第二章 錯綜 7 ―探り合い―
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夕食を待つしばしの時間。
最近の統護は決まって自室での読書に予定を割り当てている。魔導科のテスト成績もヤバそうであるが、天才揃いの生徒達には根本的に付いていけない。正直、テストは諦めていた。
今夜も例外ではない。
ただし自室といってもメインである西洋風の十五畳間ではなく、サブとしての和室に本邸内の図書室から蔵書を持ち込んで読み耽っていた。
畳の上にあぐらをかいて、リラックスした姿勢で読んでいる。
やはり和室の方が落ち着く。
それに十五畳は広すぎて、統護にとってはこの部屋の八畳がちょうどいい。
ジャンルは小説等のフィクションではなく、この【イグニアス】世界についての歴史や資料が主流であった。また堂桜財閥関係の非売品の冊子にも目を通していた。
知らない事が多過ぎた。
ネットによる情報検索では見つからない、別視点からの資料も数多くある。
いつまでも『元の世界』の常識や経験と比較して、この世界を考えるわけにはいかない。
この【イグニアス】の常識や経験で、この世界を捉えなくてはならないのだ。
「……俺さえ、もっとしっかりしていればな」
締里に無理をさせなかった。登校しても孤児院に帰すべきだったのだ。
比良栄優樹の存在もだ。もっと早くに知る事ができていた。
知っていたからといって、異世界転生した当時の統護の状況からして、どれだけのリアクションが起こせたのかは定かではないが、それでも初めて逢った時のような間抜けを晒す事はなかった。優樹に対しても、もっと上手く事を運べたのではないか――
ドアはなく敷居が襖だからか、ノックはなかった。
「……統護、いる?」
恐る恐るといった感じの弱々しい声色は、優樹のものであった。
襖越しのシルエットも彼である。華奢で、まるで少女の様だ。
優樹の呼びかけで、統護はいつの間にか本の内容を忘れて、優樹の事ばかり考えていたと、我に返った。苦笑いして本を閉じる。
「どうした? 飯か?」
「もうちょっと。ええと……」
「入れよ。そこで突っ立っていないでさ」
「うん」と、優樹は襖を開けて、そそくさと部屋に入ってきた。
行儀良く正座した優樹は、統護を真っ直ぐに見つめると、「ごめん」と頭を下げた。
統護はあえて分からない振りをする。
「ごめんって何がだよ?」
「だから、その、楯四万さんとの件。ちょっとやり過ぎたっていうか」
「それは仕方がなかっただろ。委員長の話じゃ締里から仕掛けたって話だし。その原因を作ったのは、締里にお前の事を話した俺だ」
優樹は統護ではなく、正座している膝元を見ながら言った。
「統護はやっぱりボクを疑っている?」
「疑うって?」
「ボクの《デヴァイスクラッシャー》について、だよ」
統護は黙って頷く。
優樹は悲しそうに笑顔を作る。
「本当はもっと統護と親しくなってから色々と探りを入れる予定だったんだ。でも楯四万さんとの件でバレバレみたいだから、率直に言うね。ボクは統護の《デヴァイスクラッシャー》の秘密が知りたいんだ。交換条件としてボクもこの右手の秘密を教えるから」
優樹は右手を掲げた。
その手に統護は視線をやらない。
「俺の《デヴァイスクラッシャー》の秘密を知ってどうする?」
「この世界――【イグニアス】を元の姿に戻す。魔術のない昔の頃へと」
即答だったが、統護は信じなかった。
この【イグニアス】は、もう【魔導機術】なしの社会には戻れない。この世界の人間は、元の世界の人間よりも遙かに多くの魔力を標準的に秘めており、そして【魔導機術】――魔術を行使する術を得た。魔術師でない者であっても己の魔力によって、様々な恩恵を受けている。
今さらそれを棄てられない。
「馬鹿げてるぜ。極端な事を言うとさ……。お前の言っている元の世界って、突き詰めていくと原始時代にまで技術レヴェルを下げるって結果になるぜ」
「それこそ極論だよ。今の【魔導機術】は間違っている。魔術犯罪だって、堂桜財閥が使用者の判断と制限を掛けたり、悪用されたIDを警察に提供するとかで、激減するはずだよ」
「確かに理屈の上ではそうだろうけどよ」
元の世界でのサイバー犯罪の取り調べを思い出す。インターネットの悪用程度でさえ、警察側は常に後手を強いられていた。IPアドレスから割り出した犯人が、実は誤認逮捕だった事さえあった。
「技術的な問題として、使用者の適性をアクセスの都度、堂桜側で判別したり、使用されている魔術の結果まで判断して、使用者を洗い出して個人情報を警察にとはいえ、提供――ってのは、口でいうほど簡単じゃないと思うぜ?」
素人感覚でも、システムに掛かる負荷は倍増程度では済まないだろう。
魔術の利便性が少しでも損なわれるのならば、市井の人々が猛反発するのは必至だ。
「だったら、ちゃんとした運用態勢――魔術犯罪対策がシステムに組み込まれるまで、いったん【魔導機術】は封印すべきだよ」
「規制法案の否決に、世論。今の【イグニアス】から【魔導機術】は無くせない」
資料に書かれていた内容以前に、統護が実感した現実だ。
魔術犯罪にしても、魔術には魔術で対抗し、他は従来の犯罪と同じ走査手法で犯人を追い詰めて、逮捕し、裁判にかける。人々のほとんどがそれで納得している。
仮に魔術犯罪が完全に無くなったところで、凶器が他のモノに換わるだけなのが現実だ。よって人々は己の魔術をなくさない為に、魔術犯罪の存在を容認、あるいは黙認した。
統護はため息混じりに告げる。
「……とどのつまりお前の右手じゃ、この世界から魔術を淘汰できないってわけか」
優樹は潤む瞳を揺らして首肯した。
「うん。ボクの右手のチカラは、生憎とボクだけの特別なんだ。これを普及させるのは技術的に不可能なんだよ」
泣き声のように震える台詞。
縋るような視線を向けられたが、統護は突き放すように言った。
「同じく、俺の《デヴァイスクラッシャー》も量産可能とは思えないぜ」
堂桜財閥も統護の《デヴァイスクラッシャー》について総力を挙げて検査・研究している。原因さえ突き止められれば、【魔導機術】に対《デヴァイスクラッシャー》機能を付加できるからだ。あるいは、統護を元に戻したいという研究者もいる。
「俺に接近するくらいなら、堂桜側が握っている俺の研究データを入手した方が早いかもな」
「そっちも、間違いなくやっているよ」
「そうか……。そうだろうな」
先端技術産業にとって、産業スパイ程度は日常茶飯事だ。
「けれど、堂桜側のセキュリティだって固いだろうし、なによりボクが知りたいのは、技術的な原因じゃないんだな、これが」
「――というと?」
統護の顔が微かに引き攣った。
その表情に、優樹はニヤリと頬を緩める。
「君は《デヴァイスクラッシャー》になったから豹変したんじゃない。きっと逆なんだ。君が豹変したから《デヴァイスクラッシャー》になったんだ」
統護は大きく息を吸い込んだ。
全身から力が抜けていく。
「どうしたの?」
予想外の反応だったのか、優樹が心配そうに身を乗り出してきた。
統護は優樹を右手で制した。
「なんでもない」
そうか。やっぱり、そうなのか……
自分の中の淡い期待が、水泡と化していく落胆を統護はどうにか堪えた。
統護は無理矢理に不敵な表情を演出する。
「もしも俺が豹変した結果が《デヴァイスクラッシャー》だとして、そいつを再現できる保証はないぜ。お前の《デヴァイスクラッシャー》の量産化の方が早いぜ、きっと」
「それは統護の秘密を知った上での判断だよ」
会話は平行線のままだ。
しかし、統護の優樹への懐疑はほぼ晴れていた。
少しの無言の後、優樹は不安げな表情で念を押すように訊く。
「なんだかんだで、君はボクの右手の秘密が知りたいんだろう?」
不敵な貌を引っ込め、統護は苦しげに首を横に振った。
「いや。もうどうでもよくなった」
「――え」
優樹が目を丸くする。
愕然となった優樹をフォローするように統護は取り繕った。
「あ、いや。腹の探り合いはもういいっていうか、無駄っていうか。それにお前は【エルメ・サイア】の関係者ってわけじゃないんだろ?」
「ボクをあんなテロリストなんかと一緒にするなッ!!」
激昂した優樹は、勢いよく立ち上がった。
慌てて統護は謝った。
「悪い。そんなつもりで言ったんじゃない」
「そりゃボクの主張が【エルメ・サイア】の言い分と共通しているのは分かっているさ。でも、ボクの、いや【HEH】はテロ行為によって【魔導機術】をなくそうだなんて考えていない」
「ああ。承知しているって。悪かった」
テロ行為など必要ない。
アンチ魔術アイテムとして、【HEH】が《デヴァイスクラッシャー》機能を備えた機器を販売すれば、おそらく【魔導機術】の発展は阻害され、その勢力も衰退するだろう。
感情を抑えられずに洩らした失言を、統護は反省した。
深く頭を下げる。
「お前が【エルメ・サイア】かもとは、ちょっと言い過ぎた。すまん」
「分かれば、いいんだよ」
だが、優樹は再び座ろうとはしなかった。
部屋の外へと歩み寄って、襖に手を掛けた。
「やっぱり、昔みたいに仲良くはなれないのかな、ボク達……」
昔みたいという言葉に、統護は唇を噛む。
優樹はそっと襖を開けた。
統護は何も言わず、動かなかった。
襖が静かに閉まる。
部屋には、統護だけが残されていた。
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