第一章 何でも屋の少女、再び 9 ―オルタナティヴVSみみ架⑥―
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9
右拳にキスをしたオルタナティヴに対し、みみ架は闘気の密度を高めていく。
両膝が笑っているけれど、背中をロープから離す。ロープに掛けていた体重を再び両足に戻した。両拳をオーソドックス・スタイルに構える。
「主人公だの、女優だの、まったくキザな女ね。どうでもいい。超どうでもいいわ。そんなの知った事じゃないから。そういうご託は結構だから――、拳で語り合いましょう」
ご託はいらない。拳で語れ。それにはオルタナティヴも同感、同意である。
このスパーリング、互いに拳のみと決めて始めたものだ。
確かに、この場では理屈や弁論は戯れ言だろう。ペンと剣(拳)に優劣はない。両方、備えてこそ――というだけだ。理屈や理論だけではなく、それを拳に乗せる事が叶わなければ、まさしく「口先だけ」という無為に他ならない――
みみ架は完全に足にきている。傍目にも膝がガクガクと揺れていた。呼吸も粗い。スタミナ切れに近い状態で強打のボディブローをまともに食らっては、ああなるのも必然だろう。
あれでは迎撃しか選択肢がない。
下半身が十全に使えなくてはL字ガードも無理だ。
それにブロックを破壊して額に直撃した左ストレートのダメージは、決して軽くないだろう。あの一発で、みみ架の視界は揺れているはずだ。残り時間で回復するとは思えない。
自分もダメージが下半身に影響し始めているが、それでもまだ動ける。
オルタナティヴは最後に宣言する。
「ええ。拳で語り合いましょう。けれど白目を剥いて失神KOされる心配は要らないわ。完璧なタイミングと角度でのKOパンチを、貴女の顎先で寸止めしてみせるから」
「台詞を奪われたわね。泡を吹いて失神KOという醜態を晒す心配は無用だって言うつもりだったのに。言い訳のきかないKOパンチを、打ち抜かずに眺めさせてあげる」
あくまでスパーリングである事を最後まで突き通す。
別に失神させて倒す必要はない。相手に否応なく被KOを認めさせればいいだけだ。
それが二人にとってのプライドである。
ニィ――、と不敵に笑んだみみ架が、両手を下ろして手招きした。いわゆる「打ってこい」という挑発のゼスチャーである。ゼスチャー後に、両手はすぐに油断なく戻した。やはり、スタミナ切れだけではなく、あの一発がかなり効いているのだ。
(応えましょうか!)
マットを蹴る。オルタナティヴは姿勢を低くしてダッシュした。
動けないみみ架はロープ際に磔状態だ。
細かいステップワークどころか、大雑把なサイドステップも無理である。
あえて相手の真正面に位置取りするオルタナティヴ。右フックを振り、みみ架のカウンター誘った。右フックは軽打である。足にきており、深刻なダメージを抱えている相手のパンチなど高が知れている。ジャストでカウンターされても大惨事にはなり得ない。
予定通りに、みみ架の左フックをカウンターでもらう――が、拍子抜けの威力であった。タイミングと角度は申し分なかったが、如何せん拳自体が非力に過ぎた。
そして――勁の衝撃が追従しないのだ。
今度はオルタナティヴが頬を笑みで釣り上げる。
(確かめた!! 発勁は温存があっても残り一発で打ち止め)
間違いない。二発分の余裕があるのならば、ここで勁を撃たない理由がないからである。
これで相手は手詰まりに近い事が判った。
KOパンチを寸止めどころか、ダメージング・ブローさえ打てない状態だ。
ダメージを与えられなかったと、瞬時に理解したみみ架は、迷わずガードを固めた。
ドォ、ゴキンッ!!
そこへオルタナティヴのワンツー・ストレートが強襲する。
ブロックした両腕を骨ごと粉砕するかのような威力。防御される事が前提なのだから、遠慮しないで強打を叩き込む。拳の破壊力に、みみ架の背中にロープが食い込んだ。
里央が悲鳴をあげた。声援する余裕はない。
余勢を駆ってオルタナティヴは猛ラッシュを敢行した。
とにかく手数だ。
残りのスタミナを惜しげなく注ぎ込め。もうじきタイムアップだ。
決定的な隙を作り出すまで、みみ架の両腕(ガード)を集中的に打っていく。
できればガード越しからでもダメージを与えたいところだ。
視線とモーションでフェイントを交えながら、ボディにも打ち分けるが、みみ架は丁寧にブロックして決定打を許さない。流石の防御技術だ。けれど、反撃できずに打たれっ放しになっている。しかし安易な反撃を捨てた対価として、防御体勢をキッチリと維持していた。
意図的にロープを利用するのは反則になるが、みみ架は反則ギリギリとなるラインで、巧みにロープの反動を利用している。パンチを受けた威力をロープに流し、反動で上半身を姿勢制御しつつ、次にくるオルタナティヴのパンチを殺して、さらに次の防御に繋げていく。
古の時代――『ロープ際の魔術師』と異名されていた偉大なボクサーが使っていた、『ロープ・ア・ドープ』と呼ばれるテクニックだ。
逆にいえば、ロープに頼らざるを得ない程、みみ架は下半身に力が入らない。
これが試合ならばレフェリーストップによるTKO(テクニカル・ノックアウト)が宣せられる状況だ。
しかしガードの隙間越しに自分を見据えている両目が、怖いくらいに冷めている。
冷静だ――と、オルタナティヴは感じた。
みみ架は確固たる思考力をキープしている。闘気はいささかも衰えていない。劣勢にもパニックに陥らずに、冷静に考えながら勝機を窺っている。
対統護戦の終盤と似た展開だが、あの時のみみ架とは違うという事か。
あの試合では、精神力の弱さを露呈する形で、みみ架は統護にTKO負けを喫していた。だが、どうやら彼女にとって無駄な敗戦ではなかった様だ。
(てっきり惚れた男に敗けた事なんて、反省していないと思ったけど)
時計に目をやり、残り時間を確認する。
残り――十秒。体内時計は正確だ。
ガードを崩せないが強引に仕掛けにいこう、とオルタナティヴが決意した矢先。
ぐぅわん。みみ架が思い切り体重をロープに掛けた。そして右肘をロープに引っ掛けて弓にセットされた矢の様に右前腕をオルタナティヴに照準する。
ギラリと、みみ架の眼光が煌めいた。
視線を時計に這わせた一瞬を見逃さなかったか。オルタナティヴは両目を眇める。
相手の狙いは右ストレートで自分を突き放す事だろう。後ろに突き放して、こちらの体勢を崩して、最後の一撃を狙ってくるに違いない。
けれども見えている。オルタナティヴはクロスアーム・ブロックで受け止めにいく。
たとえロープの反動と全体重を利した渾身の右ブローであっても、筋力差で持ちこたえてみせる。体重に差はなくとも、こちらには超人的な身体能力があるのだから。
受け止めさえすれば、次の瞬間にはジ・エンドだ。
みみ架が手の甲をオルタナティヴに向けて、右脇を強烈に絞り込む。
ギョッ、とオルタナティヴの紅い眼が、想定外のモーションに大きく見開かれた。
(まさか――それって――ッ!)
インパクト時にナックルパートを打撃面に正対させる為の『拳の返し』ではない。拳を内側へと急激に捻り込みながらの、不自然なまでの肘と肩に及ぶ過剰な捻転動作は――
――正真正銘のコークスクリューブローだ。
ずギャゥゥウウウ!!
瞬間的に錐揉み回転したみみ架の右ストレートが、オルタナティヴの十字ガードに着弾。
硬質で爆発的な異質ともいえる炸裂音が響く。
ゴキぃ。同時に、鈍い骨折音が鳴る。みみ架の右拳の骨が複数箇所、砕けた。コークスクリューの最大の欠点は、インパクト時の過負荷から、とにかく拳と手首を骨折しやすい事だ。
その代償としての貫通力を受けて、オルタナティヴは後ろに弾かれてしまう。軽量ゆえに、どんなに筋力があっても足裏の摩擦力に限界がある。だが、体勢はどうにか維持できた。
(ハードラックだったわね、委員長)
けれど運も実力の内である。そして、これで勝負あった。
みみ架の右は死んだ。故障した拳では本物のダメージは与えられない。ましてや発勁など以ての外だ。折れた拳の骨に勁の震動など流せば、骨折している箇所が治療不可能なレヴェルで粉砕しかねないからだ。
つまり、みみ架の最後の発勁は――必ず左拳からくる。
コークスクリューブローという最後の策が完全に裏目に出た格好だ。
オルタナティヴは相手の左拳だけを注意して、決着の一撃を寸止めしてみせれば――
ガガァァんッ!! オルタナティヴの左頬に発勁の衝撃が迸った。
無警戒にもらってしまった。
ガクーン、と腰砕けになったオルタナティヴは、力なくリング中央まで後退させられる。
効いた。みみ架の右拳からの一撃だった。完全に慮外である。
この一発で、オルタナティヴのダメージも極限に達してしまった。間違いなく、残り一発分の力しか残っていない。気を抜けば、即座に失神しそうな墜落感に襲われる。
(し、信じられない)
戦慄と共にオルタナティヴは理解した。不運で右拳が折れたのではなく、右拳を警戒させない為に、コークスクリューブローで自分の右拳を故意的に砕いたとは。
(なんて――女)
最悪で、クラッシュしている右拳が、スクラップになるかもしれないのだ。
みみ架の表情。ゾクリとする。まさしく闘いの為に此の世に生を受けた――鬼か、修羅か。
この貌。凄艶の美女。怖い。この女は狂っている。まともじゃない。いや……
コレはヒトじゃない!
淡雪を別枠扱いにしても、婚約者の姫君、幼馴染みの恋人、心を通わせている相棒、といった堂桜統護の女達とは、明らかに一線を画した位置にいる――
(これこそ『次代の堂桜』を胎に宿らせると、……堂桜統護が選んだ女!!)
メキ、と奥歯が軋む音。骨折している肋骨と右拳からの激痛に、みみ架が歯を食いしばる。
痛みと苦しみに歪んだ貌は――確かに笑顔だ。
ハッタリではなく本当に愉しんでいる。何故、この局面でそんな風に笑えるのか、オルタナティヴには理解できない。敗北が怖くないのか。狂っているどころか、頭のネジが全部飛んでいる。みみ架の右手は五指が広がっていた。もはや満足に拳を握れない状態だ。
正直、怖い。畏れてしまっている。
(呑まれるな――ッ!!)
こちらも微笑め。余裕を演出するのだ。失神しそうだが意識を繋げ。
相手が歯を食いしばったこの刹那を生かして、オルタナティヴは迎撃態勢に入る。
正面にいた、みみ架の姿が掻き消えた。
いや、消えたのではなく、見失ったのだ。
なんとか姿を追うオルタナティヴ。《陽炎》に縮地のエッセンスを加えた運足――【不破鳳凰流】の《縮致》だ。足に力が入らない状態ならば、確かに膝を抜いての、自重を利した前進は可能であろう。対抗戦での映像がなければ、完全にみみ架を喪失(ロスト)していた。
しかし、ギリギリで反応してみせた。
相手は――自分の右サイドに位置取りしている。見える。ここから互いに最後の一撃だ。
残り時間ではなく、抱えているダメージと残りのスタミナから、二人共にワンアクションの余力しかないのだ。すなわち次の瞬間には、最後となるパンチを打ち合う――
勝利の寸止めを実現させるのは、最強の女は、どちらの少女か。
「ぉぉ、ッ、ぁぁああ、っ!!」
みみ架の口から、きつく食いしばっている歯の隙間から、裂帛の気合いが轟いた。
絶美の貌が描く表情は、まさに修羅か鬼神。
疲労とダメージで満足に動かないはずの両足が――再び息吹を取り戻す。次いで全身の血流が爆発的に加速した。背中と両足の筋肉がパンプアップして膨れあがっていく。
(ここから更に動くというの!?)
決着の一撃の前に、ワンアクション挟んでくるというのか。
ヴゥォォオン。超速で風が巻かれる不自然な重低音。移動経路にある空気を空間ごと削り取るような人間離れした超機動で、みみ架はオルタナティヴの右サイドから左サイドへと大胆に切り返す。しかも直線ではなく弧を描く軌跡で。その姿は疾風というよりも颶風か。
驚愕かつ恐るべき事に、みみ架が体現したこの超機動は魔術を使用していない――生身での挙措なのである。
魔術――【魔導機術】システムなしで、人間はここまで動けるのか。
いや、この女はヒトではなかった。ヒトの皮を被っている――闘いの鬼である。
(確かに、凄まじく疾い)
対するオルタナティヴ。相手がヒトあらざる鬼神ならば、こちらも常人ではない。紛れもない超人だ。振り回しにきた相手に付いていく。五感が超常的に加速した。キュキュ、と美しいステップ音がリズムを刻む。彼女のシューズが軽やかに踊る。みみ架を正面に把捉した。
(疾い……、が!)
みみ架の豪快な左ロングフック。そして――
(アタシのライトクロスは、もっと迅いッ!!)
グゥアッ! 空を斬り裂き唸る右拳。肉体のリミッターを解除した――こちらも超速だ。
相手が風ならば、自分は光になる。まさに閃光のようなハンドスピード。
超人化している肉体スペックの恩恵とはいえ、完璧にタイミングを掴み、合わせにいく。
ド ク ン。
心臓が脈動する間もない一瞬のはずなのに、オルタナティヴは確かに自分の心音を聞いた。
そう。これが五度目となるライトクロスだ。
これまで三度、渡り合い、そして四度目に破られてしまった。
寸止めは問題ない。
この超常的な感覚ならば、右ストレートの勢いを完全に制御してみせる。
けれど……、この拳を止めた先に――
ブツン、とオルタナティヴの視界がブラックアウトした。
意識が回復する。視界が戻った。
眼前にはみみ架がいる。
彼女はバツが悪そうな表情だ。
失神KOされた、とオルタナティヴが理解した時には、みみ架の左拳は収められていた。
オルタナティヴは右ストレートを伸ばし切る手前で止めている。
その先に、みみ架の顎があったのかは――分からない。
幸いに倒れていなかったが、自分はどれくらいの間、立ったまま失神していたのだろう。
忸怩たる思いである。オルタナティヴは突き出していた右拳を下げた。
みみ架が済まなそうに謝った。
「ご免なさい。言い訳をさせてもらうと、左脇腹の負傷でフックを止められなかったの。勢いを殺せずに打ち抜いてしまったわ。それで失神させるなんてミスどころか、とんだ失態ね」
「そう。ま、仕方が無いわね」
故意でないのは分かっている。責める気はない。
時計に目をやる。表示は『00:00:00』で止まっていた。
「……どれくらいKOされていたのかしら?」
オルタナティヴの左肩に、みみ架が左手を乗せた。
「失神は一瞬だけよ。もともとスパーリングだったのだから勝ちも負けもないわ。ただ……、いい経験をさせてもらったのはわたしの方だったかもね。改めて未熟だと痛感したわ」
みみ架は満身創痍という有様だ。
右拳と左肋骨の骨折に加えて、両足全体から血が滲んでいる。毛細血管が破裂しているのだ。限界を超えた超機動による過負荷で、足の筋繊維と靱帯も悲鳴をあげていた。
そして三十秒近くも豪打のラッシュをガードし続けた両腕は、重度の打撲傷である。
脳に受けたダメージは、実質ビッグパンチによる一発のみなので、目の焦点や呂律に問題はなさそうだ。パンチドランカー等の後遺症の心配は要らないだろう。
ダメージ自体はオルタナティヴも過度に被っていたが、超人的な肉体の耐久力ゆえに、物理的な外傷は皆無といっていい。治療は必要ではなく、脳の精密検査だけで充分だ。
神妙な顔になり、オルタナティヴも謝罪を返す。
「謝るのはアタシの方だわ。元を正せば、脇腹の負傷はアタシのミスだもの。最後の左フックは因果応報で自業自得ね。見事に失神させられたけれど、気にしていないわ」
互いに苦笑を交わすしかない結末だ。
勝敗どころか、色々と有耶無耶になってしまったが、どうにもならない。
スパーリングはこれで終わりだ。
みみ架が足を引きずっているのを見て、里央が慌ててリングに駆け上がり、みみ架に肩を貸した。里央に身体を預けながら、みみ架はリングを降りる。一人で歩けない状態だ。
彼女は最後に、こう言い残した。
「技術的なアドバイスや指導はお祖父ちゃんに任せるわ。今回のスパーリングで、わたしから貴女に言える事は一つだけ。
――最後まで自分のライトクロスを信じなさい」
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