第三章 それぞれの選択 7 ―一族会議―
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淡雪はここ一番という時には、白地に銀色の雪兎が描かれている着物を選んでいた。
いま彼女はその紬を纏っている。
午後の八時。彼女は堂桜財閥後継者候補筆頭として、一族会議に出席していた。
場所は【堂桜エンジニアリング・グループ】を統括している中枢企業【堂桜コンツェルン】の本社ビルの最上階――ではく、最下層の地下五階である。
此処は地下シェルターでもあり、世界で最も安全な場所だと、一族は自負していた。
一般には地下四階までしかないとされているが、堂桜の姓をもつ者でも限られた者しかその存在を知らない、選ばれし者達――総勢四十三名の為の場所であった。ただし、実質的な一族ナンバー3――《怪物》と異名される女性だけは、不遜にも不参加だ。
三十分前までは、和やかな食事会であった。
振るわれた懐石料理に、内壁を覆っているスクリーンに映し出される美しい景色。
血族の絆を深める為の極上の刻だった。
しかし今、テーブルに載っているのは美味な料理ではなく、後に焼却処理される紙の資料の束であり、スクリーンに表示されているのはグラフと数値と顔写真と――戦闘映像だ。
「……以上の経緯をもちまして、《隠れ姫君》は自身の出生を知る事となりました」
淡雪は報告を終え、深々と頭を下げる。
この場にいる者ならば、とうに得ている情報であるが、それでも改めて嘆息する者も少なからずいた。
アリーシア・ファン・姫皇路を指す隠語である《隠れ姫君》は、転じてそのままファン王国王族との契約を果たす為のプロジェクト名にもなっている。
分家序列四位の堂桜定充が、淡雪に質問した。
「今日も含めて都合四度、【エルメ・サイア】との戦闘を行っているが、その事に関して姫様の精神状態は大丈夫なのか?」
「お兄様が傍についていますので、大丈夫かと」
「統護だと? ヤツのような冷血な人間嫌いに、人の心のケアなど務まるのか?」
五十路を越えた貫禄のある大叔父に対し、淡雪は声を荒げる。
「今のお兄様は、冷血でも人間嫌いでもありません! それにっ」
それに――以前の元のお兄様だって、という言葉は辛うじて飲み込んだ。
「落ち着け、淡雪」
本家当主として宗護が次期当主を窘めた。
「統護に対する再評価は、一族内でも真っ二つに分かれている。だが今はそれが重要な時ではない。《隠れ姫君》計画に予想外のファクターが加わり、一族にとっても危機なのだ」
スクリーンの映像が切り替わる。
場面は、オルタナティヴと名乗る少女を中心とした、堂桜一族への強襲シーンの数々だ。
都合、三度もグループ企業がテロに遭っていた。
万全の防衛体制を敷いていたはずだが、オルタナティヴの前には通用しなかった。
いや、万全というよりも、高をくくって油断していた分家がピンポイントで狙われていた。
死者はゼロだ。
しかし軽傷者もゼロで、重傷者と重体者の山であった。
幸運でも奇蹟でもなくオルタナティヴは、狙ってそういった結果を演出したのは明白だ。
淡雪は感じる。監視カメラの映像データを元に作成しているCGだというのに、不思議とオルタナティヴという少女の紅い双眸が、どこか懐かしい――と。
そんな淡雪の奇妙な心情を、宗護の厳しい言葉が粉々に打ち砕き、現実へと引き戻す。
「――我が一族は【エルメ・サイア】にテロを受けている」
損害は莫大だ。
経済的な損害ならば【堂桜エンジニアリング・グループ】の規模からすれば、微々たるものといっていい段階である。
莫大な損害といえるのは、人材的な意味合いであった。
なまじ重要人物が死亡していないだけに、次の人事体制が各企業内のパワーゲームによって揺られ、不安定な暫定処置を強いられていた。
次々とさざ波のように怯えた声色があがっていく。
「このオルタナティヴと名乗る少女が、【エルメ・サイア】の幹部なのか?」
「彼女が『コードネーム持ち』だというから、妥当なのでは」
「いや。こちらの情報網によると『コードネーム持ち』は、【雷】に関するものらしいぞ」
「その情報、隠していたな」
「違う。この場で公表する予定だった。なにしろ一族内に伝達するには不確かな情報なんだ」
「オルタナティヴは魔術を使用せずに属性を隠している。当たりではないか」
統制が取れなくなった言葉の数々に、宗護が鋭く一喝した。
「一同、静かに!!」
威厳ある一言が響き、場の雑音は綺麗に一掃される。
「みっともなく狼狽えるな。それこそが【エルメ・サイア】の狙いだとなぜ分からん」
静まり返った場は、秩序を取り戻した――かのように思えた。
それを否定する怒声が、雷鳴のごとく轟く。
「果たしてそうかなァ!」
その声の主は、堂桜一族のナンバー2にして、宗護の兄である栄護であった。
現当主の双子の兄にして、後継者争いに敗れ二番手に甘んじている壮年の男は、顔を赫怒に染めて、双子の弟を糾弾する。
「お前がオルタナティヴとかいう女に極秘接触した、という情報も入っているんだぞ!? それだけではなく、ファン王国の王と密約を交わしている、という可能性さえも」
「何が言いたい、兄者」
双子とはいっても二卵性双生児であり、見る者に与える印象は正反対である。
その二人が、鋭い視線をぶつけ合っている。
「簡単だ。お前が【エルメ・サイア】と繋がり、堂桜財閥のライバルを【エルメ・サイア】のテロという名目によって消し、ファン王家との密約によってレアメタルの利権を独占しようと、そう目論んでいるに他ならない。――つまり、一族に対する裏切りだ」
おぉぉ、という呻きが、あちこちから上がった。
オルタナティヴという少女と【黒服】を装備した一個兵団が示した力は、それほどの脅威と衝撃を重鎮達に植え付けていた。なにしろ財閥と血族がここまでの危機に面した事は、今までなかったのだ。
なんて莫迦な、と淡雪は歯噛みした。
道理が通っていない叔父の言い分は、単に感情的に父を陥れたいが為にしか聞こえない。
だが、場の者の目は、宗護への嫌疑の色を含んでいた。
「くだらない戯言だ」
宗護は双子の兄を相手にできない、とばかりに苦笑を浮かべた。
その表情に栄護は激昂する。
「貴様が! ファン王家との関係を独占し! 此度の内乱に一枚噛んでいるのは、一族の誰もが知っている事実だろうがぁ!! その証拠にアリーシア姫の件を、貴様の息子と娘が独占しているッ! 否定はさせぬぞ宗護ぉ」
「否定はしないよ、兄者。しかしアリーシア姫の件を淡雪達に任せただけではなく、一族のファン家への責務として《隠れ姫君》計画として支援体制を整えた」
「しかし手柄は貴様の手中だ。ファン王国のレアメタルの利権と共にな」
ガン、と栄護は拳を机に叩きつけた。
他者へ向けてのそのパフォーマンスを、宗護は冷ややかに見つめている。
「利権を独占しているのは我が一族の為であり、利益は【堂桜エンジニアリング・グループ】に全て還元している。ファン王家は堂桜本家と懇意であって、企業体としての我が社に対しては、それほど心を許しているわけではないからな」
「詭弁だ、弟よっ!」
もはや一族会議ではなく、現当主と後継者争いに敗れた男による、双子の兄弟喧嘩の様相を呈していた。
額に血管を浮かべながら、栄護は弟を睨んでいた。
双子の弟以外の誰も、その血走った目には入っていない。
「いいか。いつまでもお前の好き勝手にはさせないぞ」
場の空気が緊迫していく。
「ならば、どうするというのだ、兄貴。俺は一族の長として引くつもりはないぞ」
耳目が、反目する双子に集まる――
「この続きは僕に任せてくれるかな?」
そんな飄々とした声が、会合ホールの入口から聞こえてきた。
一同の視線が、その声の方向へと移る。
ただ一人を除き、誰もが驚愕した。
この場には、堂桜の姓をもつ選ばれし者しか踏み入れる事は許されない――という、不文律が、一族の歴史で初めて破られた瞬間であった。
「アレステア王子……」
宗護が口にした名は、すでにかの国民によって王位継承権を事実上剥奪されていた。
ゆえに彼は、このニホンでエルビスという偽名を使っている。
反乱の王子の横には、彼と同じくフレアと名乗る家庭教師然とした女性がいる。
「やあ。こうして直接顔を合わせるのは、何年振りだろうね、宗護」
「王子とはいえ、どうして此処に?」
答えは明白であった。
現体制に反旗を翻して内乱を起こした彼等を、この場に手引きした者は――驚愕の顔の中、得意げににやついているたった一人の男だ。
その男――栄護は勝ち誇り、告げる。
「王子は俺が招いた。お前が現体制派と裏から手を組み、堂桜一族に仇をなすというのならば、俺はアレステア王子と協調する。反王政派が勝利した暁には、お前が独占しているレアメタルの利権、俺がそのまま頂こう。当主の座と一緒にな」
堂桜へのテロと父は無関係だ、淡雪は叫ぼうとした。
しかし。
その寸前に、栄護は宗護とオルタナティヴが共にいる数多の写真を、机上にばらまいた。
合成画像であるかもと疑ったが、魔術に精通している叔父がそんな小細工をするはずもない。実際に、淡雪は【魔導機術】でアナライズしたが――全て本物だ。
そんな――と、淡雪の顔が凍りつく。
「俺は堂桜一族を代表して当主の貴様に要求する。現時刻を以て《隠れ姫君》計画を破棄し、アリーシア姫と兄であるアレステア王子に正式な会談の場を提供する事を」
一族の誰もが、栄護に何も言えなかった。
助けて、お兄様――ッ!!
淡雪の心の叫びは、どちらの兄へのものか、本人にも分からなかった。
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…
同時刻。
強化コンクリートのビルの外壁が、まるで発砲スチロールのように砕かれた。
長い黒髪をポニーテールにまとめた少女――オルタナティヴの一撃によって破壊されたのだ。
この社屋ビルも堂桜財閥が権利を所有している。
【堂桜エンジニアリング・グループ】の傘下企業であったが、堂桜一族が経営する同族会社ではなく、株式の過半数を握っている子会社である。
「まったく他愛ない」
この場には、【黒服】を装備した裏家業の【ソーサラー】達はいない。
警戒されている部下達を引き連れず、少女は身軽な単騎で乗り込んできたのだ。
まさかテロの標的が堂桜一族以外には及ぶまい――という裏をかいた。
まんまと策が嵌まった形である。
「これで子会社や孫会社との関係もガタガタになるかな」
彼女の周囲には、瓦礫の山とガラクタになったガードロボと、そして意識を失っている警官と警備員が無秩序に積み重なっていた。
すでに警備システムは役に立たず、勤務している者は逃げ出していた。
後は、彼女が好きに破壊し尽くすだけだ。
死者も負傷者も要らない。ただ彼等の無力さを天下に示してやれば、それで事は足りる。
もうオルタナティヴを止められる者など此処にはいない――はずだった。
「――君がオルタナティヴか」
冷静な声と共に、半壊したビルの中から一人の少年が歩み寄ってきた。
学生制服姿の、堅物そうな雰囲気の男だ。
彼の姿に、オルタナティヴは切れ長の両目を細める。
「どうしてお前が此処に?」
少年――東雲黎八は、眼鏡の眉間の蔓を押し上げながら、さも当然と答える。
「自主警邏の途中で出くわしただけだ」
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