂桜側からも、事件後に回収したドローンが記録した映像データを編集したラグナス戦、オーフレイム戦、そしてメドゥーサ戦がネットにアップされている。《ファーザー》が公開した戦闘映像も、堂桜の歩調に合わせて〔魔法〕を巧妙に誤魔化した代物だ。
世界中のマスコミ、および対テロ組織は「なんの意味が?」と首を傾げるばかりの、無意味な発表であったのだが、極一部の関係者は《ファーザー》の真意を理解している。
締里が言った。
「ええ。《ファーザー》は貴女達姉妹を解放した。わざわざ世界中に発信してね。貴女達には《ファーザー》から授けられたという〔ギフト〕も残っていなければ、【エルメ・サイア】という組織に対する知識も皆無に近い。単にメドゥーサというチカラとコードネームを与えられて、彼に利用されていたに過ぎないわ。国際犯罪者としての貴女には、もはや誰も興味がない状況になっているわね」
なにしろメドゥーサに殺された直接的な被害者が一人として存在していないのだから。メドゥーサは《神声のセイレーン》と同じく、【エルメ・サイア】内での戦闘訓練でのみしか顕現していない特殊な【ソーサラー】である。
そして、フェリエール姉妹からは、有用な情報はほとんど引き出せなかった。反王政派組織の重要参考人としても大した情報は持っていなかったのだ。姉妹は彼女達の両親にとっては、利用する駒・道具に過ぎない存在だった。その悲惨な身の上に、姉妹に同情する関係者も少なくなかった程だ。
よって早々に、彼女の身柄は締里に預けられる事となったのである。
「ねえ。妹は――ラグナスは回復する見込みが、本当にあるの?」
姉が名無しとなった事により、正真正銘のラグナス・フェリエールとなった少女は、現在、反王政派の重要参考人として、この病院の特殊病棟で保護されている。
ラグナスは重度のPTSDに侵されていた。
PTSD――外傷後ストレス障害。
統護との魔術戦闘で受けた極大のストレスがトリガーとなって発症していた。ただし統護との一戦のみが原因ではない。幼少時から蓄積し続けたストレスが、一気に顕在化したのだ。
片言での簡単な意思疎通がやっと、という精神喪失状態になっている。
統護への逆恨みなどない。
それに統護と締里との魔術戦闘がなかったとしても、遠からず同じか、あるいはもっと悲惨なかたちでPTSDを発症していたのは必至だ。
ラグナス・フェリエールとしての様々な罪状については、責任能力の喪失を理由に不起訴になる見込みだ。なにしろ極秘ルートで彼女の母親に司法取引を持ちかけたのにも関わらず、役立たずな娘など殺されても興味はない――と交渉を拒絶されたのだ。
元々が王家側による情報統制が敷かれている国である。今回の件は、セーフハウスでの惨劇と共に非公式扱いで闇に葬られる算段となった。姉妹を処罰しても誰も得しないからだ。
反王政派と【エルメ・サイア】との資金ルートが一つ、潰えただけで王家側にとっては充分な戦果ともいえた。
反面、これから先のラグナスの生涯は、常に王国側の監視がつく事になるが、果たしてPTSDを克服して退院できるかという話になると……
締里は端的に言った。
「快方には向かうだろうけど、日常生活を自力でおくれるまで回復するかは現時点では診断できない、という担当医の言葉に嘘はないわ。それから、もう一度いうけれど、王国側としては妹さんの身柄を楯に、貴女を従えようという意図はない」
「建前はいいわよ。建前は」
恩に着せつつ、足枷にするつもりなのは、名無しの少女も理解していた。
統護と締里に敗北を喫して、ファン王国当局に身柄を拘束されて、彼女は自分がラグナスとして罪を背負うつもりだった。そして妹を一般人に――と取引しようとしたが、妹のPTSDが明らかになり、現在の形になっている。
王国側は、彼女の境遇に叙情酌量の余地があると判断すると同時に、《ファーザー》に買われた、その資質と能力を高く買っているのだ。投獄して錆びさせるのには惜しいと。
待合ロビー内の空気が一変した。
大型モニタで放送されているファン王国の国営番組に、第一王女――アリーシア・ファン・姫皇路が映し出されたからである。
誰もがアリーシアに釘付けになっている。
昨日、締里の手引きで、ほぼ個人的にアリーシアに逢った。
命をもって罪を清算したいと告げた、その時、アリーシアは彼女の頬を全力で張った。
痛烈にビンタした後、王国を変えたい意思があるのならば、安易な死に逃げないで――という言葉を叩きつけられた。ビンタよりも遙かに痛かった。
画面内で演説するアリーシア。
アリーシアはポアンと個人的に面会する約束を取り付けたと発表した。自分が王位を継いだ後、レアメタルに関する権利諸々を変えていく意向があるとも。少なくとも現在よりも多くの利益を国民に還元する意志があるという宣言に、ロビーにいる人々が歓声をあげた。
この放送を視ている全ての国民が同じ反応をしているだろう。
締里が言った。
「結局、レアメタルの秘密には到達できなかった。けれど、統護のお陰で姫様はポアンと個人的に接触できる事になり、そして姫様は王国民の為に利権を変える権利と切っ掛けを得た。決して無駄ではなかった」
「そうね。今回の一件……、堂桜側の極秘事情を別にしても、王国にとっては無駄どころか、未来への確かな一歩だったと思いたい。オリガをはじめとして手にかけた仲間や、妹のPTSD、そして今までの内戦で流れた多くの血。無駄にはしたくないわ」
締里は微笑んだ。
「その気持ちを、新しい決意と受け取っていいのかしら?」
回答としてよいのか、という言葉に、彼女は頷いた。
死刑による己の命ではなく、服役でもなく、これからの王国への働きで――罪を償おう。
過去の自分を過ちだとは認めないが、目的と理想の為に、今日から新しく歩み出す。
「ええ。妹が回復した時の為にも、私はこのクソったれた王国を変える。アリーシア姫と共に、彼女を護るという役割を以て」
締里と同じく、アリーシア姫にこの王国の未来を託し、その手助けをする。
全ての王国民が一つになる、新しい時代が来る日を願うのではなく、信じよう。
信念の為に、新しい道で戦うのだ。
「わかった。今この時から、お前を私が徹底的に鍛え込む。本来ならば私の出荷元に預けたいところだけど、お前の経歴から流石にそれは無理だから」
「よろしく頼むわ、締里。私は新しい名と供に、生まれ変わってみせるから」
ただし一つだけ条件を付けさせて貰う、と彼女は締里に確認する。
その条件とは? と訊き返す締里に言った。
「貴女の訓練カリキュラムを卒業できた暁には、もう一度、堂桜統護と戦ってみたい」
言って、自分が好戦的に笑っているのに気が付いた。
変わったつもりなどないのに、ひょっとして自分は変わっているのかもと彼女は思う。
強さや最強なんて興味なかった――はずなのに。
だって統護が忘れられないのだ。忘れようとしても、ふと思い返してしまうのだ。
メドゥーサとしての敗戦ではなく、彼の発勁でKOされたあの魔術戦闘。
紙一重だったギリギリの攻防。
もう一瞬だけ疾く膝蹴りを出せていたらなんて思ってしまう。
これではまるで恋ではないか。
あの最強を目指す最強の少年との戦いが、実は片時も忘れられないなんて――
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…
小爆発が終わりを告げた。
特注のレアメタル――《アスティカ》を宝玉とした特殊【DVIS】が、統護の魔力によって破壊されて、今回一度限りの【魔導機術】が終了した。
魔術プログラムを制御していたルシアが「正常に施術できました」と言う。
統護をはじめとした面々が結果を見守る。
ここは那々呼を秘匿しているアパートの地下室だ。
ルシア、詠月、宗護、みみ架、雪羅、エルビス、そして統護が見つめている。
簡易ベッドに並んで横臥している二人を。
眠っている淡雪と、彼女の精神世界にアクセスしようと超高次元ダイヴしている優季。
先に目蓋を上げたのは優季だった。
皆の注視を浴びて、彼女は端的に報告する。
「よく思い出せないけど、〈光と闇の堕天使〉には逢えたよ。ルシアからのメッセージも渡せたし、ボクも喚び掛けられた」
優季が隣の淡雪を見る。
淡雪はまだ眠ったままだ。失敗なのか……と、宗護が顔を歪めた、その時。
ゆっくりと淡雪を包んでいた燐光が、粒子化していき、蒸発するように消えていく。
成功だと統護は息を飲んだ。
約二分後。淡雪を包んでいた光膜が全てなくなり、ついに、淡雪が目を覚ます。
眠りから解放されたのだ。
優季が泣きそうになる。上半身を起こした淡雪に抱きついた。
他の面々も、ルシアを除き笑顔だ。
「ここは? そして私は?」と、淡雪は不思議そうな表情で周囲を見回す。
まだ事態を飲み込めていない淡雪に、統護は優しく語りかける。
一番最初にこう言おうと決めていた。
「――おはよう、淡雪」
皆が喜びに浸っている中、ルシアだけが冷徹な双眸で、淡雪を観察していた。
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