第一章 魔法の王国 2 ―人質―
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堂桜統護は途方に暮れていた。
歩いているのは、異国の街である。ニックラウドという都市名すら分からなかった。
なにしろ標識の文字が読めない。
締里と共に潜入する予定だった目的地に、知らず到達しているとは、この時の統護は夢にも思っていなかった。
「どう? ファン王国の景観は」
ニホン語での問いかけ。それも艶やかな少女の声音だ。
統護は一人ではない。
横には統護と同年代と思われる少女が歩いている。統護よりも頭一つ背が高い。
ボーイッシュな少女だ。セミロングの金髪を後頭部でまとめて、キャップを被っている。
やや細長い目に、横に伸びている唇。だが肉厚ではなく、顎のラインはシェイプだ。
往来ですれ違う典型的なファン人の特徴からは外れ、どことなくニホン人の面影を宿しているので、統護は彼女の容姿に親しみを持てた。
彼女――ラグナス・フェリエールは、統護と締里を拉致した敵だというのに。
ラグナスの気さくな問いかけに、統護はぶっきらぼうに答える。
「悪くないな。できれば締里と一緒に散策したかったよ」
「締里は人質として監禁中だから私で我慢してね」
「分かっているよ」
反王政派に身柄を拘束されて、締里と別々にされてから、統護はほとんど自由だった。
常にラグナスが監視についているが不便はない。まるでお客様扱いである。それにファン王国の公用語を操れない統護にとって、ラグナスは必要な通訳でもある。
逃走を謀れば、締里を始末すると脅迫されている。
締里の無事を確認するまで逃げられない。それに言葉が通じず、身分証明書と金銭がないのでは、逃走に成功しても次の展開がなかった。
「万が一、締里を見捨てて逃げられた場合、堂桜の御曹司サマに野垂れ死にされても困るから、一応は交番と大使館の地図くらいは渡そうか?」
「遠慮しておくよ。俺が締里を見捨てるなんてあり得ないし、そもそも必要ないからな」
極秘任務で入国している。パスポートやビザはない。法的には不法入国だ。
パスポートやビザを用意していても、公的に使用した時点で任務失敗なのだ。
今回の計画発案者であるルシアの情報によると、ファン王国の主要都市には、情報遮断用超巨大【結界】――《アブソリュート・ワールド》が常時起動されている。
魔術を掌握・管理する堂桜一族が個人所有している魔導ステルス型のラグランジュ・ポイント周回人工衛星――軌道衛星【ウルティマ】の観測機能をもってしても、統護と締里のマークとトレースは不可能だった。
統護の戦闘データの撮影(監視も兼ねている)と、統護をターゲットとした盗撮ドローンのサーチおよび撃退用として飛んでいるルシアの自律型ドローンも、【結界】内での独立機能を継続できているが、【結界】外部への通信は不可能にされている。元々からして、対 《アブソリュート・ワールド》用としての自律・独立型の撮影機体なのだ。ステルス機能を搭載しており、存在を承知している統護も何処を飛んでいるのか知らされていない。
定時連絡が途絶えた時点で、ルシアもこちら側のトラブルは把握している筈だが……
「あちこちで色々な魔術が起動しているな」
今は夏だが、ここはニホンではない。高緯度にある北東アジアは寒冷地帯であるはずなのに、気温が穏やかなのは【魔導機術】によるエア・コントロールが効果を発揮しているからだ。
それだけではない。見えない部分のみならず、見える部分にこそ魔術が目につく。
まるで映画の特殊効果だ。
統護には過剰に映る。魔力を元にする物理改変現象なので、通常は使用者の負担にならない範囲で使用するのが常識だ。照明程度ならば常時起動でも大した負担ではないが、従来の科学技術で充分なはずの噴水にまで魔術による演出が施されている。
無駄に魔力を消費しているとしか思えない。
TVや雑誌で知っているとはいえ、感心よりも呆れが先にきた。
(この上、さらに防災・防犯や対テロ用の【結界】が用意されているんだからな)
通常の都市ならば、魔術運用については施設用【結界】を最優先しており、魔術(魔力)の無駄遣いは控えている。イルミネーションなどは電装で充分だし、そういった部分で雇用を保ち従来の科学産業を維持している面もあるのだ。
「知っているでしょう? この王国が魔術の最先端で、その税制度をとっても特殊であると」
「ああ、もちろん。有名だもんな」
堂桜が【魔導機術】を普及させるモデルケースとして、このファン王国は選ばれた。
ファン王国の民は、税を金銭だけではなく魔力でも納めている。
この税制度は世界で唯一だ。
魔力の売買についても【堂桜魔力】が世界的に独占しているが、ファン王国だけは例外として、魔力も納税手段としてファン王家が管理していた。技術的にはグループ企業である【堂桜魔力】が介在しているが、制度に対して技術使用のロイヤリティーは要求していない。
「税金ならぬ税魔力……か」
「この国ではそれが普通になっているけど、常時、生命エネルギーそのものを国に献上しているイカレタお国柄よ。この王国では何よりも魔術を優先する。他国へのアピールとして」
ラグナスはカード型の【DVIS】を統護に見せた。
名刺と同じサイズの品物だ。
ちなみに【DVIS】は使用者のニーズに合わせて様々な形態が存在する。
この【DVIS】がファン王国の国民証であり、定期的に国民はカードに魔力を供給しなければならないのだ。各々の魔力総量によって供給量は設定されており、仮に不足した場合、税金として換算されて国から請求がくる仕組みだ。
そして【DVIS】が【魔導機術】を使用する為のキーアイテムであり、【DVIS】内に埋め込まれている特殊な宝玉の原石が、ファン王国特産のレアメタルという関係だ。
ラグナスは忌々しげに続ける。
「魔術師用の専用【DVIS】と一般人用の汎用【DVIS】ってだけじゃなく、納税用【DVIS】の携帯を義務付けられているなんて……、間違っている」
「だけど汎用【DVIS】としても使用できるんだろ?」
「ええ。このカードで魔術を使用すればポイントが貯まって、ポイントに応じて税金が軽減されるっていう素敵な制度がオマケでついてね」
「良いことじゃないか」
「お陰でなんでもかんでも魔術、魔術、魔術――よ。手で持って移動できる軽い小物でさえ、移動用魔術をわざわざ使うヤツまでいる始末になった。馬鹿馬鹿しい」
「それは、確かにちょっとやり過ぎだな」
「魔術師でもない一般人だってのに、他国の魔術師よりも無駄に魔術を使いまくってるわよ」
統護には何も言えなかった。
どうやらラグナスは【魔導機術】が嫌いなようだ。
むろん世界中の人間が魔術を歓迎しているわけではないと、統護とて承知している。魔術を拒否する人々も存在している。そういった人々はファン王国では生活しにくいだろう。
「もう一度訊くわ。魔術が使えないアンタにとって、マスコミに『魔法の王国』と揶揄される光景、どう思う? 本当に悪くないって思う?」
「これはこれでアリかと思うけど、魔術が嫌いだとキツイかもな」
統護の脳裏に【エルメ・サイア】という単語が過ぎる。
政治団体・宗教団体・人権団体・環境自然保護団体といった様々な者達の中に、反魔術を掲げている勢力が存在している。
純粋な思想が理由であったり、失った利権を取り戻す為であったり、魔術という利権に割って入るのが真の目的――など、彼等の内実や在り方は多種多様だ。
反魔術団体と定義されている勢力は、世界中で幾つも活動しているが、最もメジャーなのが多層宗教連合体【エルメ・サイア】である。
そして【エルメ・サイア】は単なる反魔術団体の枠組みには収まらず、過激派テロ組織という側面を持ち、巨大資本と権力を背後に隠している世界的勢力だ。
統護にとっては倒すべき敵でもある。
ラグナスが足を止めた。
「どうした?」
「そろそろ散歩の時間も終わりかな……ってさ」
「どういう意味だ?」
「この国の表向きの様子くらいなら、ネットからでも手に入るでしょう。ネットでも手に入らない裏側も、ひょっとしたら承知の上でアンタは行動しているのかもしれない。だから散歩には別の理由があるに決まっているでしょう」
統護の顔色が変わる。
「回りくどいな。目的をハッキリ言ってくれよ」
焦躁を抑えながら言った。締里の安否を握られている以上、統護に拒否権はないのだ。
ラグナスは楽しさを堪えられない、という顔で頬を緩めた。
「アンタ、戦闘能力は凄いらしいじゃない。戦闘能力は。魔術を使えないってのに、魔術戦闘で強敵相手に連戦連勝。わざわざネットにアップしてアピールする程だものね。特に対抗戦での試合は興味深く観させてもらったわ。本当に強いわね」
「褒めても何も出ないぜ」
「でも、所詮は堂桜財閥というぶっとい親の臑を囓っているだけのお坊ちゃまかしらね、やっぱり。貧困やハンデ、泥水を啜った事のない――甘ちゃんよ。体制側の利権に過保護に守られているションベン臭い坊やが、私達の世界に首を突っ込んで仕事の真似事しようだなんて、ちゃんちゃらおかしいわ。お守りを押しつけられた《究極の戦闘少女》には同情するけどね」
統護は唇を噛んだ。何も反論できない。
仮に締里一人での単独ミッションだったのならば、彼女はとっくに危機を脱している。
自分が彼女の足枷になっているのだ。足手まといなのだ。
ラグナスは反対車線側の歩道に親指を向けた。
「向こうでスマホを弄っている女、四人の内の誰か一人を、――アンタが浚うのよ」
コンビニエンスストアでお菓子を万引きしてこい、という様な口調であった。
その命令に、統護は愕然となる。
予想外だ。自分を誘拐犯に仕立てて、逃げ道を塞いでくる作戦だったとは。
「街中での防犯体制は死角がメインになっているわ。白昼堂々、メインストリートで誘拐するってケースまで完璧にはカバーしきれない。防犯カメラを極限まで増やしたって、それを視認して判断するマンパワーには限りがあるからね。警察の対応はシミュレート済みよ」
「いいのか? 防犯カメラの映像から堂桜側に俺の状況が知られるぜ?」
この指摘で、ラグナスが考えを変えてくれれば、と統護は願った。
このまま命令に従って誘拐するにしても、堂桜側へのアピールの為に、可能な限り派手に立ち回るつもりだ。
だが、統護の期待も虚しく、ラグナスは微塵も動じなかった。
「女一人の誘拐事件じゃ海外どころか国内TVですら報道されないから。ほら『魔法の王国』の治安イメージが悪化するじゃない? この国って昔からかなりの隠蔽体質なのよね。なにしろ古くからの王国――独裁政権だし。今回の内戦だって実情はもっと酷いのよ。仮にアンタの所在が堂桜側に知られても、こちらの計画には支障はないし」
素人が余計な心配しなくていいから、とラグナスは鼻で嗤った。
王国の情報規制と情報統制が深刻な件については、アリーシアから聞いていた。彼女は将来的には改善したいと言っていたが、現在でも隠蔽体質は改善されていない。
統護の身体から冷たい汗が滲み出てくる。
「そうかよ。でも浚うっていっても、どうやって逃げるんだ?」
「へえ。やるって即決する程度には判断力はあるのね。ま、慌てないで。あの赤いライトバンが仲間よ。浚った直後に路肩に寄せる手筈になっているから、頑張って」
やるしかない。しかし一点だけ譲れない事がある。
統護は確認する。
「最後に訊くが、浚った女をどうするつもりだ? 殺したりしないよな」
「人質に決まっているでしょう。《究極の戦闘少女》単独じゃなくアンタが付いているって事は、そちら側の計画には堂桜統護が必要って事。私達はソレに乗じた計画を立てて、アンタと締里をかっ攫った。だから貴方達二人に対する新しい人質が必要なのよ。特にアンタが選んで巻き込んでしまった、という人質がね」
じゃあ選びなさい――と指示されて、統護はターゲットを決めた。
心の中でその女性に詫びながら。
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