第三章 それぞれの選択 12 ―誓い―
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アリーシアは孤児院【光の里】の厨房にいた。
朝食の仕込みをしている。泣き腫らした目は真っ赤に腫れていた。
傍には淡雪と締里がいる。
「……あと二十分でリミットの二時間になりますね」
淡雪の心配を、アリーシアは静かに否定した。
「大丈夫。ちゃんと統護は帰ってくる」
「当たり前です」
アリーシアの誤解を、淡雪は不本意そうに否定し返す。
「お兄様は誰にも負けません。私が案じているのは、お兄様が黎八さんと和解した後に、約束の時間を忘れて遊び回っているのでは。という事です」
「そっか。なら私は遅刻を許す」
「もちろん私だって。私は不寛容な女のつもりはありません」
二人の言い合いに、締里は頭痛を堪えた。
締里としては『お腹一杯のやり取り』であり『いつ飽きるのだろう』と疑問が絶えない。
淡雪とアリーシアの言葉が止まり、締里はアリーシアの横顔を注視する。
迷いがない。曇りが消えている。
アリーシアの目は、顔は、決意に満ちていた。
「ファンの若き姫君よ。貴女様はなにを想い、皆の朝食を用意しているのです」
問われ、アリーシアは作業を止めて締里を見る。
締里の顔はどこか悲壮であった。アリーシアが口を開こうとした、その前。
硬い口調で締里は打ち明けた。
「私は、ニホン人ではなく日系ロシア人なのです。連邦内の某共和国で起こった紛争で親を失い――流れ流れて少年兵士となり、連邦内の闘いに身を置いている内、ファン王家の特務部隊にスカウトされた。いや、拾ってもらったといっていい。ファン王家のお陰でニホン国籍を有す事も叶った。むろんファン王国の民としての誇りも棄ててはいない」
戦災孤児から少年兵へ、そして特殊工作員。締里の過去に、アリーシアは胸が痛む。
「国籍……か」
「祖国の国籍はすでに死亡扱いされている。だから私の国籍はファン王国とニホンとの二つになるが、すでに成人後はニホン国籍を選択することを決めている。まあ、仕事の契約上の問題なのだが。ニホン国籍の方が融通が利く」
「私は……」
アリーシアも『姫皇路アリーシア』というニホン国籍だけではなく、ファン王家の『アリーシア・ファン・姫皇路』としてのファン国籍も所有している。
ニホンとファン王国は互いに親善国として認識している間柄だ。異国人の血が混じっているとはいえど、その血がヤマト由来のものならば、ファン国民の大半は歓迎するだろう。
淡雪は静かな瞳を向け、アリーシアと締里の会話を聞いていた。
「国籍に関係なく王家に忠義を誓ったファンの一人の民として、私は貴女様に確認したい。異母兄君に面談して、貴女様はなにを伝えるつもりなのか」
即答せずに、アリーシアは大きく伸びをした。
その仕草を締里は真剣な目で見守り、返答を待つ。
充分に間をとってから、アリーシアは晴れやかな笑顔を締里へ向けた。
「……うん。兄さんが王位に就けないのなら、私がファン王国を継ぐからって」
その言葉に、締里は息を飲み、淡雪は悲しそうに口元を緩める。
締里が戦災孤児だった過去を知り、アリーシアの決意は一層固くなった。
淡々と思いを語り始める。
「さっき考えたんだ。どうして私が孤児としてニホンに託されたんだろうって考えたの。本当の安寧を与えたいんだったら、お父さん――いえ、父王は育ての親を与えて普通の家庭に入れていたと、そう思った。そういう一般家庭の女の子だったら、きっと今までがいいと泣き喚いていただけか、それともお姫様という立場と権利だけに目がいっていただけだと思う。責任はヤダけどチヤホヤされたいって。おそらくは、あの異母兄と同じようになっていた」
だから父王には感謝しています、とアリーシアは微笑む。
その貌に、締里が魅入られていく。
「アリーシア姫。貴女は、いえ貴女様は――」
「私は幼い頃から戦ってきた。ずっと戦っていた。身寄りのない孤児という立場じゃなくて、いわれのない差別と理不尽に対して。そして守り合ってきたの。この孤児院【光の里】という大切な居場所――家族と一緒に。でもね、この孤児院だって、誰かが私たち孤児に与えてくれたものだから。ゼロから孤児だけで作れたわけじゃないから。だから……」
アリーシアは締里に誓う。
「貴女がファン人だというのならば、我が臣下、楯四万締里。この時より私は姫皇路アリーシアではなく、自らの意志と覚悟を以て、アリーシア・ファン・姫皇路と名乗ります。ファン王家の血を受けた義務を果たし、今度は私がこのニホンとファン王国、あるいはもっと広い世界に対し、孤児院を与える側になります。そして理不尽をなくす為の戦いも始めます。我が人生を賭して」
与えられる側の無力さと、虐げられても抗う強さを知る少女は、いま与える側の力と義務をその手に選択した。
生まれ変わったかの様なアリーシアのオーラ。それはカリスマの片鱗だ。
締里はアリーシアの足下に片膝をついて、頭を垂れる。
「もとよりこの命と運命――姫様に捧げるようにと命じられていました。けれど納得はしていなかった。いえ、孤児院という家族を得ている貴女が羨ましかった。だから御身にあんな愚行をしてしまった。今の今までも貴女を懐疑的に思っていた。所詮、責務から目を背けて守られるだけの女だろうと。――しかし、今この瞬間から、国籍や立場に関係なく、自分自身の意志で貴女様を主とします。我が君主、アリーシア姫」
窓から月光が差し込んでくる。
厳かな主従の誓いが、満天の星空の下で果たされた。
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…
今日も放課後はペナルティーとしての教室掃除であった。
統護、史基、美弥子の三人は魔術を用いない手作業で掃除を行っていく。
明日は土曜日。ようやく休日になり二日ばかり掃除をしなくても済むわけだが、期間はカレンダーの月が変わるまで、と正式決定されていた。つまりまだ先は長い。
「……なあ、統護」
せっせと机を運ぶ統護に、珍しく史基が話し掛けてきた。とはいっても、以前とは違い手は止めていない。
「なんだ?」
「お前、やっぱ変わったわ」
思わず統護は足を止めて、史基を見る。
史基は統護を見ておらず、黒板を拭いていた。
「前のお前は、なんつーか全てを拒絶していたっていうか……、あれだ、俺達だけじゃなくて自分自身を否定していたっていうか、ホント、張っている壁がムカついた。家柄とか才能とかそれを壁に使っていたって感じか? 俺はお前等とは違うんだ、って」
「そうか」
心当たりはあった。
色々な意味で、他人とは大きく異なる人生を『ぼっち』の免罪符にしていた――
今でも修練とトレーニングを自発的に継続している。けれど、元の世界とは友人関係は大きく異なっていた。つまりは、そういう事に他ならないのだ。
アリーシアも覚悟を決めた。
だったら自分も最後まで彼女を守り通すのみ。大切な友人として。
「でも今のお前は、前とは違う方向性でムカついても、まあ、前よりはマシだ」
「ありがとな、史基」
史基がもの凄い勢いで振り返った。
「そういうところ、お前、本当に変わったっての!」
「ああ。俺もそう思う」
統護はしみじみと自分の言葉を噛み締めた。だからこそ『元の堂桜統護』はどうなのだろうか――と、気にもなっていた。自分は変わり始めている。じゃあ、換わったお前は?
ぱんぱん、と手を叩く音。
いつの間にか掃除の手が止まっていた二人に、美弥子が注意する。
「二人とも、センセばっかり働かせないでください」
急かされて二人は掃除を再開した。
美弥子が言った。
「この学園の教師としては、以前の堂桜統護の方を評価せざるを得ませんけど、センセ個人としては、今の堂桜くんの方が好ましいですよ」
ちょっと頬が染まっていた。
遠慮がちの声だったせいか統護には届いていなかったようで、反応はない。
美弥子は頬を膨らませた。
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