エピローグ ある晴れた日
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ある平日の昼下がり。
河岸原エルビスはとぼとぼと自宅アパートへと帰宅した。
アルバイトの面接を受けに行ったのだが、面接終了後、僅か十三分後に不採用通知をもらってしまった。これで七連続不採用だ。
「ただいま……」
六畳一間のオンボロ木造アパートに戻る。
盗られる物などないので、鍵は掛けていなかった。たとえ鍵を掛けても、ドア板が安いベニヤなので、まったく意味がないと思っていた。
部屋の中央には、メイド服の少女が正座して待ち構えていた。
ルシア・A・吹雪野である。
「戻りましたか。今度こそ採用になりましたよね?」
「ごめんなさい」
気まずそうに視線を逸らすエルビスに、ルシアは無反応であった。
ちなみにルシアはエルビスのメイドになったわけでも、まして一緒に暮らしているわけでもない。行く当てのないエルビスを、統護に頼まれて面倒をみているだけだ。
此処は堂桜那々呼が暮らしているアパートだ。
エルビスはその一室を間借りさせてもらっていた。
年代物でオンボロな見た目に反し、強固な防御力とセキュリティを誇っている那々呼の部屋とは異なり、エルビスの部屋だけは本当にオンボロである。
「本当に使えない人ですね、貴方は」
容赦のない冷たい侮蔑に対し、エルビスは項垂れるしかなかった。
なにしろ一文無しで、生活の全てをルシアに保護してもらっている身なのだ。
「さあ、今日もネコに餌をやる訓練ですよ」
「もう引っ掻かれるのは嫌だよ、僕」
那々呼は全然懐いてくれない――どころか威嚇して、引っ掻き噛みつきと攻撃してくる。
冷たい双眸で睨まれ、エルビスは首を竦めた。
「アルバイトが見つからないのなら、最低限、ネコの世話のサポートくらいはできるようになってください。貴方の生活費はあくまで貸しなのですからね」
「わかっているよ」
エルビスは渋々、ルシアの後について那々呼の部屋へと向かった。
ふと、何気なく青空を見上げた。
綺麗だった。そう、まるで……
黒髪の美しき剣戟魔術師――オルタナティヴと一緒にみた夜明けの紺碧を思い出す。
あれから彼女は姿を消していた。
また逢いたいと思っているし、逢えると信じている。なぜなら別れの言葉はなかったから。
次に彼女と逢う時までに、少しはマシな男になるんだ、とエルビスは決めていた。
恋愛感情というよりも、これはきっと憧れだ。
そう、自分もいつか彼女みたいになりたいと想う――憧憬。
「どうしました?」
「いや。妹は大丈夫かな、と心配になってさ」
エルビスは咄嗟に誤魔化した。
異母妹――アリーシアについては、実はあまり心配していなかった。
妹ならば大丈夫、と信じている。
自分はファン王国とは無縁の、身寄りのないニホン人になったが、アリーシアならば自分よりも余程立派な女王になれると思っている。
「そういえば、アリーシア姫は今頃ファン王国に凱旋ですね」
「ああ。でも王位を継承するまでは基本、このニホンで暮らす予定だから、なに、すぐに帰ってくるよ。僕の自慢の妹は」
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…
堂桜統護が【エルメ・サイア】の幹部を撃破し、《隠れ姫君》アリーシアに関しての事件は、一応の決着をみた。
ユピテルの身柄は、国際指名手配犯として警察が引き受けたが、すぐにニホンの某特務機関へと移された。そこから先はトップシークレット扱いで、統護には知らされていない。
堂桜一族上層部は形式的な査問会を開き、統護に状況説明を要求したが、特に過失や責任を問われる事はなかった。これまで通りの生活を保証されている。
「……アリーシアは元気かな」
昼下がりの青空を見上げて、統護は独りごちた。
すでに孤児院【光の里】から堂桜本家の屋敷に戻っていた。
此処は屋敷を囲っている広大な庭園だ。
「ふぅん。そんなにアリーシアさんが心配ですか」
隣を歩く淡雪が、統護に半白眼をむけた。
「だっていきなり一国の姫様で、次期女王様なんだぜ?」
自分も似たような立場に放り込まれたから、アリーシアの困惑は容易に想像できた。
ユピテルとの戦いから、まだ日数は経っていない。
しかし正式に公表されたアリーシア姫の存在は、ニホンとファン王国のみならず、国際的にもブームを引き起こしていた。
彼女は父である現国王に会いに、二つ目の祖国へ凱旋している。
締里がユピテル戦でダメージを負ってしまったので、今はエリスが護衛を務めていた。ニホン名、島崎和葉ことリーファ・エクゼルドもアリーシアの側近として仕えているそうだ。
エリスはアリーシアに心酔している様子で、独自に忠誠を誓っている。
リーファは最も親しい懐刀として、アリーシアの精神的支えになっているとの事だ。
ニホンへの帰国時期は未定となっているが、内戦中のファン王国にはそう長く滞在しないだろう、とされていた。実際、アリーシアも気軽な様子で孤児院を出立していた。
「それでも、二十歳までは一学生として過ごせるのですから、恵まれていると思います」
「確かにな」
アリーシアは全世界に向けて表明している。
世界中の孤児や貧困に向き合う事。
そして、世界最大の国際テロ組織――【エルメ・サイア】に立ち向かっていくと。
「それでお兄様は彼女について、どうなさるおつもりなんですか?」
「どうって?」
淡雪は一拍おいてから、語気を強めた。
「――婚約、です」
拗ねたような口調で発せられたその単語に、統護は肩を竦める。
統護とアリーシアは、形式上でだが、婚約していた。
もしも彼女が己の出自を知ることになり、王位継承権を放棄しなかった場合は、堂桜一族が責任をもって二十歳までアリーシアを護るという契約になっていた。その証が堂桜一族の嫡子である統護とアリーシアの婚約であった。
統護は《隠れ姫君》の正体が露見してしまった場合は、責任をもって婚約しなければならない、という条件でミッションを課せられていた。これは淡雪も知らないことだった。
「俺も聞かされて驚いたよ。っていうか、話を合わせるので一苦労した」
「本当にアリーシアさんと結婚なさるのですか?」
「そんな恐い顔で睨むなって。あくまでカタチの上で、二十歳になったら解消だよ」
そもそも婚約だの結婚だの恋人だの、今の自分には荷が重い。友達付き合いでさえ、プレッシャーでストレスを感じる『ぼっち』気質なのだ。
それに、アリーシアも迷惑だろう。自分などを異性として好きな筈がない。確かにアリーシアは美人でいい女だが、自分みたいな『ぼっち』とは釣り合いが取れていないのだ。仮に婚約者だなんて自惚れたりしたら、アリーシアを困らせてしまう。
せっかく友達になれたのだから、恋愛云々を持ち込んで良好な関係を壊したくなかった。
「そうでしょうか」
淡雪は唇を尖らせて、統護の先へと歩調をあげた。
白い着物姿の少女は軽やかに振り返る。
統護はドキリとした。
仕草と笑顔があまりにも――綺麗だったから。
「アリーシアさんが仮初めの婚約者だというのなら、私もやはり貴方にとっては仮初めの妹なのでしょうか?」
その質問の回答は、統護にとっても疑問だった。
元の世界には存在していない、この世界での妹。
血は繋がっていない。それどころか異世界人で、人という鋳型が共通しているだけだ。
実妹でもなく義妹でもない、されど世界が定義した妹。
統護は今の心境を素直に口にする。
「……そうだな。妹云々はよく分からないけど、一言でいうのなら『特別』かな」
その台詞に、淡雪は慌ててターンして、前を向く。
首筋が紅く染まっているのを、統護は気が付かなかった。
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