第一章 異世界からの転生者 2 ―異世界―
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悲鳴で鼓膜が破れるかと思った。
統護の眼前には、しゃがみ込んでいる黒髪の少女。しかも全裸。
丸まって胸を必死に隠している。
状況についていけない統護は唖然となる。とりあえず少女の裸から視線を外そうとするが、なかなか離れてくれない。素晴らしい吸引力といえよう。
「いやマジでどういった状況だ? これは」
声は上ずっていた。サッパリ意味が分からない。
「それは私の台詞ですわ、お兄様っ!」
少女に洗面器を投げつけられた。手加減なしだ。
統護はそれを右手でキャッチした。両親の所為で、運動能力だけは抜群だ。『ぼっち』だったので、体育の授業や体育祭ではヒーローどころか余計に敬遠されていたが。
腕に覚えがあるからこそ、統護は現状でもパニックになっていない。警察に通報されたらされたで、その時である。いっそ保護して貰えばいいだろう。
「どうしてお兄様が此処に!!」
「お兄様? 俺に妹なんていないぞ」
意味不明だ。
「冗談はいいですから、早く隠す場所を隠して下さい! それからこちらを見ないで!」
顔を真っ赤にした少女は胸と股間を懸命に隠しながら、脱衣所へ逃げ出した。
統護は首を傾げるしかない。
湯冷めを覚えた統護は、とりあえず湯船に入り直す。なかなかいい湯である。
このまま痴漢と不法侵入で現行犯逮捕――というオチが濃厚そうだ。
その対価としては充分な裸体であった。全くもっていいモノを拝ませてもらった。
家に帰ったら父親にどやされるだろう。変わり者の母親は大笑いするだろうが。痴漢もそうだが、事故は大失態だった。次の山籠もりで〔皆〕に謝ろう。
しかし不思議と陰鬱ではない。
「それにどうせ一度は死んだ身だ。こうなったら、なるようにしかならないだろう」
死の実感だけは濃厚に残っている。
その後の光は、微かにしか覚えていないけれど。
少なくとも、このお湯の温かさは極上だ。先程までの冷たさとは対極だ、と思う。
おそらくは一過性だろうが、幻想的なこの光景も。
それだけでもワープして生き返った甲斐はあったな、と皮肉気に笑った。
…
統護を「お兄様」と呼んだ少女は、堂桜淡雪と名乗った。
中学三年生の十四才だという。やはり年下であった。
今は淡雪と二人だけでいる。
痴漢や不法侵入でお縄につく、という事態にはならなかった。淡雪の話では、風呂場に人がいるのならば、脱衣所の扉で防犯装置に警告されるはずとの事だった。しかし今回は不思議と防犯装置が機能しなかったらしい。
また当然ながら、脱衣所の籠に統護の服はなかった。
よって淡雪に服を都合してもらった。
淡雪の案内で、統護は『自分の部屋』にいる。
信じられない事に此処は統護の家であるという。家というよりは屋敷とか邸宅と呼んだ方がよく、さながら老舗旅館のような威厳ある佇まいと広さであった。使用人も常時五名はいるとの事だ。この私室も十五畳はあり、西洋風にまとめられており、高級丁度品で溢れている。自室は他にもサブとして使用している和室があるらしい。
記憶にある統護の自室は六畳ほどで、家具は安物揃いである。
健康器具だけは立派なモノ揃いであったが、インテリアとしては無骨すぎて最低だった。
淡雪が持ってきたのは、この部屋の服であった。サイズはぴったりである。
ジーパンにシャツというスタイルだ。季節は春の終わりの様だ。晩秋だったはずだが、時間が巻き戻っている。
いよいよもってオカルトめいてきた。
淡雪の服は、薄ピンクに桜模様をあしらった着物であった。普段着は着物らしい。
広過ぎる部屋に、統護は落ち着けないでいる。
「いや真面目な話、俺の家は親父とお袋と俺の三人家族で、中古マンションなんだが」
父親の生業は一介のサラリーマン。薄給でも正社員なだけマシといった世の中だ。
母親はアメリカ留学時代に、セレブな人脈を築いていたが、それでも父と結婚して普通にサラリーマンの妻をやっている。二人の息子である統護は『どこにでもいる』普通の高校生だ。少なくとも母親の認識では。
しかし淡雪は、あくまで自分は統護の妹だと譲らない。
加えて堂桜一族は世界的企業【堂桜エンジニアリング・グループ】の経営一族であり、自分はなんと御曹司であるという。悪い冗談としか思えない話だ。そもそも【堂桜エンジニアリング・グループ】などという世界的企業なんて初耳だ。
「それならば証拠を見せます」
淡雪はガラステーブルに置かれていたデジタルフォトフレーム(風景写真で固定)を手に取り「――ACT」と囁く。するとデジタル画像データが、スライド方式で再生され始めた。
確かに、統護が写っている。
百七十五センチの身長に、着痩せしているが筋肉質の身体。自然でありながら、独特といえる肉付きと体型から察するに、この世界の堂桜統護も業や趣味を叩き込まれていたのだろうか。顔つきは造形だけならば上質に類する。鋭利なナイフのごとく攻撃的な貌。しかし全てを諦めた無気力さから、不思議と凡庸に見える……、間違いなく自分の容姿だ。体つきは自分よりもやや薄いだろうか。
淡雪も写っている。
古風な『和』を体現したかのような、超が付く美少女だ。彼女居ない歴=年齢である統護にとって、こんな美しい少女が妹だとは信じられない。顔も自分と共通するパーツはない。似ていない兄妹など珍しくもないが、ここまで似ていないと妹と名乗られても実感など湧くはずもなかった。
父親と母親も写っている。二人とも元の世界と同じ姿をしている。
統護と淡雪が並んで写っている。
やはり四人は家族なのか。というか、一族と思われる集合写真の多さに辟易した。
しかし。
「こんな写真を撮った記憶なんて、全くないぞ」
この堂桜統護は間違いなく自分とは違う。記憶力には自信があるのだ。それに両親も姿形は同一なのに全くの別人に見えるのだ。
いよいよ、統護は状況がおかしいと本気で訝しみ始める。
淡雪が自分を担いでいるとも思えない。手間暇かけてそんな真似をする意味がない。
「うん。これは俺じゃないな」
「本気でおっしゃっているのですか? 家出の件でしたら、私も両親も、そして一族上層部も怒ってはいませんから、どうか正直に話して下さい、お兄様」
「だからよ。そもそも嘘いってもしょうがないだろ」
完全に話が噛み合っていない。
聞けば、淡雪の兄である堂桜統護は、約四ヶ月前から行方不明になっているという。
去年の年末くらいだ。
堂桜財閥の諜報力と情報網を駆使しても、未だに足取りが掴めていないという。
心当たり――は『あの事故』しかなかった。時間のズレもそれが原因か。肝心の事故を詳細に思い出せないのが、こうなると歯痒い。
裸で風呂にいたというのは、つまり身一つである必要があったから、と考えられる。
推察するに、この世界は平行世界、あるいは異世界と呼ばれる時空だ。
しかも元の世界に酷似している。
それならば統護が感じている自身への違和感と、認識可能な幻想的な光景も納得できた。
この世界は、元の世界とは似てはいるが、決定的に異なっている点がある。
普通ならばこんな発想にはならないが、生憎と統護は普通とは程遠い生活をしていた。
(感じるんだよなぁ、色々と)
この平行世界は、元の世界より環境破壊は進んでいない模様である。
とにかく淡雪から可能な限りの情報を得るのが先決だ。
統護は推測を交えずに、自分の知る限りを事実だけ、淡雪に打ち明けた。
信じられません、と淡雪は首を横に振り、今度は彼女が統護に説明を開始する。
要約すると、この世界は【イグニアス】と呼ばれていて、統護のいた世界とは違っていた。元の世界には世界そのものを指す呼称などなかった。
この国も【ニホン】といい、音は同じだが、通常では日本と漢字表記はしないという。
「言語が共通だったのは不幸中の幸いだな」
「お兄様は本気で自分が異世界から転生してきた、と信じているのですか」
批難めいた口調、というよりも淡雪は本気で怒っている様子だ。
「お前の気持ちは分かるけど、俺は一度は死んだ身だしな」
様々な物品から、そう認めざるを得ない状況だ。
「貴方が異世界から来た別人だというのならば、では、本物のお兄様は?」
「俺にも分からない。俺と入れ替わったのか、あるいは――」
自分の換わりに消滅した、とは流石に口にできない。
「単純に意識だけが憑依していて、お前の兄貴の意識は眠っているのかもな」
代わりに、別の仮説でお茶を濁した。
元の世界が、この世界の自分が視ていた夢だった――なんてオチも想像したが、それもないかと、自身の感覚を把握して思い直す。間違いなく自分は自分で、元の世界からこの世界へと転生した堂桜統護だ。
感覚の差異は、異世界へと転換した時にアジャストした作用か。
それに加えて筋力が違う。軽く握っただけで、握力が跳ね上がっているのが分かった。
淡雪は険しい表情で統護を見つめている。
「とりあえず、それでしたら貴方の身体がお兄様の物かどうか、調べさせていただきます」
「DNA鑑定か?」
「貴方の世界では、まだそのような原始的な方法が用いられているのですか?」
皮肉混じりの淡雪の台詞。まだ本気で異世界転生を信じていないのだろう。
統護は苦笑した。元の世界では遺伝子工学は最先端科学のひとつだ。特にiPS細胞による再生医療は、夢の技術とまでいわれて実用化を期待されている。
「だったらこの世界じゃどうするんだ?」
挑発的に訊く。
当然とばかりに、淡雪は即答した。
「もちろん魔術――【魔導機術】による身体判定を行います」
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