第一章 何でも屋の少女、再び 7 ―オルタナティヴVSみみ架④―
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7
これが――発勁。
記憶とは異なる知識(データ)として、オルタナティヴは分かっている。
情報(データ)として理解はしている。
オルタナティヴ本人のものではなく、過日に堂桜統護と超次元的にリンケージした際に獲得した、統護の経験としての情報(データ)だ。あの時、統護もオルタナティヴの記憶(データ)を知識(データ)として獲得(コンバート)したはずだが、どの程度まで互いの記憶を共有し合ったのかは、確認していない。
脳が得ている記憶=情報とは、すなわち脳細胞のシナプスに蓄えられている電気信号だ。
感情も同様に、脳内の電気信号が引き起こす化学反応である。
(データによる理屈では発勁を理解できても、経験との隔たりは大きかった)
そう。あくまで理屈のみで経験を介していない、俯瞰したデータに過ぎなかった。
けれど、これから存分に発勁を経験できる。
それがスパーリングの一番の目的だったのだ。
要約すると、『勁』とは『氣』と呼ばれる生命エネルギーを動力(励起力)として、体内で特殊な震動波を発生させて制御する業である。
むろん常人の肉体では不可能な業だ。震動発生用の疑似トラスとして耐えられる骨格。発生させた波紋エネルギーを貯蔵可能な血肉と体水分、そして内臓群。トリガーとして血流制御が必要になるが、特殊な呼吸法での血流加速に耐えられる強靱な血管。
それらの条件を満たす肉体と、『氣』を『勁』に変換する体操作が合わさって、初めて体現可能となる――まさに神秘の神業だ。
……闘気を纏った鬼神(みみ架)が近づいてくる。
ボクシング・スタイルではなく【不破鳳凰流】の拳技で戦うつもりだ。
オルタナティヴは確認した。
「ここから先は、打撃なら何でもありのMMAルールかしら?」
それとも投げ技や極め技も解禁するのか。
あるいは戦闘用魔術さえも。
「いいえ。ルールはボクシング内。けれどわたしはボクシングルールの中で【不破鳳凰流】をやるだけ。ああ、貴女は別にMMAルールで構わないわよ。最初からそのつもりだし」
クスリ、とオルタナティヴから笑みが零れる。
「まさか。あり得ないわ。途中から己に課したルールを変える――なんて格好悪いもの。アタシはね、格好悪い生き方だけはしないと誓っているの」
「あ、そう。わたしにとっては、別にどうでもいいわ」
次の瞬間。
みみ架はオルタナティヴの真横に立っていた。
正面から真っ直ぐに歩み寄っていた筈なのに、気が付けば真横に立っている。これが【不破鳳凰流】の運足――《陽炎》かと、オルタナティヴは驚愕した。
(いったい、どうやって!?)
咄嗟に両腕を上げてガードを固めるオルタナティヴ。L字ガードでは対処できない、と防衛本能が働いていた。顎を引いて、首と両腕に力を込める。筋力は超人そのものの規格外だ。
みみ架の何気なく振るわれた右の縦拳。
ハンドスピード自体は左程でもない。ボクシングのパンチとは異なり、身体全体の捻転が連動するようなフォームでもない。足底が滑るようにスタンスを変えて、下半身が発射台の姿勢を整えた刹那、肩関節から肘、前腕と伸ばしていく――典型的な突きである。
悪くいってしまえば、変哲のない『手打ち』に近いフォームだ。
しかもほどんと筋力が込められていない、脱力した緩やかな動き。キレも力強さも皆無。まるで健康体操めいた演舞だ。
遅い。オルタナティヴはしっかりと視認して、ガードで受け止めた。
それなのに――
ガードを破壊してすり抜けた拳が、オルタナティヴの顔面に当たる。
ドォグワァんっ!! オルタナティヴの膂力が通じずに、腕が弾かれ、跳ね上がった。
縦拳はそのままオルタナティヴの顔面に滑り込むように到達し――炸裂面から鐘の音が共鳴したかのような轟音が鳴り響く。
オルタナティヴの上半身が、ぐにゃり、とねじ曲がる。
ダメージは甚大だ。しかし下半身を踏ん張って、どうにかダウンは拒否してみせた。
(なるほど。拳に勁を込めるだけで、これだけ効くとはね)
一発目にもらった寸勁(ワン・インチ・パンチ)は、震脚による踏み込みをトリガーとした業――発勁の技術であった。だが、この縦拳は勁を込めた『ただの拳』だ。
拳撃として強烈である必要はない。
当てて、勁を炸裂させれば充分な威力を伝達できるのだから。
オルタナティヴは怯まずに反撃する。
左右のボディブローを繰り出す。けれども、みみ架は難なく両腕を旋回させて捌いた。
パーリングではなく、拳法による『円の動き』である。
捌きの為に旋回させた両腕から、淀みない流れで、みみ架は拳撃へと繋いだ。
右脇腹に当たった拳から『勁の衝撃』がオルタナティヴの躰を貫いた。
ズズン。独特の威力だ。脳を揺らされていないのに、オルタナティヴの意識が飛びかける。
いや、頭部を打たれていなくとも、勁の衝撃が打突点から脳まで反響しているのだ。
(つ、強い。なんて強さ)
ボクシングという枠内に技術を制限していても、これ程なのか。蹴り、肘に膝、投げ、極めを解禁したらどんなレヴェルの強さになってしまうのだろう。
赦さないから――という、みみ架の呟き。
「さっきのふざけた真似の代償、払ってもらうわよ」
冷徹な表情のまま、みみ架はオルタナティヴを容赦なく殴り続ける――
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…
ラウンドは進み、第七ラウンドに入っている。
どうにかKOされる事だけは逃れているオルタナティヴだが、蓄積しているダメージは深刻なレヴェルになっていた。
無駄なく動くみみ架に対して、オルタナティヴはオーバーリアクションで動き回り、とにかく的を散らす事で辛うじて対抗している。否、生き延びていた。
みみ架が呆れ顔で言った。
「常人ならとっくにKOどころかあの世逝きでもおかしくないのに、堂桜くんといい、ホント信じられない頑丈さとスタミナね。人間離れにも程があるわ」
「そっちは息が上がってきているわよ」
オルタナティヴは不敵に笑う。
超人化している肉体の恩恵である。スタミナはまだ保つ。だがダメージは限界に近い。
対して、みみ架はノーダメージであっても、七ラウンド動き続けているのだ。しかも鬼神化してからは、動き回っている自分を常に追いかけている為に、相当な運動量になっている。たとえ動きに無駄がなくとも、スタミナを消費しているに違いない。
どうせ応戦できないのならばと割り切って、こちらは逃げ回っているのだ。
接近されたら、それっぽいリアクションで戦闘続行の意志があるとアピールするだけだ。
確かに発勁を伴った拳撃は脅威である。
しかし、ボクシングのコンビネーション程には連打が利かない。やや単発傾向だ。
追い足と移動速度も同様だ。
いくら【不破鳳凰流】の運足が神秘的だろうと、物理的にはラン&ガンの方が迅い。
とはいえ、一方的に攻撃されている展開に違いはなかった。
(そろそろ……かしらね)
ドン!! 左廻し打ちでの発勁をもらう。
崩れ落ちかけるが踏ん張る。覚悟がある。防御できないと割り切っているので、常に拳をもらう心構えを固めていた。ゆえに耐えられるのだ。この角度で拳をもらうという事は、みみ架の位置は此処だと、今まで食らった攻撃で身体に覚えさせていた。
みみ架の足下に視線を移す。ほら、足が止まっている。
一方的な展開なのと、こちらがグロッキーなのを免罪符にして、打ち終わってからの細かい動きを面倒がり始めているのだ。おそらく無自覚のサボり。それだけ体力に余裕がない証左だ。
けれど流石に頭部の位置は変えているはず――
下を見たままでいい。下手に視線を合わせると、それだけで次の攻撃を読まれかねない。
よって、ここで打つパンチは顔面ではなく――下、つまりボディだ。
渾身の右ボディアッパーを放つ。
普段はインパクトの瞬間に手加減する。そうでなければ、超人化した筋力で相手を殺しかねないからだ。けれど、今は容赦なく全力近くで振り抜かせてもらう。
まともにヒットすれば、一撃で逆転できる。
(これがアタシの対みみ架用のファイトプランよっ!!)
ドボォンっ、という衝撃が右拳から跳ね返ってくる――はずが、手応えがない。
軽い手応えすら返ってこない。
右ボディアッパーは確かに相手の腹部にめり込んでいる。それなのに与えたダメージはゼロという不可解な現象だ。
冷たい声音で、みみ架が告げた。
「――残念ながら私の『化勁』の方が上だったわね」
化勁。すなわち身体の内部から発生させる勁ではなく、外部から加えられる衝撃を『勁に化して』己の内部に吸収させる業である。相手の打撃を無効化するのみに留まらず、その威力を己の勁として転化するのだ。
みみ架といえど全ての攻撃に化勁はできない。ある程度は予測する必要がある。つまりボディ狙いを読まれていた。
ボディアッパーを打ち切った姿勢では、次の攻撃には備えられない。
みみ架の拳を、オルタナティヴは連続で浴びる。
(鬼……ね。まさに鬼神の強さか)
これで本物ではないというのだから、本物はどれ程なのか。
コーナーポストまで詰められて、そこからラウンド終了まで滅多打ちにされた。
実力差は明白。
その様子は半ばリンチに近い凄絶さだった。
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…
最後のインターバルだ。
頼りない千鳥足で戻ってきたオルタナティヴを、セコンドの二人が出迎えた。
オルタナティヴは半死半生といった態だ。けれど眼光は鋭く頬には笑みが浮かんでいる。
心配など要らない。万策尽きた――のではないのだから。
渋面を浮かべながら弦斎が訊いてきた。
「無茶をしおって。じゃが、ここまでは作戦通りみたいじゃのぅ」
「あら。分かったかしら?」
見抜いていたか。流石に武神と呼ばれる重鎮だ。
「みみ架は頭に血が上っている状態とはいえ、ここから先は容易ではないと思うが」
「約束したでしょう。お孫さんの経験になってみせるって」
「ワシとしては婿殿との初キッスの予行練習を経験させてくれただけで満足なんじゃが」
「いきなり舌を絡ませたらアイツにドン引きされるわよ」
苦笑するオルタナティヴ。
悪い事をしたとは思うが同情などしない。油断した彼女が悪いのだ。
最後のインターバルが終わる。
相手側のコーナーでは、里央が手加減するようにと、必死にみみ架を宥めている。怒りが収まっていないみみ架は聞く耳持たないが。
(それでいいわ。そうやってカッカしていなさい)
その怒りは静まるから。貧血みたいに顔面蒼白にして冷や汗まみれにしてあげる。
それにみみ架は大量の汗をかいて肩で息をしている。間違いなく疲れている。怒りによる脳内麻薬の作用で、自身が疲れているいう感覚が麻痺しているのだ。
ロイドが言った。
「大した役者だな、オルタナティヴ」
涼やかにウィンクして、オルタナティヴはこう返事する。
「ええ。アタシは人生という名の舞台(ステージ)で――主役であり続けたいのよ」
リングを照らす天井のライトを見上げる。スポットライトでないのが残念だ。
ここからだ。ここから主役――主人公である自分と、ヒロインではあっても主人公にはなれないみみ架との違いを、劇的に演出する。脚本家と主演はこのオルタナティヴだ。
さあ、いこう。
カァン。スパーリングの最終ラウンドが始まった。
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