第四章 真の始まり 12 ―統護VSみみ架⑤―
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12
ゆんゆんと、大歓声が耳朶に滑り込んでくる。
みみ架の瞳に意志の光が戻った。
空が揺れていた。
瞳を見開く。みみ架は懸命に思考を試みる。今、自分はどういう状況に陥っているのだ?
(大丈夫、覚えてるわ。わたし……倒された。ダウンしている)
起きなきゃ。
立たなきゃ。
経緯は立ち上がってから、思い出せばいい。そうでなければ――終わってしまう。
身体が重い。膝が笑う。四肢がイメージ通りに動かない。
だが、脳を揺らされただけで、疲労そのものは大したものではないから……立てる。
動揺するな。決してパニックになってはいけない。
視界が変わる。仰いでいた空から、対峙している統護に。
統護はボロボロだ。立っているのが不思議な程、過剰に痛めつけられてる。
どうして?
疑問は一瞬で消えて、再認識した。彼を痛めつけたのは自分で、自分は彼に倒された。
もらった攻撃は思い出せない。この程度の記憶障害は一時的だ。
(そうだったわ。ここは対抗戦の準決勝第一試合)
試合だ。立つだけではダメだ。みみ架はファイティングポーズをとり、三歩、前へ歩く。
慎重に揺れる膝を制御する。しっかり前に歩けず、蛇行したりよろけたりしたら、続行不可と判定されて試合を止められる。ストップ負けだ。よし、なんとか歩けた。
『立った! カウント8で立った! そして試合続行をアピール! 続行は、許可です!!』
統護が痛恨の表情になる。
「くそ。一発で決められなかったか」
「その顔だと次策はない様子ね。悪いけど、もう《みみ架殺し》は通用しない。堂桜くんの愛は受け取ったわ。どうやらわたしの気持ちもバレバレだったし。本当に……ばか」
恋心云々といった余裕は消えた。
瀬戸際に追い込まれているのは自分なのだと、みみ架は自覚し、自戒する。
黒鳳凰と【不破鳳凰流】の名に賭けて敗北は許されないのだ。
「最後の『ばか』はよく分からないが、ここから先は――!!」
「ええ。来なさい、堂桜統護――!!」
策はない。
二人は真っ向から打ち合いにいった。
遅い。なんて――遅いのだろうか。驚くほどスローだ。
力感も消えている。
みみ架は統護の動きの愚鈍さに驚く。彼の超人的な身体機能をもってしてこれなのだから、統護が抱えているダメージは限界を遙かに超えているに違いない。
そして、みみ架自身も遅く、身体がイメージ通りに動いてくれなかった。着衣のまま水の中でおぼれている様な感覚である。
完全に泥仕合だ。
半ば運任せの攻防になっている。
相手の動きを読んで攻防の組み立てなど、もう無理だ。身体に染みついている技術に、身を任せて、ひたすらに歯を食いしばるだけ。防御もほとんど勘に頼るしかない。
統護に右の肘撃がヒット。
手応えが曖昧だ。効いているのか判断できないが、統護も苦しそうだ。
苦しくないはずがない。
《ワン・インチ・キャノン》を二度。左カウンターでの寸勁を一度。合計三発もビッグショットをもらっているのだ。しかもその間に、細かい発勁も何度か受けている。
いかに超人の統護といえど、平気なはずはないのだ。
自分も苦しい。
こんな感覚は何年ぶりだろうか。
脱力せずに、こんな風に力ずくで動けば、ダメージよりもスタミナの消耗が激しくなる。
無駄な力を抜くのは、運動の基本だ。
しかし脱力する余裕などない。四肢を踏ん張らねば、倒れてしまう。
力を込めて懸命に身体を動かす。
もう、なにがなんだか分からない。滅茶苦茶だ。
ぐしゃ! ごきん! という音と共に、視界が左右に回るのは、殴られているからか。
(ああ、これって、お祖父ちゃんと一緒の殴り方だわ)
鼻が曲がったり潰れたりしないよう、顎と歯が無事なように、正確に頬とテンプルを打ってきている。みみ架には、統護の鼻や歯を気遣う余裕はない。
打つのではなく殴っている、という下手くそな打撃に成り下がっていた。
(すごく懐かしい。こんな時なのに思い出す……)
むかし、祖父との、まだ下手くそだった頃、こんな風な、稚拙な組み手だった――
思えばあの頃は、楽しかったな。
稽古が嬉しかった。
そういえば、いつ頃からだろうか?
相手の攻撃を見切ってもらわなくなり、一方的に攻撃するだけになっていたのは。
化勁をものにして、殴られても無効化できるようになったのは。
手加減してもらっていた祖父を、逆に手加減するようになっていたのは。
強くなればなる程、向上すればする程、極める程に、どんどん孤独になっていった……
「お祖父……ちゃん」
その呟きは、打撃音に上書きされた。
本が好き。孤独にならずに、孤高でいられるから。
夢がぼんやりと頭に浮かぶ。
思えば、その夢で――自分は彼と。それが切っ掛け。でも今は……
夢ではなく。
目の前の統護が好き。愛してる。理屈じゃない。
そして、祖父が大好き。
しかし【不破鳳凰流】で交流できなくなって、みみ架は祖父に対して、どう振る舞っていいのか分からなくなった。統護に対する振る舞いと同じだ。
自分が祖父よりも遙かに強くなり――困惑したまま、それが固定されてしまった。
統護の言う通り、本当に素直じゃない。
(家に帰ったら、またお祖父ちゃんと組み手をしよう。昔みたいに、昔、みたい、に)
ドンッ!! 統護の強烈な左フックが当たった。
大した威力がない。しかもパンチを振り切った統護は隙だらけになる。
これならば。ここで決める――と、みみ架の右掌底が発勁を伴って、統護の顎に炸裂した。
発勁をもらった統護は、倒れそうになるが、踏み留まった。
これで意識を絶てないのか。けれども、統護の表情からして、すでに。
統護が左フックをボディ目掛けて振ってくる。ほとんど条件反射に近い動きだ。
遅い。キレも皆無だというのに――、吸い込まれるように、自分の右脇腹に飛んでくる。
思わず見惚れてしまう理想的なフォームだ。事実、みみ架は見とれてしまった。
めりぃ。肝臓にピンポイント。右脇腹下に、左拳が浅くではあるが、綺麗にめり込んでくる。
肋骨を砕くような破壊力は喪失しているが、内臓が連鎖反応して破裂しそうな感覚。
これが堂桜統護のリバーブローか。
嘔吐感を堪える。しかし上体が大きく前に折れる。辛うじて、立て直すが、それで、もう。
右ストレートをもらってしまった。
その一撃で、みみ架が死に体になった。
反撃できずに、一方的にパンチをもらう。ダメ。もうガードすら……
『あぁあああああぁあッ! みみ架選手、棒立ち、棒立ちになった!! 二発、三発、四発、無防備にもらう! 効いている、ヨロヨロと真っ直ぐに下がる。為す術がない!!』
右のショートアッパーで、みみ架の顎が引っこ抜かれるように跳ね上がる。
後方へと、二歩、三歩と弾かれるように後退っていく。ガクガクと膝が笑っていた。
統護が攻撃を止める。
二秒の間。
どすっ、と砂地にみみ架の両膝が墜ちた。
背中が前に曲がる。次いで両肘を地面に屈する。辛うじて、顔面をダイブするのだけは堪えた。前に首を折り、深く項垂れたまま、四肢を突っ張り、どうにか意識を繋いだ。
半開きの口から、大量の血が滴る。口腔が切れてズタズタになっていた。
けれど骨と歯が無事なのだから、出血くらい掠り傷だ。それに激痛はいい気付けになる。
『二度目のダウン!! 力なく崩れ落ちたぁ。みみ架選手、屈辱の四つん這い!! そしてこれは決定的か!? って、ぅうぅあぁああああッ!! 統護選手も倒れたぁああ! こちらは三度目のダウンです!! なんと、なんとダブルノックダウンとは!』
ダブルノックダウン? 四つん這いのまま顔を前に上げると、統護もダウンしていた。
統護は前のめりに丸まった姿勢で倒れている。
攻撃を止めたのは、必要なしの判断ではなく、彼も余力がなかったのだ。
みみ架は心底から安堵した。まだ……勝機は残っている。立て、立つんだ。立つんだ……
淡雪の顔から血の気が引いていく。
「ディレイド・ノックダウン……。一番、危険な倒れ方です。お、お兄様」
「ヤバイよ、淡雪。もう試合をストップした方がいいって」
優季は泣きそうだ。
攻撃をもらった勢いなしで、純粋なダメージの蓄積のみで、統護は倒れ込んだ。常人ならば、勝敗云々ではなく、後遺症や生命の心配を優先しなければならない状況である。
「このまま両者KOで試合が終わってくれれば……」
「う、うん。もういいよ。二人とも充分だよ」
しかし、淡雪と優季の願いも虚しく――二人は立ち上がった。
その光景に誰もが声を失う。
凄絶だが、不思議と悲壮感はない。不可侵の神聖さすらあった。
二人は微笑み合っていた。アルカイック・スマイルだ。
みみ架は統護に問う。
「ねえ? まだ意識ちゃんとしている?」
「なんとか、な」
「どうして続けるの? やっぱり勝ちたい?」
「お前の祖父さんに約束した」
その言葉に、客席の弦斎は涙を流す。
「きっと、その約束だったら、もう果たされたと思うわよ」
「それから俺は負けない。強くなるんだ。お前を含めて大切な人達を守れる程度には」
「なるほど。でもわたしも負けられないわ。いえ、勝ちたい。貴方に勝ちたいの。何故ならばわたしは、我が名は……
――【不破鳳凰流】の継承者、黒鳳凰みみ架なのだから」
「俺も堂桜統護である為に、ここは引けないよ。だから続けようぜ」
ええ、続けましょう。
二人の覚悟に、淡雪と優季が息を飲んだ。
美弥子が二人に警告する。
『続行前に確認です! ダメージを考慮して、累丘さんは次のダウンで自動的にTKO負けにします! 堂桜くんはダウンはもちろんですが、頭部に有効打が一発でも当たれば、即座にストップしてTKO負けとなります! 両者とも理解できたのならば、頷いて下さい!!』
みみ架は頷く。当然の判断だろうし、次のダウンで間違いなく立ち上がれなくなる。
統護も了承した。
頭部への一撃で即座に試合ストップとなるが、軽く押しただけで倒れそうな様子である。
次はない。最後の攻防だ。
淡雪は朱芽を見た。朱芽はタオルを用意していた。
朱芽も棄権するタイミングを見極めている。淡雪はすぐにでも投げて欲しいと思った。
唇に両手を添えて、優季が叫んだ。
「とぉぉごぉぉおおおお!! がんばれぇぇええッ!!」
その声援を皮切りに『統護コール』と『みみ架コール』が巻き起こる。
里央も声の限りに、みみ架に声援を送った。
先に動いたのは、統護だ。
低い雄叫びと共に、統護がみみ架に攻撃を仕掛ける。
飛び込んでの右ストレート。そして左上段蹴り。
荒々しい、がむしゃらな攻撃だ。
出遅れてしまった。みみ架は手を出せない。反撃できない。だが、どうにか防御はできる。
統護の攻撃はキレどころか、スピードとパワーが皆無といっていい。
だが、防御できるが空振りはさせられない。みみ架も満足に足が動かないのだ。
懸命にブロックする。
……――辛い。
苦しい。
キツイ。
疲れた。
疲労困憊。
満身創痍。
(だけど限界じゃない。まだ限界の一歩手前よ)
自身の状態は把握できている。
対して、統護はとっくの前に限界を超えているのだ。
一発だ。ほんの一撃、頭部にクリーンヒットさせれば、ストップ勝ちを拾える。
絶対に焦るな。無駄打ちの必要はないのだ。打ち合いは要らないのだ。
必ず連打は終わる。その打ち終わりに、確実に当てにいくだけ――簡単な仕事だ。
統護のラッシュは止まない。
『攻撃が終わりません! まさに玉砕覚悟のバンザイアタック!! 統護選手、カミカゼと化して、打撃を繋ぐ、繋ぐ、繋ぐぅ! 限界のはずなのに怒濤の連打が続きます!!』
みみ架は自分に言い聞かせる。
統護の打撃からスピードが消えた。繋ぎも遅い。集中しろ。絶対にブロックをミスするな。
威力も並以下だ。ブロックして体勢が崩される事は、もうない。大丈夫だ。
統護は選択肢をミスした。このラッシュは愚策であり、自爆に等しい。
こうして凌ぐだけで、自動的に勝利が転がりこんでくる。
永遠の連打なんてあり得ない。
『みみ架選手、丁寧にブロックしていく。統護選手の攻撃は全て寸断されている。これはもう勝負あったか!? このラッシュが終わった時が、試合の終わる時か!?』
悲痛な顔で淡雪が首を横に振った。
「お兄様の負けです。アナウンサーさんの言う通りに、連打が終わった時、お兄様は……」
「うん。統護の唇真っ青だ。肌も真っ白。これって重度の酸欠――チアノーゼだよ」
「あの鬼神相手によく戦いました。最後まで見届けましょう、優季さん」
淡雪と優季は手を繋ぎ、統護を見つめた。
みみ架は苦しげに息を乱している。
呼吸を制御できない。顔が引き攣っていく。何故、どうして統護は止まらない!?
ブロックしている自分よりも、攻撃を連打している統護の方が遙かに苦しい筈なのに。
連打が終わらない。いつ終わるのだ!? お願い、終わって……
空振りさせなければ、ダメなのか。
貴重なスタミナを使い、ウィービングで頭を回して統護の右拳を躱した。
一瞬、視界がブラックアウトし、更に手足が重くなる。こんなにも一挙動で疲れるなんて。
(堂桜くんは?)
どうだ!? 今の空振りは、この試合で彼が受けたどんな攻撃よりも効いたはず――ッ!!
統護の左ミドルキックを、みみ架は慌ててブロックした。
驚愕に目を見開く。信じられない。まだ連打が続くというのか。
超人化している身体機能とかいうレヴェルではなく、生物ならば動くはずがないダメージと疲労であるはずだ。どうして、どうして、どうして、統護はまだ戦うのだ? 戦えるの?
「ぉぉぉおおおおおおッ!!」
雄叫びを上げて、統護の両拳が加速した。
ドン! ゴォン! バキン!! ガキィ! ゴォッ!!
だが、みみ架のブロックに阻まれる。
(なんで……どうして……)
く、苦しい。疲れた。苦しい。辛い。
みみ架の耳朶にルシアの台詞がリピートされた。
――〝黒鳳凰みみ架。貴女は弱い。強過ぎるが故に弱いのです。貴女は自分よりも弱い相手にしか勝てない〟――
そして自分自身の台詞を思い出す。
――〝堂桜統護の本当の、最強チートはきっと、その〔魂(こころ)〕の在り方だから〟――
ああ、そうか……そうなのか。
統護の拳が輝いて見える。
この真っ直ぐな拳と蹴りが〔神〕へと捧げる〔祈祷〕であり、彼等一族が継承している誇り高き〔魂〕の具現だ。
なんと神々しいことか。
酸欠状態で、統護の肌が青白く発光している。
限界を超えているにも程がある。本当にヒトじゃない。統護は右拳を大きくテイクバック。
統護の双眸。覚悟を決めた瞳。残りの全てを込めて打ってくる。
やっと終わるのか。
次の一撃で、やっと……
堪えろ。耐えろ。逃げずに受け止めろ! 目に焼き付けろ、彼の心を!! その魂を!!
統護が渾身の右ストレートを叩き込んでくる。
無意識だった。
クロスアームブロックのつもりだったのに、両手が重なって顔の前へと。
みみ架は眼前に伸びてきた統護の右拳を、両手を重ねて包み込む様にキャッチした。
ヴゥァシシィイイイイィイイイイ――!!
甲高いキャッチ音。
残響が止む。余韻が消えた。
『ついに、ついに、ついに統護選手の連打が終わったぁぁあああああッ!!』
二人が静止した。
統護は右パンチを振り切った体勢。
みみ架は統護の右拳を、重ねた両手で受け止めたままで。
終わりだ。統護はもう動けない。
『と、止まった! 二人とも! そして、こ、これは』
共に動かない。固まっている。
もう試合をストップして――と、淡雪と優季は朱芽を願い見た。
場内の誰もが固唾を呑んで静まり返る中、朱芽が苦渋の決断を下す。
「ゴメン統護! 恨んでくれていいよ!!」
真っ白いタオルを、朱芽は力一杯、空へと放った。
勝負あった。
棄権による統護のTKO負けを決定づけるタオルが舞い、観衆の視線がタオルに移る。
みみ架の耳にも朱芽の声が届き、ついタオルに目がいく。
勝った。テクニカル・ノックアウトだ。タオルを見て、緊張の糸がプツリと切れた。
(あ――。し、しまった)
統護を見る。
その顔は、双眸は、限界を超えて身体が動かないはずなのに、まだ闘志を失っていない。
包んでいる右拳から強い意志が伝わってくる。
自分は限界の手前のはずなのに……タオルを見てしまって……手足が……
限界を超えて、なお立つ統護。対して限界の手前の、自分は。
本当の勝敗は――
みみ架の口元が、緩やかな弧を描く。
ガ ク ン
両膝を内股に畳み、統護の右拳を握ったまま、みみ架は座り込んでしまった。
まるで統護に祈りを捧げているかのような画である。
はらり、とタオルが地面に着いた。
静まり返ったままの場内。
『え、ええと、これってタオル投入が先でしたよね? つまり……』
『野暮はよしましょう。決着は当事者が一番理解していますし、勝ち負けよりも大切なものを二人は得たと思いますよ? それにセンセはルールの為の試合ではなく試合の為のルールだと思っています。さあ、貴女のコールを観客の皆さんが待っています』
はい、と小さく答えて、女子生徒アナウンサーは大きく息を吸ってから、宣言する。
『試合終了っォ!! 堂桜統護選手のTKO勝ちですッ!!』
ぅぅうぉぉぉおおおおおおおおぉぉおおッ!!
拍手と歓声が爆発的に吹き上がる。観戦している生徒達は総立ちになって興奮していた。
みみ架は愛おしげに、両手で包んだ統護の右拳に頬ずりした。
見下ろす統護の瞳は優しげだ。
『大番狂わせが起きましたッ!! 公式オッズ1.02倍と優勝候補の大本命、黒鳳凰みみ架、まさかの準決勝敗退! 圧巻の技術と強さで堂桜統護の業と身体を砕いたものの、堂桜統護に心を折られて、合計三度のダウン!! しかし敗れはしましたが、本当に強かった!』
『無拍子を体現するやり口は減点ですが、ここは格上相手に勝った堂桜くんを褒めましょう。この試合にはセンセ、百点満点をあげちゃいます!』
『え? 無拍子ってあのセコい寸劇の最後に、不意打ちでステップインしたアレですか?』
『そうですよ。正直、堂桜くんが無拍子まで体得しているとは思いませんでした』
『いえいえ。そんな超奥義よりも、あのバカバカしい作戦を思い付いて、実行できる神経の方が凄いですってば。ハッキリ言ってアホ過ぎです』
『それはそうですね』
淡雪は涙ぐみ、口元を両手で覆った。
「お兄様……お兄様……。信じられない。信じられません。お兄様」
「やった、やったよぉ淡雪! 統護、勝っちゃったよ! 委員長に勝っちゃったよぉ!!」
優季は淡雪に抱きついて、何度も揺すった。
津波のような拍手と口笛の中。
内股で座り込んだままのみみ架は三度、首を横に振って、統護を見上げた。
そっと右拳を離し、素直な気持ちを彼に告げる。
「完敗よ。言い訳はしないわ。でも負けたのは累丘みみ架という個人であって、【不破鳳凰流】継承者の黒鳳凰みみ架ではないから。単純にわたし個人が弱く、未熟だっただけ」
統護が頷いた。
「だな。【不破鳳凰流】の黒鳳凰みみ架は洒落にならない強さだった。でも、俺にベタ惚れのくせにデレを必死に誤魔化そうとする累丘みみ架って女は、本当にチョロかったぜ」
みみ架は頬を含ませて、半白眼で統護を睨む。
「誤解しているみたいだから訂正するけど、堂桜くんがわたしを好きなのは理解したけど、わたしはあくまで堂桜くんを利用するだけだから。ベタ惚れとかデレとはないわ」
「ふぅん。ま、そういう事にしといてやるよ」
「で、でも、堂桜くんがわたしを好きでなくなったのなら、約束は反故で賠償してもらうし。だから自分の言葉には責任を持ちなさいよね」
統護は苦笑いした。
そんな統護に、駆け寄ってきた朱芽が肩を貸す。統護は朱芽に身体を預けた。
やはり立っていられない状態なのだ。
「タオルは余計だった。ゴメンね、統護」
「いや。結果的にはナイスアシストだったぜ、朱芽」
「アンタ凄い。超人的な身体能力とか《デヴァイスクラッシャー》とかじゃなく、アンタ自身が凄いって。寸劇作戦がド嵌まりだっとはいえ、ミミの土俵でミミに勝つんだからさ」
「一度きりの超チート奥義だから、次はないけどな」
次はない、とみみ架も感じている。もう自分は統護とは戦えない。彼を攻撃できない。逆に軽く敵意を向けられただけで、そのまま戦意喪失でKO負けだ。嫌われたら、自殺するかも。
統護と朱芽のやり取りの最中、みみ架は特殊な呼吸法により血流を加速させていた。
心が平静に保たれ、身体がリラックスして、急速にダメージが抜けていく。
みみ架はゆっくりと立ち上がった。お尻についた砂を払う。休養は充分に摂れた。
朱芽が驚く。
「へえ。流石はミミ。というか【不破鳳凰流】の身体管理技術というべきかしら。その理念はシステマに比肩するわね」
「わたしの未熟な精神じゃ、システマを修めるなんて無理かしらね。堂桜くんはシステマの身体操作に類似した呼吸法や技術をもっていないの?」
統護は苦い顔で言った。
「ロシアの古武術をソヴィエル連邦の制式軍隊格闘技に発展させたのがシステマだっけ。俺もバーストブリージングを試しているけど、回復が遅い。というか委員長の回復が早過ぎだ」
みみ架は思い出す。彼の元の世界ではロシアと旧ソ連であったはずだ。しかしシステマという軍隊格闘技は同様に存在している筈。
試合場に入ってきた里央が、みみ架に抱きついた。タックルのような勢いだった。
「お疲れ、ミミ! 大丈夫!?」
「平気よ。ご覧の通りに、見事に負けちゃったけどね」
「勝ち負けなんてどうでもいいって。ミミが無事だったら、私はそれでいいもん」
「そっか。うん、ありがとう里央。ここまで付き合ってくれて」
「ん? どうしたのミミ。ひょっとして打ち所が悪かった?」
「なによ」
「だってミミが素直にお礼を言うなんて」
「どういう意味よ!?」
みみ架は顔を真っ赤に染めた。まったくもって不本意である。
自分はそんなに偏屈で素直でないというのか。多少は捻くれているかもしれないが。
客席の祖父を見やる。
ブース内の弦斎と門下生達は、全員、満足そうであった。特に弦斎は嬉しそうだ。
自分は負けたというのに。少しは悔しがれ、糞ジジイ。
癪だったので、みみ架は弦斎に「あっかんべー」してやった。
これには弦斎も笑うしかない。
「――じゃあ、敗者は去るわ。決勝戦までにできるだけダメージを抜きなさいよ」
統護と朱芽が密着しているのは面白くないが、今の彼を支えるのはパートナーである朱芽の役目だ。統護に背中を向けて、颯爽とした足取りで出口へと歩く。
『みみ架選手、里央選手と共に退場です。万雷の拍手と声援が惜しみなく贈られています』
『敗れはしましたが、彼女の戦闘系魔術師および格闘家としての評価には、少しも傷が付かない、いえ、むしろ評価が上がる素晴らしい実力でした。累丘さんの将来はともかく』
『惚れた男に乙女心を掻き乱されたってのが一番の敗因でしたからね。勝者の実力評価はともかく人格評価はダダ下がりって感じでしたけど』
優季がみみ架に声をかけた。
勢いよく親指を立てた右拳を突きつける。
「委員長! みみ架ぁ!! ナイスファイトッ!! いえぃ♪」
笑顔の優季は、隣の淡雪を促す。
「遠慮させてもらいます。そもそも私はお兄様と累丘さんの約束自体、認めていません」
「いいからいいからぁ。ほらほら、いえぃ♪」
優季は淡雪の右手をとって、親指を立てた右拳を向けさせた。
「その……、ナイスファイトでした」
憮然とした淡雪は、渋々ながら自分の意志で拳を向け直す。
そんな二人に、みみ架は親指を立てた右拳を「ビシッ」と突き返して、応えた。
注記)なお、このページ内に記載されているテキストや画像を、複製および無断転載する事を禁止させて頂きます。紹介記事やレビュー等における引用のみ許可です。
本作品は、暴力・虐め・性犯罪・殺人・不正行為・不義不貞・未成年の喫煙と飲酒といった反社会的行為、および非人道的、非倫理思想を推奨するものではありません。また、本作品に登場する人物・団体などは現実とは無関係のフィクションです。