第二章 シンパシー 5 ―オルタナティヴVS鈴麗③―
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5
壁際からの脱出。
現状、優勢なのはどちらか。
女兇手は警戒から間合いに踏み込んでこないオルタナティヴへ、逆に踏み込んでいく。
「秘奥義・《千手観音》ッ!!」
外層骨格の制御プログラムによる、変幻自在の両手刀による打突と斬撃。加えて光学魔術による多重残像によるフェイク。
それらが一斉にオルタナティヴに降り注いだ。
ぎゃぅぉぉぉおおォオオオオォゥゥ。
対する、オルタナティヴのディフェンス。ボディワーク中心に動きまくる。
巧みかつ高速・高度な防御技術で、触れる事を許さないオルタナティヴであった――が。
「殺ったぁ!」
ズン、と女兇手の右手刀が――オルタナティヴの左脇に突き刺さった。
二人の動きが止まる。
その光景に、ユリの悲鳴が通路に響く。
ニィ――、とオルタナティヴが不敵に笑み、女兇手の顔が強ばる。
ばき、という骨が割れる音。即効性の毒刃を穿たれたはずのオルタナティヴは、女兇手の右手首を掴み、躊躇せずに手首の関節を捻って破壊した。恐るべき膂力だ。
オルタナティヴは四肢を包んでいたイタリーブランドの黒背広を剥ぎ取る。
その下は下着姿ではなく、クラシックなセーラー服タイプの女子学生用制服であった。
デザインこそ平凡であるが、黒に近い濃紺色地には幾何学的な紅いラインが描かれている。
「この制服には防刃・防炎処理を施しているわ」
「ぐぁああッ!」
諦めずに右の上段蹴りを放つ女兇手。その蹴りを、オルタナティヴはダッキングで避ける。
躱し際に、背広の背中に畳んであった黒マントを手にして、女兇手に被せた。
これで光学系魔術は封じた。
同時に、オルタナティヴは飛んだ。壁と天井の境目へと。
三角飛びの要領で壁面上部を蹴って、標的へと一直線に落下していく。
壁を蹴った反動を相乗させ、身体全体を三回転させて――更に捻り上げた。
ぎゅぅるんッ。全身が風を巻く。
若々しくも艶然とした肢体がしなやかに舞い、ミニスカートから覗く眩しい健康美を誇る右の生足が――魂の緒を刈る死に神の鎌と化して、豪快に振り下ろされた。
フライング・ニールキックだ。
華麗かつ豪快な大技が、マントにくるまれた女兇手に炸裂――
せずに、マントのみが大きく凹んだ。
マントを人型に膨らませていたのは、パージした【黒服】の一部である。
オルタナティヴは決め技である十八番の不発にも、冷静に体勢を立て直す。漆黒のマントを手にし、姿を消した女兇手の行方を予測する。
逃した標的は、淡雪と優季の方へ後退していた。
最後の悪足掻きとばかりに、ユリを狙ってスローイングナイフを投擲したが、オルタナティヴは易々と防刃処理が施されているマントを拡げてユリをブラインドし、ナイフを防いだ。
次の手の予測は、明日の天気予報よりも容易だ。
撤退――しか残されていない。
女兇手は何故、淡雪と優季を殺めなかったのか?
理由は二つ考えられる。最たるであろう一番の理由は確証に欠ける推論でしかないが、二番目の理由は簡単に推理可能である。一番目の理由こそ肝要であるが、追い込まれた敵にとっては、そんな優先順位など構っていられないだろう。
カチン。女兇手は掌に握り込んでいた小型スイッチを押す。
ごゥぉおぉォおッ!!
淡雪と優季と真上の天井に、二人を中心とした円形の炎線が迸った。
一瞬後に、ゴガン! と轟音を鳴らして、円形に切り取られた天井が崩落してくる。
撤退用の仕掛けだ。確保していないはずがない。
本来ならば、マネージャーか世話係をこの位置に縫い止めておく策であったはず。この位置に縫い止めている人質は、ユリの護衛を最優先せざるを得ないオルタナティヴには、女兇手が撤退する時まで、救出する事は不可能に近い。
(やはりこれか――)
オルタナティヴは女兇手の挙措を見極める。
ほんの些細でもユリを狙う素振りが窺えたのならば、躊躇わずに【魔導機術】を立ち上げて落下してくる天井を支え、ユリへの攻撃を防ぐつもりだ。
とはいえ――成功する確証のないユリへの攻撃を、この状況での己の脱出よりも優先させる可能性などゼロだと、オルタナティヴは確信していた。敵にとっては、この機会がラストチャンスでありラストカードだと。
女兇手は天井の穴へと飛び込んでいく。
見棄てて追って来るか? という酷薄な笑みを、オルタナティヴへと残して。
それを視界の隅で確認したオルタナティヴは、全力でダッシュして淡雪と優季を両脇に抱えて、足下からスライディングした。
ゴゴォン、と重々しい音。細かく砕けたコンクリートの砂塵が舞う。
丸形に切り取られた天井が落下したその場から、間一髪であるが、確かな余裕をもってオルタナティヴは淡雪と優季を救出した。
この判断と行動には、秒を要していない。
少女の口元には微かな笑み。
今から追っても間に合わないだろうと、オルタナティヴは追跡を放棄した。
刺客の魔術特性からしても、警備網で捕縛できる期待は薄い。そもそも捕縛できるのならば侵入を許さないだろう。
今回の襲撃は大した問題ではない。
別段、失策とも思わない。
どの道、此度の襲撃はミッション達成に関しては、些事に近いイベントなのだから……
「……大丈夫かしら?」
四肢の自由の利かない二人の少女を両脇から解放し、オルタナティヴは起き上がった。
視線は優季に向けたままで、二人の口を塞いでいるガムテープを勢いよく剥がす。
次いで、二人の背中の経穴を押して、膠着状態から解放した。
「あ、ありがとうございます!」
身体の自由を取り戻し、礼を言う優季の隣の少女へと、オルタナティヴは視線をやれない。
優季へ「気にしないで」と素っ気なさを装いながら、苦渋の思いを噛み締める。
来ないと思っていた。来訪を事前に知っていれば、また違った対応を取れたものを。
本当ならば、二度と会うつもりはなかった。
そう決心していた。それなのに。
よりにもよって、こんなカタチで淡雪と再会するなんて――
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…
一部始終。
呻き声を発する事さえ許されず、淡雪はただ戦闘を見守っていただけであった。
魔術戦闘は終わっている。
傍目には引き分け。あるいは撤退に成功した暗殺者の優勢。しかし――セーラー服タイプの女子高生姿の少女が魔術を温存していた点を考慮すれば、おそらく大筋は少女の意図に沿った結末であり、場当たり的な勝利よりも深い意味がある結果なのだろう。
むろん暗殺者の光学魔術も、ほんの一端だけの披露であったのは、淡雪にも分かる。
いや。
そういった事柄は今の淡雪にとって些事に近い。意識は別に飛んでいた。
あの紅い双眸。
一瞬だが、重なった視線。
「……ぁ、」
恐る恐る淡雪がオルタナティヴに声を掛けようとした、その直後。
「思い出した!! ケイネスのPCモニタで喧嘩していた人だ!」
優季の声が淡雪の言葉をかき消した。
オルタナティヴは「ケイネス? 喧嘩?」と眉を潜める。
「そうです。Dr.ケイネスっていう悪い女科学者が盗撮していたっぽい、貴女と革ジャンの大男との殴り合いを、前に視たことがあるんですよ」
「ああ、合点がいったわ。おそらく業司朗との一戦かしらね。軌道衛星の観測カメラが捉えた記録画像でしょう。……となると、そのケイネスって女は相当なくせ者ね」
「はい! 悪者で、凄いくせ者でした」
頷き、優季はオルタナティヴの顔をマジマジと見つめる。
「それだけじゃなく、オルタナティヴさんって、以前どこかでお会いしてません?」
「と、いうと?」
「いえ。顔の造形っていうか、鋳型っていうべきか、雰囲気とか……。それにその目ですけれど、なんだか記憶にあるっていうか。いえ、真紅じゃないんですけど」
その言葉を、オルタナティヴは涼しげな態で聞き流す。
一歩引いた位置に立つ淡雪は、オルタナティヴの貌から視線を外せない。
相手はこちらを見ていないというのに。
映像データでならば、少女の姿は堂桜の一族会議で見ていた。あの時は【エルメ・サイア】からの堂桜へのテロという衝撃から、ほとんど意識しなかった。気が付く余裕はなかった。
過日の《隠れ姫君》事件が終わり、『何でも屋』としての任務で動いていた彼女の嫌疑が晴れてから、ようやくその顔立ちにまで意識がいき、ずっと心の片隅に引っかかっていた。
不可思議までに何処か似通っている――と。
男装していた優季との風呂で、まさか、という気持ちが閃いた。
しかし確かめる術はなかった。
だが。
こうして間近で実物を目にすると、別人かもしれないという疑念など――露と消えた。
受ける印象は、映像データとはまるで違う。
喋り方の特徴。目鼻立ちというよりも、その双眸。纏っている空気。
疑いようがない。自分には判る。他の誰もが判らなくとも、自分だけには……
(そのお姿。いえお体が、姿を消した理由)
何も云わずに去っていった。
苦しみを打ち明けて貰えなかった。
そして、統護とコンタクトを取れたという事は、自分ともコンタクトが取れるという事。
それなのに、消息を絶ったまま逢いに来なかったという事実。
何よりも彼ではなく『彼女』の気持ちを物語っている。
優季は首を捻った。
「ね? ひょっとして前にお会いしてません?」
「――気の所為でしょう。アタシの顔って割と何処にでも転がっているタイプだから」
オルタナティヴは演技めいた表情で苦笑する。
優季は首を傾げはしたが、それ以上は追及しなかった。
納得と解釈したのか、オルタナティヴは優季と淡雪に挨拶した。
「改めて初めまして。オルタナティヴと名乗っているわ。職業は『何でも屋』よ」
自己紹介の最中、オルタナティヴは一瞬だけ、優季から淡雪へと視線を移動した。
切れ長の紅い双眸と淡雪の円らな黒瞳が、合わさった。
淡雪は大きく息を吸い込む。
(やっぱり、この目、間違いなく……)
初めまして、という言葉が胸に突き刺さって――痛い。淡雪は奥歯を必死に噛み締める。
朗らかに挨拶を返す優季。
「こちらこそ初めまして! 比良栄優季です」
「知っているわ。【HEH】のお嬢様でしょう。そして隣の子は、あの堂桜財閥の直系一族のご令嬢――淡雪さん。こうしてお会いできて光栄ね。是非とも、お見知り置きを」
自分も挨拶を返そうと思うが、喉が引き攣り声が出ない。
淡雪は笑顔を作り、ぎこちなく会釈を返す。それが精一杯であった。
オルタナティヴは踵を翻すと、立ち尽くしているユリへと駆け寄り、声を掛けた。
「大丈夫かしら? これからライヴだけど――、いける?」
「あの敵ってナニ? まさか私を狙うストーカーがあんなのまで差し向けたっていうの?」
「ゆりにゃんってストーカーに狙われているんですか!?」
優季の言葉に、ユリは固い表情で頷く。
オルタナティヴが冷静な口調で言う。
「著名人がストーキングや逆恨みされるなんて珍しい話じゃないわ。けれど今回のは、間違いなくプロの手際と戦闘能力だった。ユリを狙うストーカーが雇った可能性もあるけれど、当然、他の可能性だって考えられるわね」
「それってやっぱり、MMフェスタ関係への妨害?」
「どうかしらね? それだったら優季さんと淡雪さんが無事っていうのは、少し腑に落ちないとは思わない?」
「言われてみればそうですね。あ、そうそう。ボクの事は呼び捨てでいいですから。さん付けって慣れていなくて」
「承知したわ。――で、もう一度訊くけれど、ライヴはできる?」
「こんな事があったんだし、無理しないで下さい!!」
ユリは優季を見る。
恐怖と驚愕で血の気が引いていた顔が、みるみる覇気を帯びていく。
榊乃原ユリから――ゆりにゃんへとキャラが変わる。
「あたしの歌、聴きたい?」
「で、でも……」
「も一回訊くよ? あたしの歌を聴っきたいかなぁ~~!?」
生気が蘇ったユリの表情に、優季が笑顔で答えた。
「聴きたいです!」
「おっけ。オルタナティヴ。あたしはアンタを信じる。アイツや他のヤツが襲ってきても、ちゃんとあたしを護ってくれるってね。だから優季ちゃんもアンタも――あたしを信じて」
ユリはスカートの裾をなびかせて、颯爽と歩き出す。
じゃあサヨウナラ、と言い残してオルタナティヴもユリの後を追った。
その際の視線が憂いていたのが、優季の印象に残る。
ユリ、オルタナティヴ、そして世話係の女性の三名がステージに向かう背を見送りながら、優季は隣の淡雪に声を掛けた。
「じゃあボク達も……って、淡雪!?」
淡雪はか細い声で絞り出す。
「御免なさい。客席へは優季さんお一人でお願いします。今はちょっと気分が優れなくて」
「き、気分がって、いや、だって……」
優季は言葉を失う。
――淡雪は唇を噛み締め、泣いていた。
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