第一章 何でも屋の少女、再び 5 ―オルタナティヴVSみみ架②―
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5
第二ラウンド。
リング中央での攻防から幕を開けた。
だが第一ラウンドの様なリードブロー中心の応酬にはならない。
展開を打破する為に、オルタナティヴが多少の被弾を覚悟で強引に前に出始めたのだ。
ボックスでは勝負にならないのは分かった。
ならば打ち合いだ。オルタナティヴは打ち合いにもっていこうとしていた。
対する、みみ架。
防御よりも距離を詰めることに傾注する相手に、左から右、右から左という左右の二連打を的確に当てていく。一発目で出足を鈍らせて、角度を変えた二発目を強打するのだ。
そして三発目は打たずに、フットワークで自分の距離をキープしている。
三発目を狙ったり連打にいく事もない。常に二発目で止めて、正確な左回りを維持する。
打っては離れ、の繰り返し。
すなわち――『ヒット&アウェイ』という戦法だ。
ボクシング用語というよりも、攻撃&離脱という戦闘における常道(セオリー)の一つでもある。
オルタナティヴの拳は空を切るのみ。
そして自分よりも射程距離が長い相手の懐が、とにかく遠い。
みみ架の美しいアウトボックスは、まさしく『蝶の様に舞い、蜂のように刺す』だった。
オルタナティヴは不用意にカウンターをもらう事だけを気を付けている。
技術的に通用しなくとも、決して雑にはなるな。集中だ。丁寧に、丁寧にいけ。
とにかく相手のリズムを壊すのだ。
だが、オルタナティヴの思惑に反して、リズムに乗っているみみ架のボクシングが変化、いや、変質していく――
いわゆる攻防分離――ヒット(パンチを当てる)とアウェイ(フットワークで離れる)が別だった動きが、同時に機能して、巧みに連動し始める。しかも、より高性能を発揮して。
オルタナティヴもその差異に気が付く。
ソレは正式なボクシング用語として存在していない。
何故ならば、ボクシングの基本である『ヒット&アウェイ』とは異なり、極一部のスペシャルしか体現できない特異なスタイルだからである。教科書に載せる意味がないのだ。
かつて、ミドル級世界王者だった男がWBA世界ヘヴィ級タイトルを獲得するという偉業を成し遂げた。全盛時、無敵のスーパーマンだったその天才ボクサーは、ライバル不在という不幸に嘆き、昼間にバスケットの試合、夜にボクシングの試合という真似までやっていた。
彼の圧倒的かつ天才的、そして常識破りの挙動を目にした者達の何名かが、『ヒット&アウェイ』と似て非なる別次元のスーパーボクシングを、こう形容した。
里央が興奮気味に叫ぶ。
「で、出た! これがミミの――」
オルタナティヴも刮目して体感する。これが、これが……ッ!!
これが――ラン&ガンか!
単純な『打つ→逃げる』の繰り返しとは一線を画するスタイルだ。
これは蝶や蜂に例えられる代物ではない。
すなわちヒット(打つ)のではなく、まさにガン(撃つ)という拳。
アウェイ(ステップで離脱)ではなく、ラン(走る)という高速フットワーク。
その二つが攻防一体で機能しているという――奇蹟に近い脅威だ。
しかも元祖の『ラン&ガン』が攻防の最中における短時間の体現だったのに比べて、みみ架の『ラン&ガン』は継続起動している。いわば、これは彼女のオリジナルに近い。
オルタナティヴは思い知った。
対抗戦で観ていたが、俯瞰するのと実際に相対するとでは大違いだ。超人的な身体機能を誇る自分や統護であっても、ラン&ガンの実現は不可能だろう。
ドン、ドン、ドン、ドンッ!
みみ架が芸術的なリズムで打撃音を奏でていく。
統護戦で披露したラン&ガンよりも、パンチの精度と威力が進歩していた。
「いけ、いけ、ミミ~~♪ 格好いい~~!!」
里央が声援を送る。
オルタナティヴはみみ架のボクシングに付いていけない。
手足の速度や反応速度といった速度以前の問題で、ボクシングのテンポが段違いなのだ。
これが試合ならば、ダメージに関係なく、一方的過ぎてレフェリーストップ(TKO負け)にされてしまうだろう。あるいは自陣からタオルが投入されるか。
手加減されているのは理解していた。
みみ架は倒しにきていない。
ラン&ガンは強打でKOを狙うスタイルではないとはいえ、その気になれば、みみ架には何度もKOパンチを狙って打ち込める機会があった。
つまりこれは正真正銘のレッスンだ。
(本当に、優しい子)
打たれながら、翻弄されながら、オルタナティヴはしみじみと思う。
こうして気を遣いながら相手してくれるなんて。
セーフハウスのリングでスパーリングして約束を済ませても良かったのだ。
練習なのだから無慈悲にKOしてくれても構わなかった。
けれど、みみ架は万が一のリング渦を考慮して、医療体制が整っているこの場を選んだ。
自分に依頼した事を弦斎に勘づかれてしまっても、だ。
しかもわざわざ弦斎に面通しした上で、セコンドまで付けてくれた。
(そんな性格だから、孤高を望んでいるというのに、友達が群がってくるのよ)
図書委員キャラではなく、やはり世話焼きクラス委員長だ。
しかも偏屈で素直でないときている。
パンチを痛打されては歪む頬には、充実の笑みが浮かんでいた。
……――カン、カン、カン、カン、カン!
第二ラウンド終了のゴングだ。
オルタナティヴの顎先で寸止めされている左拳。
タイミング的にゴングよりも先に打ち抜けたのに、みみ架はわざと止めていた。
強い。掛け値なしに――強い。
ここまでの六分間、オルタナティヴが奪った有効打は――ゼロだ。
この第二ラウンドは10対9どころか10対8の採点でもおかしくない差があった。
みみ架は颯爽と里央が待つコーナーへと歩いて行く。
彼女は離れ際に「レッスンはあと六ラウンドね」とつまらなげに言っていた。
やはり自分は歯応えがないのだろう。
ニィ、と両目を細めたオルタナティヴが口の端を上げる。
(もうじき……よ)
待っていなさい、委員長。
……その余裕綽々といった超絶美人顔、もうじき変えてみせるから。
…
二度目のインターバル。
セコンドのロイドが氷嚢をオルタナティヴの顔に当てていた。
オルタナティヴの顔面は腫れてこそいないが、全体的に充血して真っ赤に染まっている。超人化している身体でなければ、ボコボコに腫れ上がっていてもおかしくない程、パンチをもらってしまった。
ダメージは軽微だ。
殴られまくったが、大して脳を揺らされていない。ボディも打たれたが、まだ大丈夫。
劣勢のオルタナティヴに、弦斎が厳しい口調で言った。
「流石にセコンドとしての仕事をするぞい」
そう前置きして、弦斎はオルタナティヴの耳元にアドバイスを囁く。
具体的なファイトプランに口出しはしてこないが、みみ架の癖とオルタナティヴの技術的な欠点を端的に伝えてきた。反復練習なしで即座に修正可能な範囲に留めている。
「……分かったか?」
「ええ。以後、留意するわ。ありがとう」
みみ架がこちらを見ている。
心が折れていないかを観察しているのか。それとも祖父の言伝に興味があるのか。
「お礼はスパーが終わってからでいいわい。このまま一方的にレッスンされたままで終わるつもりはないんじゃろう?」
「もちろんよ。最初の約束通りに……お孫さんの経験になってみせるから」
「頼もしいわい。みみ架とは違い、修羅場やピンチをくぐり抜けている者の目をしておる」
「ええ。言っちゃ悪いけれど、お孫さんはピンチ知らずの温室育ちだものね」
「確かにその通りじゃ。それが孫の最大の不幸でもある」
苦しさを出すな。余裕はなくとも、余裕を演出して涼しげに微笑め。
ピンチはチャンス。ヒトの真価とは、強さとは、逆境や劣勢でこそ問われるのだから。
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