第三章 賢者か、愚者か 1 ―幽霊―
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締里はラナティアの家――ブリステリ宅に戻った。
セーフハウスの惨殺劇を演出した犯人を追う警察はもちろん、誰にも目撃されていないはずである。特に【エルメ・サイア】にマークされていると判明した今、行動には更なる慎重さが求められる事となる。
計画の再度の軌道修正は必須かつ急務だ。
(とにかく場所を移動する必要がある)
なにしろ敵の猟犬――【エレメントマスター】は単なる刺客というだけではない。【結界】による密室状態をくぐり抜ける幽霊の様な相手だ。
このままでは高確率で一般人であるラナティアを危険に巻き込んでしまう。
追跡はまいているはずだが、逆にいえば、締里も自分をマークしている敵【エレメントマスター】を探れていないのだ。今回の相手は単純な戦闘者ではなく、締里と同じエージェント系である可能性が高い。
締里はブリステリ宅から多数の気配を察知した。
玄関から入らずに、ベランダの死角からリビング内を伺った。
合計で八名もの男女が楽しそうに談笑している。
友人・知人は絶対に遠ざけろとラナティアに云っていた――のに、なんと簡単なホームパーティをしていた。
お国柄からもしれないが、軽率に過ぎる。リビングの柱時計に拘束していたラグナスと統護はいない。流石に退避した様だ。感覚を研ぎ澄まし、統護の気配をサーチすると――二人の居場所は二階だ。
始まってしまったパーティーは止められない。
仕方がない。終わるまで締里も統護とラグナスと共に、二階に退避するしかないだろう。
そっと玄関から入り、改段を昇った。
リビングから聞こえてくる笑い声と話し声に、締里は自覚せずに下唇を噛んでいた。
友人の死と彼等は関係ないと理解はしていても。
…
二階にあるブリステリ夫妻の寝室に、統護とラグナスはいた。
状況が状況なので、ラグナスは拘束されておらず、統護と一緒にキングサイズのベッドに腰掛けている。無警戒に過ぎるが、今は統護を怒る気にもなれない。
締里の帰還に、開口一番でラグナスが言った。
「いやぁ参ったわ。ラナティアの友達って二人だけらしいんだけど、友達の友達や知り合いとかが一斉に押しかけてきて。私と統護は大急ぎで二階に逃げ込んだってワケよ」
統護もラグナスの言をフォローする。
「ラナティアを責めないでくれ。最初は断ろうとはしたんだよ、彼女。けど押し切られちまって。俺とラグナスは間一髪で見られていない――はずだから」
「はず、ね」
締里は統護を睨んだ。統護はばつが悪そうな苦笑を返す。
緊張感の欠落に、締里は少しばかりの苛立ちを覚えた。ラグナス達に拘束されていた時の反動が、安全圏と思われるラナティアの家に身を寄せる事によって、表面化している。
「ねえ、締里。みんなとオーリャはどうだった?」
ラグナスの質問に、締里は端的に答えた。
「全滅していたわ。落ち着いて聞いて、二人とも。これか詳細を話すから――」
…
締里の報告を聞き終えた統護は、言葉を探したが、沈黙するしかなかった。
裏切られたとはいえ、友人を殺された締里。
仲間を皆殺しにされたラグナス。
二人に対して、なんと慰めていいのか、見当がつかない。
沈黙を破ったのは、ラグナスであった。
「……で? アンタ達二人は、これからどうするつもり?」
端的かつシンプルな意思確認。状況はまたも変化している。
交渉相手であったラグナスの仲間が惨殺されてしまった事により、統護と締里はラグナスを人質として拘束する理由がなくなった。
「締里。マジでどうするんだ?」
セーフハウスの惨劇で、通報を受けた警察が殺人事件として動いている。
通報したのは間違いなく敵だろう。【エルメ・サイア】からの刺客が、実行犯である【エレメントマスター】単独とは限らない。いや、バックアップ要員がいると考えるべきだ。
統護にはどう判断していいのか分からない。
「ミッションは続行するわ。オーリャと殺された者達の無念を晴らす為にも」
締里は迷わず即答した。
ラグナスが締里に頼んできた。
「お願いよ。協力させて。仲間を殺されて私は全てを失った。アンタ達のミッションに付き合えば、敵――【エレメントマスター】と遭遇できる可能性が高いわ。逆にここで手を引けば、私は仲間の仇を討てる機会を永遠に逸する」
統護は締里を見る。
つい先程まで敵だったラグナスを協力者に引き入れるのか。
「いいわよ。申し出を受けましょう。仇は共通だし、ここで貴女を解放しても、別の反王政派と組まれるリスクもある。だったらお互いに見張り合いましょう」
「俺は締里の判断に従うよ」
その言葉に、締里は「本当に?」と、統護を見つめた。
締里の双眸は覚悟に満ちている。
「聞いて統護。私はオーリャの遺言に従って、レアメタルの秘密を知りたくなっている」
息を飲む統護。
締里の言葉が熱を帯びていく。
「今の私は、以前と同じただ任務に忠実な《究極の戦闘少女》なんかじゃない。お前に出逢って、姫様に出逢って、私は変わった。だから私は――ッ!!」
言葉を中断し、締里は寝室内を見回した。
統護と、そしてラグナスも異変を察知する。
バタン! と大きな音と共に、寝室のドアがひとりでに閉まった。
部屋の内壁が、まるで水のように波打ち始める。
明らかに魔術現象だ。
統護は油断なく周囲を窺う。敵の気配は――すぐ傍にはない。
自分たち以外の気配は一階リビングのみだ。
「液状化……している!?」
「ええ。液状化現象ね。敵の魔術特性は【水】か、あるいは【地】ね」
自然界における液状化現象とは、地震で砂地盤が液体状になる事を指す。
実際に地盤が液体化するのではない。含水状態の地盤が液体の性質を発揮する様になるのだ。
地盤が固体性質を保つ為には、砂の粒子同士のせん断応力による摩擦が必要となるが、連続した振動を受けて、地盤がせん断応力を失うという現象が起こる。振動による繰り返しせん断が起こり、体積減となり、間断水圧が上昇、結果として有効応力の減少となるのだ。有効応力の減少に伴い、せん断応力も減っていき、ゼロになると地盤が耐力を失い、液状化する。
要約すると、これが地盤が液状化するプロセスだ。
全員が意識を引き締める。敵襲だ。
そして、おそらくセーフハウスでの惨殺劇を演出した相手による魔術である。
統護は戦闘態勢に入った。
ラグナスが言った。
「魔術によって壁を砂地状の地盤に置換して、振動を加える事によって液状化させているわね。壁の組成そのものを一時的に置き換えられる程の精密な魔術理論を構築している――としたら、恐ろしいまでの天才で、そして強敵よ」
加えて、締里とラグナスは専用【DVIS】を所持していないのだ。
統護一人で戦うしかない。
次の瞬間。
ぐぅわん。統護の足下――床が大きくうねった。
しかし統護はバランスを保つ。正中線は崩れない。統護だけではなく、締里もである。
が、二人とは異なり、ラグナスが体勢を崩した。
ひゅごッ。ラグナスめがけて、壁の一部分が極細の槍と化した。
脇腹を貫かれるラグナス。
締里が叫ぶ。
「統護、《デヴァイスクラッシャー》を!」
意図を察した統護は、壁際へ走り込み、全力の拳を壁に打った。
ボォゴォ。盛大に壁がぶち破られ、拳大の穴ができる。
パンチの着弾時に付随する《デヴァイスクラッシャー》としての魔力波及によって、液状化が解除された。
反対側の壁から、統護の背を狙い液状の槍が、数本、飛んでくる。
それを締里がガードした。
枕を重ねてピンポイントで受け止めたのだ。ラグナスを穿った槍の威力から、枕でも防げるという瞬時の判断であった。そして締里の判断は正しかった。
同時に二人は狙ってこない。
通常の【ソーサラー】だと【基本形態】からの派生魔術は、一度に一回かつ一種類しか起動できない。術者の魔力総量と意識容量が限られている為である。逆にいえば、常識外の魔力総量と意識容量があるのならば、力業ではあるが、派生魔術のマルチ・タスクが可能だ。
しかし、この敵は派生魔術による攻撃を、一度に一種類しか行わない。
「ぉぉおおおおおおおおッ!」
ドン、ドン、ドン、ドン、ドンッ!!
連なる打撃音。統護は壁に猛ラッシュを打ち込み続け、穴を拡張して脱出径路を作った。
締里とラグナスを逃がす為に、統護は部屋の中央に戻る。
腹部を負傷したラグナスを抱えた締里が、壁の大穴から脱出した。
その間、統護を狙った液状の槍が次々と襲ってきたが、統護は軽やかに躱していく。
ラグナスを刺した槍を見たが、槍が発射される直前、壁面に発射用の波紋が発生するのだ。それを見切ればいいのである。加えて、槍は真っ直ぐにしか伸びてこない。
初見で躱すのは困難でも、一度見てしまえば、統護ならば対応可能であった。
勝てなくても逃げる事はできる。
締里とラグナスの脱出を確認して、統護も大穴へとダッシュした。
寝室から脱出した。
外――廊下の壁は液状化していない。
「敵はどこだ!?」
焦る統護に、締里が冷静に言う。
「遠くのはずはないわ。遠隔型の【基本形態】は、魔術師から離れて扱うのには、極めて大きな魔術出力と意識容量を要する。たとえ【エレメントマスター】であっても例外ではない。それに部屋内に閉じ込めた私達の位置を掴んでいた。閉じ込めた相手のサーチが【基本形態】の基本性能だとしても、術者が遠くだと把握は不可能よ。つまり」
「この家の中って事だろ!」
「ラナティアの来客に紛れて、家に入り込んでいるとしか思えないわ!」
方針転換だ。
こうなってしまえば来客達から姿を隠すのは止めて、反撃しにいく。
だが、今度は家全体が大きく揺れ始めた。
震度にして五以上だ。敵が液状化させているのは、家の下の地面そのものである。
視界が歪んでいる。建物そのものが、たわんでいると錯覚してしまう。
流石の統護でも、この揺れだとまともに動けない。
改段の手摺りに掴まる統護。ラグナスは座り込んで頭を守った。
締里は窓を開けて、下にある玄関を見る。
案の定、来客達は家から避難した。
外に出て、揺れているのがブリステリ宅のみだと分かり、驚いている。
たった一人を除き。
例外は黒いジャケットを着ている、痩身の青年だ。
彼を最容疑者として、締里は来客者八名の容姿を全て記憶する。
七名は困惑して顔を見合わせる。後を追って外に出たラナティアが謝りながら解散を促すと、彼等は連れだってブリステリ宅を去って行った。
門を通る際、最容疑者の黒ジャケットの男は、窓から覗く締里を見て、不敵に笑う。
そして――敵の魔術が停止した。
…
家の中を探したが、潜伏者はいなかった。
やはり敵はあの八名の中だ。締里はそう結論付けた。
幸いラグナスの負傷も大した怪我ではなく、応急処置のみで大丈夫だった。
統護達はリビングに集まっている。
簡易ホームパーティーの為の料理は、敵が起こした地震によって滅茶苦茶だった。
家具、食器類――特に陶磁器とガラス製――も全滅に近い惨状である。
ラナティアが途方に暮れた顔で言った。
「あぁ~~あ、今からこれを片付けて掃除するのかぁ。最悪」
加えて、統護が空けた寝室の壁穴の補修工事を業者に依頼しなければならない。これは後日になるだろう。
締里はラナティアに訊く。
「直接の友人は二名のみだったわね。知り合いの知り合いでも構わないわ。あの八名の内――黒いジャケットを着た男について知っている事を教えて。彼が敵である可能性が高いわ」
「黒いジャケット?」
「ええ。いたでしょう。ほら、三十代前半くらいの、痩せた男よ」
眉を潜めたラナティアは、首を傾げてこう答えた。
「そんな人なんて知らないし、いなかったし、……お客さんは七名よ?」
信じられない。確かに自分は八名、見ているのだ。統護とラグナスに、来客人数を確認する。しかし、二人とも急遽の退避で精一杯で人数までは覚えていなかった。
統護はテーブルの皿とフォーク、スプーンを数える。
「全員で八名分だな。ホストのラナティアを引いたら、来客したのは七名じゃないか、やはり」
「そりゃあ、七人しか来ていないもん」
念の為、締里もパーティの皿類を数えた。確かに来客は七名でないと、計算が合わない。
愕然となる。
耳朶に、オリガの言葉がリフレインした。
――〝ならば、犯人は、幽霊よ〟――
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本作品は、暴力・虐め・性犯罪・殺人・不正行為・不義不貞・未成年の喫煙と飲酒といった反社会的行為、および非人道的、非倫理思想を推奨するものではありません。また、本作品に登場する人物・団体などは現実とは無関係のフィクションです。