第三章 姉の想い、妹の気持ち 5 ―潜伏―
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高校から帰宅する先は、堂桜本家の屋敷ではない。
統護は深那実に指定された道順で迂回して、宿泊しているホテルへと帰った。
裏通りに埋没している安ビジネスホテルや安モーテルとは違い、ホテル自体は一級品といってよい。事実、標準で一泊五万円という値段が全てを物語っている。
それでも深那実は慎重と用心を統護に要求した。
(あの人、どんだけヤバイ橋を渡ってんだよ)
広大なエントランス・ロビーを通過する。堂桜一族が使用するにはグレードが低すぎるが、統護のメンタルは一般庶民だ。とある業と血脈を影ながら継ぐ一族――といっても、実態は安サラリーマン家庭で住まいは中古マンションである。
歩いている廊下は、中古マンションの狭くて小汚い共用廊下とはまるで違う。
「……どうにも贅沢には慣れないな」
苦笑しつつ呟く。
元の世界の生活を、ふと懐かしく感じた。
技法を継ぐ為の生活は、この異世界とは対極で、清貧かつストイックであった。訓練や修行という名目で、年に三度は山籠もりを強要されていた。しかもほとんど身一つで行かされた。自然と対話するのに必要らしい。真冬であっても滝に打たれ、川で魚を捕らえ、野生の鹿や猪を狩るのも、遙か古に一族の祖が交わした神々との〔契約〕だそうだ。
深那実が言った誤魔化しは少々的外れである。自分の業と躯は〔魂〕を清める儀式の一部に過ぎないのだから。格闘戦には、変人の母から強制的に教え込まれた近代ボクシングをベースに立ち回った方が効率的というだけだ。イザとなれば、業をもったいぶるつもりはない。単に格闘用という意識がないだけなのだ。なにしろ流派名すらないのだから。
「もう『ぼっち』には戻りたくないけれど……」
高級品に囲まれるよりも、また独りで山に籠もり自然に囲まれたい――と思ってしまう。
以前はあんなにも嫌で苦痛だったのに。
やはり自分は『ぼっち』気質なのか。
超人化している肉体に、もうフィジカル・トレーニングは必要ないかもしれないが、精神を研ぎ澄ます為に山に還りたい。元の世界では、山は様々な〔 〕を感じられる特別な場所だった。
だが、この異世界――【イグニアス】は元の世界とは異なり、自然に溢れた山で精神を高めなくとも、容易に〔 〕に触れ、感じる事ができる。逆に意識のチャンネルを制御しなければ、過剰に反応してしまうくらいだ。
気が付けば、深那実の部屋に到着していた。
フロントで解錠用【DVIS】と鍵は受け取らなかった。
統護は魔術が使えない。うかつに触れて扉の魔術ロックを解除しようとすると、ロック用の施設【DVIS】を破壊してしまう。よってノックするしかない。こういった時は、融通を利かせられる大財閥の御曹司でよかったと再認する。もしも一般庶民のままでこの異世界に転生していたのならば、日常生活すらどうなっていたか……
コン、コン、……コン!
リズムを変えて三度。打ち合わせ通りにする。
「深那実さん。俺だ。いま帰ったよ」
ドア前に防犯カメラは設置されているが、用心として合い言葉を数パターン決めてある。
今回は――
「質問1。私のパンティは清楚な白でしょうか、それともスケスケの黒でしょうか?」
「フリフリのピンク」
「質問2。貴方にとって琴宮深那実という女性は?」
「宇宙で最愛の人」
「質問3。私のブラのカップは?」
「マグカップ」
「よし、入って」
ドアが開けられた。もう少し暗号の言葉を何とかして欲しかった。
深那実の部屋――というか統護が宿泊費を出している部屋は四人部屋である。
統護が深那実の延滞料金を支払った時には一番安いシングルルームであったのだが、統護が宿泊代を受け持つ事になると、深那実は四人部屋に引っ越してしまった。統護としても深那実とシングルルームで同居するわけにもいかないので、引っ越し自体は否定できないが、ここまで広い部屋にする必要性は見いだせなかった。
深那実は部屋に据え付けてあるPCではなく、自前のノートPCを熱心に弄っている。
晄との会話は、すべてICレコーダに記録してあった。レコーダは口頭での簡単な報告の後、深那実に引き渡している。
授業の予習復習に身が入らず、手持ちぶさた気味の統護は、深那実に声をかけた。
「なあ? ちょっといいか?」
「ん~~? なぁに?」
「どうして深那実さんは宇多宵に目を付けたんだ?」
「言ったでしょ。金になりそうな歌だからって。統護くんと一緒で、個人的なコネを作っておきたい相手。世に出る手助けをして恩を売れれば、なお良しって」
「本当にそれだけかよ」
「何が言いたいのかなぁ?」
別に悪い意味ではない、と統護が言おうとした時。
『ルームサービスでございます』
インターホンから、若い女性の声が届いた。
『お待たせいたしました。ご注文の品をお届けに参りました』
統護と深那実はほぼ同時に言う。
「深那実さん、また頼んだ?」
「あれ、統護くんが頼むなんて珍しいわね」
顔を見合わせる。
戦闘態勢を整えようとした統護に、深那実は唇の動きだけで「隠れなさい」と伝える。
(落ち着いていやがる)
微塵も動じていない深那実に、統護は内心で舌を巻く。すかさずソファーの下に隠れた彼女に続いて、統護もカーテンの影に身を潜めた。二人とも音は一切立てなかった。
遠くでドアが開く音。
小気味よい足音が近づいてくる。
メインルームである居間に、小型カートを押した給仕服の女性が入ってきた。
濃紺を基調とした簡素な従業員用制服で、メイド服と呼べるようなフリルは付いていない。
統護は息を押し殺す。
魔術ロックと電子ロック、共にこちらの操作パネルから解錠していない。
不法侵入だというのに、セキュリティ・システムは沈黙している。つまり、そういう相手だ。
山籠もりで餓えたヒグマと遭遇した時でさえ――こんなプレッシャーは感じなかった。
給仕服の女性は部屋の中央で足を止め、グルリと睥睨した。
薄く横長い唇の端が、微かにつり上がる。
「それでは、ご注文のお品――『死』をサービスさせて頂きます」
次いで「――ACT」と給仕女は口にした。
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