第二章 ヒトあらざるモノ 2 ―隔離階層―
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案内されたのは、隔離階層であった。
終末医療――いわゆるホスピスやターミナル・ケアと呼ばれている末期用患者に対し、苦痛のない最後を、穏やかに迎えさせる為の最上階――の更に上に存在している隠し階だ。
病棟自体がシークレット扱いとはいえ、この階層は秘匿度がワンランクあがる。
エレベータの籠内に表示可能なデジタル表示のナンバーが、規定階数よりも上のナンバーになった時、統護は軽く驚いた。
「そうか。ここが例のVIP用か……」
特に下の階と変わった様子はない。看護師の忙しさも含めてだ。
二人は廊下を並んで歩く。ドアの数が少ない。どうやら全て一人用病室のようだ。
この階の看護師は、ホテルマン以上のサービスを要求されているに違いない。
「都合があって入院そのものを秘匿する為の階よ。この階の存在を知る者は、正真正銘、この病院を知っている者という事になるわね。御曹司――いえ、統護くんは知らなかった様ね」
「残念ながら」
落胆を感じないといえば嘘になる。
(それともオルタナティヴは、この階を知っているのか?)
過日のMMフェスタで、オルタナティヴとシンクロし、この異世界における『本来の堂桜統護』の知識を得ている。しかし、この階については知識にはなかった。
淡雪は知らないだろう。
ルシアは知っているに違いない。今夜にでも確認しよう。ルシアが報告の際、この階についてノータッチだったのは、史基に関しては不必要だったから――と思いたい。
堂桜一族本家の嫡子とはいえ、やはり一介の高校生に過ぎない身では、与えられている情報に限りがあると自戒した方が、現時点では賢明だと改めて実感する。
本音では――もっとアクティヴに【エルメ・サイア】に対して動きたい。
だが、堂桜経由の資金はともかく、コネクションと情報網については、まだまだ不十分だ。迂闊に表立って動くと、高確率で堂桜サイドから足下をすくわれる。
敵は世界的なテロ組織である。
堂桜財閥の威光と庇護、そして王女アリーシアという婚約者がいなければ、とっくに【エルメ・サイア】側からの報復工作を受けている筈だ。なにも統護をダイレクトに標的にする必要はない。近しい者に限らず、生徒や学園関係者を無作為に『見せしめ』として襲撃して、形だけでも脅せばいい。
それだけで統護の立場は、日常生活は追い込まれる。
現状そうなっていないのは、統護の背後関係のみならず、統護が【エルメ・サイア】と事を構えたケースが、奪回戦と防衛戦という受動的なシチュエーションであったからに過ぎない、と考えるべきだ。
(いや。まさか今回の史基が襲撃された件は、対抗戦云々というよりも、俺への報復・牽制の一環なのか?)
仮にそうだというのならば、報復合戦にしない策がいる。
能動的に、統護が【エルメ・サイア】に攻撃を仕掛けると、反撃や報復は必至だ。
今の統護は、御曹司などと呼ばれても、微妙な立ち位置である。個人としてはともかく、社会的には無力なのだ。受動的な行動の結果を堂桜一族に保護してもらえるケースはあっても、能動的に大それた真似をすれば、最悪で身内と敵対してしまう。
それにニホンの各国家機関や堂桜グループの内部に、【エルメ・サイア】の内通者が潜伏しているのは、ユピテルとセイレーンの件からしても確実であろう。
焦るな、と統護は自分に言い聞かせる。
先日のMMフェスタにおいて、琴宮深那実という独自の情報網を得た。先には進んでいる。
狙いは【エルメ・サイア】の皆殺しなどではない。
組織という形態を破壊する事だ。
可能な限り、流れる血の量は抑える。それは、流される涙を減らすのと同義である。
後手で戦闘するのは下策だ。
とにかく情報戦で、戦闘行為の前に先回りするのだ。
理想は、ボスと幹部との一騎打ちのみ――で組織を実質的解体に追い込みたい。
集団戦闘や戦争になった時点で、ある意味、敗北と思え。
時機が来れば、深那実からの情報を足がかりに堂桜財閥の実権をより確実かつ安全に有用できるようになるだろう。いや、堂桜の力が必要なのだ。堂桜の力なくして、報復できない状況を作り出すのは至難の業だ。状況さえ作れれば、周囲や他人を巻き込まずに、本格的な【エルメ・サイア】との戦いに動き出せるはずだ――
「……考え事かしら?」
啓子の歩みが止まり、統護も無意識に彼女に同調して立ち止まる。
意識と思考を病院内に戻す。
ドアのネームプレートを見て、統護は再び驚いた。
「伊武川――冬子」
思わず呟いてしまう。
啓子の表情を窺う。どういった意図で、渦中の人物に面会させようというのか。
「説明が要るかしら?」
「俺にできる事って、表面的な慰めか、ちょっとした話し相手くらいですよ」
「その為に連れてきたのよ。伊武川冬子は精神面からくる体調不良――と世間に公表しているが、医者やカウンセラーには手の出しようがない状態でね」
「そんなに酷いんですか」
統護は痛ましく思う。精神が病んでしまうまで追い詰められているとは。
「不治の病よ。技能や知識は数年で革命できるけれど、人格形成時を経てしまった人間の性格や考え方および知能って、数年程度で変わる代物じゃないから」
クスリやマインドコントロールを用いればその限りではないが、と啓子は付け加えた。
「おいおい。単に会見から逃げているだけかよ」
「実際、笑い話じゃなくなってきている。最悪で替え玉を使ってでも記者会見をしなければ、という時期が迫っているのよ。このスーパードクターにも病院側と弁護士団が泣きついてきたが、心身共に健康な患者は私とて直しようがない。正直、藁にも縋りたいの」
安請け合いした事を、統護は後悔した。
そんな統護の心境の変化を察したのか、啓子はドアをスライドさせて、統護を押し込んだ。
背中を押されて、統護は仕方なく「失礼します」と一言断ってから部屋へ踏み入る。
広大とはいえないが、病室というよりもホテルの一室といった内装だ。
「堂桜の御曹司からすると、安っぽい部屋でしょう?」
「そう言われると、否定はできないですが」
簡易キッチンとシャワー室がある玄関部を抜けると、寝室がある。
窓際には、セミダブルのベッドが鎮座しており、そこに女性が横になっていた。
「堂桜? 堂桜ってあの?」
啓子の意図通りに、彼女は反応を示し、窓の外から統護と啓子の方へ視線を巡らせた。
その顔に、統護は小さく息を吸う。
やはり姉妹だけあり――伊武川夏子の面影が色濃い。
だが姉とはイメージが正反対だ。
自立した大人という夏子の印象とは真逆で、もうすぐ二十九歳になるというのに、儚い少女のような雰囲気を纏っている。
有能で他人の助けを必要としない姉とは違い、冬子には不思議と保護欲を掻き立てられる。
悪くいってしまえば、有能に見えないし、強そうにも見えない。だが、伊武川冬子の魔的な雰囲気は、そういった弱々しさを武器としているように、統護には感じられた。
冬子は統護に笑顔を向けた。
「ひょっとして堂桜の王子様が助けに来てくれたの?」
統護はドキリとなる。
この笑顔を生で見せられると、確かに大概の男ならばクラッとくるのも納得だ。
冬子が悲しげに訴えてくる。
「私、困っているんです。何も悪いコトしていないのに、マスコミや世間が私を叩くの。お願いします。私を助けて下さい。弁護士さんと一緒に私を支えて。私は魔研に嵌められたんです。本当はあんな発表会見なんてしたくなかったのに。裏切られました」
「え、ええと……」
「それにクィーン細胞はあるんです。それなのに、みんな信じてくれない。おかしい。私があるっていっているのに、証拠を見せろって。変なの。論文のデータは下書きで、画像だって本物があるっていっているのに、信じてくれないの。私を嘘つきだっていうの。私は嘘なんてついていない。クィーン細胞はあるのに」
「そ、それは、その」
しごろもどろになる統護に、啓子が愉快そうに耳打ちする。
「凄いだろう? 思考力を奪われてこの子に同情してしまっただろう。冷静かつ論理的に思考すれば、筋違いも甚だしく『何をいってんだ』レヴェルの世迷い言なのに、統護くんは冬子の言葉に聞き入ってしまっていた」
「あ――」と、統護は我に返る。
「ロジカル・シンキングどころか、明らかに科学者としては使い物にならない主観思考・感情思考をする伊武川冬子が、ニホンが誇る世界最高レヴェルの頭脳集団に紛れ込んで渡り歩けていたのは、この男殺し、特にオヤジ殺しっぷりが天才の域に達しているからよ」
統護は改めて冬子を見る。
これだけ追い込まれていれば、世論を逆転すべく、必死に研究データを再精査して資料作成に励んでいる――と考えるのが普通だ。
だが、冬子が寝ているベッドの上に散乱しているのは、なんとファッション誌である。
ハンガーに掛けられている服も、見栄えのいいブランド品ばかりだ。
(そういえば……。この女、化粧をしている)
優先順位がおかしい。今の伊武川冬子がすべきなのは、化粧どころか寝食を脇に置いても、科学的なデータを揃える事のはずである。論文の不正判定は覆せないにしても、クィーン細胞までねつ造と断定されれば、全てが終わる状況なのだ。
冬子は一方的に話し掛けてきた。
クィーン細胞については『ある』の一点張りだ。具体的な論証に話が及ばない。啓子の言葉通りに主観と感情のみで話している。論理性や客観性に欠けているのだ。
(否定したら、ヤバそうだ)
主に冬子の情緒面において。
よって統護は懸命に冬子の話を肯定する。
しかし、自省や後悔が皆無で、救済と自己正当性ばかりを主張する冬子に、統護は戦慄を覚えるのを禁じ得なかった。
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…
夏子が妹の病室を訪ねると、意外な見舞客がいた。
「……堂桜? どうしてだ」
堂桜財閥を代表して――という可能性が脳裏を過ぎるが、すぐに打ち消した。
じきに懲戒解雇されるだろうが、冬子が在籍している【魔術化学研究所】は、堂桜系列とは別である。魔研はクィーン細胞問題で文部省に監督されていた。それに、実験ノートがネットに暴露されてしまった今では、冬子をスカウトしようとする研究機関もない。
実験ノート。研究者が自己と実験の正当性を守る為に、アナログ筆記で残す物である。
まともな研究者ならば、一年で段ボール一箱分にも達するという実験ノートであるが、冬子の場合、二年間で僅かに三十八冊だった。それも大学院生レヴェルどころか学部レヴェルと、多くの識者・専門家に切り捨てられた中身で。
調査委員の面々は、冬子の実験ノートを目にして、卒倒しそうになったという。
ネットでも内容の稚拙さから、嘲笑を浴びまくった。擁護も消えた。
世論は、何故もっと早い段階で冬子の研究状況をチェックしていなかったのか、そして論文と実験データの検証を怠ったのか――という方向に風向きが変わりつつある。
統護が夏子の入室に気が付いた。
「伊武川先生、どうも。実は史基と武田の見舞いに来たんですが……」
「ああ。私が彼に冬子さんの話し相手を頼んだのよ」
啓子の言葉に、夏子は詰め寄る。
「いくら医師とはいえ、担当医でもない貴女が勝手な真似をしないで欲しい。特に冬子に関しては、佐町コーヂと同じく伊武川家の問題なので」
啓子は意地悪そうに笑んだ。
「その担当医も匙を投げてね。私にもヘルプの声が掛けられたのよ。まあ、その私だって何もやれる事ないって嘆いているのだけれど、この階の患者って基本そんなのばかりだし」
冬子からの視線に、夏子はため息をつく。
邪魔をするなと恨みがましい視線だ。さぞかし甘やかして貰えたのだろう。
両親と同様に。
本来ならば、冬子の首根っこをひっつかんで、記者会見で土下座させなければならない両親は、今でも『冬ちゃんは悪くない』と云っている。弁護士まで用意する始末だ。科学論争から法廷論争にすり替えて、国および学会、ひいては国民に喧嘩をふっかけるつもりだ。
そもそも早い段階で、全面的に謝罪して論文を撤回していれば、こんな世界的・歴史的な大醜聞になど発展しなかったし、魔研だって全力で冬子を守ったというのに……
「帰って。私、お姉ちゃんとは今は話したくない」
「嫌われたものだな。いや、昔から私はお前に嫌われていたか……」
「お姉ちゃんには、私の気持ちなんて分からないし。それに堂桜くんとお話しているから。彼は私の話をちゃんと聞いてくれるの。お姉ちゃんは聞いてくれないじゃない」
「そうか。そうだな……」
悲しさを押し殺す。今は黙って話を聞いてやる事も必要なのかもしれない。しかし、耳障りの良い言葉だけを選び、手厳しい指摘に耳を塞ぎ続けた末路が――現状なのだと、夏子は泣き叫びたくなる。
統護が遠慮がちに言った。
「じゃ、俺はこの辺でおいとまします」
「帰っちゃうの? もう少しお話しましょうよ」
「また来ますから」
不満げな冬子に、明らかな愛想笑いで統護は応えて、病室から辞した。
夏子とすれ違った際の、済まなそうな彼の視線から色々と察する事ができた。
文句を言おうと夏子が口を開こうとした時。
啓子のPHSが着信音を奏で、彼女は通話に応じた。通話はすぐに終わる。
「どうやら他件でトラブルが発生したようで、私も今夜はこれで失礼するとしましょうか」
「また急患ですか」
「いいえ。大事な大事な研究材料にちょっと異変が起きたようなのよ」
言い置き、早足で啓子は病室から出て行く。
小走りといっていい。懸命に平静を取り繕っている――と、夏子は感じ取った。
冬子を見る。歓迎の色はない。ならば……
「今日は私もこれで帰るよ。無理せずにゆっくり休め、冬子」
返事を待たずに、夏子は病室を出る。
いや、正確には啓子の後を追ったのだ。廊下で看護師を捉まえて、啓子の行き先を訊いた。エレベータへ急いでいたと教えて貰えた。
(あの女医。変人にしても、明らかに不審に過ぎる)
妹に関わらないのならば追究しようとは思わない。だが、妹に関わるのならば話は別だ。
加えて、夏子の勘が『神家啓子は危険な女だ』と告げている。
この勘を信じて命拾いした事は、特殊工作員時代に何度もあった。
杞憂だったのならば、それが最上である。しかし確認を怠る――という選択肢はない。
場合によっては、過去のコネクションを総動員して、神家啓子という人物の情報を洗い出す必要が生じるかもしれない。
夏子はエレベータに乗り込む。
幸運な事に他に誰もいない。夏子は操作パネルの下にあるカバーを外し、パスワードを打ち込んだ。特殊工作員時代から変更されていなければ、これで屋上階へのロックが、一時解除されるはずだ。
ロックが外れる。警備員も巡回時に点検する箇所なので、やはり未変更だったか。
すぐには動かない。
籠内のスピーカーからロック解除についての質問がきた。監視カメラと解除信号が発信される程度は承知しているので、夏子は身分証明書を監視カメラに翳し、病院上層部に問い合わせろと答える。貸しを作る事になるが、外部から運転停止されるわけにはいかない。
エレベータが屋上に昇る。
啓子が屋上に行ったという保証はない。しかしあの急ぎようからすると、屋上が最も高確率だと踏んで賭にでたのである。屋上の間取りは記憶に残っている。デパートなどとは異なり、エレベータホールと機械室・ポンプ室・停電時用自家発電室・魔力蓄積装置(マナ・コンデンサ)室は直結している。運が悪ければ、啓子と鉢合わせになるが、その時はその時だと割り切るしかない。
運は味方だった。その先は、運不運ではなく純粋な結果のみだ。
果たして――
屋上のヘリポート上に停まろうと、特殊ヘリコプターが姿勢制御していた。
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