第四章 真の始まり 8 ―統護VSみみ架①―
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8
身体的なスペックは圧倒的に自分が上回っている。
統護は遠慮せずに左ジャブを連射した。
普段とは違い、ピンポイントで急所を狙うのではない。細かい狙いなどつけず、弾幕のように手数を重視だ。観客には『拳の壁』と錯覚を引き起こしかねない、そんな連打である。
しかし、みみ架は当たらない軌道のジャブを無視して、突っ込んできた。
統護のジャブは全て不発となる。
みみ架はヘッドスリップを二度、パーリングを一度のみの最小限の躱しで、左ジャブを三つ放つ。
小さく、鋭い打撃音が三つ連なった。
顔面を細かく刻まれた統護は、ジャブの連打を止める。仕切り直しだ。
小刻みに頭を振って、フットワークのリズムを再構築した。間合いと呼吸を読め。みみ架と自分では、リーチでこちらが勝っているのだ。みみ架も視線と肩でフェイントを入れながら、タイミングを図っていた。左だ。相手も自分と同じ意図である。技術比べだ。
ヒュ、ゥ、ゴゥっッ! 二人の左拳が空気を斬り裂いた。
双方の技術が恐縮された超速の左リードブローが交錯する。
手数では通用しなかった。だから、相手の一発に対して、自分も丁寧に一発を返していく。ハンドスピードに頼っての手数ではなく、リーチ差を理論的に生かすのだ。
みみ架のリードブローをヘッドスリップで躱す。いい左である。速くてキレがあり、伸びる。引き戻しも最高といえる。パターンが豊富だ。フェイントも多彩だ。こんな素晴らしい左ジャブは、統護の記憶になかった。惜しいのはリーチだけか。けれども、統護はその最高レヴェルの左ジャブを外しては、自分もジャブを返していく。
そして、統護のジャブも当たらない。
当たらないというよりは、軽々と避けられている。擦る気配すらなかった。統護は持てる技術を総動員しているのにだ。左ジャブの全てのパターンを駆使。フェイントも惜しまずに出す。そして速度も変化をつける。けれど――当たる気配がない。
認めたくないが、左ジャブの差し合いで自分が劣っている。紙一重だが、確実に後塵を拝していた。リーチ差に助けられて拮抗しているが、同リーチならば、そろそろ捉まっていても不思議ではない。このままではジリ貧になるのは必死だ。
統護は技術比べを諦める。
やや強引にステップインして、右ロングアッパーを振るった。
ぐぅァォオぅ! 迫力満点のスウィングは、しかし、みみ架には意味を成さない。
空を切った大砲の右サイドに、みみ架は回り込んでいた。
「差し合いで勝てないという判断はいい。けれど安直に打ち合いを欲するだなんて。テクニックで劣るからといって、テクニックを度外視するなんて、愚策に過ぎるわ」
その一言とセットで、統護のテンプルにコンパクトな左フックが叩き込まれる。
統護が右サイドのみみ架に向き合おうとした時には、みみ架は左サイドに位置取りしていた。
彼女の足捌きは【不破鳳凰流】の運足ではない。
純然たるボクシングのフットワークだ。
(マジかよ……!!)
統護は目を見張る。統護が動いた箇所の砂地は激しく乱れているのに、みみ架のフットワークの跡は、綺麗なままである。極限まで無駄がない証左だ。
みみ架が攻撃に転じた。
次々とパンチを浴びせられる。統護の防御技術が通じない。
こんなに易々とクリーンヒットを重ねられるのは、近年では記憶にない。アメリカでの短期集中合宿でも、こんな相手はいなかった。高校生になってからは世界ランカーどころか、現役の世界王者とさえ何度も経験しているのにである。
左ジャブでの差し合いで、防御の癖を学習されていた。避けられない。いや、避けようとした方向に、みみ架の拳が先回りしてくる。
蝶のように舞い、蜂のように刺す――という名言そのままの、みみ架の華麗なテクニックだ。
両手と両足が連動した、近代ボクシングの粋といっていい動きである。
身体の物理速度で上回っているはずの統護だが、みみ架のボクシングのテンポにまるで付いていけない。完全に振り回されていた。技術差が明白に過ぎる。
(マジかよ、これって)
ヒット&アウェイだった打っては離れ、が変化していた。
無駄な踏ん張りがほほ皆無な上、打つ瞬間のみ微かに止まるのみで、激しく動きながら打ってくるのだ。こんなボクシング技術、否、ボクシングスタイルは、本場アメリカでのスパーリング経験が豊富な統護であっても初めて相対した。教科書にもない。何故ならば、コレを体現できる者が歴史上でも極僅か故だ。統護でも不可能である。
――通称で、ラン&ガン。
しかも短時間ではなく継続させている。手数よりもステップワークが脅威だ。
速い。ハンドスピードやフットワーク速度というよりも、ボクシング自体の迅さと早さに、統護は置いてきぼりになっていた。しかもパンチが切れまくりだ。
観客はみみ架のボクシングに見惚れていた。
優季が感嘆する。
「うわっ、綺麗~~。ヒット&アウェイよりも、もっと攻防一体って感じだ」
シスター一号が言った。
「ええ。いわゆるラン&ガンってやつね。統護のボクシングスタイルは強打者用で、かつKO前提で組み立てているけれど、黒鳳凰みみ架が披露しているのは、ポイントアウト前提のタッチボクシングだ」
淡雪もシスター一号に同意する。
「そうですね。確かに華麗ですけど、あのスタイルではお兄様をKOするのは難しいかと」
次の瞬間であった。
グゥシャァン!!
『強烈なカウンターぁぁああああっ!! 統護選手、ぐらついたぁ!』
みみ架が左ロングアッパーで芸術的なカウンターをとった。
精確無比のタイミングだ。もっとも効果的である反面、ガードルーズになり、もっとも失敗時の危険が大きいアッパーでのカウンターを、いとも簡単にみみ架は成功させてみせた。
しかもラン&ガンの最中に、狙い澄ました一発を。
技巧の冴えに、淡雪が唸る。
「今のカウンター。お姉様のライトクロスよりも……ッ!」
「さらに一枚上の超高等技術ね」
シスター一号の断言に、淡雪は唇を噛んだ。
脳を揺らされ、ガクンと腰を落とした統護は、たまらずにクリンチにいく。
しかしボクシングの試合ではない――みみ架は抱き付きを許さずに、合気による投げを放とうとする。
が、統護も易々とは投げられない。
密着した二人の動きが、一瞬、止まった。否、止まったかのように錯覚する。
正確には、統護もクリンチワークから、みみ架の動きを利した合気を試みていた。
攻防の質が変わった。
中国武術の推手に近似した挙動で、互いの姿勢を崩しにいく。
ボクシング戦とは一変した、超近接状態での、手業による投げの探り合い。
小気味よく、めまぐるしい手業の応酬に、観衆がどよめく。
先に離れたのは統護だ。微かにバランスを崩されて、挙措の継続を断念したのだ。
みみ架は深追いしない。
「予想以上ね。わたしが即座に合気で投げられないなんて――いつ以来かしら」
「このままじゃ勝負にならないか」
その台詞と共に、統護はスタンスを、いや、構えそのものをゆっくりと変えた。
纏っている氣の質と共に。
構えの系譜は、人間工学と格闘理論に則った近代マーシャルアーツのソレではなく――
……歩幅を前後左右に広げ、軸足を決めずにべた足になる。
……重心はやや後ろで、肩幅は相手に平行にとった。
……脱力した左手を前へもってき、右手は顎の下。
……握らない両手の高さは肩口よりも下にあり、背筋を伸ばして顎を引かない。
芯が通り凛とした立ち姿は、そこはかとなく神々しい。
一変した統護の雰囲気に、アナウンサーだけでなく、会場中が無言になる。
淡雪が小さく呟いた。
「初めて見ます。あれが〔霊能師〕としての……お兄様の本来の姿」
古流武術の構え。独特にして、オーソドックスともいえる、細部に宿るオリジナル。
MMA――ミックスド・マーシャル・アーツの定石ともいえるボクシング+レスリングという合理性の正反対をいく、時代に逆行したスタイルだ。
統護の構えを目にし、みみ架の双眸と表情が変貌する。
「へぇ。それが……蘊奥(堂桜)というワケね」
流派名はない。そもそもコレは武芸や格闘技として研鑽している業ではないのだ。
故に無銘。
統護は苦笑混じりに言った。
「別に隠したりもったいつけていたんじゃないけどな。今までコッチで戦うメリットがなかったってだけだ。今後もボクシングベースで戦うさ。けど、それじゃお前には歯が立たない」
「正解よ。ならばわたしも国宝奥(黒鳳凰)を見せましょう」
観客席の弦斎が驚愕に目を見張った。
「体付きや挙措から婿殿がただ者ではないと分かっていたが、本当に実在しておったのか。あれが伝説の蘊奥――〔神〕に〔魂〕を奉納する為に一子相伝で伝えられるという、武術を超えた儀式の舞(ぶ)か。構えのみで、みみ架の中の鬼神を目覚めさせおったわ」
弦斎の言葉通りに、統護の武術は、相手を打倒する為のモノではない。
〔神〕への儀式の為。
〔魂〕の修練の一環。
形態が武術というだけなのだ。
しかし統護は歴史上初めて、歴代の堂桜で初めて、蘊奥の業を相手の打倒の為に開封する。
はらり。みみ架が二房のおさげを解く。
艶やかな黒髪の縛めと同時に、彼女の裡に眠っていた縛めも解かれる。
祖父が鬼神と形容する本質が、文学少女という仮面の下から顕れた。
彼女の貌に浮かぶ凄みが、飾り気のない美貌を際立たせた。
【不破鳳凰流】にある構えの内、もっとも一対一に適したものを選択する。やや半身に立ち、左手だけを軽く前に出した、自然体である。
「【不破鳳凰流】継承者――黒鳳凰みみ架、いざ参るッ!」
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