第二章 ヒトあらざるモノ 9 ―みみ架VSルシア②―
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9
みみ架はダウンから起き上がらない。倒れたままだ。
(この最強の相手に、勝った……)
決着を確信し、ルシアは歩を進めようと右足を踏み出した。
倒れているみみ架へと歩み寄り、彼女の子宮を破壊しなければならない。命までは奪わない。格闘家としても戦闘系魔術師としても、みみ架を壊す意図はない。
ただ黒鳳凰みみ架が『次代の堂桜の母』になる可能性を潰せれば、それでいいのだ。
統護の子を産む。これで統護の子を産めるのは自分だけになる。
右足から歩き出し――
「ッ!?」
ずしん、と身体が重い。
まるで水中にいるようだ。右足の一歩だけでルシアは止まる。左足を前に出せない。
己の身体の異常に、ルシアの碧眼が見開かれる。
あまりに怪訝だ。
倦怠感だけではなく力感が抜けていく。身体全体が細かくブレている感覚に襲われる。
「ぁ、ぁ、ぁ、あァ?」
視界が揺れる。歯を食いしばる。駄目だ。歩けない。
いや、歩くどころか、両膝がガクガクと笑い始めており、立っているだけで精一杯になる。
全身から冷や汗が噴き出してきた。
――みみ架がゆっくりと起き上がる。
なんと力感が残っているではないか。
布切れと化した道着が四肢に引っかかっているだけの、半裸に近い扇情的な立ち姿である。
その姿に、ルシアは息を飲んだ。
「む、無傷……」
みみ架は首を横に振り、自虐的に肩を竦めた。
「なワケないじゃない。今まで完璧に気絶していたわよ。これが格闘技の試合だったのなら、文句なしに貴女の失神KO勝ちね。実際、意識を断たれるとは予想外だったわ」
「ど、どうして? 何故――」
千切れたのは道着だけで、みみ架の肌には傷一つ無いのだ。
発勁のダメージと衝撃を体験して、即座に魔術プログラムを書き換えた。地面を利用してのブラインドで、修正作業は誤魔化せたはずだった。『化勁』は想定外だったが、それでも、その直後の勁への対応は成功したはずなのに。魔術オペレーションにミスはなかった。そして相手の魔術オペレーション技術が低い事も織り込んでいた。それなのに……
結果は――自分の身に不可解なダメージが残り、みみ架は無傷だ。
失神KO勝ちなど、なんの意味もない。これは試合終了を宣するレフェリーがいる格闘技の試合ではないのだ。当事者のみが勝敗を決める魔術戦闘なのだから。
電脳世界に展開している【ベース・ウィンドウ】で自己診断しても、魔術的なダメージは受けていない。ならば、いったい、どうして――!?
みみ架が淡々と告げる。
「脳震盪のみで、わたしに外傷と裡のダメージがないのは、衝撃を《ワイズワード》の疑似ワイヤに吸収させていたから。一層目が『通せない』と感じた瞬間、疑似ワイヤを緩めたのよ。で、即席のバネ代わりにして、引っこ抜かれる反動で衝撃を地面に逃して、自分で後ろに飛んだ。流石に余波まではどうにもできずに、失神した上にこんな格好にされちゃったけどね」
「あの一瞬で?」
「云ったでしょ。アンタの魔術特性――手品のタネは解ったって。だから発勁にも対応してくるのは予想していたわ。擦った裏拳のアレで学習されたと思ったから。《ワン・インチ・キャノン》という派手な大技を使ったのは、その裏をかく為の――策よ」
「策? 一層目といったのは、つまり……」
「そう。わたしは外層用の寸勁と同時に、内層側で二発目の勁を撃ち込んでいたのよ。
すなわち――浸透勁を」
その一言でルシアは理解した。寸勁というパンチを利して放つ発勁をカモフラージュとして、『通し』に徹した当て身から流し込む発勁を浸透させられていた事を。
ルシアの知識にある『浸透勁』は、かつての戦国時代に甲冑を『通す』為に用いられた発勁であったはずだが、まさか二層構造の発勁として使用するとは。
発想と技量が尋常ではない。いや、それ以上に……
「信じられません。浸透勁とは。純粋に勁のみを浸透させて、こんなダメージなんて」
この身の異常は勁を通されたダメージだった。
身体が内側からバラバラに分解されている、そんな不可解な崩落感を味わっている。
「普通の相手には使わないわよ。内臓や神経系に後遺症が残りかねないから。浸透勁なんかよりも、シンプルに顎先をパンチで打ち抜いて失神させた方が、遙かに安全な制圧法だわ。本音をいえば、発勁すらオーバーダメージね。けれど、貴女には使わざるを得なかった」
「褒め言葉と受け取りましょう」
「ええ。嫌味なしの純粋な賛辞よ。本気の浸透勁なんて、おそらくこれが生涯で唯一になるでしょうね。貴女との二度目がなければ――の話だけど」
勝てない、とルシアは判断した。
強い。この女は強過ぎる。少なくとも近接戦闘では、誰もこの女には敵わない。
たとえ堂桜統護であっても勝てないだろう。
「見事です。しかし、まだ終わったわけではありません」
四肢はロクに動かない。
けれども、身体を動かすだけの余力はとっておいた。常日頃の心構えが奏功した。
ルシアは後方へと飛び退く。
みみ架にタネは悟られているので、ステップする振りなどしない。
魔術効果で身体を後ろに運んでいく。
「へえ。『保存』が利くのね。まあ『保存』ができなければ即座の反射しか無理だから、道理ではあるか。効率は悪くとも、そういう意味では便利な魔術ね」
余裕なのか、みみ架は追ってこない。
庭園とも呼べる裏庭は広いとはいえ、三秒もあれば、家屋の死角に回り込める。
みみ架には砲撃魔術はない。頁で精製した長槍は直線的にしか繰り出せない。多節棍や鎖鎌のような武具を精製して、弧を描く攻撃が可能かもしれないが、その程度は躱してみせる。
近接戦闘で最強なのであって、近接戦闘でなければ、みみ架はむしろ雑魚の部類だ。
総合力で評価すると、みみ架は最強には程遠い。いくらでも勝つ手段はある。
それに策を弄しているのは、ルシアとて同じである。
(一対一の真っ向勝負で勝てなければ……)
まずは身を隠す。
そして次策の戦術として――
「ああ。隠蔽用の【結界】と見張り担当だった【ブラッディ・キャット】五名を使うのね」
心底からつまらなげな、みみ架の言葉。
ギクリ、となる。
「まさか驚いた? 実は最初から気が付いていたけど。今日はバイト休んだどこぞの使えない王子サマのSP達がいないと思ったら、朱い飼い猫五匹が潜んでいる程度はね」
バレていた。見透かされていた。一対一で駄目ならば、多数で襲う計画が。
戦う前から掌の上だったとは。
知識・考察力はともかく、戦闘面・戦術面においての策略は――みみ架が上だ。
いや、これが武人の本質か。戦闘者と武人の違いなのか。
「近隣に家屋が少ない場所とはいえ、あれだけ派手に砲撃音を立てて、通報どころか見物人もゼロだもの。ま、この格好を堂桜くん以外の誰かに見られなくて済んだのは、素直に感謝するわね。でも、六対一なんて面倒になる前に――終わらせる」
どうやって?
ルシアは四方八方に視線を巡らせる。みみ架に砲撃はない。すなわち、死角からの強襲以外に攻撃手段はないはずだ。しかし、みみ架の気配は先の場所から動いていない。
(いや。気配のみを残して、すでに移動している!?)
例の面妖な運足といい、あの女ならば可能に違いないだろう。
見えない故に、恐い。自分から死角に逃げたのに、相手を視認できない事が、こんなにも。
これが――恐怖。
ルシアは初めての感情に、身体が竦んでいた。そして後悔していた。
今更ながらシミュレートが甘過ぎた。こんな『戦闘の鬼神』に挑むには準備不足だった。
みみ架の台詞は続く。発声源はそのままに。
「遠距離用の砲撃魔術どころか、まともな攻撃魔術すら使えない欠陥【ソーサラー】のわたしにも、実はたった一つだけロングレンジでの攻撃手段、砲撃ではないけれど――遠当ての業があるのよね」
遠当て!? ロングレンジでの攻撃手段!?
ルシアは狼狽する。当て、と表現したからには、武術の業に違いない。
(いいえ。こうなったら相手の攻撃を待つまでもなく、部下に一斉攻撃を命じて――)
潜伏が露呈している以上、どこまで通用するかは不明だが、少なくとも時間稼ぎにはなる。
命令しようと、ルシアが口を開こうとした、その時。
アコーディオンの蛇腹のように伸びた紙の群が、自分の腹に添えられている事に、ルシアは気が付いた。まさか電脳世界の魔術サーチがジャミングされるとは。やはり普通ではない専用【AMP】である。
意味が分からない。これが遠方からの攻撃なのか。ルシアの思考が硬直する。
戦闘とは『思考と反射』の繰り返し、と理解している彼女が、思考を停止してしまった。
――対して、みみ架。
みみ架は決して思考を止めない。一瞬たりとも止める事はない。
胸の高さに固定された《ワイズワード》本体へ、右拳を腰だめに構え、広くスタンスをとる。
折り重なって伸びた頁の先端が、ルシアを捉えたのを察知した。
「ッはぁぁぁあああああああああああぁぁあぁ!!」
彼女は己の究極まで『氣』を錬成し、全身を巡らせて、最後に右拳へと収束させた。
みみ架でも体現できない【不破鳳凰流】の奥義が、たった一つだけある。
いや、歴代の黒鳳凰の誰一人として為し得なかった超奥義だ。
遠当ての業。みみ架といえど、単身で放っては空気抵抗と拡散によって、人を斃す威力は伝えられない。
しかし《ワイズワード》を媒介してならば、この神技は可能となる。
裂帛の気合いと共に、自身最大最強の発勁を込め、みみ架はコークスクリュー気味に捻り込んだ渾身の右正拳突きを《ワイズワード》にコネクトした。
「【魔導武術】・超技――
――《百歩神拳》ッ!!」
ごぉぉっ!
波動と化した勁が《ワイズワード》から伸びている頁群により伝導して、疾走していく。
その荘厳かつ幻想的な光景は『神氣伝導』とでも表現するべきか。
ギャウォォゥゥウウウウウッ!!
蛇腹状の頁群から、螺旋を描き迸る虹色の発光が煌めき――
極限の発勁が、頁群の先端に繋がっているルシアの身体を貫いた。
「かはァっ!」
ルシアの身体がくの字に折れ、夜空へと飛ばされた。
いかなる状況でも維持し続けた《アイスドール》の仮面がヒビ割れて――無残に砕け散る。
ビスクドールめいた精巧な美貌が、苦痛と苦悶によって、大きく歪んだ。
皺が寄った事のないルシアの貌の肌に、初めて顔筋運動による皺が刻み込まれていく。
(そ、そ、そん……な)
表情の発露と共に、メイド少女は放物線を描いて落下する。
どさり。受け身をとれず、身体を折り曲げた姿勢のまま、横薙ぎに地面に叩きつけられた。
慣性のまま派手に転がっていく。
回転が収まる。ガツン、と右側頭部が地面にバウンドし、お腹を抱えるような丸まった体勢から――ルシアはピクリとも微動だにしない。豪快というよりも、あまりに惨めなダウンシーンだ。
ルシアの表情から生気が抜けていく……
目蓋が降りかけている碧い双眸から光が消えていく……
(眠っては駄目です。眠ってしまえば、このままKOされてしまいます)
理屈では解っていても、眠かった。心地よい眠気が、ルシアを甘く侵食していく。
「き、聞こえる……」
弱々しくルシアは呟く。胡乱な意識ゆえか、泣くように囁く。
にゃ~~。
にゃぁ~~。
にゃぁぁあああああぁぁああん――……
(ああ。この猫の鳴き声は)
愛しい鳴き声。とても好きだった。一緒に好きだった、あの声が、不思議と耳の奥に蘇る。
耳朶に残るこの○●○の声音が、●○●の途切れそうだった意識を繋ぎ留める。
そして思い出せ。自身を優しく包む、温かくて柔らかい二の腕の感触を。嬉しそうに細かく頬を舐める、あの子の舌触りを。
泣きながら、ヒトであるコトを棄てた決意を。
忘れるな。決して忘却は許されない。何故ならば、このワタシは、私は――
…
みみ架は油断なく歩を進める。
確実に貫いた。
間違いなく仕留めただろう。その証左として、姿を隠している【ブラッディ・キャット】の隊員五名は動かない。仮に襲ってくれば容赦なく殺す――と、みみ架が殺気で牽制しているという事を慮外しても、この状況で彼女達が沈黙を続けるという意味は――たった一つ。
家屋の角を曲がり、視界に飛び込んできた景色。見慣れた風景のその中央に……
――魔人が立っていた。
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