第四章 真の始まり 4 ―Dブロック決勝戦④―
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すでに雪羅は【基本形態】である《ダイヤモンド・スノゥスケープ》を解除していた。
よって、戦いの場は純粋な地面だ。遠慮なく体重を乗せてステップインできる。
リードブローである左ジャブは要らない。
『共に距離を詰めて、先手をとったのは――統護選手だぁぁ!!』
統護は身体ごと飛び込んでの、豪快な左フックから攻撃を開始した。
しかしリーチ差と身長差があるので、臣人はスウェーバックで躱すと、後ろに仰け反った反動を利してのチョッピング・ライト(打ち下ろしの右)を返す。
大振り気味の左フックをミスブローした統護は、右半身で臣人の打ち下ろしの右を迎える。
紙一重で避ける。絶妙なボディワークだ。
ゴキン、という凶悪な硬質音。
『膝蹴りが入った!』
臣人の右膝蹴りが、統護の左脇腹の上部を捉えた。
「足を使うのは、お前のルールにとって違反か?」
「いいや。何の問題もないぜ」
ニィぃ――。好戦的に笑みを返し、臣人が右足を着地した瞬間を狙い、統護は左ローキックを飛ばす。
『統護選手、左のインローを返したぁ!』
オーソドックスの足並びになっている臣人の軸足――左膝の内側を精確に打った。
統護の左足が着地したと当時に、今度は臣人の右足が唸りをあげる。
右のミドルキックだ。しかし身長差があるので、胴ではなく統護の肩口を襲う。
ドゴォッ!! 統護はショルダーブロックするが威力を受けきる為に、両足を踏ん張った。
足技の攻防だと、手技以上に体重差がものをいう。
統護の正面から臣人が消えた。
正確には、縮地法を応用してのサイドステップで、右側へと瞬間的にズレたのだ。
だが統護も瞬時に反応して、ダンスめいたステップワークで臣人に向き合う。
臣人は、打撃ではなく両手で統護を――押した。
予想外のプッシングに、統護は後ろに突き飛ばされてしまう。押されただけなのでダメージなどない。相撲ではないので、単に両者の距離が空いただけだ。
そして、それが臣人の狙いである。
統護は気が付く。下手に踏ん張らずに、自分から更に後ろに飛ぶ。低空で、真っ直ぐではなくサイドへ。体勢を整えながら。
臣人は冷静にタイミングを計り、統護のバックステップの速度が落ちた、その瞬間。
縮地による臣人の弾丸タックルが、統護に炸裂した。
統護は全力をもって受け止める。相手の意図は悟っているが、それが精一杯だ。
そこへ、低い姿勢からの臣人の左ショートアッパー。
一度目は腕力で上から押さえ込んだが、今度はそうはいかない。
衝撃と共に、統護の両足が地面から浮いた。
『う、浮いた! 統護選手、上に飛ばされたぁ!! 臣人選手の必勝パターンだぁ!』
高々と宙を舞う統護。
両足を踏ん張れない為に、軽量の統護は為す術がない。臣人の肩の動きを見る。
臣人が披露しているパターンは二つ。
オーバーハンド・ライト。
右のロシアン・フック。
どちらもスウィング系のロングパンチであるが、軌道と角度、タイミングが異なる。
しかし統護には――どちらでも同じだ。
左頬に右手の平を添える。
ブロックやスリッピング・アウェイといった防御ではなく、キャッチしにいく統護に、臣人は無表情で右拳を振り切りにいく。
統護の動作が早すぎた為に、より体重が乗るオーバーハンド・ライトを選んだ。
右拳が統護の左顔面に着弾――間に、右手の平がある。
打撃音が不可思議であった。
確かに轟音なのだが、何かに吸い込まれていくような異質な音だ。
加えて、統護はそのまま着地した。まるで打撃の威力が喪失したかのようである。
初体験の拳の感触であったが、それでも臣人の顔は困惑を表さない。
みみ架が両目を細める。
「やはり化勁も使えたのね」
ルシア戦で彼女も披露した、自身に加えられた物理衝撃を、接触面の震動から勁へと変換して己の裡へと蓄える秘技である。
みみ架のように、多彩なタイミングかつ様々な部位で化勁を体現できない。だが、左頬めがけて右拳がくると分かっていれば、業司郎との殴り合いと同様に、今の統護でも充分に体現可能であった。
従来通り後ろへ吹き飛ばずに、そのまま懐に着地した統護に対し、臣人は対応が遅れる。
両腕で頭を覆う。臣人は頭部のガードを選択した。
脳震盪による戦闘不能だけを拒否した臣人に対し、統護は右拳を臣人の腹部に当てた。
ボディーブローではない。瞬間的な衝撃に、臣人の鋼の腹筋は慣れている。
自身で練った氣と、臣人から化した勁を合わせて――
カガカァァンッ! 落雷のような甲高い音が、拳と腹部の接触面から鳴った。
ガクン、と臣人が体勢を崩す。
『こ、これは!? ひょっとして発勁ですか? しかも寸勁――ワン・インチ・パンチか!!』
辛うじて踏み留まった臣人だが、両手のガードが下がり、頭部は無防備だ。
ずゴォァンっ!! 統護はフォローの左フックを、臣人のテンプルに叩き込んだ。
声援と歓声が瞬間的に倍増する。
『ダウンダウンダウン! 臣人選手、横薙ぎに倒れてしまった!! 強烈なダウゥン!』
一九〇センチ超、一〇〇キロ超の巨躯が倒れるシーンはド迫力であった。
優季が「やったぁ」と伸び上がって万歳する。
雪羅は絶句して、立ち上がろうとする義兄を見つめる。顔色は蒼白だ。
朱芽は緊張感を解かない。
女子生徒アナウンサーではなく、美弥子がマイクに叫ぶ。
『警告です!! 堂桜くんが近代マーシャルアーツだけではなく、様々な流派の武芸を習得している秘密が明らかになってきていますが、今回の堂桜くんに適応しているルール上、氣や勁を利用した戦い方は、以後、禁止とします!』
「わかった。確かにルール違反だった」
統護は頷いて見せ、裁定に従う意志を示す。
カウントが『7』でストップした。
テクニカル・ノックアウト判定ではなく、不可抗力による準反則行為でのダウンとしての扱いに変更になったのだ。ただし立ち上がれなくて続行不可能ならば、そのままKO負けだ。
雪羅が悲痛に訴える。
「もういい! もういいわ、兄さん! これ以上戦っても、堂桜統護には……ッ!!」
しかし臣人は立ち上がった。
うつむき加減の兄の貌を目にして、雪羅が呆然と呟く。
「に、にい……さ、ん?」
――氷室臣人はうっすらと笑んでいた。
それは統護が臣人との打ち合いの最中に浮かべていた好戦的な貌と相似している。
統護が言った。
「いい表情するようになったじゃねえか。愉しいよな? 俺は――愉しいぜ」
初めてだ。初めて、この異世界に転生した際の超人化を、心の底から統護は感謝した。
統護の武芸に、美弥子が言ったような秘密などない。
単に〔霊能師〕としての鍛錬の一部である。
堂桜の血脈として、〔神〕との〔契約〕を更新する為の鍛錬に過ぎなかった。
大自然の中で精神と肉体――〔魂〕を研ぎ澄ます。
身体を造り、連綿と築き上げてきた『魂と真理』を身に染み込ませる目的の、数多の武芸。
歴代の堂桜に嫁ぐ配偶者からの技術・技法の継ぎ足しにより、ここ数代では類型・分類不能の総合格闘技法に昇華していたが、その本質はあくまで精神修養の手段だ。
統護自身、その精神性から喧嘩になど興味はない。
プロ格闘家など考えもしなかった。
母から近代ボクシング・テクニックを上乗せされたが、試合のリングは眼中にない。
階級制の格闘技ならば世界王座を獲れるが、仕事にはできない。
何故ならば統護は『堂桜――蘊奥(秘技・奥義=堂奥)』を継ぎ、継がせるモノだから。
ゆえに、最強という概念など本来ならば無縁。
ただ純粋に――〔神〕との〔契約〕を継げる身体と血脈と精神を継承していくだけ。
それに、いかに堂桜が継承していく格闘技法が優れていても、やはり体格・体重の差を補えるだけの超常ではない。氣と勁、合気といった業は神技ではあっても、物理的な常識を覆すファンタジーではないのだ。
多くの格闘技において、階級が細かく別れているのは、そういう事なのである。
技は力の中に在る。
柔よく剛を制す――というレヴェルに、まだ統護は到達していない。
ライト級~Sウェルター級程度の統護では、超人化していなければ、ヘヴィ級の臣人と戦えるはずがないのだ。
だから、世界最強とオルタナティヴに云われた、この超人的な身体には感謝している。
氷室臣人という男と、真正面から拳で語り合えるのだから。
「オレは、そうか……。オレは微笑んでいるのか」
臣人は笑みを深めた。
「確かに、こんな感覚は久しぶりだ。忘れていたモノを思い出した気がする」
「昨日の夜、お前は言っていたよな。大切な家族、大切な義妹を護れなかったって。逆に護られてしまったと。だから今度こそ護ると。もっと強くなって雪羅を護ってみせるって」
「そうだ。それだけがオレの全てだ」
「それじゃあ雪羅が悲しむぜ。お前自身が純粋に強さを目指さなきゃな。雪羅と一緒にだ」
統護の言葉に、臣人は表情を変化させた。
滲むのは憂いと同情の色だ。
「お前が強さに向き合っているのは拳から伝わってきたが、窮屈で……不憫だ」
「確かにな。でも寸止めも立派なトレーニングだ。後に俺の糧になる」
その過剰な身体機能ゆえに、打撃業を全力で振り切れば、相手を殺してしまう。
物理的に全力でやり合えるのは、自分と同等のオルタナティヴという超人のみだろう。
インパクト時の手加減を慮外して戦ったのは、彼女との一戦だけだ。
でも、それでいい――
「つまらない心配は無用だ。それよりも愉しもうぜ、臣人」
「分かった。雪羅の為だけではなく、オレの為に強くなろう。そして愉しもう、統護」
それ以上の言葉は不要だ。
お互いに確かな友情を共有している。
二人の男は三度、拳を交錯させた。
臣人は防御を棄てた。その代わりに、明らかな相打ち狙いに移行する。
リーチ差、体格差から相打ち――いや『打たせてから打つ』を選択されると、統護の技術を以てしても臣人の拳を全て避ける事は容易ではなかった。以前、オルタナティヴが業司郎の相打ち戦法に巻き込まれたシチュエーションに近い。
わぁぁあぁあああああぁああああ――……
『凄い迫力! もの凄い打ち合いです!! 場内は大歓声、そして大興奮!』
鋭くて重々しい打撃音が応酬する。
統護が二発入れる間に、臣人も一発入れていた。
クリーンヒットの数に正比例して、ダメージの蓄積は、統護よりも臣人の方が深刻である。
雪羅は口元を抑え、涙を流しながら、最後の力を振り絞り『援護エリア』へと歩いた。
「行かなきゃ……。行って、兄さんと二人で」
ボロボロになっていく臣人。
だが臣人の貌には、充実感に満ちた微笑み。
冷たいマネキンのようだった男が、灼熱のごとき生気と闘志を発散させている。
「うぉぁぁああああ!!」
「おぉぉぉおおおおおッ!」
右拳をテイクバックする統護に対し、臣人は頭部のみをガードし、両足を踏ん張った。
ボディ正面がガラ空きになる。
統護の右ボディストレートを腹部で受け止め、臣人は得意の左ショートアッパーを狙う。
しかし左アッパーに、統護は左フックをカウンターで合わせた。
狙っていた。統護の左拳のみが、完璧なタイミングで臣人の顎にジャストミート。
『臣人選手、相打ち失敗!! 効いた、効いてしまったぁ!』
右ストレートからの左フック。
最もベーシックにして、統護が得意にしているコンビネーションの一つだ。
統護がフィニッシュを放つ、その寸前に――臣人が消える。
横の縮地。
右サイドへの瞬間移動じみた高速かつ変則なステップワークである。
臣人を追う。統護の追い足は鋭く速い。
「堂桜統護! こちらですっ!!」
斜め後ろに位置する『援護エリア』から、雪羅の声が響く。
彼女は最小範囲の氷雪【結界】を起動させて、統護へ《フリージング・ニードル》を撃つ。
統護は半身になって雪羅の方を振り向いた。
攻撃魔術の発動を察知して、統護は反射的にウィービングで躱そうと――
氷針群が分解された。
ウィービングを初動で急制動して、統護は雪羅の反対方向へ首を回す。
視界に入ってくるのは、対になっている専用【AMP】――右手の《キエティハンド》と左手の《ミスティハンド》を、突き出して屹立している臣人の姿だ。
両方ともロックが解除されており、すでに右手のハンドグリップは握り込まれている。
次いで、左手のハンドグリップが握り込まれた。
臣人の左拳に照準用の【魔方陣】がセット。
キュゥオォォオオオオォ――……
中途半端な半身体勢になっている統護には、ここから更に回避行動をとる事は不可能だ。
臣人が放つ雪羅の《フリージング・ニードル》を撃ち抜かれれば、ダメージを堪えたとしても、その直後に臣人の逆転の一撃を許す致命的な隙が生まれるのは必至だ。
雪羅が快心の声をあげる。
「私たち兄妹の勝ちですっ! 堂桜統護!!」
「オレ一人では勝てなくとも、オレ達は二人でお前に勝つ」
淡雪は静かに氷室兄妹の台詞を否定した。
「――いいえ。お兄様はお二方のさらに上をいきます」
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