第三章 終わりへのカウントダウン 4 ―後悔―
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金縛りに近い感覚で、締里の意識は覚醒していた。
今は昼食後の休眠だったはずだ。
脳は起きている――けれども、まだ夢の続きを視ているという中途半端な知覚状態。手足を動かそうとしても、間違いなく動かないだろう、とさえ理解していた。
原因は分かっている。
昼食時に報道されていた【パワードスーツ】によるテロ事件だ。
彼等は【ネオジャパン=エルメ・サイア】と名乗っており、使用されていた機体は六体。
締里が所属している特務機関から知らされている情報――過日の《隠れ姫君》事件において政府が捕獲し損ねている【エルメ・サイア】ニホン支部の人数が六名。
表明している名称と、機体数の一致から偶然という可能性は低いだろう。
そして強力なジャミングの為に、ノイズ混じりの映像であったが、六機のうち一機だけ挙動がぎこちない機体があった。
他の機体がスムーズな動きで連携している中、不自然な加速と減速を繰り返し、どうにか付いていこうともがいている様は――間違いなく『彼女』だ。
不器用で、どんくさい、それでも一生懸命なあの子に間違いない。
忘れたつもりでいた。
任務による裏切りなので今さら思うところなど、締里にはある筈もなかった。
なのに思い出している。
そう……たった一人だけ心残りがあった。
それは笠縞陽流という少女。
小柄で細身。ショートボブの薄い黒髪に、小ぶりな鼻立ち。気弱そうで柔和な外見。
いかにも優しそうで、とても過激なテロ活動に身を投じるようには見えない、小さな女の子。
彼女だけは潜入した【エルメ・サイア】ニホン支部において、異彩を放つ存在だった。
気が強そうで自己主張が激しいメンバーの中で、陽流は正反対だった。
他のメンバーとは異なり、理念や理想、野心もなかった。
陽流は新入りの締里に「友達になって」と懐いてきた。
どこにでもいそうな、ちょっと可愛い容姿の中学生の少女は、居場所と愛情に餓えていた。
同胞意識・仲間意識はあっても友情とは無縁な、【エルメ・サイア】ニホン支部で、たった一人だけ友情をモチベーションとエネルギーにしていたメンバーだった。
締里はそんな陽流を利用した。
その任務ゆえ、特殊メイクで変装をしていたとはいえ、写真を残してはならなかったのに、陽流に涙ぐまれてしまい、つい一度だけ情に流されてツーショット写真を撮った。
不思議とその致命的ともいえるミスに、後悔はない。
後悔は――陽流を切り捨てた事。
陽流を救えなかった事。
(あぁ、だから私は今更こんな夢を視ているのか――)
◆
締里が【エルメ・サイア】ニホン支部の潜入に成功して二ヶ月が過ぎていた。
一週間ぶりに秘密の会合で顔を合わせた陽流は、一緒に食事をしようとせがんできた。
「分かったわよ。それで店は?」
あまりのしつこさに辟易を通り越して観念した締里は、陽流にリクエストを訊いた。
陽流は「えへへ」と照れくさそうに笑って、おにぎりを差し出してきた。
御世辞にも形が良いといえないそれは、銀紙で包まれており、要するに手作りである。
「他は?」
「え?」
「……なんでもないわ。ただ炭水化物に偏りすぎって思っただけ」
どうせ後で指定されているサプリメントを摂取するので栄養価的には問題ない。それに形こそ悪いが、添加物や防腐剤があまり使用されていないので、そう悪い食事でもない。
キョトン、としていた陽流だったが、締里が銀紙包みを剥がし始めたので、嬉しそうに自分の分のおにぎりを食べ始めた。
「……美味しいかな? 夕ちゃん」
ちなみに締里は潜入の際、山根夕という偽名と組織が用意したプロフィールを使用していた。
「固いわね。もっと空気を含ませた方がいいわ。それから……具がないのね」
味は評価できないので、そういった方向性に評価を逃げた。
「どんな具が好きか分からなかったから」
「無難に梅干しで構わなかったわ」
「うん! 次は梅干しと、それからもっと柔らかく握るね」
どうやら次があると、勝手に解釈した様子だ。
締里はため息をついて、こう言った。
「できれば、梅干しよりもおかかがいいから」
塩分の関係だった。
その日――、別れ際に陽流は訊いてきた。
「普段、夕ちゃんてお友達、いる?」
それは怯えを含んだ声音。
締里は嘘をついた。
「いるわよ。沢山ね」
本当はゼロだ。少なくとも締里が友人だと認識している者は。
陽流の顔がくしゃりと歪む。
そして慌てて取り繕った。きっと笑顔のつもりの表情で。
「あたしは……夕ちゃんだけだから」
友達、と悲しそうに囁いた。
縋るような瞳で、締里を見つめてくる。
「貴女の過去に何があったのかは知らないけれども……、私達は仲間であり同志よ」
あえて陽流が欲しかった単語を避けた。
それは――締里にとって、よく分かっていないモノだったから。
陽流から目を逸らしていたから、彼女がどんな顔をしたのか分からなかった。
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◇
……――夢は、そこで途切れた。
枕元の時計では、午後十六時過ぎである。
締里は手足の感覚を確認した。気だるく力が入らないが、金縛り状態ではなかった。
目を瞑っても、再び過去の映像は再現されずに、瞼の闇だけだ。
その闇は、心の帳のように思えた。
「だって、あの時は本当に分からなかったから」
友達、というモノが。
少し前の自分にあったのは、祖国と組織に対する忠義と、生きていく為の割り切りだった。その為には殺人も破壊工作も行った。その事に後悔はしていない。戦災孤児であった彼女は、誰かが手を汚さねばならないと知っているから。
しかし、今なら少しは理解できていると思っていた。
心の主君と決めたアリーシアは、締里を臣下としてだけではなく、友人として接してくれる。
そして――淡雪に、史基に……
「――統護。お前のせいだぞ、私が変わったのは」
噛み締めるように締里は呟く。
気が付けば、弱くなっていた。
任務にあたり冷徹かつ冷酷に情を切り捨てていた、敵対者に《究極の戦闘少女》と恐れられる戦闘機械人形――だった筈の自分が、統護とアリーシア(ついでに淡雪)に出逢って、心に触れて、こんなにも変わっていた。
孤児院【光の里】での新生活も、心理状態に大きな影響を及ぼしていた。
アリーシアが大切な場所、というのも共感できる。
つまりは優しさ。
特殊工作員として欠陥であると理解してはいても、自分の変化が嫌いではなかった。
「統護のせいで、私はこんなにも悔いている」
夢に視るほどに。
陽流に「友達だ」と告げてあげられなかった事が。
二度目のおにぎりを味わえなかった事が。
本当の名を教えられなかった事が。
「ねえ、ハルル。……お前は今どうしている?」
また逢えたのなら、私を許してくれるか?
その問いに答えられる者は、この場にはいなかった。
ドアの向こうで、みみ架はそっとため息をついた。
「お茶菓子って空気じゃないわね」
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