第三章 姉の想い、妹の気持ち 4 ―回想―
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武道館のステージは沸騰していた。
周囲の人間は絶叫に近い声で「ゆりにゃん!」と連呼し続けている。
「みぃんなぁぁああ! あったしの新曲、聴っきたいかぁあぁぁ~~~~~ッ!?」
三度目の衣装替えをしたユリは、妖精を思わせる衣装を身に纏っている。
ユリのハイテンションな問いかけに、ファン達も「ききたぁぁああい!」と大合唱で返す。
ぉぉおおぉおおおぉおおおッ!!
数万人のファンの歓声が、音波という名の凶器めいて会場を揺さぶる。
そんな中、優季だけが取り残されていた。
楽しく――ない。
暗殺者からの襲撃を引きずっていないといえば嘘になるが、それよりも淡雪が気がかりで、やはり彼女に付き添うべきだったと後悔している。
ユリの新曲が始まった。
夢と希望を恋心に乗せて、ポップに歌い上げている。
振り付けもシンプルながら軽やかだ。
同時に【魔導機術】――魔術が発動した。
魔術師はユリだ。
彼女が握るマイクが専用【DVIS】であり、この舞台および観衆に様々なイルミネーション効果を幻影として提供する。
舞台に仕込まれた数百の【AMP】がユリの魔術を補助し、《ドリーミング・ステージ》と命名されている大規模【結界】を形成していた。
これこそユリの真骨頂だ。
ショーステージや舞台芸術に魔術を組み込む、という試みは多いが、榊乃原ユリほど高度かつ大規模に魔術とライヴを融合できるエンターテイナーは、皆無といっていい。一部では邪道と批判されてはいるが、新世代の歌としてマスコミに絶賛されている。
夢と幻想へのトリップ。
さながら享楽の異世界。
誰もが熱狂的に、ユリの歌――『彼女のセカイ』へとのめり込んでいく。
本当ならば、優季もこれを一番の楽しみにしていた。
しかし優季はユリの魔術を拒絶した。気分的に受け入れられない。
「――ACT」
特例として一時預かりにならなかった専用【DVIS】――左耳のピアスに魔力を注ぎ、抗魔術性を上げる。【基本形態】を立ち上げていない状態なので、自身に及ぼす魔術効果の解析および魔術ワクチン精製による魔術抗体の体内循環――魔術抵抗(レジスト)は行えない。しかしこの場では、抗魔術性の向上だけで充分だ。
ため息が漏れる。
周囲との温度差が、更に優季の気分を盛り下げる。完全に場違いだ。
無理矢理に押しつけられる幻影と歌が、とてつもなく陳腐に思えて仕方がなかった……
◇
あとほんの数時間で――二日目のライヴが始まる。
昨日の熱狂が、ユリの目蓋の奥に蘇る。
最高の快感であった。
ユリはトイレの個室に籠もっていた。オルタナティヴは控え室で待機させている。
なぜ脅迫・襲撃されている身で、ほんの一時とはいえ護衛を遠ざけたのかというと――
呼び出されていたからだ。
マネージャーの横田宏忠と、専属世話係の聖沢伶子に。
横田がトイレの外で見張りを担当し、同姓である聖沢が個室に入ってきた。
「あの……どうして?」
ぱん、と乾いた音がトイレ内に響く。
ユリの問いに対しての聖沢の解答は、手加減なしの平手打ちであった。
むろん平手一発で頬が腫れたりはしない。肉体的ダメージではなく精神的ダメージを与える殴り方である。
「いつの間にかオルタナティヴに随分と入れ込んでいるみたいですね!?」
「そ、それは……」
「ニホンに戻った直後とは様子が違いすぎるわ。貴女まさか……昔に戻りたいわけ?」
その台詞に、ユリの表情がギクリと固まる。
聖沢はユリに顔を近付ける。鼻先が触れ合いそうだ。
「私と横田さん。二人がいなければ『ゆりにゃん』は生まれなかった。忘れたのかしら?」
「いえ。忘れていません」
そう。ゆりにゃんというキャラは、ユリが独力で造り上げたモノではない。
二人による指導と魔術と併用したメンタルトレーニング。
すなわち自己催眠に近い意識革命。
なによりも――聖沢伶子という【ソーサラー】による、影からの魔術支援。ユリの【結界】である《ドリーミング・ステージ》は聖沢伶子という魔術師の補助があってのものだ。
所属事務所に、オルタナティヴにも知られてはならない――秘密。
「あまり私と横田さんを困らせないで……。ゆりにゃん」
「はい」と、ユリは力なく項垂れた。
聖沢は個室から出て行った。
ずっと二人に見張られている。
気が付けば監視されている。
二人の視線に、時には狂ってしまいそうだ。
(ひょっとしたら、ストーカーって……)
ユリは個室から出て、洗面台の前に立つ。
横田と聖沢から逃げたい。しかし逃げられない。その選択肢はないの。
昔に戻りたくない。
売れなかった、昔。
誰も歌を聴いてくれなかった昔。
思い出したくもない。
鏡に映っている女の貌は、とても胡乱だ。まるでデスマスクのよう。
「さっ! 切り替えなきゃ」
ユリは念じる。私じゃなくて「あたし」だ。ユリじゃなくて「ゆりにゃん」だ。
大合唱が耳朶の奥からせり上がってくる。
ゆーりにゃん!
ゆーりにゃん!
ゆーりにゃん!
ゆーりにゃん!
失いたくない……
この声援を。ファンの支持を。私はみんなに愛されている。みんなが私を褒めてくれる。
魔法の呪文を唱えよう。変身するんだ。
「――ゆーりにゃん。ゆーりにゃん。ゆーりにゃん。ゆーりにゃん。ゆーりにゃん」
歌を失いたくない。
セカイに歌を届けたい。
歌は自分にとって『全て』なのだ。
鏡に映る女の貌が――変わった。
「うっしぃ! じゃあ今夜もサイッコウのステージ見舞ってやりますかぁ!」
快活な笑顔を輝かせ、ユリは力強い足取りでトイレから出た。
「大丈夫。あたしは『ゆりにゃん』なんだ」
もう歌は失わない。
忌々しいストーカーさえどうにかすれば、後は全てが上手く運ぶ。
ストーカーの正体が――『誰』であっても。
急いで控え室に戻らなければ、オルタナティヴに勘ぐられてしまうかもしれない。
「期待しているわよ。オルタナティヴ」
私じゃなくて『あたし』を護って。
ふふふふ、とユリの唇から笑みが――悪魔的に零れた。
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