第三章 バーサス(VS) 8 ―氷室兄妹VS雷爆コンビ①―
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8
氷室臣人はヘラクレスを想起させるような少年である。
短めの頭髪は、雪羅によって丁寧に癖なくセットされている。長めの前髪が目に掛かっていて、瞳が見えにくい。鼻が高く細面だ。優しげな貌なのに、人の温もりを感じさせない。
肌が白い。いや、青白い。病的な程だ。
その血色は、妹が誇る陶磁器のように磨かれた白美ではなく、色素の欠損を疑わせた。
死人めいた顔と肌とは対照的に、大柄な体躯は生命エネルギーに溢れている。
身長は一九一センチ、体重は一〇三キロ。
肩幅が広く、胸板がブ厚い。そしてウェストが引き締まっている逆三角形体型だ。
筋肉のカッティングが強調されたボディビルダー体型ではなく、ナチュラルさを重視したアスリート型の肉付きである。絶妙にバランスが取れている所為か、腕や脚といった個々のパーツは太くとも、全身の印象としては無駄なくスリムだ。顔が小さいというのもある。
臣人という名だが、巨人と勘違いしそうな威容だ。
統護は臣人の筋骨隆々とした体躯に、思わず感嘆した。
「こうして改めて見ると、でかいな……。東洋人としては破格といっていいぜ」
朱芽も同意する。
「今時、世界基準でのヘヴィ級は、二メートル超えで一二〇キロ前後くらいだから、純粋には一階級下のクルーザー級ってところよね。でも東洋人で一九〇センチ超え一〇〇キロ超えは、立派なヘヴィといってもいいわね。特に骨格が太そう。チビの統護としては嫉妬する?」
一七〇センチ台中盤の統護は、東洋人としては平均よりもやや上といったところだ。
だが、世界基準だと一七〇センチ台は『小さい』となる。特に軍人やアスリート、格闘家としては小人といっても過言ではない。
「別にチビでも不便はしてないけどな。体重差は苦にならないし、リーチ差を埋めて懐に入れば、逆にクイックネスと小回りで、有利とさえいえる」
「誰が相手だろうがパワー負け、体格・体重差を苦にしない統護にしか言えない台詞だねぇ。私も同感かな。単純な物理スピードは筋力で補えても、やっぱり百キロオーバーの自重を俊敏かつ小回りに動かすのは容易じゃないし。ま、お手並み拝見といきましょうか」
淡雪と優季は黙ってリング上を注視していた。
臣人は更に前へと歩く。
蜘蛛の巣状に張られたロープ上だという事を失念させる、自然な歩みであった。
そして力強くも、百キロ超の体重を感じさせない軽やかさだ。
『さて、この氷室兄妹と対戦いたしますのは、中部の名門――【ニホン魔導開発大学付属学園】からの参加チームです。長田啓太&小林隆輔の三年生コンビ! 幼馴染みのこの両名、名古屋では《尾張の雷獣・雷神》――略して恐怖の《雷爆コンビ》という異名が轟いている……と、プロフィールには書かれております。私は初耳ですし、ネットにも話題ないですけど。それに気のせいか《雷爆》って略称じゃないですよね……』
優季が眉を潜めて小首を傾げた。
「そんな異名、地元じゃ聞いた事ないなぁ」
淡雪は中部地方の生徒が固まっている場所へと視線をやる。
全く盛り上がっていない。【ニホン魔導開発大学付属学園】の面々は困惑している。
「どうやら限りなく自称に近い異名の様ですね……」
「うん。あの二人覚えているけど、すっごい地味で真面目そうな先輩だったよ」
長田啓太が宣言する。
「まだまだマイナーな《尾張の雷獣・雷神》――俺達《雷爆》を、この対抗戦で全国区にしてやるぜぇ!! みんな俺達のスーパーバトルを見ろぉおおおッ!!」
闘志満々、やる気充分の《雷爆コンビ》だ。ちなみに両名とも学校制服の上から、特注の特攻服を着ている。どう見てもチンピラだが、特攻服は卸したてで着慣れていない。
この《雷爆コンビ》も高校生離れした逞しい巨躯だ。
共に一八〇センチ台後半はあり、鍛え抜かれている筋肉の鎧が全身を覆っている。
統護たちの後ろに陣取っている二三子が、何度も頷いた。
「なかなかカッコええネーミングやないか。うんうん、《雷爆》ええなぁ。惚れそうや」
「どこがだよ姉貴。珍走団じゃあるまいし」
「しかも明らかに今日が特攻服デビューやで。きっと普段はクソ真面目な優等生なんやろな。どうにかして目立とうという策で、あのキャラ作りなんや。ウチ、感心したで!」
「完全にキャラ作りに失敗して滑っているじゃねえかよ」
観衆の大半は《雷爆コンビ》の二人について、深く考える事を放棄した。
注目が氷室兄妹へと戻る。
臣人はリング中央――雪羅と《雷爆コンビ》の間に、彫像のように立っている。
歩みを止めた臣人は、ゆっくりと両手を前に突き出す。
彼の両手には、それぞれハンドグリップが握られている。握りきっていない状態だ。
その二つは彼の専用【AMP】である。
名称は右手用が《キエティハンド》で、左手用が《ミスティハンド》だ。
独特な構えをとった兄に続き、妹――雪羅が【ワード】を唱えた。
「――ACT」
雪羅の専用【DVIS】である十字架のペンダントが、強く紅光を灯す。
【魔導機術】が立ち上がった。
桜色の唇から紡がれた言葉を引き金に、局地的な異界が顕現する。
それは第三フィールド上を覆い尽くす――ダイヤモンドダスト(細氷)を伴う雪景色。
数多の雪結晶と細氷が、ロンドのごとく空間内で軽やかに踊り輝いている。
幻想的な雪原風景に、目にした誰もが吐息を洩らした。
自然現象ではありえない魔術的超常現象だ。紛う事なき――【結界】である。
『な、な、なんと【結界】ですっ!! 通常ならば複数人の一流【ソーサラー】を必要とする大魔術に類される【結界】を、氷室雪羅選手、なんと単身で顕現させましたぁぁああっ!!』
アナウンサーの絶叫をかき消す、大歓声が場内を揺るがした。
単身での【結界】起動――すなわち氷室雪羅は、中学生にして、すでに超一流と呼んでいい戦闘系魔術師としての技能、および資質を秘めているという証左に他ならない。
透き通るような声音で、雪羅が告げる。
「これが私の【基本形態】……
――その名も《ダイヤモンド・スノゥスケープ》です」
冷徹な視線を眼下の淡雪へ向けた。
「どうです? 貴女の【基本形態】とは似て非なる私の【基本形態】は?」
統護は所感する。確かに淡雪の《クリスタル・ストーム》と同系統の【基本形態】だ。
使用エレメントと魔術特性も同類だろう。
流石は淡雪と同一のDNAを持つ者だ。
だが、細氷が輝く雪原の【結界】に囚われているはずの《雷爆コンビ》は平然としていた。
「はははっ! なんだよ見た目だけのハッタリ【結界】じゃねえか。脅かしやがって」
彼等は魔術抵抗(レジスト)したのではない。魔術効果が及んでいないのだ。
ゆえに見た目だけ、と判断した。
長田が遠慮なく攻撃魔術を発動する。雪羅への関心の煽りで誰にも注目されない中、すでに彼等は【魔導機術】を起動し終えており、【基本形態】として【雷光】を纏っている。
ガガガガガッ!
自称・雷獣に沿った【雷】のエレメントによる稲妻が迸った。
臣人は右手の【AMP】を握り込む。
キュゥィィィイイイイ――……
右手首に円環状の【魔方陣】が出現してロールする。同時に、長田の雷撃が消失した。
いや、消失というよりも『分解』された――と形容するべきか。
単純に稲妻が消えたのではなく、【魔方陣】と同じ紋様に、稲妻がバラけていったのだ。
魔術の分解現象。
己に及んだ魔術効果を解析して対抗用ワクチンを精製する魔術抵抗(レジスト)とは、根本的に発想が異なっている。己に影響が及ぶ前に全ルーチンを解析しなければならないのだ。
唖然となる長田と小林。
場内の観衆、女子生徒アナウンサーも声を失った。
統護たちも驚愕を隠せなかった。
臣人は表情を変えない。姿勢も微動だにしない。まるで感情が窺えない。
会場が静まり返る中、雪羅が言う。
「まず最初に、私の《ダイヤモンド・スノゥスケープ》が対戦相手に基本性能としての魔術効果を発揮していないのは、意図しての事です。大変申し訳ありませんが、兄のチカラを堂桜兄妹に披露する為に、このようなパラメータ設定をとらせて頂きました。無礼・非礼をどうかご容赦願います」
我に返った小林が、相棒と同じく雷撃を飛ばす。
不意打ちではない。対戦相手の口上をご丁寧に聞かねばならぬ道理など、魔術戦闘にはないのだから。
臣人は左手の【AMP】を握り込んだ。
キュゥオォォオオオオォ――……
握り込まれた左拳の前面に【魔方陣】が出現し、そこから雷撃が放たれた。
黄金の光が爆ぜる。雷撃と雷撃が激突し、威力が相殺された。
先程よりも長田と小林の二名は、驚きの色を濃くして、愕然と雪羅を見る。
意を汲んで、雪羅は小さく首肯した。
「説明を再開します。対戦相手のお二方には誰よりも理解できたでしょうが、今、兄が迎撃に使用した雷撃は『兄の魔術ではなく』、そう、先程の『長田さんの攻撃魔術』なのです」
つまり先程とは逆の――魔術の再生現象。
長田が叫んだ。
「莫迦なっ! どうしてソイツが俺の撃った魔術を使えるんだ!? どんなインチキを使えば、そんな真似が可能になるんだ!? あり得ないだろうが!!」
アナウンサーが戸惑い気味に口を挟んだ。
『いえ、事前に提出された使用【AMP】の検査では、特に問題はなかった、とデータにあります。ただし事前申告されている使用方法がかなり特殊で、ちょっと信じられないというか。ええと実は今大会、対戦相手の専用【DVIS】と専用【AMP】の使用を不可するチームが一つもなく、かつ事前に使用内容を知る権利を使ったチームもゼロなので、こういったケースは危惧されていたんですが……。私も実際に目にしてビックリです』
不正行為ではない、とアナウンスされて、場内が異様な雰囲気になる。
雪羅が説明を続けた。
「ええ。右手の《キエティハンド》によって、兄は【魔導機術】の実行プログラムを解体して自身の脳のRAM領域に転写。元の魔術プログラムへとリアルタイムでの変換処理を施してから一時的に記録します。逆に左手用の《ミスティハンド》でその一時転写した魔術プログラムのソースコードを、兄が使用可能な書式に改稿された形式で【スペル】へと、再びリアルタイム変換――実行プログラム化して起動したのです」
要約するとインタプリタなのです、と雪羅は表現した。
コンパイル処理されているコードに強制介入する、インタプリタ処理であると。
氷室臣人は、魔術プログラムをインタプリタする事によって、ソースプログラムと実行プログラムを任意に可逆変換できるのだ。ただし一度毎に、脳のRAM領域はリセットされてしまう。記憶した魔術は、使用するとRAMから消えてしまうのだ。上書きしても同じだ。
魔術コードを可逆的にインタプリタしているという説明に、場内が凍りつく。
『た、確かに申告されている臣人選手の【AMP】の機能はその通りなのですが、実際にそんな真似が可能なのですか? 【魔導機術】プログラムのインタプリタ処理なんて……』
観衆の気持ちを代弁するかのような、アナウンサーの疑問に、雪羅は目を伏せた。
「どうか兄の左目にカメラをフォーカスして下さい」
四方の巨大スクリーンでアップになった臣人の左目――
瞳孔部分がカメラレンズになっており、瞳に擬態させる意図のない、義眼であった。
右目は普通の瞳だ。異様なオッドアイである。
「この左目は専用【DVIS】も兼ねている義眼です。その名称は《エレメント・アイ》といいます。この《エレメント・アイ》によって、兄は【魔導機術】における全てのプログラム・コードを解析する事ができるのです。目は脳の一部とも云われていますが、兄の脳は事故によって深い損傷を負い、その回復手術の際に堂桜財閥により【DRIVES】と呼ばれている新技術のノウハウが転用され、《エレメント・アイ》の解析機能が実現可能になっていると説明を受けています。私と兄もそれ以上は知りません」
雪羅の声が悲しげに震える。淡々と弁解めいた説明が続く。
氷室臣人は、脳の損傷および改造によって、真っ当な魔術師としては死んでいる。
オリジナル魔術は使えない。【基本形態】も持たない。超次元の電脳世界に【ベース・ウィンドウ】も展開できなのだ。
彼の意識容量は、改造された脳機能の維持にほぼ全てのリソースを費やしている。
魔術師と超次元でリンクして、プログラムコードをコンパイルする軌道衛星【ウルティマ】の演算機能を、臣人は己の脳機能のみにより代替していた。インタプリタのみのシングルタスクであっても、それは人の限界を超えた莫大な演算処理を要求してくる。
臣人は軌道衛星【ウルティマ】とリンクしていない。いや――できないのだ。
新技術【DRIVES】のノウハウを投入された脳機能が可能とする《エレメント・アイ》の解析能力と、二つの専用【AMP】――《キエティハンド》と《ミスティハンド》との連携によって実現可能な、たった一つの【魔導機術】しか、氷室臣人は使えない。
その定義名は――《スペル=プロセス・オミット》だ。
「信じられない話でしょう。実際に披露しなければ誰もが一笑に伏すような与太話です。しかし、会場の皆さんがご覧になった通りに、兄の能力は現実なのです」
「そ、それって……、お前の兄貴はつまり、軌道衛星を必要としないで、魔術師単体で【魔導機術】機構として成立しているって事じゃねえかよ」
「はい。【DRIVES】の本来の開発コンセプトも、それに近いものらしいです」
対戦相手の二名は、そこで気が付いた。
――臣人は先程から表情を全く変えていない。
「な、なあ? なんかお前の兄貴って人形みたいっていうか……。その……」
会場の他者も順次、気が付いていく。
目を見開いた淡雪は、思わず口元を両手で覆った。
「そ、そんな……ッ!! まさか、まさか」
「兄の能力は軍事転用可能な代物ではありません。個人レヴェルの魔術戦闘に限定して使用する技術にしても、用途が限定され過ぎています。堂桜の【魔導機術】システムから完全独立したスタンドアローン型魔導兵士など軍隊には不必要です。現実に【魔導機術】システムが使用可能なのですからメリットがありません。《スペル=プロセス・オミット》はあくまで新技術【DRIVES】の開発を進める上でのデータ入手が目的なのです。それに戦闘目的の脳改造は国際的に違法ですし、唯一の成功例である兄にしても……
理性や論理思考は生きていますが情動・感情思考などの心理機能がほぼ停止しています」
脳機能が感情に割けるリソースを確保できない――と、雪羅は吐露した。
優季が痛ましげに顔を歪める。
「酷いよ。【ナノマシン・ブーステッド】になったボクよりも非人道的だよ、こんなの」
「しかし手術せねば兄は助かりませんでした。法的な問題は、堂桜サイドがすでに裏から手を回しています。対外的な私闘や軍事利用を禁止される形で、処遇は有耶無耶になるとの事です」
そこで臣人が初めて口を開いた。
「何も問題はない。オレは生きているし、義妹を護る能力がある。それだけでオレはいい」
抑揚の乏しい言葉だ。これならば人工知能の電子音声の方がよほど情感がある。
統護は『脳男』という小説の主人公を思い出す。
いや、臣人は彼よりも重傷に見えた。
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