第三章 姉の想い、妹の気持ち 1 ―宇多宵晄―
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榊乃原ユリの凱旋ライヴ初日は大盛況で幕を閉じた。
地上波、インターネット放送、PPV(ペイパービュー放送)といった映像メディア。新聞、雑誌(電子配信を含め)といった活字メディア。ニホンのマスコミは、政治・外交を差し置いて『ゆりにゃん』一色に染まっている。
単なる話題性のみならず、経済効果が桁違いという事もある。
「で、どうだった? ゆりにゃんのライヴは!?」
休日明け――日曜ではなく祝日だったので、今日は木曜日。
遅刻ギリギリに登校して、自分の机についた統護に、長身の男子生徒が駆け寄ってきた。
肩幅は広いが、無駄な肉のない引き締まった体躯に、それ以上に骨と皮だけという印象のシャープな顔立ち。
元の世界では『ぼっち』であり、この異世界においても男友達が少ない統護の、貴重な友人――証野史基だ。
魔術を失い劣等生に墜ちた統護に代わり、現在は二年次の主席を走っている生徒でもある。
「やっぱり最高だったのか?」
「ゆりにゃん……か」
曖昧に言葉を濁した統護に、史基は声を潜めた。
「ンだよ。ひょっとしてメディアが口裏合わせているだけで、実際は失敗だったのか?」
「いや。そうじゃなくて、だな」
統護は昨日の出来事を説明した。
史基は微妙な顔になる。
「まぁ~~た面倒事に首突っ込む感じか。で、そのジャーナリストって大丈夫なのか!?」
「わからない。だからソレを確かめる」
最初、史基とは険悪に近い間柄であった。だが、先日の【魔術模擬戦】で結果的に共闘し、その後さらに色々と打ち解け合い、今では大概の事を隠さずに話せる親友になっている。
むろん統護が異世界人である事と、本当に史基の身に危険が及ぶ可能性のある事については黙っていた。
「余裕があれば、お前にゆりにゃんのチケット譲ったんだけどな」
「残念だったけど、アレだ。二股デート作戦が失敗に終わった直後に、顔を見せようとは思わないって。ほれ、見てみな」
史基は斜め後ろへ親指を向けた。
その先には――自分の席に大人しくついている優季。
統護は優季の様子に首を傾げた。普段は向日葵のように明るい彼女が、暗く沈んでいる。
「どうしたんだ、アイツ?」
「お前に二股掛けられて落ち込んでいるんじゃないのか?」
「怒りはしても、落ち込むタイプじゃないだろ。実際、作戦がバレた時も全然元気だった」
「だよなぁ。最初は群がってきた女子と話していたんだけど、それが終わってから、ずっとあんな様子なんだよ」
統護は優季を注視した。
落ち込んでいるというよりも、考え込んでいる、といった風に見える。
声を掛けようと、椅子から腰を浮かせた。
ガラ、という引き戸がスライドする音がして、統護は椅子に腰を落とす。
「はい。皆さん席に着いて下さい。朝のHRを始めますよ」
シンプルなデザインのスーツを着ている女性が、教室に入ってきた。
大人っぽさを意識して結い上げているヘアスタイルが、年齢不相応に愛くるしい顔に、全く似合っていない。スタイルがいいはずなのに、子供っぽく見えてしまう。
このクラスの担任――琴宮美弥子だ。
「おっと、いけない」
美弥子の視線に、史基はそそくさと自分の席へと急ぐ。
(やっぱり似ているなぁ)
担任教師の顔が、昨夜から一緒に寝泊まりする事になったフリージャーナリストの顔と、重なった。顔の造形に共通点は少ないが、それでも似ていると感じてしまう。
これが姉妹ってヤツか……と、統護は感心した。
朝のSHRが始まった。
優季にはメールを入れて、後で話を聞こう。
堂桜本邸に当面帰らない件は、すでに淡雪と同様に連絡済みである。その件が原因で、彼女が悩んでいるとは考えにくい。
昨日、いったい何があったのだろうか?
実は淡雪も普段とは違っていた。
当面外泊する件を激怒して反対する――と、予想していたのだが、あっさりと了承した。
拍子抜けし、同時に胸を撫で下ろしたのだが、後々思い返すと、あまりに淡雪らしくない。
その辺も含めて、優季と話をする必要があるかもしれない。
「……その前に、やらなきゃならない事あるんだよなぁ」
統護はため息混じりに呟いた。
思わず声に出してしまうほど陰鬱になってしまう、深那実からの指令であった。
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…
統護のクラスには、文学風の女子が二名存在している。
一人は、《リーディング・ジャンキー》と渾名されているクラス委員長――累丘みみ架。
みみ架は孤独を好み、自分の時間をひたすら読書に費やしたいという変人であるが、本人の希望とは裏腹に、クラスメートに慕われており、嫌々ながらクラス委員長を拝命している。
成績面では史基が。
人望面ではみみ架が。
統護のクラスにおいて中心人物となっている。
対して、もう一人の文学風少女は――
その異名は《ザ・ステルス》だ。
外見的には、みみ架と同類であり、そして《ザ・ステルス》は窓際の自席で文庫本を読むのが学校生活の常であるので、文学少女である事に間違いはない――はずだ。
休み時間になり、統護は《ザ・ステルス》に目を向ける。
彼女は背中を丸めて文庫本と睨めっこしていた。
声を掛けよう、と統護は彼女の席へ行こうとしたが、思い留まった。
(やっべえ。名前なんだっけ?)
忘れていた。しかも思い出せない。
その異名通りに、彼女はとにかく存在感が薄かった。誰かと会話している姿を見た記憶が、統護にはない。常に独り――というよりも、普段どこにいるのか不明という印象だ。
まさか《ザ・ステルス》さん、と呼ぶわけにもいかない。スマートフォンで名簿を確認しようと、ズボンのポケットに手を入れた。
「――宇多宵晄、よ」
耳元で囁かれた声。
うたよい・ひかる、という名を統護は思い出す。宇多宵という姓と晄という名。漢字が覚え難くて……とか、彼女が目立たない人だからでもなく、実は『違った名前』が統護に強烈にインプットされていた為に失念していたのだ。
最初、晄を見た時のインパクト。この異世界に馴染むにつれて忘れていった、あの時の驚きを、再認識した。
横を向くと、みみ架は呆れ顔である。
「サンキュ、委員長」
「昨日の件で介入予定は終わったというのに、世話焼かせないで」
統護はポケットの中で握っていたスマートフォンから、そっと手を放した。
晄は休み時間になると、机の中から文庫本を取り出して開くと、顔の前にセットした。
ふぅ、という吐息と共に、頬が微かに緩む。
(これでいい。これで安全だわ)
両脇を締めて、背中を丸める。うん、完璧だ。
後は休み時間が終わるまでこのフォームを維持すれば、また授業が始まってくれる。
そうすれば――
「ちょっといいか? 宇多宵」
どくん。晄の心臓が跳ね上がった。
幻聴が聞こえた!? この男子の声は、堂桜統護? いったいどうして!?
(フォームは完璧なはず。どこから見ても読書中に見えるはず!)
磨き抜かれたこの形態。果たして何をミスしたのだろうか?
いや違う。今の声はきっと空耳――幻聴なのだ。だから決して本から目を離しては……
「聞こえている? 読書に熱中しているところ、悪いんだけどさ」
「幻聴じゃない!?」
晄は丸めていた背中を反らせた。
そのオーバーリアクションに、統護は頬を引き攣らせる。
統護は周囲を見回す。晄の大声に対し周囲は――全くの無反応だ。
晄は再び本を読む姿勢に戻り、震える声で言う。
「な、なななな、なにか、ご、ご、御用でっ、ご、ごご、ございましょうかぁ」
ばくん、ばくん、ばくん、と心臓が暴れ馬のごとしだ。
逃げ出したいのだが、足が竦んで動いてくれない。
「ちょっと話がしたいから、昼休み体育館の裏辺りで待っている」
「――へ?」
「教室じゃ、お互いに不都合だろうから」
「い、いいぃい、いや、そのぅ、私は――」
断りの言葉というか、拒否する理由を捻り出そうとするが、晄の頭の中はパニックに近い。
全身から大量の冷汗が滲み出る。制服と下着が肌に張り付き、気持ち悪い。
あの堂桜統護が、いったい自分に何の用件があるというのか。
統護は晄の耳元に顔を寄せて、小声で告げた。
ぽそり、と本当に一言だけ。
(……あ……)
晄は硬直した。断れなくなってしまった。
返事を待つ必要なしと判断したのか、統護は「邪魔したな」と去って行った。
途方にくれた晄は、とりあえず文庫本に視線を戻す。
内容など、もう頭に入ってこない。
呼び出しの目的は? ナンパ? それとも決闘の申し込み? 自分なんかを相手に?
彼が天才魔術師だろうが、魔術が使えなくなって成績最下位の劣等生だろうが、晄には興味がない。晄には関係ないのだ。
けれど劣等生になってからの統護は、以前とは逆に積極的に魔術戦闘を消化して、なおかつ戦闘データを世間にアピールしているのである。学内での【魔術模擬戦】そして《隠れ姫君》事件での魔術戦闘、さらに現在では優季の専属執事になっている非合法【ソーサラー】との決闘と、破竹の連戦連勝だ。次のターゲットはまさか自分……とは、思えない。
決闘で魔術戦闘を挑まれても、晄は戦闘系魔術師を志望しているとはいえ、まだ実戦未経験の素人だ。そんな晄を倒しても戦闘力のアピールにはならないのだから。
「全く分からないわ。なんなんだよぉ」
泣きそうになる。自発的に声を上げるなど到底できないが。
堂桜統護は、どうして脅迫なんてしてきたのだろう……
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