第四章 破壊と再生 12 ―葛藤―
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みみ架は自室の学習机で、本を開いていた。
《ワイズワード》は本棚に仕舞ってある。しばらくは使わないつもりだった。いや、ひょっとすると、二度と本棚から出さないかもしれない。
弦斎が珍しくノックしてから、部屋に入ってきた。
もぬけの殻のベッドを目にして、孫娘に訊く。
「……やはりあの子は行ってしまったのか」
「ええ」と、みみ架は頷く。
視線は、開いた本の紙面に釘付けのままだ。
「引き留めなかったのか?」
「彼女は自発的に出ていったわ。楯四万さんの所属している組織からの呼び出しがなくとも、結果は同じだった。あの子の意志は固かった」
固い声だ。締里は『投降してテロリストの隙を作れ』と指令を受けて出立した。
弦斎はみみ架の背中を、悲しそうな目で見つめる。
「それで? お前はどうするのじゃ」
「どうって?」
「あの子を助けに行かないのか? 十中八九、向かった先は――」
「事件現場に行ったところで、警察が包囲網を敷いているから近付けないわよ。それとも追いかけて、力ずくで彼女を連れ戻せとでも? 結果的にあの子の立場が更に追い込まれるわ」
弦斎が声を荒げる。
「そうじゃなくてじゃ!!」
怒りというよりも、悲しみに満ちている声音に、みみ架はそっと嘆息した。
冷たい声で、祖父を突き放す。
「何がそうじゃないのよ? お祖父ちゃんはわたしに何を期待しているの?」
「ワシ、知っておるのじゃよ。あの子を連れてきた日から――夜中になったら、みみ架があの本型の【AMP】を使った稽古をしておるのを」
「……そう。わたしもまだまだ未熟ね。気が付かなかったわ」
「気配など消しておらなかった。あんなに熱心に没頭するみみ架は久しぶりじゃった」
「座興よ。わたし自身、武術に対する現実の在り方に意味を見いだせずにいたから。《ワイズワード》――あの本型【AMP】を併用してどう戦えるのか、少し興味があっただけ」
「嘘じゃ」
弦斎は震える声で、しかし力強く断言した。
「お前は嘘をついておる」
「何に対しての嘘よ」
「祖父ちゃんはとっくに気が付いておるよ。みみ架はワシのような凡才とは異なり、己の中に鬼神を棲まわせておる。じゃが黒鳳凰の血脈が継いできた【不破鳳凰流】はもはや過去の遺物に成り果て……、みみ架は誰よりも、ワシよりもずっと、ずっと失望しておった」
だから己に嘘をついた――と哀しげに云う。
「勝手に決めつけないで。わたしが一番好きなのは、本であり読書よ」
「それも真実じゃと分かっておる。けれど、それとは全く違う場所に、ホントウのお前と、みみ架にとっての【不破鳳凰流】が――」
「だからぁッ!!」
腹の底から叫び、みみ架は祖父の言葉を遮る。
自分が封印した魔術の正体――
その事実からも、みみ架自身、己の本性に気が付いてはいた。
けれども……
「仮にわたしが裡に、その鬼神とやらを棲まわせているとして、お祖父ちゃんはわたしに何を望んでいるわけ!?」
攻撃的に問いかける。
弦斎は静かに答えた。
「楯四万締里さんを、お前が助けるのじゃ」
「莫迦いわないで。わたしは正式な資格を得た【ソーサラー】じゃないのよ。今はただの一般人なの。警察の包囲網を突破して事件に介入なんて真似をしたら、下手をしなくとも公務執行妨害等でこっちが犯罪者よ」
「それは名誉の罪じゃ!」
「本気で言っているわけ!? それだけじゃないわ。そんな真似をしたら、たとえ楯四万さんを救えても、不起訴を条件としてわたしには【ソーサラー】以外の道が閉ざされてしまうわ。お祖父ちゃんは嬉しいかもしれないけど」
現在進行形で、マスコミに大々的に報道されている。
噂通りに堂桜財閥が情報統制を掛けていたとしても、飛び入りの女子高生までリアルタイムで秘匿してくれる可能性は、ほぼゼロだ。
そんな中で、実力を披露してしまえば、その時点で平穏な魔術系技能職としての将来は潰えるだろう。仮に介入が罪の問われなくとも、みみ架の実力を周囲が放っておく道理がなく、否応なく進路は戦闘系魔術師の一択に追い込まれる。
「……わたしは本に関する職業に就きたいの」
「あの子を見捨ててもか!!」
「それなら、だったら、お祖父ちゃんが助けに行きなさいよッ!」
ついに――ついに、みみ架は振り返って、吠えた。
みみ架の悲痛な視線に、弦斎も叫び返す。
「見損なうでない!! ワシにお前のような力があれば、そうしとるわッ!」
「~~っッッ!!」
歯を食いしばり、顔を歪めた孫娘に、弦斎は声のトーンを抑えた。
「思い返せば、色々と悪かったと反省しておるよ。みみ架にも、お前の母親――弥美にも。ワシは酷い師匠で、ダメな祖父で育ての親じゃった……。お前がそんな風になってしまったのは、ワシの責任じゃ。けれど、みみ架を信じてもおるのじゃ。ワシはダメでも、本当のお前はダメじゃないと……」
返事をせずに、みみ架は再び本に向かった。
背中を向けたみみ架に、それ以上は何も言わず、弦斎は部屋を出て行った。
みみ架はジッと紙面を注視し続けた。
「行けるわけないじゃない」
苦渋が口から漏れた。
――住んでいる世界が違うのだ。
楯四万締里は、裏社会の人間で、自分とは本来なら接点のない者なのだ。
それは堂桜統護も同じだ。
巨大財閥の御曹司であり、表社会だけではなく、裏社会にまで多大な影響力を振るえる。
自分は――ただの一般人だ。
単なる魔術師候補の、クラス委員長をやっているだけの女子高生に過ぎない。祖父の仕事の関係で、その筋の関係者からはお嬢様扱いを受けてはいるが、基本的になんら特権など保持していないのだ。だから逆にいえば、義務・責務だって――ないのである。
「彼等は、庶民でただの女子高生のわたしとは、世界が違うのよ」
手出しをしたならば、進路が、将来が、人生設計が、粉々に砕けてしまう。
早く子供を産んで、子を継承者に育てて、面倒から解放されたい――
「そもそも、わたしがテロを制圧しなければならない、なんて義務も責任もないじゃない。そういうのは警察や自衛隊の仕事で、その為に庶民は税金を……」
――〝見損なうでない!! ワシにお前のような力があれば、そうしとるわッ!〟――
祖父の一喝が耳朶に蘇った。
「なんで。どうしてよ……。どうして、わたしは、」
夢の断片が頭にこびり付く。
懸命に忘れまいとしたが、もう全て忘れてしまいたい。
それなのに、逆に忘れられなくなっている。
運命。そんなモノに日常を、自分の夢と将来を潰されてなるものか!
(わたしの意志は)
みみ架は本を閉じた。
内容が少しも頭に入ってこない。
勢いよく立ち上がり、本棚に仕舞ってあった《ワイズワード》を手に取ると、
それを全力でゴミ箱へと放り込んだ。
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…
統護は奥の手を使おうと、精神を集中させた。
認識を切り替え、普段は意図して抑えているチャンネルを開く。
すると、この【イグニアス】世界に芳醇に溢れている、様々な神秘の――
「――待て、統護」
背中越しからの声色に、統護は驚いて振り返る。
すぐ後ろには、締里がいた。
学園の女子用制服をきっちりと着こなしているが、顔色は土気色で、汗も滲んでいる。
一目でコンディション不良が判ってしまう。
「お前……。どうして此処に?」
「命令が下った。身柄を投降して隙を作れって。私だけではどうにもならないけど、統護と【ブラッディ・キャット】が協力してくれれば、どうにかできるかもしれない」
「だけど、その身体で」
今の締里は軽く押しただけで倒れてしまいそうに見える。
統護にとっては願ってもないチャンスだ。とはいっても、今の状態の締里に無理をさせて、危険な目に遭わせたくもない。
心配そうな統護を余所に、締里は【ブラッディ・キャット】の三名と、作戦を打ち合わせた。
そして最後に、統護に告げた。
「お前は、私が危険になったら助ける為に突入してくれ。人質の救助等は全て【ブラッディ・キャット】の方に頼んだから」
「大丈夫なのかよ」
締里は儚げに笑った。
「うん。これは任務や命令だけじゃなく、私自身の意志でもあるのだから」
そう言って、締里は【光の里】の正面入口へと歩み始めた。
締里は自然と微笑んでいた。
統護の心配が嬉しい。
それだけで、鉛のように感じられる自身の足取りが、少しはマシになった。
締里は懸命に歩を進める。
油断すると、それだけで倒れ込んでしまいそうだ。
周囲の景色が陽炎のように揺らぐ中。
たった一人の少女を想う。
「御免なさい、ハルル。もう何もしてあげられないけれど……」
友達だよって、本当の名前を教えるから。
ただ一目でいいから、逢って、そして任務とはいえ裏切って、消えた事を謝りたかった。
気が付けば、三機の【パワードスーツ】が締里を囲っていた。
締里の足が止まる。
茫洋とした視界に移る数は、みっつ。
足りない。
人質救出の為には、せめてもう一機引きつけないと――
中央の【パワードスーツ】から、スピーカー越しの声が投げつけられた。
『久しぶりだな! 裏切り者ぉ!!』
「ハルル。ハルルは何処?」
『随分とフラフラじゃねえか!! とりあえず、捕まった仲間の礼をいっとくかぁ!』
問答無用だった。
捉まえにくるのではなく、容赦なく攻撃しにきた。
黒い人型外装機体が、搭乗者のモーションに合わせて、黒い腕を突き出してくる。
締里は動けない。
迫り来る【パワードスーツ】の鋼鉄の拳を、胡乱な瞳で見つめていた。
眼前の黒い機体が――消えた。
切り替わった視界に、締里の双眸が驚きで見開かれる。
ズズゥン、という地響きめいた音がした。
何が起こったのか、締里は全く理解できないで立ち尽くすのみだ。
「ったく。世界が違うって、この【イグニアス】はたった一つじゃないの……ッ!」
聞き覚えのある声音。
気が付けば、手品のように、すぐ傍に見知った女子高生が立っている。
いつの間に? そして――何をしたのだ?
締里は彼女の背を呆然と見つめる。
「お前は……どうして?」
学園制服姿の彼女――累丘みみ架は凛と宣言した。
「最後まで面倒みないと後味が悪過ぎだからよ。よって――この状況に介入するわ」
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