第一章 パートナー選び 3 ―発勁―
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統護は席を立つ。
クラス全員の視線が、統護に集中する。高山は半笑いで言った。
「なんで堂桜が? それにお前、そんな芸当できるのか」
「一応、親父から叩き込まれた業にある。みんな知っての通りに、俺は魔術が使えない。だから俺が発勁を披露すれば、発勁の存在は証明できるだろ。ま、乱暴な理屈だけどな」
「へぇ。堂桜くんの発勁ね」
みみ架は両目を細めて、統護を見つめる。
「俺が使えるのは意外か?」
「いいえ。呼吸や足運び、そして重心と体幹の使い方からして、近代格闘術だけでなく、色々な古流を身に付けているのは瞭然だわ。逆に隠しているつもりなら未熟もいいところね」
夏子が興味深そうに統護に訊く。
「確かに身体能力と《デヴァイスクラッシャー》ばかりに注目がいきがちだけど、本当に不可思議なのは、お前が身に付けている動きだな。お前、いったいガキの頃からどういった生活を送れば、今のような身のこなしになる?」
「ノーコメントで」
まさかこの世界とは異なる世界で、幼少時から父親に家伝として修行を強要されていた――とは口が裂けても話せない。
「必要な物は? 授業における実演として用意させよう」
「そうですね。サンドバッグかウォーターバッグがあればお願いします」
夏子はドア付近の生徒三名に、急いで持って来るように命じた。夏子に宛がわれている職員用の準備室にあるとの事だった。
みみ架が付け加える。
「生卵があれば、なお良いんだけれど。誰か持っている?」
無いのならば購買に行って……と続けた彼女に、弁当として持ってきていた生徒からの提供があった。卵かけ御飯を諦めての協力の申し出である。
程なくして――準備が整った。
場所は教壇の前だ。前三列にある机が全て端に寄せられて、その場を生徒達が囲っている。
みな興味津々だ。
「それじゃあ高山。身を以て体験させてやるから、しっかり支えてろよ」
みみ架から手渡された生卵を、統護は右手で軽く握った。
意図を察し、教室中がざわめく。
統護が生卵を握った右手を、高山が支えるウォーターバッグに添える。向きは縦拳だ。
「おいおい、マジ? ひょっとして……」
「ご明察だ。卵を割らずに『勁』を通してみせる。上手くいったら拍手を頼むぜ」
ゴクリ、と誰もが唾を飲み込んだ。
統護は集中力を極限まで研ぎ澄ます。
慎重に呼吸のリズムを整える。
ずん。腰を大きく落とした統護は、がに股に近い格好で右足を豪快に踏み下ろした。
震脚――と呼ばれるステップインだ。
同時に、沈み込んだ上体と連動して、ウォーターバッグに添えた右拳が突き込まれる。
回転運動ではない。各関節が『突きの型』に収束していき、瞬間的に同時ロックが掛かるような独特の連動であった。
どゥんッ!!
ドラムを叩いたような重々しい打撃音が響き、ウォーターバッグは支持する高山ごと、教室の壁際まで吹っ飛んだ。
テイクバックもフォロースルーもない拳撃の威力に、クラスメート達は目を見開いた。
薄く笑んだ夏子も軽く口笛を吹く。
程なくして、教室が拍手で満たされた。
「……失敗ね。堂桜くんの発勁は未熟だわ」
みみ架の一言で、拍手が消える。
統護はばつが悪そうに、右手を開いて生卵を見せた。
「久しぶりだったし、緊張したから。って、言い訳にならないか」
卵の殻に亀裂が入っていた。僅かに卵白が零れている。
「いやいや。割れてないってだけでも超凄いって」
誰かが漏らしたその言葉に被せるように、朱芽がみみ架に言った。
「だったらミミが未熟じゃない発勁を見せてよ。二個用意させたって事は、堂桜が失敗するのを予想していたんでしょう?」
「ええ。堂桜くんが成功するのに越した事はなかったんだけど」
今度は、みみ架が披露する事になった。
ウォーターバッグを支持するのは、再び高山だ。統護の発勁を体感した彼は、すっかり大人しくなっている。
みみ架は生卵を右手に持つと、統護と同じく右拳をウォーターバッグに添えた。
「じゃ、撃つわよ」
打つではなくて撃つ――
特に集中したり、気負ったりする事なく、みみ架は自然体で右拳を軽く押し込んだ。
統護とは異なり震脚は使わない。四肢は最小限の動作のみだ。
ズッどぉん!!
統護の発勁よりも重々しい音と共に、ウォーターバッグが宙に舞う。
くの字に折れたウォーターバッグは天井にぶつかると、跳ね返る前に、破裂して盛大に中の水をまき散らした。
支えていた高山は後方に弾き飛ばされている。
前の方で見物していた者は、降ってきた水でびしょ濡れになってしまった。
いつの間にか、ドア付近まで退避していたみみ架は、統護に生卵を投げて寄越した。
確認すると、卵の殻にはヒビ一つ入っていない。
筋力を使わずに純粋な『勁』のみを通した証左だ。統護は余計な筋力を入れてしまった。
統護はあまりの見事さに、内心で舌を巻く。この域は、師であった父でも無理だ。
みみ架と視線が合う。
プイ、と彼女は視線を逸らした。
「体調が悪くなったから、今日はこのまま早退します」
そう言い残し、みみ架は教室から出て行った。
ドアを閉める音が、普段の彼女よりも明らかに乱暴であった。
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…
担当科目『現代魔術戦闘概論』の講義時間を終え、夏子は魔導科二年の教室を辞した。
廊下のタイルを、二人分のヒールが小気味よく鳴らす。
夏子も対抗戦実行委員会に参加している。『現代魔術戦闘概論』が予定より順調に進んでいる為に、美弥子に時間を提供したのだが、思いもよらなかった流れから、発勁の実演という珍しい光景を拝めた。
(肉眼で直に見るのは初めてだったな)
なるほど魔術よりも神秘的だと、夏子は口角を上げた。
専門的に『勁』と呼ばれる震動波の伝達技術は、一般的には『氣』や『気功』という方が馴染みある表現かもしれない。
概要としては、骨格を疑似的なトラスとして利用して、体内で生じた波紋を伸縮・圧縮波として放出する――とされている。体内の歪みを共振させて、それを超エネルギー的に励起させる方法は、呼吸法による血流のフラクタルな加速と踏み込みからくる地面の反力の合わせ技だ。励起させた超エネルギー=体水分内の特殊な波紋であり、それを丹田へ収束してから、骨格へ震動として伝導させるのだ。
筋肉の伸縮の連動で作り出す運動量(衝撃)ではなく、骨格群から直接的・内蔵的に発生させるエネルギー波であるが故に、拳を握り込む必要なしに、強力なパンチを放てる。
いや、便宜上パンチの体勢を取っているに過ぎず、実質は作用面に触れているだけだ。
だから握った生卵が割れなかったのだ。あの様に寸拳で勁を流す方法は『寸勁』――ワン・インチ・パンチとして有名だ。世に披露されたほとんどは偽物で本物ではないが。夏子の知る限りだと、統護レヴェルでも希で、みみ架レヴェルとなると神業の域といっていい。
逆もまた然りで、受けた衝撃を『勁』に変換しての相殺も可能で、『化勁』と呼ばれる。
複雑怪奇な人体構造と生命エネルギーを総合的に駆使して、はじめて体現可能な奇蹟である。
夏子の隣を歩く美弥子がしみじみと言った。
「凄かったですねぇ、二人とも」
みみ架だけではなく、統護が披露した業も文句なしに達人級である。
「そうですね。あの若さであれだけの業。物心つく前からの修行なしには為し得ない」
加えて、脈絡と受け継がれている血筋と素質の賜か。
「伊武川先生は、ああいった秘技を体得なされていますか?」
「いいえ。映像データ以外で実際に見たのも初めてですよ」
「私もです。妹も天才肌ですが、流石に『勁』を操るなんて芸当は無理でしょうね」
「ああ。彼女ですか。確かに天才というか奇才というか……」
「ひょっとして妹と知り合いでしたか」
「昔の仕事でちょっとだけです。でも彼女も累丘に比べれば、人間として、そう、割と普通でしたね。かなり愉快な性格ではありましたが」
琴宮深那実も普通ではなかった。しかしそれは人間の範疇内での話だ。
戦闘系魔術師――【ソーサラー】になれる傑物・天才とて、ああいった神秘の業を身に付けるのは容易ではないだろう。あれは訓練と理屈で体得できる論理的な戦闘技術とは違う。武道や武芸・武術の皮を被っているが、別種のモノだ。少なくとも、夏子は体得できそうもない。体得したいとも感じない。
戦闘手段ならば、機械的で効率的に運用可能な技術系統を選択する。
(私の理想・理念は、やはり楯四万締里のようなファイティング・コンピュータの方だな)
一切の無駄を排除して合理性だけを突き詰めて開発・製造された《究極の戦闘少女》の姿を思い返す。この学園に学生として彼女がいたという事実が今でも信じられない。
裏社会の情報によると、締里はユピテル戦の敗北を契機に――
真偽は不明だが、本当ならば、完全復活した暁に締里は更なる進化を遂げているはず。
プロフェッショナルの戦闘において、ファンタスティックな秘技や奥義は不必要だ。不必要だからこそ、世に広まらなかった。
広まらなかったといよりも、広がりようがない。体現できる者が極めて限定されるのだから。それこそ戦闘系魔術師が構築するオリジナル魔術の比ではない希少性である。
それにアレは――本当に『ヒト』の業なのだろうか?
魔術師だろうと一般人だろうと、所詮は人間――『ヒト』という同一のカテゴリに過ぎない。差異は発揮可能な能力・性能だけといっていい。しかし、統護とみみ架の二人は、そのカテゴリから逸脱している――特別な生物だと、夏子には思えた。
そう。あの二人は本質的に似ている面がある。
夏子は廊下の曲がり角で足を止めた。そして隣を窺う。
「……ところで、琴宮先生はこちらでしたっけ?」
美弥子は真剣な顔になると、かたい口調で言った。
「反対方向ですけど、実はちょっとお話がありまして」
「プライヴェートな話題でしたら遠慮してもらいたいのですけれど」
そう予防線を張った夏子に、美弥子は半歩、距離をつめる。眼差しは真剣そのものだ。
「対抗戦が終わったら退職なされるって本当ですか?」
「ええ」と、夏子は素っ気なく肯定する。すでに退職願は受理されていた。
ここは廊下だ。もしも通りがかりの生徒に聞かれると面倒だな――と、思いながら話す。
「別に隠すほどの話題でもないですけど、一身上の都合というやつでして。短い間ですが色々とお世話になりました。せめてもの恩返しに対抗戦を手伝わせていただきます」
「また国際問題や国家機密に関わる危険な任務を?」
「退職後は未定ですよ」
しかし早くも在籍していた組織と、かつて任務で関係した組織二つから誘われてはいる。
まだ返事はしていない。夏子には片付けなければならない事があるからだ。兄の件はともかく、妹の件については、場合によっては人生をかけて世間に償う必要がある。
美弥子を置いて、夏子は歩き出す。
後ろから、美弥子が無念そうに訴えてくる。
「お兄さんと妹さんの件は残念でしたけど、だけど、だけど伊武川先生ご本人には……ッ!」
足を止めず、美弥子が追いかけてこないように、夏子は冷然と突き放す。
「責任があります。佐町コーヂと伊武川冬子は――私の身内・家族なのですから」
振り返らない。美弥子が息を飲んだのを察する。
彼女の妹に対する気持ち。先程の会話から充分に理解できた。それは自分も同じである。
背中越しに美弥子の気配が遠ざかるのが、感じ取れた。
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