第二章 シンパシー 6 ―制約―
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凱旋ライヴの初日は大成功で幕を閉じた。
二度目の襲撃はなかった。
ユリではなく『ゆりにゃん』の強さを、オルタナティヴは舞台袖で確認した。
やはり榊乃原ユリには『ゆりにゃん』が必要なのだろう。
今は深夜の一時半過ぎ。
場所は、今回の凱旋ツアーのメイン住居である『堂桜ネオ東京ホテル』の最上階だ。
二百平米を超えるスィートルームの寝室で、ユリは寝静まっている。
ライヴ初日の緊張と疲労。
そして女兇手の襲撃事件。
撃退と護衛には成功したが、予想通りに撤収した女兇手を取り逃がしていた。光学魔術による幻影効果で、監視カメラの記録も参考にはならない。物証は多く残されているが、そこから女兇手に辿り着けるか――と考えると、否である。残しても構わないレヴェルの物証しか残さないであろう。
(それに……あの女兇手はメインの敵じゃない)
濡れた黒髪が背中に張り付いている。
白い湯気に裸体のラインが隠されている。
熱いシャワーに打たれながら、オルタナティヴは今日一日を反芻していた。
厳戒態勢を敷いているこのスイートルームでなければ、ユリから目を離して入浴を行うのは困難である。とはいえ、イザという時は即時対応可能なように心掛けている。
まずはユリを狙うストーカーの正体を暴く。
その暁には、ユリの本当の敵を――斃す。
「約束したもの。ユリを、いいえ、大宮和子という歌い手を救ってみせると……」
共感したモノがあったから、このミッションを受けた。
本音をいえば、堂桜関係のイベントに近づくリスクは避けたかった。そして危惧は現実になり、再会してしまった。二度と会わないと誓ったはずだったのに。
重なった視線。なるべく合わせない様、気を付けた筈だった。
涙まみれの淡雪の双眸。
ギリ、とオルタナティヴは奥歯を摺り合わせる。
どうしても脳裏から離れない。
自分はずっと淡雪にあんな表情をさせてきたというのか。
本当は名乗りたい。本当はずっと逢いたかった。
〔制約〕――なのだ。
元の自分を棄て去るのが、この身に生まれ変われる条件だった。
自分の正体を知っている父とも、表立って、父娘としては振る舞えない。振る舞うことが許されない〔制約〕が、呪いそのもので掛かっている。心では父と呼んでも、口では言えない。
「――棄てたんだよ、淡雪」
もう口に出して、面と向かったお前を妹とは呼べない。
その資格を棄てて、アタシはオルタナティヴになった。それを赦された。
ばん! と浴室の壁に両手をついた。
項垂れて、頭からシャワーを浴び続ける。
止めどなく両目から流れ出る液体を、顔面を伝うシャワーよりも熱く感じた。
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…
堂桜一族のナンバー2に君臨する男――堂桜栄護は、深夜の来訪に驚いていた。
宿泊しているホテルの超高級スィートルームに、相手は唐突にやって来た。
最初、栄護は不躾な相手に激昂しそうになった。
出張という名目で、久方ぶりに愛人との逢瀬にこぎ着けたのだ。野心に溢れ、多忙な身である栄護にとって、今夜は楽しみなイベントであった。一戦が終わり、月額五十万円で囲っている相手が寝入ってしまっていても、しばしその余韻を味わっていた。
それがブチ壊しである。
世代的には初老の域でありながら壮年の隆盛を維持している鋼鉄の肉体を毛布からはだけ、栄護は頭髪をオールバックにしている額に掌を当てている。
指の隙間から覗く目は――畏怖に染まっていた。
栄護とて、前世代の堂桜一族において直系に系譜される、超一流の戦闘系魔術師である。
その彼が【ソーサラー】として現役を退いているとはいえ、こうも露わに怯えている。
震える声で、栄護が呟く。
「ど、ど、どうして……。セ、セイ、」
無粋な闖入者は「黙れ」と、栄護の言葉を遮った。
栄護は額に当てていた掌を口元へと移動した。
「あたしのコードネームを口にしていい者は、同格か、このあたしが認めた者のみよ」
「す、すいませんでした」
小さい音量は、寝入っている愛人への配慮ではない。
「に、しても。……ぅふふふふ。なかなか面白い前哨戦だったわね」
闖入者――いや、すでに誰なのかは、栄護には判っている。
照明が点いていない暗闇の中、容姿の詳細までは判別できないが、このシルエットは……
【エルメ・サイア】から派遣されてきた大幹部――『コードネーム持ち』である。
しかも能力的には、事実上の『最強』とまで評されている【エレメントマスター】だ。
今宵、初めて栄護の前に姿を現した。
栄護が方々まで手を回し、このニホンへの密入国に尽力したのだ。とはいっても、どの幹部がニホンに赴いてくるのかまでは、当の栄護にも知らされていなかった。
多層宗教連合体【エルメ・サイア】。
多数の宗教団体の裏組織が手を組んでいる、世界的な魔術テロ集団――と定義されているが、実相としては、もはや教義など有名無実となっている。魔術が根幹技術となっている今の世界を改革する、という名目で世界的に活動している超巨大テロ組織である。
現状の魔導世界を否定しながら、その魔術をテロに利用するという過激派だ。
幹部をはじめとした有力者も【魔導機術】とは切っては切れない関係にある者が大半である。
つい先日まで、このニホンにおいては【エルメ・サイア】への防衛ラインは完璧だった。
しかし、この栄護の手引きによって《雷槍のユピテル》という『コードネーム持ち』――すなわち【エレメント・マスター】と呼ばれる究位の魔術師である幹部が、ニホン潜入に成功していた。
だがユピテルは栄護の思惑に反して、かの《隠れ姫君》事件で堂桜統護に謎の敗北を喫し、ニホン政府の特務機関によって身柄を拘束されている。堂桜一族上層部の意向で、ルシア・A・吹雪野による統護の戦闘データが放流されているが、明らかに肝心な部分をぼかした代物であった。特に対ユピテル戦は途中から決着までの一部が不自然に過ぎる映像だ。改竄した跡は解析できないが、あの女の魔術特性ならば、その程度の芸当は可能なはずだ。
この幹部は、そのユピテルを解放するという命令の下、ニホンに潜入したのだ。
その為に、【エルメ・サイア】の首領――《ファーザー》は最強の手札を大胆に切ったのである。
まともに魔術戦闘して、この最強の戦闘系魔術師に勝てる者は皆無らしい。
栄護としてもユピテルに続く【エルメ・サイア】との直接的なコネクションの為に、協力は惜しまなかった。またコネクションのあるユピテルの解放は、栄護の望むところでもある。
栄護は『コードネーム持ち』に窺い立てる。
「そ、それで今夜は何の用で?」
本来ならば、栄護の方から挨拶を試みるべき相手である。それも相手の極秘性を考慮した上になる。もしも新たな協力要請ならば、惜しむつもりなど毛頭ない。
その問いに対し、『コードネーム持ち』は小馬鹿にしたように答える。
「暇だったから、挨拶がてらにちょっとベッドの相手を……なんて、思ったけれど、どうやら先客とよろしくやった後みたいね」
「は、ははは……」
冗談にしても笑えなかった。どんな状況であろうと、この相手に勃つはずがない。
いかにその裸身が魅力的であろうと、ただ純粋に恐怖するだけだ。
「ま、そっちは最初から期待してなかったけれど、ちょっと言伝があってね」
「言伝、ですか?」
「余計な手回しは要らない。特に堂桜統護は泳がせなさい」
「いいのですか?」
「これは命令よ。それから――」
暗がりにおいても、『コードネーム持ち』が嗤ったのが、感じ取れた。
「――MMフェスタで、邪魔な榊乃原ユリを消し去るついでに、お前が願っていた通りに、あのオルタナティヴって小癪な小娘も葬ってあげるから」
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