第四章 光と影の歌声 10 ―内閣特務調査室―
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ユリが去った控え室から、オルタナティヴも出た。
状況からして、もうユリを狙う兇手はいない。いや、その役目はすでに――
オルタナティヴもステージへと歩き出す。場所は舞台袖がいいだろう。
野外なので歓声が直に轟いてくる。
見晴らしのいい直線が終わり、角を曲がると足が止まった。
淡雪が待ち構えていた。
また逢ってしまった。いや――向こうから逢いに来た。
表情からは淡雪の気持ちは読み取れない。こんな顔は初めて見る。
堂桜統護の差し金か。彼は自分の事情――〔制約〕を淡雪に説明したのだろうか。
通信や暗号でも『伝えられない』という〔制約〕だ。しかし、この【イグニアス】世界における特異点でイレギュラーの彼を介してならば可能かもしれない。
だとしたら。
普段のクールさではなく、気持ちを押し殺した平坦な口調であった。
「済まないわね。アタシは急いでいるのよ、淡雪さん」
嘘ではない。事実として、早くユリの傍に戻るのは必須である。
だが、期待を打ち消されるのも恐かった。統護が自分と淡雪の関係を取り持ってくれたのでは――という、以前と同じ姉妹に戻れるのではという、期待が無くなるのが。
再び足を動かす。
先程のユリと同じく、オルタナティヴは視線を合わせずに淡雪の横を通過した。
「そうですか。それですのならば、また次の機会に。――オルタナティヴさん」
オルタナティヴさん。
他人行儀で冷淡なその台詞に、オルタナティヴの心がギリシと軋む。壊れそうだ。
彼女は奥歯を噛み締め、歩みを継続する。
淡雪は追ってこない。
(これでお相子だ。悲劇のヒロインぶる資格なんてアタシにはない)
全てを棄て、これを覚悟していた。それを先に妹に突きつけた。
因果応報だ。
だって、この傷みは自分が淡雪に与えたモノが、跳ね返ってきただけなのだから……
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…
ごぉぁァオおぅ!!
あやとりを編み上げるように、四方からの火線が絡み合い、爆音がなった。
全ての射線が交差した一点。
闇を鮮烈な紅で染める高温。
標的が黒焦げになるはずであるその座標は――無人だ。
「消えた――だと!?」
【黒服】を纏った射手たちは、突如としてロストした深那実を求めて視線を彷徨わせる。
彼等【ブラック・メンズ】がかけているサングラスは、赤外線機能を備えている。暗闇であろうとも容易に相手を見失ったりはしない。
しかし現実として彼等は深那実を撃ち損ね、あげく居場所を逃している。
「いやぁ、ありがとね。期待通りだわ――ミス・ドラゴン」
危機感皆無の呑気な声は、天井からである。
人を食ったような深那実の言葉に、【ブラック・メンズ】達は一斉に天井を見上げた。
上には、深那実がぶら下がっている。
自力ではない。人間の跳躍力では不可能な芸当である。天井の模様と光源の乏しい薄闇に溶け込むような光学迷彩を纏っている人型に、深那実は釣り上げられていた。
ミス・ドラゴン。
その異名は【ブラック・メンズ】達も衆知していた。有名な兇手の通り名だ。
彼等の一人が女兇手に問う。
「どうして【内閣特務調査室】の殺し屋が、そのドブネズミを助ける」
非公開かつ非公式の機関名――【内閣特務調査室】。
かつて深那実もほんの一時だけ籍を置いた時期がある、ニホン政府直属の特殊機関である。
深那実は舌を出して彼等を挑発した。
「ばぁ~~か、ばっかァ! 私と鈴麗は調査室時代からのマブダチだっての」
魔術による光学迷彩――《カメレオン・ミラージュ》から覗く中華女の表情は、忌々しげに苦り切っている。
「組織の情報を持ち逃げした貴女と友達だった記憶などないわ」
「いやいや。組織だけじゃなく歴代政権と国家の弱みを握っているから」
「なお悪いわ。国家の敵」
「私もニホンの納税者サマだしぃ~~。それに、現にこうして助けてくれたじゃないの♪」
ち、と鈴麗は舌打ちした。
タネはちょっとした小細工である。昨日の公開オーディションだ。見物していた統護に、深那実はプレゼントと称して、スマートフォン用アクセサリを預けてある。正体はデータ記憶用の媒体だ。時限式でロックが解除される。深那実が今日中に戻らなければ、自動でセキュリティが解かれ、情報が開示されるのだ。
その情報を統護がどうするのかは定かではない。
しかし深那実は統護との関係を、短時間とはいえ、それなりに醸成した。
お人好しの彼が深那実の死を知った時――、その情報に蓋をする可能性は低いであろう。
だから龍鈴麗は、情報漏洩を防ぐ為に深那実を守らざるを得なかった。
堂桜統護からデータ入りアクセサリを奪取するのが困難であるのは、過日の戦闘ですでに折り込み済みだ。深那実はそこまで計算して、統護に保険を託したのだ。
鈴麗が忌々しげに吐き捨てる。
「くそ。本当に癪に障る女ね」
他の情報漏洩経路ならば、国家権力によって握り潰せる。
しかし【堂桜グループ】の嫡子までもを闇に葬れる保証は流石にない。
特に正体不明の巨大なチカラを秘める謎の少年となれば。
「褒め言葉として受け取っておくわね。で、悪いとは思っているけれど、メンテナンスと再調整で《究極の戦闘少女》が使えない状況で彼女――榊乃原ユリの件は大丈夫なの?」
「そちらの方は問題ないわ。元よりこのイベントにはお前の監視で来場していたから」
「ふぅん。なるほど」
会話の終わりを見計らったかのように、【ブラック・メンズ】達の攻撃魔術が再開された。
深那実は軽やかに射程外へと着地を決めた。
鈴麗は天井から壁面へと蜘蛛のように移動する。
「それじゃあ鈴麗。【黒服】達を任せるわね。縁があったらまた会いましょう」
深那実の言葉に反応を示さず、鈴麗は闇と同化しながら【ブラック・メンズ】を倒していく。
鋼鉄の刃爪――毒手による突きで、【ブラック・メンズ】の命は次々と絶たれていた。
残響すらない一撃必殺。
闇の中での戦闘は、光学迷彩を魔術特性とする女兇手の独壇場だ。
鈴麗は魔術戦闘を得意とするのではなく、闇討ちや暗殺がその本領であるのだ。
どちらが死のうが、どうせ闇に葬られる運命の者達である。深那実自身も含めてだ。
(計算通り計算通り)
ほくそ笑みながら、深那実はこっそりと戦闘圏であるブースから離脱する。暗闇は脅威ではなく、深那実の味方であった。
しかし計算外だったのは、例の三体の【ドール】が余所へ移された事だ。
「早く移動先を割り出さないと間に合わなくなるわ」
人払いのために外周を固めていると予想できる【堂桜セキュリティ・サービス】の、おそらくは特殊部隊をどうやって出し抜こうか――と、思案しながら走っていると。
「いよぅ! 先日は色々とありがとうなぁ!!」
無音をぶち壊す野太い声が響く。
今度はガチだぜ姉ちゃん、と好戦的に両頬を釣り上げた業司郎が立ちはだかった。
瞳を爛々と輝かす彼は一人である。
心底から楽しそう、かつ嬉しそうな業司郎に、深那実は苦笑する。
「おやおや。こんなところで奇遇ですね」
「へへへ。姉ちゃんについては叔父貴に許可もらっているんだ」
「何の許可――って、訊くまでもないか」
「応よ。姉ちゃんをぶっ殺しても構わないってよ」
戦闘狂らしい殺傷本能に塗れた業司郎の表情を見て――深那実の貌が変質した。
冷えていく。どこかおちゃらけた余裕のある愛嬌が消え、残酷な冷たさで満たされていく。
ペロリ、と舌なめずりする。
過日の裏路地では穏便に済ます予定であった。けれど業司郎は一線を踏み越えた。
(まあ、ここまでくれば『隠す』必要はないでしょうね)
統護との契約は終わっている。
そして業司郎は一対一で命と命のやり取りを要求してきた。
多勢が基本の【ブラック・メンズ】達とは違い、個々での白黒を単身で突きつけてきた。
飄々と誤魔化す手段はまだ残っている――が、しかし業司郎の意気に応えよう。
否、流石にここまで舐められるのは、今後の沽券に関わるか。
「いいでしょう――」
殺し合いがしたいのならば、命と引き替えに、私の【空】の神髄を味あわせてあげるわ。
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