第三章 賢者か、愚者か 2 ―オープン・コンバット―
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ファン王国において、その貴重な鉱物は単に『レアメタル』と呼称されている。
本来、レアメタルとは稀少金属を指す総称だ。
むろんその金属にも個別の名称は存在する。
国家の重要な収入源というだけではなく、国際社会に多大な影響力を誇る堂桜財閥とのパイプを果たしているその『レアメタル』は、マギクス(元素記号Mx)が名称だ。
なお原子番号が113番目以降の元素なので正式名称ではない。
リチウム、ベリリウム、ホウ素、チタン、バナジウム、クロム、マンガン、コバルト、ニッケル、ガリウム、ゲルマニウム、セレン、ルビジウム、ストロンチウム、ジルコニウム、ニオブ、モリブデン、ルテニウム、ロジウム、パラジウム、インジウム、アンチモン、テルル、セシウム、バリウム、ハフニウム、タンタル、タングステン、レニウム、白金、タリウム、ビスマスそして希土類(レアアース)――以上のレアメタルと比較しても、マギクスは群を抜いてレアである。
とはいえレアメタル採掘工場に勤務する新人ガードマンの彼には、王国が誇るレアメタルの名称や学識といった専門知識など興味の範疇外だ。
それは研究者・技術者が知っていれば事足りる領分である。
彼だけではなく、王国民の大多数が同意見であり、現在の国際社会でさえ『レアメタル』といえばファン王国産のマギクスを指す単語になっていた。
それだけ【魔導機術】システムが世界文化に浸透している証左でもある。
配属されて三ヶ月しか経っていない彼の持ち場は、午前中は第五工場裏門の検問だ。
立哨警戒して出入りする者のチェックと――実質は挨拶が仕事ともいえる。
基本的には、馴染みの運送業者しか出入りしない。
馴染みの業者とは、半年分の入館申請が一括で許可されている特定の業者だ。
定期的に出入りする以外の施工業者、運送業者、打ち合わせ、取材、来客などは全て事前に入館ごとの単発での申請が必要となっている。その申請も電話や電子メールでは不可であり、正式な書類による審査を通過して、各責任者による捺印がされている必要があるのだ。
「どうも、お疲れ様」
そんな声を共に、三日前にもやってきた運送業者が顔を見せた。
特徴的な顔立ちの五十代男性だ。
「お疲れ様です」と、彼も挨拶を返す。
業者は運転している二tトラックを検問所に横付けして、降りてきた。
検問は一台ずつだ。
朝夕の忙しい時間帯でなければ、二十分に一台も出入りしない。
ドライバーの顔を覚えていたので、彼は安堵する。人の顔を覚えるのが不得手で、なかなか出入りする作業員の顔と名前が一致しない。しかし相手は、彼がガードマンとして『自分を知っている、覚えている事』を前提として接してくるのである。
「おっ! 今日は新人の兄ちゃんか。よく見かけるな」
「ええ。入ったばかりなのに、シフトきつくて嫌になりますって」
「はははは。俺のところの新人も同じ事いってた」
定期的に出入りする業者は、基本的には顔パスに近くなっている。
配布されている業者用【DVIS】で入館時間と退館時間を入力して、業者用の入館手続きシートの各項目にもサインしてもらう。業者用【DVIS】は通過IDも兼ねており、登録者以外では作動しない。また工場内でGPSにより位置を探知できる。
行き先、車両ナンバー、業者名、本人の名前、緊急連絡先――と直筆で記載する項目内容は一般的である。しかし殴り書きでとても読めた文字ではなかった。
馴染みだと、どうしてもこうなってしまう。
業者用【DVIS】の入力機器と入館手続きシートは、彼が立哨している横に置いてある机の上に並べられている。他にも内線電話と認証用【DVIS】装置、各種書類と入館申請書の束がある。
「そういや、いつもよりも早いですね」
「道路が空いていたからな」
「へえ。よかったですね」
「それによ、今日は台車一回で運べるから楽だぜ♪」
「それじゃあ、よろしくお願いします」
記載内容の漏れがないのを確認し、彼は入館手続きを終えた証としての腕章を手渡した。
身体検査はない。
業者は再び運転席に乗り込むと、荷捌きエリアへと発進していった。
荷捌きエリアでも配達荷物に対して厳格な検品が行われる。こちらは危険物の持ち込みや、工場内からの不正な持ち出しを防ぐのが目的だ。
これといった特徴のない、実にベーシックな入館チェック方式である。
次に来た一般車両は初見である。相手は工場内事務所での打ち合わせが目的だと言う。
入館届けを確認するが、未届けであった。
通常ならば相手側も入館届けのコピーを所持している。
口頭で確認するが、相手は書類申請が必要だという事すら知らない。よくある事だ。手配した者が、書類申請が必要なのを忘れて、ダイレクトに個人で依頼してしまうケースは。
知らなかった。その言葉で業者は押し通ろうとしたが、彼は厳然と拒否した。
緊急性があれば、事後申請という形式で連絡がくる。それ以外は、たとえ社長が呼んだとしても通せない――と説明して、追い返した。
「バカじゃねえのかよ」
彼は小さく愚痴る。追い返して、決して良い気分ではない。
こちらも仕事だ。私情ではなく、契約を遵守して厳格に行う必要がある。
一般家庭に行う飛び込み営業とは違うのだ。商業施設や工業施設、研究施設や病院への業者の出入りに、書類申請がないはずがないというのに。業者を手配したのはOLだろう。男女差別や偏見ではなく、現実として、社内規則に対する認識が男性社員よりも甘い者が多い。
追い返した業者については、手配した部署に電話連絡と注意を促した。
案の定、手配したのは女子社員で「知らなかった」と言い、業者を追い返した事に驚いて、予定が狂ったと電話先で狼狽していた。彼には関係ない事である。
次に来たのも、初めて見る顔だった。
運転しているトラックにペイントされているのは馴染みのロゴである。ひょっとして、彼女はピンチヒッターか。今はドライバーの入れ替え時期ではないから間違いないだろう。
ついていない――と彼は内心で愚痴るが、決して顔には出さない。
相手はまだ若い女だ。
それも東洋人ときている。メキシコから移住を理由にしたくはないが、彼には東洋系の顔の違いが判りにくいのだ。しかも女の貌は綺麗に整っている。余計に特徴を把握しにくい。
東洋人は実年齢よりも若く見えるのが、更に厄介だ。
(どう見ても十代だよな)
そんな風に感じてしまう彼に、女が朗らかに言ってきた。
「ハァイ♪ 今日は急病で倒れたナタリーに代わって、私がやって来たんだけど」
「あ。ナタリーさん、病気なんですか」
心配になる。この業者の担当ドライバーであるナタリーに、彼は仄かな想いを抱いていた。
とはいえ、顔と名前しか知らないのだが。恋人の有無どころか年齢さえ知らない。おそらく二十代後半だと彼は推測していた。最悪で既婚者かもしれない。
東洋人のピンチヒッターが、車両から降りてきた。小柄で身軽だ。
「ええ。病気っていっても風邪だけどね。で、先輩である私が非番だけど、後輩の代わりをしてやっているってワケ。ただし、アイツのIDでね。あのバカ、有給を使い切っているから。これ以上の休みは欠勤扱いになるから、私が特別にやってやっているの」
「せ、先輩なんですか」
「こう見えても私、二十八才よ。ナタリーは二十六才。よく先輩後輩間違われるけどね」
「お若く見えますもんね、東洋の方って」
「まぁね。お国じゃ年相応に扱われるけど。ちなみに助手席のアイツは、私が教育係をやっている新人だけど、中途採用で三十超えてるよ。これ言うとみんなビックリする」
「本当に!?」
助手席を伺うと――少年としか思えない東洋人が座っている。とても信じられない。
女はナタリーに配布されている業者用【DVIS】を彼に手渡した。
「上司か責任者を呼んで話を通す必要あるよね? 私としてはナタリーとの入れ替わりを知られたくないけど、こればっかりはね。会社側にバレなきゃ問題ないし」
「そうですね……」
「ナタリー、いつも君を褒めていたわ。実直な好青年だって。どう? これを機会に、私がナタリーとの仲を取り持とうか? あ、いや、君がフリーならね」
彼は思わず歓声を上げる。
「俺、フリーですよ! 是非ッ!!」
「OK♪ お姉さんに任せなさいって。でも仕事とプライヴェートの区別はつけてね」
そこで女が、チラリと机の端にある認証用【DVIS】に目をやった。
業者用【DVIS】を忘れてくる者がたまにいる。そういったケースの場合、突発的な業者とは違い、いちいち馴染みの業者まで追い返していては、現場の仕事に支障が出てしまう。よって、検問者の裁量によって、この認証用【DVIS】による時間入力で済ませるのだ。
「これ使いましょうか。ほら、ナタリーさんとの入れ替わりに俺も協力させて下さいよ。それに俺達の事に他人を巻き込みたくないし。俺も彼女にアピールさせて下さいって」
「おっ♪ ありがと。流石、未来の彼氏ね。気が利くぅ。これで入れ替わりのお仲間だね」
彼は自分の【DVIS】を使用して、認証用【DVIS】に『ナタリーの入館』としてインプットした。これで問題ない。腕章を二人分、手渡す。
東洋人の女は、ジャンパーのポケットから出した缶コーヒーをお返しに差し出してくる。
喉が渇いていたのだ。ありがたく頂戴しよう。
検問を終えた彼女は運転席に戻り、車両を荷捌きエリアへと発進させた。
…
心配していたよりも簡単に突破できるものなんだな……と、統護は感心した。
そして同時に呆れもする。
トラックを運転する女性――締里の演技にである。
普段とは完全に別人であった。打ち合わせとリハーサルで把握していたとはいえ、本番で目にすると、彼女の大胆さに驚きを隠せない。
四人がブリステリ宅から脱出して三日、街の各所を転々としながら計画を整えた。
幸い、二度目の襲撃はなかった。
警察の手は伸びてこなかったし、ラナティアの援助に助けられた。
ナタリーには同情する。自分達に拉致された上、明日には退職する羽目になるのだ。
とはいえ、ほとぼりが冷めた頃にファン王家が裏から手を回す事になるので、ナタリーはキャリアアップという名の、幸運な再就職先にありつけるだろう。
セキュリティ・システムが高度化するに従って、当然ながら扱う側にも相応の知識と経験が必要になってくるが、全てのガードマンが高給で優秀で経験豊か――などあり得ない。
薄給のガードマンが警備する現場だと、防犯・防災システムを理解していないケースさえある。さらに質が落ちる現場だと、防犯・防災システムそのものに手が抜かれている。
システムの隙を狙うよりもヒューマンエラーを誘導するのは、常套的な潜入方法の一つだ。
人工スキンをパックする事によって、顔の印象も変えていた。
二人が使用している人工スキンは、人の目よりも、監視カメラに記録される映像の印象を微妙に変化させる工夫が凝らされている特殊な代物だ。もちろんカツラで髪型を変えているし、監視カメラの撮影角度には細心の注意を払っていた。
ステアリングを握る締里が、助手席の統護に視線をやる。
「緊張している?」
締里は演技を止めて、普段の口調で訊いてきた。
統護は頷いた。正直いって逃げ出したい程、緊張している。潜入任務は完全に門外漢だ。
研究所や政府機関への潜入工作に比べれば気楽な散歩も同然――らしいが、とても気楽に構えられない。自分にできるのは山籠もりと戦闘だけだと改めて実感した。
ちなみにガードマンに渡した缶コーヒーには遅効性の睡眠薬が混入されている。
これから彼は時間差で居眠りしてしまい、その失態のカヴァーで頭が一杯になるだろう。そして自分達の事など頭から消し飛んでしまうのだ。
運が悪ければ彼もクビになるが、その時はナタリー同様に幸運な再就職というシナリオだ。
落ち着いた声で、締里が念を押してくる。
「お供の新人という設定なのだから、多少ならいいけど、あまり過度に緊張しないでね」
「分かっている」
次の荷捌きエリアで行われる荷物チェックでの段取りを、統護は脳裏で反芻した。
工場内の地図に、監視カメラの位置――全て正確に記憶している。
大丈夫だ。練習通りやれば絶対に成功する。締里を信じろ。自信を持つんだ。
荷捌きエリアには、臨時の短期バイトとして昨日から採用されているラナティアがいる。
ラナティアの協力によって、荷台に潜んでいるラグナスが、運転手として締里と入れ替わる。その結果、締里と統護がフリーになって次の行動に移るという作戦だ。
締里が言った。
「統護、ここからが本番になるわ。淡雪の為に《アスティカ》を入手するだけじゃなく、この国の未来と姫様の選択肢の為――私達は可能ならば、独自にポアンと交渉する」
成功するかは定かではない。
ポアン側が出してきた『自身の領域への不可侵条約』に抵触しているのだ。慎重を期して彼に理解を求める必要がある。
その結果、レアメタルの秘密を掴めたとして、その秘密をラグナスとラナティアに報告するかどうか、いや、教えられる内容なのかは、知ってから統護と締里で検討する予定だ。
統護は締里に同意する。
「ああ。とにかく知らないんじゃ話にならない。現状維持のままで選択肢すらない。俺達はレアメタルにヤバイ秘密があるのなら、まずは知る必要があるんだ」
秘密を知ってしまえば、最悪でファン王家側と敵対するかもしれない。
ポアンが王家や王国民を欺いている敵という可能性だってある。
しかし何も知らないまま、傍観者のままでは、アリーシアの力にはなれないのだ。
だから統護と締里は現状から一歩、奥へと踏む込む。
ルシアが用意してくれたお膳立てを台無しにするリスクもあるが、自分達の意志で動く。
不安を拭え。逃げ場はないのだから。
荷捌きエリアに着いた。
「さあ、心の準備はいい? 統護」
「ああ、大丈夫だ。ここからが本当のミッション・スタートだな」
統護は気持ちを引き締める。
そんな統護に、締里は微かに笑んでこう応えた。
「いいえ。ここから先は――オープン・コンバットよ」
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