第二章 錯綜 8 ―女の子―
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8
優樹は夕食を終えると、人目を盗んで浴場に来ていた。
「――よし。誰もいないな」
脱衣所で手早く衣服を脱ぎ、籠へと放り込む。
統護の部屋に押しかけているが、優樹用の客間も用意されている。その中に簡易シャワー室は設置されていた。しかし二日続けてのシャワーのみは我慢ならなかったのだ。
基本的に使用人は此処を使わない。
統護と淡雪は入浴済みを確認している。堂桜夫妻は今日も不在である。
つまり今ならば誰にも知られずに使用可能だ。
裸になるとホッとする。
胸の苦しみから解放される――と、優樹は軽い足取りで浴室へと入った。
高級老舗旅館の大浴場を彷彿とさせる光景に、優樹はご満悦になっていた。
思わず泳ぎたくなってくる広さの浴槽で、存分に手足を伸ばす。
「はぁ~~。極楽極楽ぅ♪」
リラックスして、ささくれ立っていた気分が和らぐと、統護への罪悪感を思い出した。
悪いのは統護ではなく――自分なのだ。
優樹は自分の右手をジッと見つめる。
「……結局。統護が興味を示していたのは、この右手のカラクリじゃなかったのか」
ならば、この右手をケイネスとかいう怪しげな女科学者に施術させて、疑似《デヴァイスクラッシャー》にした意味は、ほとんどなかったという事だ。ショックである。
右手をこんな風になど、本当ならばしたくなかった。
「それに統護は昔の事を忘れているようだし」
強盗団の情報をあらかじめ掴んでいたので、街中で実戦による《デヴァイスクラッシャー》の起動実験を行った時、偶然にも統護と再会した。当初の計画では、実験成功を確認してから彼に接近して《デヴァイスクラッシャー》を見せるはずだった。
しかし偶然、再会した。
だが再会した時の彼のリアクションは、明らかに自分を知っていた。
それなのに、自分に探りを入れる統護は、過去の関係をまるで覚えていない様子だ。
過去の話題を振ろうとしても、意図してはぐらかされる。
――知っているのに、覚えていない。
――覚えているはずなのに、知らない。
その奇妙な矛盾は、こうして振り返ってみると【DVIS】を扱えなくなる前の統護と、扱えなくなった統護の関係に相似している矛盾である。
「統護。君はいったい何者なんだい?」
優樹は湯船の中で体育座りをして丸まった。
「知りたいな。任務とか関係なしに」
統護の顔が脳裏に浮かぶ。
子供の頃とは違い、男の貌になっていた。そして情報よりも気さくで優しかった。
本当は全てを打ち明けて、謝って、そして昔みたいに戻りたい。
けれど、それは今の優樹には許されないのだ。
ガラ、という引き戸が滑る音で、優樹は思惟から覚める。
白いタオルを前腕から下げている黒髪の少女――淡雪が浴室に入ってきた。
淡雪は当然ながら裸だ。
ギョッとなった優樹は、反射的に背中を向ける。
「す、すまない! 勝手に入ってしまって」
淡雪が悲鳴を上げたら全てが終わってしまう――と、優樹は絶望した。
どうして風呂くらい我慢できなかったのだ。
……――悲鳴は上がらない。
どころか、気配と微かな足音で淡雪が浴槽に近づいてくるのが分かる。
恐る恐る優樹は背中ごしに振り返った。
ざばっ。中腰になっている淡雪は洗面器でかけ湯している。
「あ、淡雪?」
「お隣、よろしいですか?」
悲鳴をあげるどころか、淡雪は一緒に入浴しようとしていた。
優樹は引き攣った笑顔で首を横に振る。
「いやいやいやいや。君って女の子でしょ? 男のボクと一緒っていうのは――」
その言葉を淡雪が遮った。
「――いいえ。女の子同士なので、特に問題はないかと」
優樹は固まった。
頭が真っ白で、次の言葉を探そうにも、何も浮かばなかった。
淡雪はそんな優樹の心境を余所に、湯船に入ると、優樹の隣まで移動してきた。
「胸を隠しても無駄です。脱衣所にサラシがありましたので。体型を誤魔化す為の矯正下着も。なによりも貴女の背中とうなじは完全に女性のそれでした。見た時は驚きましたが、冷静に思い返すと色々と腑に落ちました……ので、こうして一緒と」
断言されて、優樹は諦めた。
否、開き直った。
「あ~~、そうさ!! ボクは生物学的にいえば女性に相当するね! けれど心は男性なんだ。だから登録した生体データを改竄してもらい、戸籍も男性になっている」
湯船から立ち上がった優樹は、艶めかしいラインの肢体を晒し、そして胸を張った。
豊かな双丘を形作っているDカップのバストを。
「こんな胸!! 邪魔で邪魔でホントはすぐにでも除去したいんだけど、極秘に性転換手術をやる暇もなかなか見つけられなくってね! 忌々しいや」
淡雪は沈鬱な顔で優樹を見つめた。
その顔に、優樹の作り笑顔は、あっけなく崩れる。
「私は今、貴女の言葉でお兄様の真相に辿り着けた、と確信しました」
「お兄様? って統護?」
「性同一性障害……でしたっけ。私は本物の症状を目にしていました。ゆえに貴女の嘘も簡単に分かってしまいます。貴女は身も心も――女性の方です」
優樹は湯船の中にしゃがみ込んでしまった。
乾いた半笑いは、己に向けられた嘲笑だ。
「はは。そんな目で見ないでよ、淡雪……」
「貴女はどうして自身を男性と偽っているのですか?」
「そりゃ、ボクが妾の子で、父さんは精子が極端に少ない体質で、だから妾の子であろうとも、ボクが跡取りの長男にならなきゃいけなかったからだよ」
人工授精や不妊治療も上手くいかなかった優樹の父親――比良栄忠哉が、まさか遊びで抱いた外国籍(ファン人)の使用人を妊娠させるなど、まさに青天の霹靂であった。
驚喜した忠哉は、しかし子供が女児であると知り喜びを半減させた。そして、方々に手を回して、優樹を男子に仕立て上げたのだ。戸籍に生体データの改竄。産婦人科医の抱き込み。
こうして比良栄忠哉の長男である優樹が誕生した。
「母は大金を握らされて、何処かの外国で暮らしているよ。一度も会った事ないけどね」
「酷い……話ですね」
嫌悪感も露わに、淡雪は眉根を寄せた。
優樹は首を横に振った。乾いた声音で続ける。
「でもね。ボクがたった一人の息子であった時は、まだ良かったんだ……」
淡雪は息を飲む。気が付いたのだ。
――優樹の弟の存在を。
「ご明察だよ。なんと父にまた一つの奇蹟が起こった。義母との間に正真正銘の息子――智志を授かったんだ。それで父の愛情は途切れ、義母の憎しみだけがボクに残った」
「弟さんは、真実を?」
「知らない。知られてはならない。ボクは智志のいいお兄ちゃんでなければならないんだ。そして、唯一ボクを慕ってくれる肉親の未来の為にも――【魔導機術】がなくなった、再び電子機器技術がメインの世界を創らなきゃならないんだ。たとえ捨て石になってでも」
優樹は泣いていた。
その泣き顔を、淡雪は泣きそうな目で見つめている。
「だからさ。お願いだよ淡雪。ボクの味方をしてとはいわない。だけどボクが女だって統護には秘密にしてよ。ボクと統護の互いの秘密に決着がつくまででいいから……」
哀しげに、淡雪は承知した。
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