第四章 宴の真相、神葬の剣 27 ―オルタナティヴVS此花⑦―
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27
事故や不運を別にして――殺人という烙印。
それを押されて、なお、ヒトが獣(動物)に堕ちるのではなく、殺人者という咎人に留まる為には、果たして何が必要になるだろうか?
それは覚悟だ。
人が人を殺すのには――覚悟がいる。
理屈としては、単純に『己も相手に殺される覚悟』だ。その覚悟(決意)を持たずに、殺されたくないが一方的に殺したい、と考えるモノが殺しに及ぶ情動は『人を殺す覚悟』とは対極の、理性と知性を喪失した獣的な欲求にまで成り下がる。強姦魔と何ら変わらない。
殺人鬼であった芝祓ムサシでさえ、究極の殺人として自身を殺害して幕を下ろした。
殺されるのは嫌だが殺したい――という思考は、俗的でも人間的でもないのだ。
殺されるのは嫌だが殺したい――という衝動は、人ではなく獣の本能そのもの。
人間が動物と同じのならば、覚悟なしのそれ(殺人)も、肯定されるかもしれない。
けれど人間が猿(動物)と違うのならば、殺人に対して覚悟を持つ事が、動物との差別化に必須なファクターであろう。
オルタナティヴの『何でも屋』としての師匠――レディ・ブラッド。
一切の経歴が闇に葬られている、推定で三十代後半から四十代前半の女性だ。
人種としては白人だろう。美女といえば美女だろう。けれど容姿とか血統などが霞む、そんな不思議な印象の女性であった。強いて云えば、超然と世俗的が混じり合った形容不能なオンリーワンか。
偶然なのか必然なのか――。『何でも屋』で生計を立てようと志したオルタナティヴは、レディ・ブラッドと出会った。
オルタナティヴは全財産をはたいてレディ・ブラッドに依頼した。
アタシを一流の『何でも屋』にして――と。
そうして。
互いの人生において、二人はほんの刹那で、かつ最も密度の濃い時間を過ごす事となる。
最初は全てを丁寧にレクチャーされた。
すぐに見よう見まねでノウハウを盗む助手になった。
最後はパートナーに近い関係だった。
ゆえにオルタナティヴはレディ・ブラッドから『何でも屋』として独立しなければならなかったし、それが本来の依頼であった。
――〝アンタと一緒だと楽しすぎて、私がダメになる〟――
友達になってしまう。だからOJTから卒業だ。そう云われた。
餞別としてレディ・ブラッドが受けていた依頼を、三つほど引き継いだ。
それは信用の証であり、無事にクリアする事が、彼女からの真の卒業証書になると思った。
『サヨウナラ。依頼については卒業証書として必ず期待に応えてみせるわ、ブラッド』
レディ・ブラッドは愛弟子の言葉に、首を横に振った。
――〝違うよ。本当の卒業はアンタが覚悟をもって殺人した時さ〟――
覚悟をもたずに殺人に及べば、自分の敵だ。きっとオルタナティヴを殺しに来る。
そして、できれば卒業を断念して『何でも屋』から足を洗って欲しい。
本音を言えば、そちらの『卒業』の方が、自分にとっては嬉しいかも。
哀しげに微笑んで、レディ・ブラッドは去った。
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◇
(……どうして、こんな時にブラッドの言葉を。彼女を思い出す)
オルタナティヴの心が揺らぐ。
色即是空――【空】のエレメントに覚醒した今でも、師が残した言葉の真意を掴めない。
不殺を貫けるはずだ。実力さえ追従していれば。
裂帛の気合いを轟かせて、此花が斬り掛かってくる。
稲妻めいた剣閃。
咄嗟の反射で、オルタナティヴは此花の太刀を受け止めた。
鍔迫り合いになる《朧影月》と《朧影月》。
同じ刀だからこそ、互いの概念を斬られずに済んでいる。
超人的な膂力にものをいわせ、オルタナティヴは此花を弾き返す。そして、大きく踏み込むと、返す刀で横薙ぎに斬撃を見舞った。
概念を斬りにいった――が、通じない。
鳳凰流の剣技を発揮して此花はその一撃を鮮やかに捌く。
危機を察知。自己防衛本能に従い、オルタナティヴは全速でバックステップした。
其処へ、突きの三連打だ。
(あ、危なかった)
此花は四肢はボロボロだ。ほんの僅かな動きであっても、トレースしている鳳凰流の剣技に肉体が付いていかず、筋肉繊維と腱がズタズタになっている。仮に此花の肉体が黒鳳凰の姉妹と同等ならば、自分は為す術なく斬り棄てられていた。
けれど、今の此花は動けば動くほど身体が崩壊して、挙措が落ちていく状態だ。
斬りかかってくる此花。
オルタナティヴは冷静に此花の《朧影月》を防御した。
伝わってくる。《朧影月》の刃を通じて。
――此花の【空】を感じる。
けれどオルタナティヴはソレを認めたくない。
刃と刃がぶつかる音が、哀しげに響く。
きぃィィン!
激しい打ち合いの末、二人は大きく距離を取った。
身を以て学習した。刃を交える程、本家本元の剣術とは差が開いていく。此花は鳳凰流の剣技全てを〔ラーニング〕できたわけではないのもあった。姉妹が披露した部分のみを〔スキル〕化しているのだ。要するに、底が浅い。表層だけをなぞった模倣品に過ぎないのである。
もう此花の剣は、オルタナティヴには通用しない。
穏やかな口調で此花が言った。
「やっぱり……〔スキル〕と〔ラーニング〕なんて、所詮は小手先の誤魔化しだよね」
悟っているか、渚此花。
オルタナティヴは眦を決する。此花は覚悟を固めたのだ。
「ええ。相手の〔スキル〕を奪って強くなる――など、愚者の勘違いよ」
職人芸の継承に際し、教えた事をすぐに体現できてしまう弟子を、一部の師匠は嫌うという。
器用貧乏になりかねない。師匠のデッドコピーになる。そんなリスクがあるからだ。
逆に簡単な基礎技術であっても不器用でなかなか身につかない、しかし根気よく自分のモノにする弟子を、一部の師匠は歓迎する事もある。不器用ゆえに、基本動作一つでも試行錯誤・熟考して、深く掘り下げていくからだ。その末に身に付けた技術は――業の域に昇華する。
極めようとすれば、浅い考えでは無駄とも思える回り道こそが、実は最短距離なのだ。
同じ右ストレートであっても、単なるコピー品など恐くない。
トレースした右ストレートを噛み砕いて、己のモノとなるまで修練しなければ無意味だ。
そして……
見切った。鳳凰流の剣技という概念を、今ならば――斬れる。
けれど剣技という概念を斬りにいかずに、あえて〔スキル〕をそのままにする。
その上で、オルタナティヴは告げた。
「次で終わりにする。だから悔いを残さない一撃で来なさい」
「ええ、そうね。〔スキル〕じゃなくて、どんなに下手くそな素人技でも私自身の一撃で――気持ちを込めた一振りで勝負するわ」
二人は正眼に太刀を構えた。
呼吸を整える。吸って、吐いて――、吸って、吐いて――
吸って――互いの息が止まる。ギリぃ。奥歯を噛み締めた。
絶叫だ。大声を上げて、大上段に振りかぶった此花が飛び込んでくる。
オルタナティヴもコンパクトな上段を合わせにいく。
「――《斬ノ参・散華龍閃》」
パキィぃぃいんンンン! 斬ノ壱、斬ノ弐とは異なるカウンター業。
此花の《朧影月》は《散華龍閃》に太刀筋を逸らされると同時に、鮮やかに砕け散った。
上段からの脳天唐竹割り――オルタナティヴの上体は大きく沈み込み、刃が地面に触れる程、深く振り下ろされている。
どさ。此花が倒れた。
糸の切れた操り人形のごとく、呆気ない倒れ方であった。まるで眠りに落ちるかの様。
儚くも美しい一幕であった。
杞憂だった、とオルタナティヴは《朧影月》を両手のリングに還す。
此花を殺さずに済んだ。脳の状態は危険だし後遺症は避けられないが、辛うじてまだ間に合うだろう。集中治療室に直行は必至だが、命に別状はないはずだ。
だが、何処か胸につかえる感覚。
(ブラッド。アタシは間違っていない。これでいい筈――)
誰もが驚愕に言葉を失った。
此花が立ち上がった。
剣戟魔術師の斬撃に散ったはずなのに。決して立てるはずがないのにだ。
「こんな綺麗な倒れ方で終わり、なんて――あり得ない。倒されるんだったら、もっと、もっと徹底的に惨めで凄絶な倒され方じゃないと、私は何度でも何度でも立ち上がるわ」
綺麗に斬って落とした――つもりであった。それなのに。
殺さずに終わりにしたはずだったのに。オルタナティヴの声が震える。
「ど、どうして?」
「ああ、クールな貴女でも、そんな風に動揺するんだ」
「アタシは貴女の挙動を概念として断ったのに。どうして動けるの?」
「違う。貴女はきっと目を背けている。本来だったら貴女は私という概念そのものを斬れたはず。でも、それをしなかった。ううん、できなかった」
図星を突かれた。どうしても殺したくない。意地でも命を救いたかった。
(アタシは、アタシは……、ブラッド)
呂律が怪しくなった口調で此花が言う。
「貴女には分かっているはず、オルタナティヴ。私が〈使徒〉としての役割を全うする為には、最後の最後まで戦い切らなきゃ……」
「〔神〕は貴女を欺いている可能性だってあるわよ」
「それでもだよ。私自身が納得できる最後を望んでいるわ。だから、お願い」
危険だ。タイムリミットが近い。これ以上、頭部に衝撃を加えるどころか、一刻も早く頭蓋を開いて脳を手術しなければ――
ドゴッ! オルタナティヴの左拳が此花の側頭部を打ち付けた。
此花は棒立ちだ。けれど倒れない。
それどころか稚拙なフォームで両手を振り回してくる。パンチのつもりだろう。
素人殴りなどオルタナティヴには掠りもしない。
二発目、三発目、とオルタナティヴの拳が、容赦なく此花の脳に衝撃を与えていく――
一発一発が死への階段だ。
けれど、もはやオルタナティヴの決意は揺らがなかった。
(ブラッド! 貴女の生き様を追うわ!!)
――〝そりゃあ、私だって人殺しなんてしたくないさ〟――
自分には不殺を貫けるだけの強さがあると思っていた。
――〝でも、理想と現実には差があるもんだ〟――
理想を追えると、自分は主人公だと、特別だと過信していた。
――〝殺さなければ救えない命だって、確かに存在するんだよ〟――
それでも自分には殺さずに救える才覚があると自惚れていた。
――〝いいかい、オルタ〟――
ああ、ブラッド。今ならば、ようやく分かる気がする。
――〝誰かの為に自分を汚す職業が『何でも屋』なのさ〟――
だから女優じゃ、主役じゃ、主人公のままじゃ……
――〝誰よりも格好悪く、みっともなく、泥を被れるか?〟――
格好悪いのは嫌だった。プライドが許さなかった。
――〝本当いうと、私はお前に格好いいままでいて欲しいかな〟――
でもアタシはスポットライトを集める主役よりも……
(どんなに殺人で身心が穢れていようと、そんなブラッドこそがアタシの――ッ!)
いつしか目標になっていた、憧れの背中。
堂桜統護の様な最強には興味がない。
今こそハッキリと自覚した。
たとえ主人公失格でも、主役を棄ててでも、本物の『何でも屋』になってみせる。
その為にも、此花の希望通り――引導を渡そう。
完全に無防備になっている此花に向けて、オルタナティヴは両拳を構え直す。教科書通りのオーソドックス・スタイルだ。
左足の踏み込みと連動し、真っ直ぐに左ジャブが伸びていき、此花の顔面を捉える。
波打つ頬。ひしゃげる鼻筋。
素早いジャブの引きに同調させ、右拳を脇に引き絞る。右膝のバネをパワーの基点として、腰と肩が鋭く回転する。体軸は微塵もブレない。充分なタメを伴った右拳が発射された。
光の矢と見紛うばかりのハンドスピードだ。
右拳のナックルパートが精確に下顎を直撃した。その衝撃で顎の骨が真っ二つに割れて、歯が吹き飛んでいく。
ごギャァぁん!! 交通事故めいた轟音。
無慈悲なワンツー・ストレートで、此花が崩れ落ちる。両膝から真下に倒れ込み、座り込んだ下半身とは別に、上半身が前のめりに突っ伏していた。両手は不自然に広げられている。
首の曲がり方がおかしい。まるで奇妙なオブジェである。
《朧影月》で斬って落とした時とは正反対の、正視に耐えられないダウンシーンだ。
格闘技の試合ならばリング禍だと瞭然な倒れ方。
確認するまでもない。もう渚此花は『この世界』にはいない。絶命している。
見下ろす『何でも屋』の双眸はどこまでも冷静だった。
決着だ。そして終幕である。
この勝敗をもって今回の事件――MKランキングと連続殺人は、全てが終わった。
主犯であった此花の死で、屋上の【結界】も解除された。オルタナティヴと此花の魔術戦闘が開始されてからの時間経過を考えれば、すぐにでも警察の特殊部隊が現着するだろう。
ここから先の後始末は『何でも屋』の領分ではない。
天を仰ぐ。オルタナティヴは夜空――遙か先にある宇宙のホシに向かって宣言した。
「この命の代償――高くつくわよ、〔神〕ッ!!」
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