第四章 光と影の歌声 20 ―戦略級魔術―
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完膚無きまでのダウン。前のめりに崩れ込んでからの顔面ダイブだ。
しかしセイレーンは辛うじて意識を繋ぎ止めていた。
「どうして……? なぜオルタナティヴは後ろからの攻撃を見切る事ができた?」
「答えは単純明快。ステップ音と貴女の『サヨナラ』って台詞から」
「な――に。聞こえて、いる!?」
セイレーンが俯せになっているままなので、オルタナティヴは読唇ができない。
だがオルタナティヴは流暢な受け答えをしてみせた。
「アタシは貴女の『歌』を封じる為に鼓膜を自ら破ったわ。その結果として、当然ながら耳からの音――正しくは鼓膜の震動を拾っての音波は認識不能になった。けれど聞こえないなんて一度も云っていない。そのカラクリの正体は……
――頭蓋骨の骨震動を拾って音波を認識、独自暗号に変換して聞いているのよ」
人間が認識している自分の声が、他人に聞こえている声色と異なるのは、よく知られている。
録音再生した自分の声を聞いた者の大半が、そのあまりの違いに驚く。
差異が生じる原因は、自分が認識している自分の声は、頭蓋骨の反響も拾って聞いているからだ。また聴覚に障碍があったベートーベンが、ピアノに頭をつけて骨震動によって音を聞いてたというエピソードも存在している。
オルタナティヴは《ローブ・オブ・クリアランス》によって頭部周辺の空気振動を頭蓋骨に強調反響させて、なおかつ複数の震動数にフィルタを掛けて、独自暗号として聞いていた。
セイレーンの両肩が激しく震えた。
くくくくくッ、という笑いがせり上がってくる。
幽鬼のような不安定さで、セイレーンが立ち上がってきた。軽く押せば、再び倒れてしまいそうな力感のなさだ。
オルタナティヴは静謐な瞳で、セイレーンを見つめる。
セイレーンは自分の喉を、右手で掴んだ。
「おっと。ちょっとでも動いたら、この喉を潰すわよ。そうしたら榊乃原ユリを助けたとしても、二度と歌えなくなる。それは貴女の依頼にとって不都合でしょう?」
ゆっくりと、ゆっくりとセイレーンは後ずさる。
両膝がカクカクと揺れている為に、泥酔者の千鳥足よりも酷い歩き方になっている。
ステージの端までセイレーンは後退した。
「認めるわ。この魔術戦闘の勝者は貴女――オルタナティヴよ」
自虐的な笑顔で、セイレーンは己の敗北を宣言した。
しかしオルタナティヴは表情を変えない。彼女にとっての勝利は、あくまで『榊乃原ユリを救い出す』という条件を満たす事のみ。相手に敗北を認めさせる事ではないのだ。
「もう恥はかき切ったってところかしらね。最初に右ストレートを食らい、次にライトクロスでダウンさせられて、挙げ句の果ては豪快にノックアウトされた。衛星放送で世界各国にライヴ中継されているけれど、ただ今、世界中で絶賛笑い者にされているでしょうね」
セイレーンはやや呂律が怪しげな口調で、吠えるように叫んだ。
「もう! 【エルメ・サイア】の幹部という地位も、【エレメントマスター】としての畏怖も地の底に落ちたッ!! だから体裁には拘らない!! 面子もプライドも棄てたッ! 敗北という現実と愚民からの嘲笑・軽蔑を受け入れる代償として、
――とびっきりのチート魔術を使わせて貰うわね」
パチン、とセイレーンは指を鳴らす。
ヴン! という電子音が客席のいたるところから聞こえた。
七万人を収容している会場に設置されている【AMP】が一斉に作動する。
その【AMP】は外見としては、一般的な照明機器と見分けがつかない。しかし【AMP】として六百六十六個、上空から観察すると巨大【魔方陣】を形成するように配置されていた。
その巨体【魔方陣】の機能とは――
「実はね。このライヴの客達には、来場記念の限定グッズとして超小型【AMP】を仕込んだ栞を配布しているのよ。その【AMP】と会場に仕込んだ【AMP】によって形成される巨大【魔方陣】、そして私の《ナイトメア・ステージ》の機能があれば――七万人からの魔力を共有可能になるの」
オルタナティヴは絶句した。
いくらなんでも、そんな手段に打って出るとは予想外に過ぎる。そもそも、そんな真似をして何をしようというのか。
「魔術師レヴェルの魔力総量をもつ客は、百名に満たないでしょうが、それでも例え微小とはいえ七万人分の魔力。どれだけのチカラになるのかは、この私にも想像がつかないわね」
「その巨大に過ぎる魔力で――何をするつもり? まさか戦略級魔術を行使するなんて、馬鹿げた考えをしているのではないでしょうね?」
戦略級魔術。
それは魔術学問においては、正式な名称ではない。そんな魔術用語は存在しない。
この【イグニアス】世界で、核兵器、大規模破壊兵器、広域化学兵器と同じ戦略兵器に分類される攻撃性魔術を指す、国際法で定義されている用語である。
戦略級という名称通りに、戦術よりも広範囲――一撃において都市一つを破壊しきり、戦況を大きく揺るがす破壊力を有する魔術が、国際法における禁じ手として制定されている。
「意味がないわ。あまりに無意味よ。戦略級魔術なんて愚かな手段は」
眉根を寄せてオルタナティヴは訴えかける。
戦略級魔術は戦闘ではなく戦争に用いる手段――ですらない。戦略級魔術を戦争で使用するくらいならば、他の科学兵器による広範囲攻撃で充分だ。
封印解除した堂桜一族。あるいは【エレメントマスター】の魔力総量と意識容量を、最大限シンプルな術式につぎ込んで広範囲無差別攻撃すれば、街一つくらいは消し飛ばせる。いわゆる戦術級クラスの破壊力は実現可能だ。
しかし、そんな乱暴かつ粗雑な戦闘方法など魔術戦闘の利点と意義からすると、本末転倒もいいところだ。
科学兵器による攻撃よりも環境的クリーンかつ効率的、そして対象を選別して物理現象としてエミュレート可能だからこその、魔術戦闘であり魔術兵器なのだ。
セイレーンはオルタナティヴの疑念を否定した。
「安心なさい。確かに戦略級魔術の使用は可能でしょうが、世界中どころか【エルメ・サイア】さえ敵に回しかねない手段は流石に用いないわ。単純に、七万人分の魔力を二度に分けて使うつもりよ。一発目で戦略級魔術に匹敵する一撃を。その後を追う二撃目で、その戦略級魔術を上から押さえ込んで、被害を直径五メートル以内に押さえ込む【結界】を。つまり標的は貴女一人というわけ、オルタナティヴ」
再びセイレーンは「くくくくく」と、悲しげに嗤った。
「驚いた? 恐い? それとも怒っている? まあ確実なのは、この舞台を衛星中継で観ている者たちは腹を抱えて笑いながら、このセイレーンの無様を馬鹿にしているでしょうね。見事にぶちのめされて、そしてこんな手段に逃げ込むんだものねぇ。最初、この仕掛けを聞かされた時には『このセイレーン様が負けるはずないから必要ないし出番もない』って言ったのよ。それがまさか、こんなザマになろうとはね……」
「セイレーン、貴女」
「そんな同情の目で見ないでよ。せめて軽蔑しなさいよ。じゃないと余計に惨めじゃない。だけどね……。最初に云った通りに、勝負は貴女の勝ちで終わり!! だからもう勝敗でも優劣でもなく、どんなチートでチープな手段に縋ろうと、みっともなかろうと、純粋に私は生き延びてみせるッ! その為にお前という障害を排除する。敗北と引き替えにチートを使ってね」
チート――反則、ずる、インチキといった蔑みの言葉だ。
セイレーンはそのチートという言葉を使う。己のプライドをズタズタに引き裂きながら。
オルタナティヴは決断を迫られる。
ここまでの魔術戦闘で、充分にセイレーンという存在と交錯して、触れ合えた。
彼女の心に触れる事ができた――はずだ。
刃を抜くか。
(大丈夫なの? 本当にこれで掴み切ったのか。セイレーンという『概念』を――)
失敗すれば、榊乃原ユリも斬ってしまうだろう。だから容易には刃を抜けない。
迷うオルタナティヴに、セイレーンが告げる。
「何を戸惑っているの? 逃げてもいいのよ? それならそれで私は貴女を見逃すわ。勝敗はすでに決しているのだから、貴女がいなくなるのならば、逃走でも私は構わない」
「いいえ。アタシは逃げないわ」
決然と否定する。逃げては、榊乃原ユリを救えない。
耐えきれるか。だが、たとえこのまま倒されても――堂桜統護が残っている。
ならば彼に後を託す為にも……
(とにかく。最初の一発を耐え切ってみせる。魔術を彼に見せなくては)
物理攻撃を慮外して、魔術抵抗(レジスト)に全てを注ぐ。
「そう。やはりね。貴女は私と違い誇り高い女だものね。……じゃあ、気高い貴女らしく誇りと共に消えるがいいわ。
――《デッド・エンド・カーテンコール》ッ!!」
高らかに奏でられた【ワード】。
カーテンコールという名称とは裏腹に、舞台を破壊して閉幕する終わりの魔術。
七万人を包括する巨大【魔方陣】が始動する。セイレーンの巨大【結界】である《ナイトメア・ステージ》とリンクした。
その時であった。
設置されている【AMP】は六百六十六個であるはずだったのだが、セイレーンの意識内に予定外の【AMP】――七十七個による強制リンケージとジャミングが割り込んできた。
セイレーンは息を飲む。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!
辺り一帯が縦揺れし始めた。
オルタナティヴは訝しむ。攻撃魔法の前触れとは思えない。
「な、なんだ? なにが起こっている!?」
セイレーンの様子から、オルタナティヴも何か不測の事態が起こったと理解する。
やはり攻撃魔術は発動しない。しかし、何か別の事象が鎌首をもたげていた。
不規則な音が反響、共鳴し合う。
七万人を贄とした巨大魔方陣を柱として――
光と闇の雨が、さながら落雷のように降り注いだ。
再び音が消失。
さらに世界から色彩が消える。
存在する色は真白のみになり、外郭は黒のみだ。
ワイヤフレームで構成されているCGソフトのモデリング画面のようである。
白と黒のセカイ。
――全てが『停止』していた。
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…
世界が白の色と黒の輪郭のみとなった。
時は止まっている。
この現象は――〈ゲイン〉と名付けられていた。
そして名付けたのは〈資格者〉と呼ばれる者達である。
白と黒の停止世界で、彼等〈資格者〉のみが唯一、活動を赦される。
ゆえに過去に観測されていない。
実際に発現しても知り得るのは〈資格者〉のみなのだから――
此処はMMファスタ会場内にある、地下の隠し通路である。
音もないセカイゆえ、足音はない。
〈資格者〉の一人は、とある場所へと足早に向かっていた。
この〈ゲイン〉現象が発現する可能性を察知して、密かに〈儀式〉の準備を行っていた。
闊歩しながら〈資格者〉は、復習めいた自問をする。
この【イグニアス】と定義される世界においての疑問点。
数多の平行世界において、全ての人間が最低量の魔力を有しているセカイ。
そのセカイにあって、【魔導機術】という〔魔法〕モドキの魔術が発展し、そして既存の科学技術を侵食している。確かにエコロジカルな技術であるが、なぜ、こうまでも科学技術に置き換わって発展したのか? 単なる技術革新なのか? その必要性と必然性は?
なによりも――数多の平行世界に存在している堂桜の血筋が、この【イグニアス】世界に限り、全員が集合しているのだ。
加えて、堂桜の血筋が【魔導機術】システムの技術と既得権益をほぼ独占している。
あまりに不自然だ。
しかし、この〈資格者〉は不自然を自然と定義し直す事によって、同時代の〈資格者〉の中から一歩抜きん出る事に成功した。他の〈資格者〉は、この者が向かう先を把握していない。
この世界、この時代における〈ゲイン〉発現は、此度が初となる。
〈ゲイン〉が実際に発現すると、これで理解した〈資格者〉もいるであろう。
だが、すでに遅い。この一回で成功させてみせる。
足が止まる。〈儀式〉の為の隠し部屋に到着したが、他の〈資格者〉の姿はない。
重々しい鉄扉が開かれた。
視線の先にあるのは――
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