第一章 異世界からの転生者 5 ―放課後―
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5
変化は……つい最近だ。
GW前とGW後がおおよその区切りだったと記憶している。
アリーシアの視線が、自然と統護を追いかけるようになっていたのは。
知り合った時の彼は世界的企業の御曹司で、孤児の自分など歯牙にも掛けていない様だった。
視線が合っても、まるでゴミを見るような目だった。
入学当初は主席で、かつ【堂桜エンジニアリング・グループ】の嫡子としての政治的特権で幼少時から専用【DVIS】を所持している――紛れもない天才魔術師である統護。成績も優等生中の優等生だった。
同じ学舎に在籍しているのは、たまたま自分に魔術師としての素養があったからだ。
だからアリーシアとしても堂桜統護は興味の対象外で、別世界の人間だ。
そう。別世界の人間なのである
そんな彼が、唐突に身近な男性へと豹変した。
同じ世界の人間になったのだ。
理由は統護が【DVIS】を扱う力を喪ったから――ではない。学園のトップエリートから魔術を使えない劣等生に転落したからではない。
確かに、以前は何度か自分を蔑んだ目で見ていた。
しかし、その目が変わった。
変わったのは印象。不思議と優しげな瞳に変わった。
それから何度か親しげに会話した時に、統護に自分と同じナニかを感じ取った。
その感情の正体がナニかは、まだ確証が持てないでいた。
…
放課後。
アリーシアは孤児院の弟分である由宇也の誕生日会の準備の為、友人達の誘いを断り帰路を急いでいた。学生鞄を脇に挟んで、小走りで急ぐ。
早く帰りたい。我が家へ。
超天才でエリート揃いの学園内で、自分のような孤児がバカにされているのは、とっくに悟っていた。例外的に少数の友人は分け隔てなく接してくれるが、大半の生徒は色眼鏡でみる。陰口も知っていた。アリーシアも思っている。
学園は居場所ではなく、自分の居場所は孤児院なのだと。
「――勅命が下りました」
そんな言葉と共に、学園の制服を着た男女が、アリーシアに立ち塞がる。
台詞は男子からだった。
明らかに自分を威圧している。
けれどアリーシアは少女の美貌に目を吸い寄せられた。白い肌に青みがかった髪の毛。右目が微かに隠れているのがアクセントか。氷、いや磨かれた銃を想起させる機械的な麗容だ。
制服を注視すると男子は魔導科二年の制服で、女子は普通科一年の制服である。男子生徒はクラスが違う。合同講義等で一緒になっている筈だが、全く記憶にない。
足を止めたアリーシアは、恐る恐る訊く。
「あの、なんでしょうか?」
嫌な記憶が蘇る。
またイジメだろうか。高等部に進学してから直接的な暴力は初めてだ。
進級時の選抜試験で、孤児の自分が魔導科に選ばれたのが気に入らなかったのか。特に魔導科二年の男子の方は。
しかし、イジメだとするとたったの二人とは随分と少ない。それもカップルである。こういったケースだと五人以上がほとんどだ。
周囲を見回す。安易に助けを呼ぶつもりはないが――誰もいない。この時間帯は通行量が少ないのを思い出す。それにしても人の気配が無さ過ぎだ。
アリーシアは身構えた。喧嘩したくはないが……それでも……
どうせ大人は助けてくれない。世の中――世界も助けてなんてくれない!
(魔術を使わなければ問題ないでしょう!!)
最悪で停学だろうが、それでも無抵抗よりマシだ。
そんな彼女の葛藤など無関心とばかりに、二人の視線は冷めている。
アリーシアを値踏みするかの様だ。
恋仲とか付き合っている――という雰囲気とは明らかに違う。アリーシアには随分と冷めた間柄に見えた。恋愛感情どころか友人という感じさえしないのだ。アリーシアの心がざわついていく。この二人はどうして一緒にいて、こうして自分の前に……
男子生徒が慇懃無礼に言った。
「申し訳ありません。今日まで貴女を自由にさせてきましたが、状況が変わりました」
「はい?」と、アリーシアは微妙な表情になり、首を傾げた。意味が分からない。
イジメではないのか。ならば一体――?
次いで、女子生徒が冷徹に告げる。
「勅に従い、御身の身柄を拘束させていただきます。――アリーシア姫」
姫、という単語に、アリーシアは眉根を寄せた。
(なに言ってるの、この人達)
その一言を皮切りに、アリーシアの孤児としての日常が終わりを告げる。
この時を境に、彼女は生涯、普通や日常とは無縁となるのだ。
ある意味、この【イグニアス】世界はアリーシアを中心に回るようになる。
そして今までの日常がいかに幸せであったのか、この時のアリーシアは知らなかった。
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…
(……いない)
統護は教室内からアリーシアの姿が消えているのに気が付いた。
焦りを抑える。正直って参った。
普段の彼女ならば掃除当番の友人を待っている筈だ。ドアから覗ける廊下の窓枠に背もたれているのだ。だが、今日は例外的に先に学校を出ているようだった。
うっかりしていた。決めつけによる単純ミスだ。後で淡雪に叱られるだろう。
とはいえ、掃除当番であるので箒を動かす手は止められない。
統護以外の面子は誰一人として真面目に掃除していない。【魔導機術】を用いずに、手作業で清掃するなど非効率的で無駄だと考えている故だ。
学校の方針として、【DVIS】が埋め込まれている魔術機器の清掃用具を使うのは禁止されていた。また、【直接魔導】を使用して清掃用具や机等を動かすのも禁止である。
窓際で女子にちょっかいをかけながらサボっている掃除当番の男子――魔導科二年の主席、証野史基に嘲られる。
「おい統護ぉ。お前の取り柄なんて身体動かす事だけなんだから、もっと働けよ!」
似たような言葉が、忍び笑いと共に他の掃除当番からも投げつけられる。
肩を竦めた統護は作業速度を上げた。
統護は内心で嘆息する。
体育の時間。天才揃いである魔術師の卵達に対して、つい意地になって、身体能力を披露してしまった事が、こんなにも逆効果になるとは……
統護からすれば、非常識な怪物ばかりの魔導科の生徒達だ。超人化した肉体くらい、大した事ではないと甘く見たのが失敗だった。それも耳目を集める結果となった大失敗である。
元の世界での堂桜統護は空気のような存在だった。
筋金入りのベテラン『ぼっち』であったし、人付き合いを敬遠するヤツと、影で評判が悪かったのは承知していた。
だが、これ程までに他人から負の感情を向けられなかった。
この世界の堂桜統護は、いったいどれ程の嫉妬や羨望を受けていたのだろうか?
周囲の手の平返しは、【DVIS】を操る力を喪う前の堂桜統護への評価の裏返しだ。
元の世界の自分と、この【イグニアス】世界の自分の共通点も把握している。
――それは、この世界の堂桜統護も孤独であった事。
多くの取り巻きや知人、一族に囲まれていても、きっとまともな友人は一人もいなかったのだろう。心を許していた者は、妹である淡雪だけだったに違いない。
皮肉である事に今の統護にとっても、頼れるのは異世界の妹である淡雪だけだ。
統護が【DVIS】を使用不能という件は、すぐに一族に露見した。
現在、この異世界に転生して約二ヶ月であるが、異常と異変は一週間と隠せなかった。
たったの六十日程で、統護の状況は激変している。劣等生云々は大局的には些事であろう。今でも【堂桜エンジニアリング・グループ】の研究者達は、原因を究明しようと躍起になっている。しかし統護が異世界人で、この世界の堂桜統護とは別人という事は、まだ突き止められていない。
身体検査や各種データ取りは協力していた。
統護自身も自分の身体を知りたいという事もあり、割と友好的な関係である。
けれど、流石に人体実験までは行われていない。今のところは、だが。
堂桜統護が異世界からの平行存在――別人にして同一人物――だという秘密を共有しているのは、淡雪のみ。
統護の立場は、一族内でも微妙な位置に追い込まれていた。
別人では? と疑っている者がほとんどだろうが、それでも『失踪したままよりはマシ』という事で『なあなあ』で見逃して貰っているといった雰囲気か。それに偽物だとすると、統護はあまりにも統護と一致し過ぎている。クローンだと疑うと、逆に生体データの解析結果が不可解になるのだ。とにかく、野放しにはできない、で意見は統一されている。
興味などなかったが、次期後継者の資格は暫定的に淡雪へと移った。
なにより魔術を喪うだけではなく、【DVIS】の安全神話を崩壊させた統護を危険視する者も少なくない。
(とにかく本当の秘密だけは……)
それがバレると、本当に人体実験でモルモットにされかねない。絶対に隠し通す。
まるで掃除を終えるのを見計らったようなタイミングだ。
スマートフォンに淡雪からの緊急メールが入った。
[ ファン王国の反王政派が動き出したから、急いで《隠れ姫君》の保護を ]
事態が動いた。それも一番悪い方向へだ。
最悪だ、と統護は教室を飛び出す。後片付けしている猶予はない。
背中に多くの罵声を浴びせられたが、今は躊躇している場合ではなかった。
無事でいてくれ、アリーシア。
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