第二章 ヒトあらざるモノ 8 ―みみ架VSルシア①―
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8
要求――というダイレクトな物言いに、ルシアは一度、目蓋を閉じる。
一拍おいて瞳を開き、みみ架を見据え、単刀直入に言った。
「このワタシが貴女に理想の配偶者を提供しましょう」
みみ架は素っ気なく拒否した。
「余計なお世話よ。はい、話し合いとはやらは、これでお終い」
シッシッ、と右手で相手を払う仕草をする。礼を失しているのはお互い様だ。
「堂桜統護のどこが良いのです?」
ピクリと、みみ架の眉毛が角度を変える。
「ワタシの主人は複数の女と関係を結び、誰か一人を選ぶことができない優柔不断な男です」
「言われるまでもなく知っているわよ。それで?」
口調の喧嘩腰具合が、更に抑えられない。
対照的に、ルシアは淡々と話し掛けてくる。
「貴女のDNAおよび魔術要因まで加味された生体データに対して、理想的な生体データを持っている男性を五名ほどピックアップしております。むろん単なる種馬ではありません。家柄と人格、ルックスと全てを兼ね備えた、まさに理想の夫といえるでしょう」
「理想……ね」
「そうです。浮気など決してしません。貴女のみを一途に想い、愛し、貴女のみを大切にし、貴女を幸せにする為に人生を賭けてくれる――理想の恋人ですよ」
みみ架はせせら笑う。
「要するにわたしにとって最高級に『都合のいい』男を揃えました。その男にして、堂桜くんとの約束を破棄しなさいって事よね?」
「素敵な縁談であるとワタシが保証しましょう。都合のいい男。まさにその通りです。貴女にとって堂桜統護は理想の種馬ではあっても、不都合な男ではありませんか?」
「もういいわ。それ以上喋らないで。不愉快さが増していくだけだから」
「これは貴女にとって、またとないチャンスなのですよ? せっかくの絶好球を見逃し三振なんて勿体ないとは思いませんか」
「うっさい。黙れ。喋るなといったのが聞こえなかった?」
みみ架の頭に血が昇っていく。
チャンス? 絶好球?
何様のつもりだ。
(よくいう。舐めてくれちゃって)
頭部目掛けてビーンボールを放っておいて、なんて言い草だろうか。チャンスとは、与える相手が望む事を理解した上でなければ、良くて余計なお節介、悪くて価値観の押しつけだ。
本当にチャンスをくれるというのならば、統護に対して……
そこで、みみ架は思考を中断した。危ない危ない。なんて――下劣な想像を。
「理想の相手を蹴ってまで、あくまで堂桜統護がいいというのですか?」
「確かに堂桜くんは理想の種馬であって、不都合な男なのは認めるわ。でもね、わたしにとっての理想の男と、アンタがのたまう都合いいだけの理想の男性とやらが、イコールだと思われるのはクッソむかつくんだけど」
色々と踏みにじられた気分である。
約束で縛り付けた関係だとはいえ、統護の気持ちまでもを縛ろうとなどとは……
なにがご主人様、だ。嘘つきめ。
「あら。イコールではありませんでしたか。意外でした」
「それにわたしは安い女でも軽い女でもないつもりなのよね。堂桜くんに想われていない身とはいえ、彼に裸を晒した上で他の男の子を産むなんて選択肢はないわ」
「風呂場に押しかけて、手前勝手な言い分ですね」
「ええ。だから彼を必要以上に拘束する気はないのよ。そもそも堂桜くんから女を排除したければ、想われていないわたしなんかよりも、先に交渉を持ちかける相手がいると思うけど?」
アリーシアにせよ、優季にせよ、締里にせよ、ルシアが主張する『都合のいい』理想の男性とやらを選ぶとは到底思えないが。
「……というか、わたしが首を縦に振るなんて微塵も思っていないでしょうに」
単純に、ルシアはみみ架を挑発しているだけだ。
みみ架は鼻を鳴らす。
「ねえ、喧嘩を売るにしても、もう少しマシな売り方をしてくれると嬉しいんだけど?」
「いいえ。単に喧嘩を売っているのではありませんよ。ご主人様が他の女を愛そうが、別れようが、彼のメイドであるワタシにはどうでもいい事」
「へえ。やっぱり貴女、堂桜くんを好きってワケじゃないのね」
それは最初から判っていた。
分かってしまうという意味を、みみ架は理解している。
だからこんなにも――腹が立つ。
「しかし累丘みみ架。貴女だけは特別に邪魔なのですよ、貴女だけは――」
「どういう意味? いえ、違う。分かっている」
だから自分と彼女はこんなにも互いを敵視してしまうのだ。
ルシアは小さく首肯して告げる。
「――ワタシは『次代の堂桜』を産む、母になりたい」
本気だ、とみみ架は感じ取る。
統護に迫ったのは、精神的に籠絡する為ではなく、子種を欲していたからだった。ふざけていたのでも、遊びでもない。ルシアは本気で統護の子を、次代の堂桜を産むつもりだ。
「それが目的で堂桜くんの懐に入ったのね」
「いいえ。最初からではありませんでした。場合によってはワタシはご主人様と敵対するでしょう。ご主人様もそれを察しているはずです。また、それとは別に、ワタシの大いなる目的の為には、堂桜の母になるという選択肢も重要だと判明しました」
「大いなる目的、ね」
ルシアの言葉に凄みが籠もる。
「堂桜淡雪。オルタナティヴ。そして堂桜統護。この三名はワタシとって必要なのです。対して累丘みみ架――《ワイズワードの導き手》よ。貴女だけは、邪魔です」
「皮肉ね。堂桜くんに愛されている女達を差し置き、愛されていないわたし達が争うなんて」
ルシアが真摯な口調で言った。
「ここで引くつもりはありませんか。身を引かねば、ワタシは貴女のプライドを徹底的に破壊して堂桜統護を諦めさせるか、あるいは、貴女の子宮を破壊して子を宿せなくします」
「物騒な話ね。仮に私の子宮を破壊したとして、その後の展開を考えての発言かしら」
「どんな手を使っても示談にしますよ。貴女が病院のベッドの中で、悲劇のヒロインのごとく泣く姿が拝めるのならば、どれ程の手間も出資も惜しくありませんので。ご主人様には最悪、縁を切られるかもしれませんが、根気よく関係を再構築する覚悟はあります。貴女を排除できるのならば惜しむリスクではありません」
「なるほど。本気と書いてマジってわけね」
「どうでしょうか? 身を引いて頂けると大変助かるのですが」
みみ架は真剣な声で拒否する。
「悪いわね。答えはノーよ」
自分が気に入らない、という理由ではなく、ルシアにはルシアなりの真剣な理由があった。
ならば、自分も応えなければならない。みみ架も真剣だからだ。
「最後の選択肢です」
みみ架の足下に、ルシアはスマートフォンを放り投げた。
「それでご主人様をコールして助けを呼べます。もしくは背中を見せて敗走するのならば見逃しましょう。その程度ならば、貴女は次代の堂桜を産めない。産まれる子は堂桜ではない。他の女達と同じで、貴女の子。堂桜統護の次代とは定義できないでしょうから」
みみ架は迷わずスマートフォンを踏み砕いた。
最初から話し合いなど不可能だ。
互いに妥協点に対しての歩み寄りができない。
なによりも――上下関係がハッキリしていないから。
実力にせよ、立場にせよ、交渉のテーブルに着く為の前提条件がない。弱い者、戦う意志のない者は、テーブルに着席する事すら許されない。個であっても、国であってもだ。
だから話し合いという会話をする為には、実力を示さねばならないのだ。
「わたしは貴女に選択肢なんて与えないわよ、ルシア・A・吹雪野。この機会に貴女のプライドを破壊して、貴女の正体を吐かせて貰うわ」
音は無かった。
純白のメイドカチューシャが両断されて、ルシアの足下にポトリと落ちる。
紙だ。正確には紙で精製されている刀の切っ先が、ルシアの眉間に添えられていた。
みみ架の本型【AMP】――《ワイズワード》の頁で創られた紙の太刀を、みみ架は一瞬の早業で、ルシアの眼前へと抜き放ったのだ。《ワイズワード》本体は袴の中にある。
つぅ……。紅い滴が、白い鼻脇を流れ落ちる。
みみ架が斬ったのはカチューシャのみではなかった。額の皮膚をも薄く裂いていた。
その斬撃に、ルシアは反応できなかったのだ。
「治癒じゃなくて即座に再生したわね」
すでに傷は塞がっている。ゆえに出血は、ほんの数滴に過ぎない。
二人は微動だにせずに睨み合う。
「ひょっとして【ナノマシン・ブーステッド】の類かしら?」
「違いますよ。ナノマシンによる宿主の再生現象ではなく、超高速での自然治癒です。ワタシの躯は【ナノマシン・ブーステッド】とは完全に別物です。治癒魔術でもありませんよ」
「なるほどね。やはり真っ当な人間には程遠そうじゃない」
「否定はしません」
軽やかなステップで後方へと飛び、ルシアは間合いを広げた。
みみ架はあえて追撃しない。
「残念。どうやら今の斬撃じゃ、貴女のプライドは砕けなかったようね」
「その気になれば、貴女がワタシの首を落とせていた――程度は、理解していますよ」
流石に殺すつもりはない。
命を軽んじるなど以ての外――ではなくルシアを殺せば、統護は自分を赦さないだろう。
「それでも尚、戦うつもり?」
「ええ。何度もシミュレーションした結果、ワタシと貴女では真っ向勝負ならば、やや貴女に分がある事は折り込み済みです。最初から不利を承知で貴女に挑むのですよ、ワタシは」
みみ架が感じ取ったルシアの技量でも、近接戦闘ならば勝てる――と踏んだ。
ルシアも同じ見解で、それでも戦おうというのか。
理解できない心理だ。しかし自身の理解が及ばない故に、尊敬もできる。
「正直いって貴女は気にくわないけれど、自身よりも強い相手に挑める強さには、心の底から敬意を払うわ。そういう意味では、わたしは最弱ともいえる女だから」
このメイド女は、弱い者イジメしかできない小物ではない。
そう。弱い者にしか勝てない、小物の自分とは違って。
「黒鳳凰みみ架。貴女は弱い。強過ぎるが故に弱いのです。貴女は自分よりも弱い相手にしか勝てない。けれどワタシは違う。自分よりも強い貴女に勝つ――強さと決意があるのです」
そして理由も、と云う。
ルシアはスタンスを広げ、エプロンドレスのポケットからペーパーナイフとバターナイフを取り出した。
銀製の小振りな日用ナイフが、氷の刃を纏って凶悪なコンバットナイフと化す。
対の氷刃を肩口で交差させて半身になる。
「――さあ、ここからが本番です」
夜風が吹く。
みみ架はルシアを見据えた。
【魔導機術】の立ち上げ時を認識できなかった。
(彼女の【基本形態】は無形――というか、例の『スーパーユーザー』状態からして、常時、魔術を起動できるとみるべきかしらね)
かつての《隠れ姫君》事件の時に、統護が目にした『スーパーユーザー』状態のルシアは《ワイズワード》にも、その姿の詳細が記されている。魔人――と、統護が感じた通りに、ルシア自身が【DVIS】なのだろう。
紙の刀が解けて頁の群に戻ると、紙片は本体である《ワイズワード》へと還る。
必要に応じて武具は使うが、基本は徒手だ。
武芸百般を掲げ、様々な武具を使いこなせる【不破鳳凰流】だが、その真意は武具の扱いに精通して、無手での対応力を身に付ける事にある。
すでに【基本形態】は立ち上がっている。《ワイズワード》にプリインストールされている、みみ架が【AMP】および【魔導武術】を繰り出すのに最適な代物だ。そして彼女の二流以下の魔術オペレーション技能でも、十全以上に扱える。外観が不可視である、この【基本形態】は超一流の魔術師でも開発不可能なレヴェルだろう。
ポニーテールに結っていた紐をとる。
長い黒髪が夜風にたなびき、みみ架の表情が豹変していく。国宝級の『生ける武神』である祖父が『鬼神』と評した、凄みのある貌に――
「【不破鳳凰流】継承者――黒鳳凰みみ架、いざ参る」
ゆらり。その口上と共に、みみ架の身体が揺らめく。
距離はある。間合いは充分のはずが、ルシアは反射的に全速でバックステップしていた。
気が付けば、みみ架はルシアのいた場所に立っている。
さながら蜃気楼のようだ。
無表情であるルシアの目に、僅かだが驚愕の色が差し込む。
「面妖な。いえ、速度やタイミングの問題ではなく、錯覚を利用した歩法ですか」
「袴を穿いた状態の《陽炎》――【不破鳳凰流】の運足を察知するとは大したものじゃない」
二度は虚を衝けなかったか。
道着の下が袴であるのには理由がある。
腰からの下の挙動を隠す為なのだ。相手の下半身の動きを見る事により、戦闘時には様々な予想が可能となる。それを袴で覆って防ぐのである。
――ゆらり。再び、みみ架の身体が怪しげに揺らめく。
同時に、ルシアは超速で両手のナイフを幾重にも振るった。
ギュゴォゴゴゴゴゴゴッ!
空気がうねり、ルシアを中心とした竜巻が発生する。その竜巻から圧縮空気弾と、地面から巻き上げた土による圧縮土弾が、間断なく連続発射された。
(視える)
魔術現象だ。【基本形態】とリンクした電脳世界で知覚できる。しかし意識内に展開している電脳世界の超次元的な時間軸に頼るまでもない。否、みみ架の魔術オペレーション能力は並以下である。しかし、現実の時間感覚で――捉えた。
みみ架は前面に紙の防御壁を生成する。
ドンドンドンドンドン!!
防御壁は揺るがない。
そして、長時間の砲撃はあり得ない。
時間切れがない以上、砲撃が通じなければ、攻める側であるルシアは次の手に移る必要に迫られる。この砲撃は牽制以上の役割を持たないのである。
砲撃は三秒後に止んだ。
防御【結界】でルシアの砲撃魔術を遮断すると、すかさず紙の壁を解除して、同時に壁から長槍へと頁を変化させる。気配と呼吸は読んでいる。第二波を撃つ呼吸は与えない。
一挙動で、ルシアへ槍の突きを見舞う。遠い間合いから稲妻のような一撃だ。
その刺突を、ルシアは両のナイフで辛うじて受け止める――が、氷刃は粉々に破砕した。
みみ架の双眸が光を帯びる。
「やはり貴女の氷は、魔術製であっても、エレメントによる氷じゃないのね」
純粋に【水】のエレメントによる氷刃であれば、みみ架の槍では砕けなかった。
ルシアは否定も肯定もしない。
バターナイフとペーパーナイフを黙って懐に仕舞った。
みみ架は冷然と告げる。
「すでに貴女の魔術特性――いえ、正体というべきかしら、は把握しているけれど、よくもまあ多様性と引き替えに無駄の塊のような魔術を思い付いたものね」
発想は素晴らしい。同じエレメントを用いずに、そのエレメントに匹敵する魔術強度と魔術密度をコーティングにより実現するとは。けれど《ワイズワード》が誇る存在係数の前には、いかにルシアの魔術理論であっても歯が立たない。
槍を収めて、みみ架は最速のステップでショートレンジに入った。
ルシアも接近戦を受けて立つ。
いや、紙壁の防御【結界】でロングレンジからの砲撃を防がれ、かつ長槍での牽制を防ぎ切れなかったルシアに、接近戦に応じないという選択肢は許されない。これはルシアから挑んだ戦闘だという事もある。
小細工なしの真っ向勝負だ。
この間合いだと【基本形態】に常駐装備されている魔術効果――基本性能以外を起動すると、それは致命的な隙になりかねない。
戦闘系魔術師であっても唯一、有視界戦闘を強いられるのが、近接戦闘だ。
逆にいえば、近接戦闘以外では、戦闘系魔術師は有視界という条件に縛られない。
それに現代兵器・現代戦争は、視界認識する間を標的に与えない速度になっている。
だから戦闘系魔術師はロングレンジになればなる程、五感よりも魔術知覚に比重を置く。
魔術の攻防は現実世界では超速であるが、【ソーサラー】同士の認識では、それぞれの電脳世界に準じている高次元の時間軸で攻防しているのだ。つまり一瞬が一瞬ではない。
しかし、近接戦ではそうはいかない。比重が逆転してしまう。
よって【ソーサラー】同士の魔術戦闘では、有視界による格闘決着が少なくないのだ。
ルシアのパンチとキックが、変幻自在のコンビネーションとして繰り出される。フォームや技量自体は普通と形容して差し障りないレヴェルだろう――が。
嵐のような手数、足数だ。
しかも一発でも直撃すると、即終了の威力である。
その全てを、みみ架は舞うような手捌きで、受け流していく。足の動きは最小限だ。
対して、みみ架の反撃は拳と手刀、そして肘のみであった。
体勢を崩す恐れのある蹴りは使わない。
無理にカウンターも狙わない。丁寧に、慎重に、無駄を排した打撃のみを選択する。
ルシアも超速のボディワークを発揮して上半身を目まぐるしく動かし、みみ架の攻撃を当てさせなかった。
互角の攻防が続く。
だが、動きに余裕があるのは――みみ架だ。
純粋な身体能力では圧倒的にルシアが上回っているのにも関わらず、みみ架はそれを感じさせない技巧を発揮していた。速度差がある為に、ルシアの五撃に対して、みみ架は一撃しか打てない。それなのに優位に立っているのは、みみ架なのだ。
ゴォ! 浅くではあるが、みみ架の裏拳がルシアの頬にヒットした。
ガクン、とルシアの腰が落ちる。
直撃には遠い裏拳で、ルシアは後方によろめいた。目の焦点が一瞬だが、飛んだ。
発勁だ。
左拳から伝播した勁の衝撃は、ルシアにとって初体験のものであった。
みみ架は舌打ちする。
(不完全だったわ)
それでも並の戦闘系魔術師ならば、今の一撃で失神しているはずだ。一般人ならば死にかねない発勁だった。それを、よろけるだけで踏み留まるとは――
やはりルシアはヒトではなく魔人か。
拮抗は崩れた。
みみ架は勝負の一撃を決めようとする。
ずズぅォぉッ! ルシアの足下から、土の間欠泉が吹き上がった。
直接攻撃ではなく、ブラインドにして目眩ましする魔術である。
しかし一瞬後に、みみ架はその土を押さえ込む。武術ではなく魔術によってだ。
「な!?」
「ひょっとして分からなかった? わたしの使用エレメントって【地】なのよ」
魔術の才能・技量が乏しい為に、みみ架には実戦レヴェルに達している【地】の攻撃魔術・防御魔術は一つたりともない。
だが――【魔導武術】に必要な『地面』を形成する補助魔術ならば、扱える。
否、【地】の魔術によって地面を補助・補強しなければ、【魔導武術】は使えない。
位置取りは完了した。ここがベストポジションだ。
ズガガガガガガガガガッ。
アンカーが地面を穿つ音が次々と鳴り響く。袴の中にある《ワイズワード》から、紙で精製された疑似ワイヤが四方八方へと伸び、地面と術者を固定した。
その一瞬の停滞を、ルシアは見逃さない。
後ろに泳いだ上体を無理矢理に引き戻し、渾身の右パンチを叩き込む。
疑似ワイヤによって地面に固定されたみみ架は、そのパンチを顔面で受け止めた。
グガァン!! という炸裂音。
みみ架の左頬が大きく波打つ――が、つかみ所のない異様な手応えに、ルシアは拳を振り切った姿勢のまま硬直した。
顎を砕いたり意識を飛ばすどころか、みみ架に与えたダメージが感じられない。
実際、みみ架の目は生きている。表情も平然としたものだ。
それは『化勁』と呼ばれる神秘の技術。
物理的な衝撃を、自身の裡へ勁と化して取り込む技法である。
ルシアが疑似ワイヤを展開した直後の硬直時間を狙ってくるのは分かっていた。ポジショニングで右パンチを狙いやすく誘導したのだ。いかにルシアの拳が速く強力であっても、左頬に右拳が来ると分かっているのならば、『化勁』するのは可能である。
今度は、乾坤一擲の一発を無効化されたルシアに、致命的な隙が生まれた。
狙い通りだ。
「こぉぉぉぉぉ……ッ」
みみ架は深く鋭い呼気を吐いて、最大級の『氣』を練り上げる。
軽く握った左拳をルシアの腹部へ添えると、左足で震脚を踏み落とす。
魔術強化された地面は、みみ架の四肢に巻き付いている疑似ワイヤに、震脚から発生・伝導していくパワーを、残らず反力としてみみ架へと弾き返し、収束させていく。
「【魔導武術】……
――秘技《ワン・インチ・キャノン》!」
ワン・インチ・パンチ――寸勁の魔術強化ヴァージョンである。
みみ架の震脚と【ワード】をトリガーに、魔術と武術の合わせ技が発動した。
ガカァアアアァァン!
甲高い音が鳴り響く。左拳から撃ち込まれた発勁が、多重に増幅してルシアに炸裂――
ごぅばぁぁあああああんッ!!
地面に打ち込まれていた疑似ワイヤが、全て根こそぎ引っこ抜かれた。
原因は、ルシアの魔術効果である。彼女はこれを狙っていた。
みみ架は高々と宙に舞っていた。
疑似ワイヤ群が《ワイズワード》へと巻き戻されるように還っていく中、衝撃の余波で道着がズタズタに裂けていく。服が布切れになる。
半裸同然の格好で、みみ架は背中から地面に墜落して、大の字を晒した。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ」
大きく肩で息をつきながらも、なおも《アイスドール》と形容されている美しいポーカーフェイスを維持するルシア。額から大量の汗が滴っている。
「一か八かのギリギリでした。本当に紙一重でした。おそらく二度と貴女には勝てないでしょう。しかしワタシは敗けるわけにはいかないのです。そしてワタシの魔術特性を理解していたのならば、最後の一撃は判断ミスでしたよ、黒鳳凰みみ架……」
みみ架は動かない。立ち上がってこられるはずがない。
実力差を埋めたのは覚悟の差。そして己よりも強い者に立ち向かう――勇気だ。
煌めく月光のもと、ルシアは満足げに宣言する。
「――この勝負、ワタシの勝ちです」
注記)なお、このページ内に記載されているテキストや画像を、複製および無断転載する事を禁止させて頂きます。紹介記事やレビュー等における引用のみ許可です。
本作品は、暴力・虐め・性犯罪・殺人・不正行為・不義不貞・未成年の喫煙と飲酒といった反社会的行為、および非人道的、非倫理思想を推奨するものではありません。また、本作品に登場する人物・団体などは現実とは無関係のフィクションです。