第一章 魔法の王国 1 ―宝玉―
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目隠しと耳栓を取られて、締里は無音の暗闇から解放された。
だが薄目のままで、徐々に光に目を慣らしていく。半日に満たない闇だったとはいえ、コンディショニングには常に気を配っている。それは習性と言い換えられる。
次いで猿轡も外された。
開口一番で締里は質問する。
「統護はどうなった?」
拘束されている間、彼の安否ばかり考えていた。
一見するだけでは、凡庸な印象を受ける容姿なのに、よくよく観察すると美形に類せるだけの整った顔立ち。中肉中背の百七十五センチという特徴に乏しい体型なのに、肉付きは引き締まっており、実は凶暴に鍛え込まれている体躯。
冴えない平凡に擬態しているかのような、そんな彼の事が、締里の頭から離れない――
締里の隣、運転席でステアリングを握るオリガは呆れ声で言った。
「自分の事よりも、彼の事、ね」
「私の扱いについては随分と甘いと呆れている」
あれから――ニホンからファン王国への極秘フライト中に、締里と統護はハイジャックに遭ってしまった。締里の友人であるオリガ・アンドレーエヴナ・エリツィナとパイロットが、ミッション妨害側だったのである。
装備一式を抑えられ、なおかつ特殊潜入工作については素人である統護が人質にとられてしまっては、超一流プロフェッショナルの締里であっても、安易な反撃には出られなかった。
今は雌伏の時だ。
「身体検査もおざなりだったし、まるでお客さん扱いだ」
拘束後、同性であるオリガに身体検査を受けたが、形式だけに近かった。
もしも締里が運び屋のように食道・肛門・膣に小型発信器や武器を隠していたら、オリガは見逃していた事になる。
自白剤や拷問で、情報を探り出さないのも不気味だ。
随員という形でのミッション参加に際して、オリガが得ている必要最低限の情報だけで、彼等の目的には問題なしという事になるのか。それとも耐拷問訓練を受けていない統護が……
締里はポーカーフェイスを維持しつつ、最悪の光景を脳裏から振り払った。
統護の無事が保証されるのならば、自分はどうなってもいい。常に死ぬ覚悟はできている。アリーシアが聞いたが怒るだろう。けれど、それだけは曲げられない。
「実際にお客さんとして招いているつもりだからね、我々は」
「我々……か」
「ああ、そうそう。奥歯に仕込んである発信器は、とっくに殺しているから」
「でしょうね。当然だ」
驚かない。その程度は出来て当然だ。それに自分がオリガの立場ならば、食道・肛門・膣の検査以外にも、歯を全部抜いてしまっている。
「トイレは大丈夫? もちろん私が付き添うけど、我慢できなければOKよ」
「まだ紙おむつの交換は必要ないわ。同性のお前が穿かせてくれて感謝している。元の下着は後で返してもらうけどな。あれは姫様からのプレゼントなんだ」
「強情ね。貴女は捕虜じゃなくて大切なお客さんだって言っているじゃないの」
「ゲスト扱いならば、ホストとして質問に答えて」
はいはい、とオリガは返答する。
時間に余裕はあるんだから焦らないで――と前置きして。
「心配しなくとも丁重に扱わせてもらっているわ。拷問どころか尋問、身体検査の類も一切なしよ。締里と堂桜統護は互いに人質に取られている状態。一般人である彼は、締里以上にリスクを背負ってリアクションは起こせない。今のところは非常に大人しいわ」
安心した? と微笑みかけてくる。
オリガの笑みに、締里は複雑な思いを抱く。裏切りに対して、失望や落胆がないといえば嘘になる。だが、裏社会――特に諜報員・工作員といった業界においては、時には目まぐるしく敵味方といった立場が入れ替わる。実はオリガが二重スパイ――つまり反王政側を欺いており、本当は締里側という可能性も考慮して対応しなければならなかった。
「統護が一般人……か」
「語弊があったかしらね。あくまでエージェントか否かって視点からの一般人よ。もちろん彼が世界的な超VIP――堂桜財閥の御曹司というのは承知しているわ」
堂桜という姓を知らない者は、この【イグニアス】世界には存在しないと断言できる。
それ程のビッグネームだ。【堂桜エンジニアリング・グループ】を経営し、諸権利を一手に握っている血族である。ニホンでは財閥制度が廃止されて久しいが、巨大コンツェルンである堂桜に対して、人々は自然に堂桜財閥という呼び方になっていた。
オリガは皮肉げに付け加える。
「もっとも御曹司であっても、突如として魔術を使えなくなった堂桜統護は、次期当主候補から外されて、一族内での立場は微妙になっている。次期当主の一番手は妹の淡雪に移った」
「それでも統護は本家の嫡男には変わりない」
「分かっている。それに《デヴァイスクラッシャー》としての評判と、米軍【暗部】による彼の捕獲計画も。MMフェスタの一件から付きまとっている堂桜統護の噂と疑惑……
――彼は伝説の【ウィザード】ではないか、という事も」
締里は表情を変えない。オリガが揺さぶりをかけているのは明白だ。
しかし、拷問をかけて訊きだしてこなかったという事は、彼等にとっては重要な事ではないはずである。統護本人を尋問していないのならば、この件で白を切るのは簡単だろう。
「与太話だな。米軍【暗部】がそんな噂を真に受けて、対抗戦であんな暴挙を?」
「辻褄は合うじゃない。むしろ先入観に固執するのは締里らしくないわね。彼が魔術――【魔導機術】を喪失した原因が【ソーサラー】から【ウィザード】への進化だとしたら? 天才の彼はその奇蹟を成し遂げたのよ。堂桜側はその真実を隠す為に、彼の魔術戦闘のデータを改竄して流布していると私は考えている。劣等生な成績だって本当は違う、とね」
(進化……ね)
今回のミッションに際し、締里も統護についての秘密を全て知らされていた。周囲から『堂桜ハーレム』と揶揄されている統護の女達の中で、唯一、秘密にされていた格好だが、結果として締里は知らない方が良かったと思っている。その戦闘能力を評価されて複数の特務機関に籍を置いている身としては、情報漏洩が心配になる。
とはいえ、籍を置いている特務機関が互いに牽制する形になっているので、締里は表面上でしか各組織に関係していない。非常時における助っ人に近いエージェントだ。よって統護についての深い詮索は回避できるとも踏んでいる。
「戦闘系魔術師が〔魔法使い〕に進化した結果が魔術の喪失――が、非論理的だ」
「彼は正確にいうと魔術を喪失したのではなく、【DVIS】が彼の魔力を受け止められなくなったと解釈できるわ」
「強引なこじつけね。まるで統護に扱える【DVIS】さえあれば、統護が再び【魔導機術】を使えるようになる、と聞こえるわよ」
「それを実現する為、貴女と堂桜統護がこの国に極秘で渡ったのではなくて?」
そんな風に勘違いされていたのか。締里は得心した。
ただしルシア・A・吹雪野から提示されているミッション内容を思えば、当たらずとも遠からずである。成功を信じているが、統護が【魔導機術】を使えるようにはならないだろう。使えなくなった、のではなく、元々使えないのがデフォルトなのだ。
オリガが運転する車両。その助手席の窓を流れていく風景。
――此処はファン王国でも有名な工業都市だ。
採掘から加工、出荷のラインは全て国営企業が独占している。
ハイジャックにより反王政側が用意していた場所に、超音速ステルス機は不時着した。
国土が狭いニホンとは異なり、広大なユードルシア北部に、そういった場所には不便する事はなかった。不時着後に、機体は証拠隠滅にと大破させられた。今回のミッションに強制的に協力させられている米軍【暗部】が、自主的に残骸を回収するだろう。
その後の移動も迅速かつ無駄がなかった。
最短距離でロシア(ロビアとも呼ばれている)国境を越えて、ファン王国に潜入してから目隠しをされた。統護とはそこから別にされている。現在、ハイジャックから二日が経っていた。
オリガが締里に言った。
「貴女達もこのニックラウドに来る予定だったんじゃないかしら?」
ニックラウドはこの都市名である。
「この都市はファン王国の中でも、特に入国者を厳しく監視している場所。それなのに反王政派である貴女達がたやすく出入り可能とは。少々意外だった」
国際的な話題としては鎮火気味であるが、ファン王国の内乱はまだ継続している。
王政を維持したい現王国派と共和国化を掲げる反王政派。
国民感情は揺れ動き、長期化の懸念もされていたが、ほぼ趨勢は決まっていた。遠くない先、反王政派の敗北が確定するだろう。
流れが明白に現王国側に傾いた後、反王政派は起死回生を狙い、ニホンにエージェントを差し向けた。現国王の隠し子――《隠れ姫君》を入手しようとしたのだ。
結果としてはそれが仇となり、反王政派は更に窮地に追い込まれている。
件の《隠れ姫君》が、王位継承者として立ち上がり、現王国派のシンボルとして世論を味方につけたのである。
この事件を切っ掛けに、一部の関係者内での隠語だった《隠れ姫君》は《シンデレラ・プリンセス》《ピープルズ・プリンセス》と名を変え、世界中のマスコミに持ち上げられている。
締里は言った。
「国民が期待しているのは、お前達による共和国化ではなくて、アリーシア姫様による新しい時代の幕開けだ。諦めろオーリャ」
「……私個人としては、確かに諦めているわ。時代がアリーシア・ファン・姫皇路を選んだという事は、明白だもの」
空虚な声で、オリガは締里の言を認めた。
「ね、締里。窓の外からの景色……。貴女はどう感じている?」
締里は改めて街の外観に意識をもっていく。
煉瓦造りの建築物が並んでいる洒脱な街並みは、機能美を優先しているニホンやアメリアのビジネス街とは大きくイメージが異なっている。
厳寒地であるユードルシア大陸北部なので、防寒と積雪に対して考慮されたレトロ風の街だ。かといって、ニホンの積雪地方とは趣は別である。
また人口や経済の規模としては小国とはいえ、広大なユードルシア大陸内に存在しているので、島国のニホンよりも人口密度や建物の密集具合、そして道路の広さについての余裕は比較にならない。
そして、ファン王国を象徴する一番の特色。
歴史ある昔からの景観を維持しつつ、近代技術が世界で最も融合している事だ。
街の様々な施設・設備に【魔導機術】が施されていた。
【間接魔導】と定義される規格化された汎用魔術だ。施設・道具等に埋め込まれている汎用【DVIS】に魔術プログラムがプリインストールされている。
この世界は堂桜一族が開発した【魔導機術】という『魔法めいた』魔の技術によって、歴史的な技術革新が起こっていた。一七六〇年代に始まった産業革命に続く、人類にとっての転換だと、現代史で位置づけされている。
人は誰しも魔力を秘めているが、それを物理的に有用可能にする技術は存在しなかった。
だが【魔導機術】という新技術により、人々は魔力を有用可能になったのだ。
従来の資源エネルギーとは違い、人が秘めているパワーを顕在化させる魔術に、世界は熱狂した。科学技術も衰退の一途というわけでない。しかし魔術と略称される【魔導機術】システムは、瞬く間に様々な技術分野へと根を下ろした。
そして魔術のノウハウを一手に握る堂桜一族は、莫大な資本を手にしたのみならず、世界で最も影響力を誇る巨大財閥へと膨れあがったのである。
それが統護が属している血族――堂桜なのだ。
そして、このファン王国も魔術の普及による恩恵を一身に受けていた。
【魔導機術】には、とある特殊なレアメタルが必須だ。
そのレアメタルの産地が、この小国である。実に世界生産の約九十七%を占めている。
ファン王家は【堂桜エンジニアリング・グループ】と独占契約を結び、貿易利益の実に八割近くを、このレアメタルによって得るようになった。これといった海外への輸出産業を持たなかった小国のGDPが劇的に跳ね上がった。世界でも類をみない発展を遂げた。
締里はオリガに訊く。
「私には、このファン王国が繁栄した象徴に見えるが、何かおかしいか?」
「本当に魔術様々よね。貧しかった小国である我が国が、【魔導機術】がもたらした外貨と利権によって金持ち国家になって、世界でも注目を浴びるようになった」
「それが不満?」
「いいえ。それ自体は別に。ただ……利権を王家が独占している現状は間違っている」
固い口調だった。
内紛の原因は実にシンプルだ。レアメタルを巡る利権問題――の一言で済む。
共和国化してレアメタルの権利を民間に移せ、という要求のもとで、内戦は勃発した。
締里はビジネスライクにオリガを否定する。
「レアメタルの利権が民間に移ると、間違いなく諸々の権利が海外に流出する。ゆえに政府、すなわち王家がそれを守るのは、大局的には民の為になる」
「その程度は中学生でも理解できるわ。けれど、国が堂桜との蜜月で得ている金に対して、民の暮らしはそこまで裕福? 違うでしょう?」
「決して貧しくはないはずだ」
「いいえ。もっと税は軽くできるはず。社会保障を手厚くできるはず。年金だって」
オリガの口調に熱が籠もる。
対して、締里の声は冷えていく。
「共和国化すれば、払う税は減って、もらえる金は増える。そんな近視眼的な誘惑に国民は騙されなかった。それが今回の内戦による革命失敗の最たる原因よ」
オリガから否定の言葉は出ない。
無為に近い会話が途切れたので、締里はオリガに確認する。
「この場に私を案内しているという事は、統護を人質に、私に仕事をさせたいのだろう?」
「ええ、その通りよ」
「私にできる事なんて、潜入と破壊工作、そして暗殺くらいだけど? まさか誰かの護衛でもさせるつもり?」
「詳細なプランは後に説明する。それよりもアンタ、知ってる? レアメタルの原石の持ち出し事件を。もの凄いニュースになったじゃない。あれって私たち反王政派がやったのよね」
「もちろん知っているが、それがどうした?」
さぞや高値で売れたに違いない。だが、それだけの話である。王家と堂桜の契約によって原石は余所に流せないので、国側は堂桜から相応の賠償を要求されただろう。
その持ち出しの一件によって、採掘工場の管理体勢は、更に強化された。
「いい値で捌けたの?」
「売るためじゃないのよね、目的は」
心底から面白そうに、オリガが含み笑いを浮かべた。
「――その持ち出した原石を適当に加工して【DVIS】に使ってみたんだけど、全く魔力に反応しなかったのよね。これってどういう事かしら?」
ポーカーフェイスを崩し、締里は唖然となる。
「莫迦な……」
確かに【DVIS】用宝玉への正確な加工技術は、堂桜財閥のみが保持している。
しかし、違法加工された宝玉であっても魔力に反応しないという話は聞いたことがない。
宝玉にも耐用年数はある。【DVIS】の寿命や故障によって余った、使用可能な宝玉をリサイクルもしている。その利権も堂桜が一手にしているが。
「魔術に使用できなくとも、宝玉が、いや原石が魔力に反応しないなんて……」
「堂桜に渡る前のレアメタル原石を分析して、どうにか人工宝石で代替できないかって模索したの。なにしろ宝玉になる前の原石を手にするのは堂桜のみなんだもの。で、その手の研究を隠れて行っている者にブツを流してみたの。その研究者も成分解析では差がないのに、と首を傾げるばかり。どう? ちょっとしたミステリでしょう?」
「あり得ない。原石として欠陥品だったのでは?」
「最終チェック前に近い工程の物よ。仮にレアメタルそのものじゃなくて、特別な加工法に肝があるのなら、それこそスキャンダルでしょう? 元素鉱物として出荷しているのだし」
締里は息を飲んだ。国の根幹産業が揺らぐ事件になりかねない。
いや。王家側がこの事実を隠蔽しているのだとすると――
オリガは「これは私達にとって逆転できる最後のチャンスなの」と、前置きした。
その言葉を、締里は否定できなかった。
そしてオリガの次の言葉は、容易に予測できる。
「おかしいでしょう? その原因と秘密によっては王家を転覆可能かも。だからアンタに探ってもらうわよ、楯四万締里、いえ、《究極の戦闘少女》――!!」
締里に加工済みの宝玉が手渡された。
小指大の楕円形の石だ。
見慣れた宝玉であるのに、締里が魔力を注いでも反応しなかった。
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本作品は、暴力・虐め・性犯罪・殺人・不正行為・不義不貞・未成年の喫煙と飲酒といった反社会的行為、および非人道的、非倫理思想を推奨するものではありません。また、本作品に登場する人物・団体などは現実とは無関係のフィクションです。